「マウンテンメドーの虐殺」「トピックと質問」(2023年)
概要
マウンテンメドーの虐殺
「1857年9月11日,ユタ南部において, 50~60人から成る地元の民兵が,アメリカンインディアンと同盟を結び,彼らの支援を受けて,荷馬車でカリフォルニアへ向かっていた約120名の移住団を虐殺しました。この恐ろしい事件が起きたのは,シーダーシティーの南西約35マイル〔56キロ〕の山岳地帯にある,マウンテンメドーと呼ばれる峡谷でした。この虐殺を免れたのは,6歳以下の子供17人だけでした。犠牲者のほとんどはアーカンソー出身者で,将来に大きな夢を抱いてカリフォルニアへ向かう途中でした。」
「かつて当教会の会員たちによって行われたことは,キリスト教徒の教えと行動からかけ離れた弁解の余地のない恐ろしい行動です。……起こったことを変えることはできませんが,ここで殺された人々を思い出し,敬意を表することはできます。
150年前の今日, この谷で行われた虐殺に対して, また当時の犠牲者たちと今日に至る親類の方々が経験した筆舌に尽くしがたい不当な苦しみに対して, 心から深い遺憾の念を表します。
虐殺で起こったことの主たる責任をあまりにも長い間不当に負ってきたパイユート族に対しても,遺憾の意を表明しなければなりません。彼らの関与の程度については議論の余地がありますが,地元の教会指導者や会員による指示や圧力がなければ,彼らは参加しなかっただろうと考えられています。」