2025
心は大きく変わりました
2025年8月号


Deepening Conversion to Christ─心が変わるとき

心は大きく変わりました

教会に戻ってからの思いと生活

2023年の秋の終わり頃、ある友達から久しぶりに電話がかかってきました。彼は昔からの親友で、自分は今、弁護士をしているので悩みがあれば聞くよ、とのことでした。ちょうど母親が亡くなって間もない頃だったので、相続などにまつわる問題について相談すると、わたしが引き受けてあげるよ、と言ってくれました。

それから相続の手続きに必要なお金や、代行手数料など言われるままに何度も彼にお金を払いました。支払うお金がなくなると、元親友は「お金がないんだったら友達や家族に借りたらどうだ」と言いました。ぼくは彼が弁護士であると信じ込んでいたので、周囲の人々にお金を貸してくれるように頼みました。教会員にも電話をかけました。

当時、ぼくは時々しか教会に行っていませんでした。今から考えると、教会から足が遠のくことでサタンの誘惑が大きくなって、あまりいい人が寄ってこなかったのだろうと思います。

差し伸べられた手

2024年8月の朝、目を覚ましたぼくは外が騒がしいことに気が付きました。「大丈夫かな、大丈夫かな」「どうしたんだろう?」と話し合う声が聞こえます。窓から外を見てみると、教会の友人たちが顔を見合わせて話していました。音楽が好きなぼくには、教会内に音楽を通じて親しくなった友人が何人かおり、気心の知れた彼らとはずっと付き合いが続いていました。友人の一人は、これまで人からお金を借りることなどなかったぼくの行動を見て異変に気付き、もしかしたら弁護士を騙(かた)る元親友が、ぼくを閉じ込めているのではないかと心配して見に来てくれたのでした。

それまでも他の人たちから「だまされているんじゃない?」と言われましたが、そのときは認められませんでした。悪い言い方をすると元親友に洗脳されていたのだと思います。でも3人の友達が「一色兄弟、出てきて。何も心配しないでいいからぼくたちに任せて」と言ってくれたので、勇気を出して外に出ることができました。

それから彼らに付き添われて、元親友が「自分は弁護士だ」と喋っている録音データを持って警察へ行きました。ですが、証拠不十分ということで警察はあまり真剣に向き合ってくれません。ぼくたちは教会へ行き、ビショップに相談することにしました。

ビショップは少し前に突然、ワードのグループLINEを退会したぼくを心配していて、(元親友はぼくの携帯を見て、グループLINEへの投稿でお金を無心するよう指図してくるので、教会の友人たちの勧めで退会していました)翌週の日曜日、教会で話を聞いてくれました。犬山ワードのビショップは特許に関する仕事(弁理士)をされていて非常に法律に詳しい方です。二度目に相談したとき、ビショップは元親友に電話をしてくれました。ビショップはぼくをだました元親友のうそを、言葉巧みに追及しました。最後にビショップが「あなたは弁護士ですか?」と尋ねたとき─携帯電話はスピーカーになっていたので、相手がはっきりと「いいえ、わたしは弁護士ではありません」と認めるのが聞こえました。

このときまで、相手がもし本当の弁護士だったらどうしようと心配していました。ビショップや友達も訴えられるのではないかと本当に怖かったです。ビショップでないとこの問題は解決できなかったと思いますし、ぼくの命はこれで救われたといっても過言ではありません。

什分の一の祝福

問題が解決してから、ぼくは毎週教会に通うようになりました。ビショップはぼくと面接をし、その中で什分の一について話してくれました。ワードで開かれていた財政管理のクラスにも出席してその大切さを学んだぼくは、什分の一を納めることを決意しました。

元親友にお金をだまし取られていた頃は財政的にはボロボロでした。心の中もいつ壊れてもおかしくないくらい病んでいて働ける状態ではありませんでしたが、問題が解決してから少しずつアルバイトをして什分の一を納めるようにしました。

アルバイトを始めても経済状況は厳しく、今月は什分の一を払うのが難しいと感じるときもありました。ですが、什分の一を納めることで必ず誰かが助けてくれました。什分の一で支払った額以上のお金が政府から支援金として振り込まれたり、教会で知り合った友達が6,000キロしか走っていない車を安く譲ってくれたり……。仕事面でも、ぼくは同じ職場で長続きしない方だったのですが、ぼくのことをよく理解してくれるいい会社にめぐり合わせてもらいました。これも什分の一を納めた祝福だと思っています。

エンダウメントを受けたい

教会に戻ってきたぼくを、ワードの皆さんは自然体で受け入れてくれました。腫れ物に触る雰囲気ではなく、いつも通り「ヤッホー」という軽い調子で接してくれたことはぼくにとってとてもありがたいことでした。彼らから影響を受け、その模範から学びました。

特に影響を受けたのは、音楽を通して交流があった宣教師たちです。心から神様のことを信じて、伝道を楽しんでいる彼らの姿を見て、その人柄に憧れを感じました。それは当時のぼくにはない感情だったからです。模擬レッスンをしたりタレントショーで演奏をしたり一緒にいろんな体験をしましたが、自然体なのに深い信仰を持ってキラキラ輝いている彼らを見て、自分もこんな人になりたいと思うようになりました。

犬山ワードには、定期的に神殿参入をしている兄弟姉妹がたくさんおられます。神殿に入れば、宣教師やこの兄弟姉妹のようになれるのではないか、とぼくは思いました。彼らと同じ土台に立って奉仕をしたいのなら、エンダウメントを受ける必要がある。そう思って、神殿参入の準備を始めました。

心の変化

2024年10月、ぼくは東京神殿でエンダウメントを受けました。あいにくの雨の日ではありましたが、儀式を終えて日の栄えの部屋に入ったときは、まるで宙に浮いているような感覚でした。すべてが真っ白で「本当にぼくは今天国に、日の栄えにいるんだな」という気持ちがしました。帰りの新幹線の中でも、日の栄えの部屋で感じた余韻は消えずにずっと心にありました。まるで今から小学校の遠足に行くようなワクワクする感じが止まらず、戻ってからも1~2週間、ずっと続いていました。

そして、エンダウメントを受けてガーメントを着用するようになったことで、ぼくの心は大きく変わりました。今までのぼくは福音を学んではいましたが、教会の教えを永遠の視点で深く見るということがありませんでした。エンダウメントを受けてから、ぼくの気持ちはもっと深く神様とイエス・キリストに近づきたいという思いに変わりました。

自分でも不思議だったのは、ガーメントを着用するようになって「子供を育てたい」という気持ちが芽生えたことです。以前は全くそのようなことを思ったことはありません。ですが、創世記の第1章27─28節の聖句は今でも有効な戒めであり、天のお父様の元に存在する霊の状態の人々が、地上に生まれて肉体を持てるようにすることは自分たちの使命だと感じるようになりました。ぼくはもう結構な年ですし、どのように実現していくのかはまだ分かりませんが、この思いは聖霊から与えられたものなのだろうと感じています。

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ぼくは今、若い男性のアドバイザーを務め、将来性のある青少年と一緒に過ごすことで、ぼく自身もたくさんのことを学んでいます。彼らと、音楽の才能を使ってミュージックナイトで奉仕をしました。ワードの兄弟の話し相手になって相談に乗ったり、会員の畑の草取りを手伝ったりもします。教会の友達は、そんなぼくの姿を見て驚き、「なぜそんなに進んで奉仕ができるの?」と聞いてくれます。ぼくは教会の皆さんの影響や模範を通して、彼らと同じようになりたいと思っているので、少しでも近づけているなら嬉しいですし、自分も誰かの模範になれるような人になりたいと思っています。◆