「マタイ8章;マルコ2-4章;ルカ7章」新約聖書 インスティテュート教師用手引き
「嵐を静められるイエス」テッド・ヘニンガー画
マタイ8章;マルコ2-4章;ルカ7章
イエス・キリストは幾つもの大きな奇跡を行われました。教導の業の始めにガリラヤで務めを果たされていたときに,イエスは重い皮膚病にかかった人を清め,なえた手をよみがえらせ,百卒長の僕を癒し,嵐に襲われた海を静められました。憐れみに突き動かされ,夫を亡くした女性の息子をよみがえらせ,ある女性の罪を赦されました。これらの記述は,神の子供たちに対する救い主の深い憐れみと,人生の嵐の中で人を癒し,高め,回復し,静める主の力を示しています。
その他のリソース
Scripture Helps: New Testament(「聖文ヘルプ:新約聖書」)の“Matthew 8; Mark 2–4; Luke 7”(「マタイ8章;マルコ2-4章;ルカ7章」)
注:“Introduction to the Course(「コースの紹介」)では,以下に続く4つの標準的なレッスン要素の活用方法に関する指針が提供されています。
個人学習を促す
クラスが始まる前に,以下のメッセージを一つまたは複数,またはあなた自身のメッセージを生徒に送るとよいでしょう。
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あなたが今,主の助けを特に必要としているのはどのようなことですか。マタイ8:1-27を読みながら,救い主があなたの生活の中でどのような奇跡を行うことがおできになるか考えてください。
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あなたにとって,安息日はどのような日ですか。マルコ2:23-283:1-6を読み,救い主の模範と教えから,安息日について学べることを考えてください。
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あなたの影響力の及ぶ人たちの中で,あなたが思いやりを示せる人について考えてください。ナインのやもめ(ルカ7:11-16参照)と,主の足を洗い,油を注いだ女性(ルカ7:36-50参照)に対する救い主の接し方から,キリストのような思いやりについてどのようなことが分かりますか。
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主は,悔い改めるようすべての人に命じておられます。ルカ7:36-50を研究しながら,悔い改めたいという望みを高めてくれる教えを見つけてください。
質問し,分かち合う
スキル訓練
マタイ8:1-27は,『聖文研究のスキル』の「聖文の背景を理解する」スキルを使うのに役立つかもしれません。ルカ7:36-50は,『聖文研究のスキル』の「聖文を当てはめる」スキルを使うのに適した箇所かもしれません。
学習活動のオプション
あなたと生徒のために,複数の学習オプションが用意されています。クラスにとって最も意義深いと思われる選択肢(一つまたは複数)を,祈りをもって選んでください。
救い主はどのような奇跡をわたしの生活の中で行われるだろうか
次の言葉を見せるとよいでしょう:「さて見よ,わたしは神である。奇跡の神である。」(2ニーファイ27:23)その後,次の言葉を見せて,生徒にそれぞれの文がどの程度自分に当てはまるかを,1から5の尺度で評価してもらいます(1=まったくそう思わない,5=とてもそう思う)。
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わたしは,救い主が自分やほかの人々の生活の中で行われた奇跡を見つけることができます。
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イエス・キリストがわたしの人生で奇跡を行うことがおできになり,今後行ってくださると信じています。
マタイ8章には,救い主の奇跡についての記述が幾つか含まれていることを説明します。生徒を4人ずつのグループに分けます。各グループの参加者に,以下の奇跡の一つを研究し,その後に書かれている質問について話し合う準備をしてもらいます。
(選んだ聖句の前後の聖句を復習することによって,『聖文研究のスキル』の「聖文の背景を理解する」スキルを使うよう生徒に勧めるとよいでしょう。生徒は,Scripture Helps: New Testament〔「聖文ヘルプ:新約聖書」〕の該当する項を復習することもできます。)
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あなたが読んだ話に登場する人々は,救い主の奇跡によってどのような影響を受けたと思いますか。
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この奇跡から,救い主についてどのようなことが分かるでしょうか。
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この話の中でわたしたちに向けられているメッセージは何だと思いますか。
個人学習の時間を取った後,グループで前述の質問を使い,これらの話から学んだことについて話し合ってもらいます。
参考になるようであれば,何人かの生徒にグループでの話し合いで最も興味を持ったことや印象に残ったことをクラス全体に発表してもらうとよいでしょう。生徒が発表する際,生徒の洞察をホワイトボードに書くとよいでしょう。生徒の洞察には,次のような真理が含まれるかもしれません:救い主はわたしたちを清くすることがおできになる。イエス・キリストを信じる信仰は,わたしたちの生活に主の奇跡的な力を招く。人生の嵐の中で,イエス・キリストを通して平安を見いだすことができる。
教え方と学び方を改善する
聖文から真理を見つけ出せるよう学習者を助ける。聖文から福音の真理を見つけることは,生徒にとって有益です。真理は,聖文の中で明確に述べられていることもあれば,聖文の話の中で描かれている場合もあります。何らかの方法でこれらの真理を強調するとよいでしょう(例えば,聖典に印をつける,またはホワイトボードに書くなど)。明確に述べられている真理は,聖霊によってより容易に確認され,生徒はそれらの真理をよりよく理解し,生活の中で応用することができます。
生徒が自分の気づいたことを発表する際,救い主の影響力と奇跡的な力についての経験や証を分かち合うように招く機会をうかがってください。話し合いをさらに掘り下げることができるよう,以下に挙げる質問をするとよいかもしれません:
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あなたはこれまでにどのような形でイエス・キリストの力と影響を受けてきましたか。
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それらの経験から救い主についてどのようなことを学びましたか。それらの経験は,主を信じるあなたの信仰にどのような影響を与えましたか。
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どのようなときに,人生の嵐の中でイエス・キリストを通して平安を見いだしましたか。
安息日にもっと大きな目的を見いだすにはどうしたらよいだろうか
以下のシナリオを紹介するとよいでしょう。
皆さんは,新会員のエミにミニスタリングを行っています。安息日は彼女にとってまったく新しい概念です。ミニスタリングの訪問中に,彼女からこう尋ねられました。「安息日にするべきことと,するべきでないことは,どうすれば分かりますか。」
何人かの生徒に,自分ならエミの質問にどう答えるかを話してもらいます。その後,マルコ2:23-28;3:1-6で,イエスは安息日に行うのにふさわしい事柄について導きを与えてくださったことを指摘します。安息日における救い主の行動と弟子たちの行動が,なぜ多くの論争をひき起こしたのかを生徒が理解できるように助けます。一つの方法として,Scripture Helps: New Testament(「聖文ヘルプ:新約聖書」)の“Mark 2:23–28.Why did the scribes and Pharisees object to the disciples’ actions on the Sabbath?”(「マルコ2:23-28。律法学者とパリサイ人が,安息日における弟子たちの行動に異議を唱えたのはなぜでしょうか」)を共有するとよいでしょう。
生徒に,マルコ2:23-28;ジョセフ・スミス訳マルコ2:26-27;マルコ3:1-6を読んでもらいます。その後,安息日についての救い主の模範と教えから学んだことを発表してもらいます。
生徒が見つけたことを発表する際,次のような真理を見つけられるよう助けます:安息日は神をあがめ,善を行う日である。
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この真理を理解することは,エミが安息日にするべきこととそうではないことを決めるうえでどのような助けとなるでしょうか。
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安息日に善を行うという救い主の模範に従う方法にはどのようなものがありますか。
生徒が安息日の時間の使い方を決めるのを助けるために,ラッセル・M・ネルソン大管長の次の言葉を共有するとよいでしょう。
「わたしがまだ若かったとき,安息日に行うことと行ってはならないことについて他の人々がリストにしたものを学習しました。程なくして,安息日に対する自分の行いと態度が自分と天の御父の間のしるしであると聖典から学びました〔出エジプト31:13;エゼキエル20:12,20参照〕。そのことを理解すると,もう行うことや行わないことのリストは不要でした。ある活動が安息日にふさわしいかどうか判断する必要がある場合,こう自問するだけでした。 『自分は神にどんなしるしを差し出そうとしているだろうか。』この質問は安息日についての選びをきわめて明確にしました。……
主に愛を示すために,皆さんはどのようなしるしを主に差し出しますか。」(「安息日は喜びの日」『リアホナ』2015年5月号,130)
その後,生徒に,安息日に神をあがめたり(敬ったり),ほかの人々に善を行ったりしたときのことについて考えてもらうとよいでしょう。生徒にその経験を分かち合ってもらいます。
生徒に,自分自身がどのように安息日を守っているかを吟味し,安息日にもっと神をあがめ,善を行う方法を考えてもらいます。考えたことを日記に書いてもらうとよいでしょう。
もっと思いやりのある人になるために,自分は何ができるだろうか
この話し合いを始めるに当たって,ジョセフ・B・ワースリン長老の次の言葉を共有するとよいでしょう。
「イエス・キリストの真の弟子は常に個人に関心を示してきました。イエス・キリストは最もすばらしい模範です。群衆に囲まれ,何千人もの人に話されましたが,常に個人に関心を寄せておられました。」(「個人に関心を寄せる」『リアホナ』2008年5月号,18)
生徒たちにルカ7:11-16を読むか,「ナインのやもめ」(2分26秒)のビデオを視聴してもらい,このやもめの状況を想像してもらいます。(さらに洞察を得るには,Scripture Helps: New Testament(「聖文ヘルプ:新約聖書」)から以下の箇所を共有するとよいでしょう。“Luke 7:11.What efforts did the Savior make to get to the village of Nain?” (「ルカ7:11。救い主はナインの村に行くためにどのような努力を払われましたか。」),“Luke 7:12.What challenges might the widow of Nain have faced when her only son died?”(「ルカ7:12。ナインのやもめは,一人息子が亡くなったときにどのような困難に直面したと思いますか」)それから,次の質問を尋ねるとよいでしょう:
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あなたがナインのやもめだったとしたら,どのように感じたと思いますか。この経験から,救い主についてどのようなことが分かるでしょうか。
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あなたはどのようなときに救い主の思いやりを感じたことがありますか。
この話し合いの一環として,ウリセス・ソアレス長老の次の言葉を共有するとよいでしょう。
「イエスは,その貧しい母親の深い苦悩だけでなく,彼女の人生の困難な状況をも感じ取り,心からの思いやりを抱かれました〔ルカ7:11-15参照〕。
ナインのやもめのように,わたしたちの影響の及ぶ範囲にいる多くの人が,慰めや関心,受け入れられること,そしてわたしたちが提供できるあらゆる助けを求めています。わたしたちは皆,主の御手に使われる者となり,イエスのように,助けの必要な人に思いやりを示すことができます。」(「救い主の不変の思いやり」『リアホナ』2021年11月号,13)
次の原則を見せるとよいでしょう:人々に思いやりを示すことによって,イエス・キリストの模範に従うことができる。
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キリストのような思いやりを養ううえで,どのような困難に直面する可能性があるでしょうか。それらの困難をどのように克服することができますか。
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あなたはどのような形で,人の思いやりを感じたことがありますか。それらの経験から,キリストのような思いやりについて何を学びましたか。
次のシナリオを見せて,これらの状況において自分なら救い主の模範にどのように従うか,小さなグループごとに話し合ってもらいます。
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仕事仲間の母親が末期の病気であると診断されました。
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かつて教会に行くのが大好きだった友人が,来なくなったことに気づきました。
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教会の中心となる信条について疑問や疑いを抱いているため,教会にはもう居場所がないと感じている,とワードのある会員から打ち明けられました。
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あなたは,結婚と家族に関する神の教えに対するあなたの信条を曲げることなく,LGBTQコミュニティーの人々に思いやりを示し,彼らを受け入れるにはどうすればよいか悩んでいます。
時間を取って,どうすればもっと救い主のように思いやり深くなれるか,生徒に祈りの気持ちで考えてもらうとよいでしょう。考えや印象を書き留めるよう勧めてください。
悔い改めたいという気持ちを強めるには,どうすればよいだろうか
次の絵を見せて,一人の生徒にルカ7:36-50の話を短くまとめてもらうとよいでしょう。
「イエスの足を洗う」ブライアン・コール画
生徒たちに少人数のグループに分かれてもらい,次の配付資料を使い,それを基にルカ7:36-50について話し合ってもらいます。シモンとその女性が救い主に対して取った態度,二人がそれぞれ主に接した方法,主がそれぞれに教えられた真理を生徒に書き留めてもらいます。また,この話を自分の生活に当てはめる方法も書き留めてもらいます。配付資料の記入が終わったら,生徒たちに,学んだことをクラス全体に発表してもらうとよいでしょう。
生徒がこの話を自分に当てはめる方法を発表する際,生徒が見つけた真理をホワイトボードに書くとよいでしょう。生徒は次のような真理を見つけるでしょう:救い主に対して愛を抱くと,罪を悔い改めたいと思うようになる。神の赦しを受けると,救い主に対する敬愛の念が増す。高慢になると,悔い改めと救い主の助けの必要性が見えなくなる。
次の図を見せ,イエス・キリストに対する愛と,悔い改めと神の赦しの関係について話し合うとよいでしょう。
最後に,当時大管長会の一員であったディーター・F・ウークトドルフ管長の次の言葉を見せてもよいでしょう。生徒に,ウークトドルフ管長の質問について深く考えてもらいます。
「この二人のうち,わたしたちはどちらに似ているでしょうか。
わたしたちはシモンのようでしょうか。自分の善い行いに自信を持ち,満足し,自分自身の義を頼みとしているでしょうか。わたしたちの標準に従って生活していない人に,もしかすると少しいらだちを覚えているでしょうか。自動操縦で,様々なことを形だけ行い,集会に出席し,福音の教義クラスではあくびばかりして,聖餐式の間に携帯電話を確認しているでしょうか。
それとも,『自分は罪のゆえにどうにもならないほど完全に道をそれてしまった』と思っていたこの女性のようでしょうか。
わたしたちは多く愛しているでしょうか。
天の御父に恩を受けていることを理解し,心を尽くして神の恵みを請い求めているでしょうか。
ひざまずいて祈るとき,ヒット曲を集めたベストアルバムを再生するかのように自分自身の義を並べ立てるのでしょうか。それとも,自分の過ちを告白し,神の憐れみを請い,驚くべき贖いの計画に対する感謝の涙を流すのでしょうか。」(「恵みの賜物」『リアホナ』2015年5月号,109)