聖文ヘルプ
創世18-23章


「創世18-23章」『聖文ヘルプ:旧約聖書』(2025年)

聖文ヘルプ

創世18-23章

主の使者たちがアブラハムのもとを訪れ、来たるソドムとゴモラの滅亡について告げました。使者たちは、サラが息子をもうけるだろうという約束も繰り返し伝えました。ロトとその家族は町から逃げるよう警告されましたが、家族の中にはその警告に耳を傾けない者もいました。生き残ったのはロトとその娘たちだけでした。イサクが生まれ、神がアブラハムに与えられた約束が果たされました。アブラハムはイサクを犠牲としてささげるよう命じられ、これによって主に対する彼の信仰が試されました。アブラハムが自らの忠実さを証明したとき、主はイサクの命を救い、代わりの犠牲を与えられました。

リソース

注:末日聖徒イエス・キリスト教会が発信したものではない情報源が引用されている場合、その情報源や著者が教会によって承認されている、あるいは教会の公式見解を表していることを意味するものではありません。

背景と文脈

創世18:1-8

アブラハムのもとを訪れた男たちについて、どのようなことが分かっているだろうか

この話のジョセフ・スミス訳では、この3人の男性を「聖なる人々であり、神の位に従って遣わされた天使たちであった」としています。欽定訳聖書では、この人々を天使と呼んでいます。これは「使者」という意味もあります。これらの使者の正体は分かっていませんが、アブラハムは彼らに敬意と大きな尊敬をもって接しました。

創世18:23-33

主の憐れみについて、アブラハムは何を学んだのだろうか

主がソドムとゴモラを滅ぼす計画をアブラハムに明らかにされたとき、アブラハムは自分の大切な人と、そこに住んでいるそのほかの義にかなった人を救ってくださるよう主に嘆願しました。神はアブラハムと相談され、その過程でアブラハムは、たとえそこに住んでいる義人がわずかであっても、神は喜んで憐れみを示され、ソドムとゴモラの悪人を救ってくださると理解するに至りました。ほかの聖文の話で、神はしばしば、義人のために悪人を救うことで憐れみを示されました。

創世19:4-9

ロトは自分の娘たちを暴徒の虐待に差し出したのだろうか

ロトとその家族が主の使者たちを家に泊まらせようと招いた後、外に暴徒が集まりました。暴徒はロトに、虐待するため客人を引き渡すよう要求しました。創世記には、ロトが主の使者の代わりに二人の娘を危険な暴徒に差し出したと説明されています。ジョセフ・スミスの霊感訳では、ロトが怒った暴徒に娘たちを差し出さなかったことが明確にされています。それどころか、暴徒はロトの客人娘たちを要求しました。ロトが拒むと、暴徒は無理やり家に入ろうとし、聖なる使者たちに打たれて目がくらみました。

創世19:12-13

神はなぜソドムとゴモラを滅ぼされたのだろうか

ソドムとゴモラの住民は、多くの邪悪な慣習に携わっており、主を悲しませていました。彼らは高ぶり、安泰に暮らし、「食物に飽き」ながらも「乏しい者と貧しい者」を助けなかった、と預言者エゼキエルは宣言しています。ソドムとその近隣の町では、性的不品行が広く受け入れられ、行われていました。預言者ジョセフ・スミスは、ソドムとゴモラの民が「預言者たちを拒んだために滅ぼされた」と述べています。ソドムとゴモラの運命は、聖文の至る所で、悪事の結果に対する例として用いられています。

創世19:15-26

ロトの妻はなぜ塩の柱になったのだろうか

ロトの妻がソドムの町を振り返った様子を描写するヘブライ語は、単なる視線だけでなく、憧れや研究するようなまなざしを伝えるものです。

ジェフリー・R・ホランド会長は、次のように述べています。

「ロトの妻の行動の何がそんなにいけなかったのでしょうか。歴史の研究家として、わたしはこれについて考えてきました。そして不完全ではありますが、わたしなりの答えを紹介します。ロトの妻が犯した間違いは、単に振り返ったことではなく、心に帰りたいと願ったことのように思われます。ソドムとゴモラで手に入れていたものを町の境を越える前から恋しく思っていたのでしょう。……

ロトの妻は、主に言われて後に残してきたものを惜しんで、主に恨みを抱きながら振り返ったのかもしれません。」

救い主は、ロトの家族がソドムから逃れた話を警告として用いて、不義な信条や生活様式をすぐに捨て去り、それらに戻らないようにと言われました。主は弟子たちに「ロトの妻のことを思い出しなさい」と助言されました。

ソドムとゴモラを去るロトの家族

「ソドムとゴモラを逃れる」ユリウス・シュノール・フォン・カロルスフェルト画

創世19:30-38

ロトと彼の娘たちの話について、何が分かっているだろうか

創世19章のジョセフ・スミス訳では、ロトの娘たちの行動が邪悪であると明確に説明されています。この二人の若い娘は、父親を酔わせて、何が起こっているのか分からないようにしようと計画したので、自分たちが悪いことをしていることを理解していたと思われます。

多くの人が、なぜこの話が旧約聖書に含まれているのかと不思議に思うのも無理はありません。創世記にある多くの物語と同様に、この話は起源を説明しています。この話に登場する子供たちは、モアブ人とアンモン人の先祖であると言われています。これらの国々は後にイスラエルと交わり、対立することもありました。この起源の説明はモアブやアンモンの人々にとって好ましくないものであり、彼らとイスラエルの民との間の緊張を助長した可能性があります。ルツはモアブ人の重要人物で、ダビデの曾祖母であり、イエス・キリストの先祖でした。

創世21:13

神のアブラハムに対する約束の成就において、イシマエルはどのような役割を果たしたのだろうか

主はアブラハムの聖約について、イサクを通じて続くと宣言されましたが、イシマエルもまた、アブラハムの約束された祝福、特にアブラハムの子孫が「地のちりのように」数え切れないほどに多くなるという約束の成就において役割を果たしました。イシマエルがハガルの胎内にいたとき、主は「大いに〔ハガルの〕子孫を増〔す〕」と約束されました。後に主はアブラハムに、主はイシマエルについて「あなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」と告げられました。

創世22:1-14

神がアブラハムにイサクを犠牲としてささげるように命じられたことから、何を学ぶことができるだろうか

アブラハムは、前世に関する示現の中で、現世の目的の一つは、わたしたちがすべてのことにおいて神に従うかどうかを見ることであると学びました。アブラハムにとって最大の試練は、イサクを犠牲にささげるよう命じられたことでしょう。

創世22章の記述では、アブラハムやイサクがこの試練の間、考えていたことについて一切述べられていません。しかし、ヘブル人への手紙には、アブラハムの信仰が非常に深かったため、神は死んだイサクをよみがえらせる力があると信じていたと書かれています。イサクの質問に対するアブラハムの答えは、アブラハムの信仰を示す最大の証拠です。アブラハムは「神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」とイサクに宣言しました。

祭壇に横たわるイサクと、手にナイフを持って立つアブラハム

「アブラハムとイサク」ハロルド・コッピング画(1863-1932年)。ハロルド・コッピング画 / Private Collection / © Look and Learn / Bridgeman Images

モルモン書の預言者ヤコブは、アブラハムの従順は「神と神の独り子の相似」であると教えました。この話は、御父と御子がわたしたちの贖いのために進んですべてを犠牲にされることを力強く証しています。

現代において、主は御自分の聖徒たちが「アブラハムのように」試されることを明らかにされました。これには、わたしたち全員が、人生において神に完全に頼る必要がある困難な試練に直面することを示しています。主は、試練がわたしたちの聖めにつながると説明しておられます。ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように証しています。「皆さんが堪え忍ぶすべての試練、すべての困難と苦難は、信仰をさらに深める機会です。」

創世22:3-10

イサクの犠牲は、どのような点でキリストの象徴なのだろうか

イサクの年齢は聖書に記されていませんが、この記録で起こった出来事は、イサクが成人であり、進んで参加していたことを示唆しています。アブラハムがイサクを縛ったことについて、ダリン・H・オークス管長は次のように述べています。「アブラハムがそのような奇妙なことをしたとき、イサクはどう思ったでしょうか。聖書には、争いや反論があったとは一切述べられていません。イサクの沈黙は、父に対する信頼と従順という観点でなければ説明できません。」

イサクの犠牲は、わたしたちのためのイエス・キリストの贖いの犠牲の象徴でした。次の表は、この二つの出来事の類似点を示しています。

イサク

イエス・キリスト

イサク

イサクはアブラハムとサラの独り子であった(創世22:2参照)。

イエス・キリスト

イエスは御父の独り子であられた(ヨハネ3:16)。

イサク

イサクはモリヤの地にある山でささげられることになっていたが、その山はエルサレムにある神殿の山であったと伝承されている(創世記22:2歴代志下3:1参照)。

イエス・キリスト

イエスはエルサレムから離れた丘で十字架につけられた(マルコ15:22参照)。

イサク

イサクは燔祭となる必要があった(創世22:2参照)。

イエス・キリスト

すべての犠牲は、イエス・キリストのように行われる(モーセ5:5-7参照)。

イサク

イサクは燔祭のたきぎを運んだ(創世22:6参照)。

イエス・キリスト

キリストは十字架を運ばれた(ヨハネ19:17参照)。

イサク

アブラハムは、神が燔祭の小羊を備えてくださると言った(創世22:8参照)。

イエス・キリスト

イエスはわたしたちのためにささげられた小羊であられた(1ペテロ1:19参照)。

イサク

イサクは縛られ、祭壇の上に横たえられた(創世22:9参照)。

イエス・キリスト

イエスは十字架に釘で打ちつけられた(ルカ23:33参照)。

イサク

イサクは父の意向に従った(創世22:9参照)。

イエス・キリスト

イエスは御父の御心に従われた(ルカ22:42参照)。

イサク

アブラハムは息子を差し控えなかった(創世22:11参照)。

イエス・キリスト

神はその独り子を賜ったほどに、この世を愛して下さった(ヨハネ3:16参照)。

創世22:14

「アドナイ・エレ」にはどのような意味があるのだろうか

主の天使がイサクに代わる雄羊を犠牲として与えた後、アブラハムは山の上のその場所をアドナイ・エレと名付けました。欽定訳聖書では、この言葉を「主の山に備えあり」と訳しています。学者たちは、この言葉を「この山で主にまみえる」または「山にエホバが備えられる」と訳すこともできると提案しています。アブラハムがイサクをいけにえとして連れて行った山は、後にイエス・キリストが十字架につけられた場所と同じ丘の一部であると一般に信じられています。

抱き合うアブラハムとイサク

アドナイ・エレ」イバ・コリバ・ティモシー画

さらに学ぶ

ソドムとゴモラ

  • クエンティン・L・クック「世にあって世のものとならず『リアホナ』2006年2月号、39-41

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12:57

画像

ハガルとイシマエルを荒れ野に送るアブラハム

Ishmael and Hagar Expelled(追放されるイシマエルとハガル), by George Soper

イサクをいけにえとしてささげるそなえをするアブラハム

イサクを犠牲にするアブラハム」デル・パーソン画

イサクを犠牲にするアブラハム

アブラハムとイサク」ジェフ・ウォード画