「それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」
神とその子供たちに対するわたしたちの愛は、ここがほんとうに救い主の教会であることを全世界に力強く証します。
何年も前、ハリエットとわたしは、ドイツ南部を旅しました。ちょうどイースターの前で、わたしたちは教会員でない親友を日曜日の礼拝行事に招待しました。わたしたちはこの親しい友人を愛していたので、救い主と教会について感じていることを伝え、来て見るように招くのは、自然なことでした。彼女はその招きを受け入れて、近くの支部の集会に一緒に出席してくれました。
初めて友人を教会に連れて行ったことがある人なら、恐らくその日曜日の朝にわたしが感じた気持ちが分かるでしょう。すべてが完璧であるように願いました。わたしたちの友人は教養ある霊的な人でした。この支部の集会が彼女に良い印象を与え、教会のことがよく伝わるよう心から願いました。
支部の集会は、食料品店の2階の部屋を借りて行われていました。集会所に行くには、建物の裏手にある階段を上り、保管されている商品の放つ強烈なにおいの中を通る必要がありました。
聖餐会が始まり、これが友人にとって初めての経験になることを考えると、決まりが悪い事柄に目を向けずにはいられませんでした。例えば、歌声はタバナクル合唱団のものとは程遠く、聖餐の間は、落ち着きのない子供たちの騒がしい声が響きます。話者は最善を尽くしましたが、人前で話す技術が足りません。わたしは集会の間、不安な思いで座り、日曜学校がより良いものとなるよう願いました。
しかし、そうはいきませんでした。
わたしは朝からずっと、友人がこの教会についてどう思うか心配でした。
帰り道、車を走らせながら、話しかけようと友人の方を見ました。今日行ったのは小さな支部の一つであり、すべての教会がこうではないと説明したかったのです。しかし、わたしが何か言う前に、彼女が口を開きました。
そして、「すばらしかったです」と言ったのです。
わたしは言葉を失いました。
彼女は続けてこう言いました。「教会の人の、互いへの接し方を見て驚いたわ。皆さんそれぞれ異なる背景をお持ちのようだったけど、心から愛し合っているのが見て取れたわ。これこそ、キリストが御自分の教会に望んでおられたことだと思うの。」
わたしはすぐ、自分の批判的な態度を悔い改めました。わたしは友人が感動する、絵に描いたように完璧な集会を求めていました。しかし、この支部の会員たちは、愛と親切、忍耐、思いやりという、心を満たす完璧な精神を体現してくれました。
「信仰もまた地に増すため」
愛する兄弟姉妹、友人の皆さん、わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会を愛しています。この教会は救い主のまことの教会で、イエス・キリストの回復された完全な福音を教えています。主の神権の力と権能がここにあります。イエス・キリストは、召しと権能を主から受けた僕たち、また生ける預言者であるラッセル・M・ネルソン大管長を通して、この教会を自ら導いておられます。救い主は末日聖徒に、神の子供たちを集め、救い主の再臨に世を備えるという特別な使命をお与えになりました。これがすべて真実であると証します。
しかし、初めてイエス・キリストの教会を経験するほとんどの人は、神権の権能や儀式、イスラエルの集合については考えていないことを覚えておく必要があります。彼らが何より注目するのは、わたしたちと一緒にいるときにどう感じるか、そしてわたしたちが互いにどう接しているかということなのです。
イエスは言われました。「互に愛し合いなさい。……それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう。」たいてい、人はイエス・キリストの弟子たちの中にいて愛を感じるときに、イエス・キリストについての証を得ます。
救い主は、「信仰〔が〕地に増す」ために主の教会を回復したと宣言されました。ですから、主は、教会の集会を訪れた人が、信仰を深めて帰ることを望んでおられるのです。友人がわたしたちと過ごして感じる愛は、彼らをさらにイエス・キリストに近づけてくれるでしょう。これこそ、わたしたちが集まる度に掲げるシンプルな目標です。
キリストへの信仰を強めたい人や、天の御父とのつながりを深めたい人はだれもが、末日聖徒イエス・キリスト教会を心地よい場所だと感じられるはずです。彼らを集会に招くことは、自分の家に招くのと同じように、普通で自然なことになり得るのです。
理想と現実
とは言え、わたしが理想を語っているのは承知しています。この世で理想を経験することはめったにありません。そして「〔完璧な日〕となる」までは、理想と現実の間に常にギャップが存在します。では、教会が完璧だと感じられないとき、どうすればよいのでしょうか。何らかの理由で、わたしたちのワードで完璧な信仰や愛が育まれないときは、どうでしょうか。あるいは、自分がワードになじめないと感じるときは、どうしますか。
してはいけないのは、理想を諦めることです。
モルモン書のタイトルページには、重要な警告が記されています。「もし誤りがあるとすれば、それは人の犯した誤りである。したがって、……神にかかわるものを非難しないようにしなさい。」
本や教会や人に「誤り 」や「間違い」があっても、神の業と言えるでしょうか。
わたしは声を大きくして、「はい」と答えます。
ですから、主の高い標準に従いつつ、互いに忍耐強くありましょう。わたしたちはそれぞれ成長の途中であり、進歩成長するには救い主に頼らなければなりません。これはわたしたち個人にも、地上の神の王国にも言えることです。
主はわたしたちに、主の王国に加わるだけでなく、王国の建設に熱心に携わるように招いておられます。神は、「心を一つにし、思いを一つにし」た民を思い描いておられます。心を一つにするには、清い心を持つことを目指さなければなりませんし、それには心の大きな変化が必要です。
しかし、その心の変化とはわたしの心をあなたに合わせることでも、あなたの心をわたしに合わせることでもありません。それは、わたしたちが皆、救い主と一致するように心を変えることです。
なじむことと帰属意識
なじめないと感じるようなことがあっても、あなたが独りではないことを覚えておいてください。だれでも人生において、自分がよそ者であるかのように感じたことがあるのではないでしょうか。わたしは何度もそのように感じてきました。11歳のとき、わたしたち家族は家を離れ、慣れない土地に引っ越すことを余儀なくされました。何もかもがこれまでとは違っていました。自分の口から出る訛りから、わたしがほかの子たちと違うことは明らかでした。友情とつながりを切望していたときに、孤独と疎外感を感じたのです。
この地上でわたしたちが気づく違い、わたしたちが互いを分類するために使われる違いのほとんどは、外見や国籍、言語、服装、習慣など、この世的な事柄に関係しています。しかし、「〔神〕が見るところは人とは異な〔ります〕。人は外の顔かたちを見、主は心を見〔ておられます〕。」
主の視点から見て、ほかの何よりも優先する項目があります。それは、神の子であるかどうかというものです。わたしたちは全員、紛れもなくその項目に当てはまります。
外見や行い、話し方、考えが自分と似ている人と一緒にいたいと思うのは、自然なことです。そうすることが適切な場合もあることでしょう。
しかし救い主の教会には、進んで集まることを望み、真理を探究する神の子供たち全員が集まっています。わたしたちを結びつけるのは、わたしたちの外見や政治的見解、文化、民族性ではありません。わたしたちを一致させるのは、共通の背景ではありません。共通の目的、神に対する愛、隣人に対する愛、そしてイエス・キリストとその回復された福音に対する献身こそが一致を生むのです。わたしたちは「キリスト……にあって一つ」なのです。
わたしたちが求める一致とは、皆が同じ場所に立つことではなく、皆が同じ方向を見ること、すなわちイエス・キリストに目を向けることです。どこにいたかではなく、どこに行こうと努力しているか、どのような人かではなく、どのような人になろうと努力しているかが、わたしたちを一つにします。
キリストの真の教会は、そのためにあるのです。
一つのからだ
神を愛し、御子に従うことによってさらに主を知りたいと望むなら、ここが皆さんの居場所です。たとえ今は完全ではなくても、救い主の戒めを守ろうと熱心に努力しているのなら、末日聖徒イエス・キリスト教会は皆さんにぴったりです。
では、もし皆さん自身が周りとなじめずにいた場合はどうでしょう。それは皆さんが不適合者だということにはなりません。皆さんは、キリストのからだの、かけがえのない一部なのです。キリストのからだには、皆が必要です。耳は、目が決して感知できないものを感知します。足は、手だとうまくできないことを行います。
皆さんの務めは、すべての人を自分のようにならせることではありません。皆さんには貢献すべき重要なことがあり、学ぶべき大切なことがあります。
一つの声
総大会の各部会では、才能豊かな聖歌隊による霊感あふれる音楽が流れます。耳を傾けると、全員が同じ音程で歌っていないことに気づくでしょう。あるパートがメロディーを歌うこともあれば、別のパートがメロディーを歌うこともあります。しかし、全員が美しい音楽に貢献し、完璧に統一されています。聖歌隊の各隊員は、神を賛美し、神に心を向けるという同じ目標を持っています。各自が同じ神聖な目的に思いと心を向けなければなりません。そうすることで、その声は真に一つとなります。
まだ末日聖徒イエス・キリスト教会の会員でない皆さんに、ともに救い主の「贖いをもたらす愛の歌」を喜ぶようお招きします。皆さんが必要です。皆さんを愛しています。皆さんが主とその子供たちに仕えようと努力するときに、教会はさらに良くなるでしょう。
バプテスマを通して、また神との聖約を通して、「神の羊の群れに入って、神の民と呼ばれたい」 という望みをすでに示している皆さん、この偉大で神聖な業の一部となり、イエス・キリストの教会を救い主が望んでおられるような教会にするために助けてくださり感謝します。
ドイツの友人から学んだように、神とその子供たちに対するわたしたちの愛は、この教会がほんとうに救い主の教会であることを全世界に力強く証しています。
神の祝福を受けて、主なる救い主、贖い主が定めてくださった理想に沿って生きるために忍耐強く熱心に努力することができますように。そうすれば、わたしたちが主の弟子であることをすべての人が知るでしょう。イエス・キリストの神聖な御名により,アーメン。