2025
人生の全てを受け入れて
2025年8月号


Deepening Conversion to Christ─心が変わるとき

人生の全てを受け入れて

バプテスマを受けたのは、今から40年以上前のことです。当時は学校でも家でも居場所がなく、生きることに喜びを見いだせないでいました。

「友達ができたらいいな」

今思うと、わたしには発達障害的要素があったのだと思います。校庭にボールが落ちているのを見れば、何かに駆り立てられ、目の前にいる人に投げつけてしまう。当然相手とけんかになり、殴ってけがをさせては、そのまま校長室に連行されました。静かにするのも苦手です。お腹の中がガーッと、グルグル鳴っているような感覚があり、居ても立っても居られずに動いてしまう、そんな子供でした。

今でこそ、ADHDといった言葉が世に知られるようになりましたが、その当時は違います。わたしは常に問題を起こす人物として、学校中で好奇の目にさらされていました。周りの人は、「親のせいだ、親の教え方が悪いんだ」、そういった評価を下します。当の両親は仕事、仕事で、わたしのことは放ったらかし、顔を合わせれば怒られることばかりでした。

そんなある日、商店街を歩いていると宣教師に声をかけられました。教会に出会い、新しい世界が見えてきました。「もしここで楽しい友達ができたらいいな。」そう思って、14歳で改宗しました。

「よく来たな、よく来たな」

でも、数年後にはバプテスマを受けたことを後悔しました。お酒も飲めないし、タバコも吸えないなんて、と思ったんです。あるとき、部活の先輩の家に泊まりに行くと、飲み会が開かれていました。わたしは戒めを破り、ぐでんぐでんになるまでお酒を飲みました。それは土曜の夜のことでしたが、日曜の朝になると、なぜだか律儀に、「教会に行かなきゃ」と思いました。普通なら、こんなことをしてしまったのだから行けないと思うところを、わたしはお酒の臭いをぷんぷんまき散らしながら教会に向かいました。

そうしたら、明らかに分かるはずなのに、だれも何も言わなかったんです。「よく来たな、よく来たな」って。いつも怒られてばかりの自分を、悪さをした自分を、こんな風に扱ってくれたのが純粋に嬉しかったんです。それがきっかけで、教会に入り浸るようになりました。家に帰りたくなくて、夜の21時に鍵が閉まるまで毎日教会にいました。母親から電話がかかって来ても、「いないって言って!」と陰に隠れ、ほかの人に応対してもらいました。

教会でバカなことをして、みんなから注目を受けるのが嬉しかったんです。教会ではそれを許してもらえたんです。友達や指導者が、ほんとうに温かく見守ってくれました。

イエス様が求めていること?

それでも、自分の罪や弱さに苦しみました。性的な依存があり、純潔の律法を守れていなかったために、ついには破門という処置を受けることになりました。

最初は隠れました。礼拝堂では後ろの方に、カーテンの裏に座りました。聖餐をパスする神権者がそばに来ると、手を横に振って、聖餐を断りました。聖餐を取らない自分を見られるのが恥ずかしかったんです。日本の教会は特に、過ちを犯した人が居づらい、そう感じてきました。でもそれって、本当にそう?イエス様が求めていること?って。ならば、わたしは自分の態度を変えようと思いました。今は聖餐取れないです、神殿行けてないです、でも、戻りたいです。みんなの前で言っちゃおう、って。「ぼく、末日聖徒なんです、教会員なんです。」だれにでもそう言えるような自分でありたいと思ったときに、素直になれたような気がします。

わたしは隠れるのをやめて、礼拝堂の前の方に、堂々と座るようになりました。すると、自分にできることはないだろうかという気持ちが湧いてきました。ビショップに聞いてみました。「礼拝堂のいす並べを手伝ってもいいですか?わたしの立場ですることは可能ですか?」

表に出ていいんだ、自分にできることを見つけて、それを粛々と進めていく、それはだれにも咎(とが)められることではないんだ、と思ったんです。だれに何を言われても、自分にできることを楽しんでやろうって。自分の置かれている状況の中で、止められていることはあるかもしれないけど、できることはある、それを見つけたい、そう思って一生懸命するようになりました。

白に近いグレーに

そういった頑張りが認められたのか、わたしは推薦を受け、再びバプテスマを受けることができました。20年以上前のことです。ところが再び罪に陥ってしまったわたしは、会員資格を停止されました。現在、様々な祝福を回復していく過程にあって、神権と神殿推薦状に関しては、まだ差し止められている段階です。大管長会に申請を出したところ、半年間戒めを守ることができた段階で、再度申請をするようにという回答をもらいました。

何度も何度も打ちひしがれました。戒めを守ったり、守れなかったりで、一喜一憂していました。「あともう少し。」半年に近づいては、またできなくなってしまう。過ちを犯す度に自分が弱っていくような、グレーが黒に染まっていくような感覚でした。同じグレーでも、白の近くにいるグレーなのか、黒の近くにいるグレーなのか、それによって全然違うんです。白に近いグレーになるために、自分はどうすればいいだろうか、まだ白にはなれないけど、って。

早く戻りたい、でも戻れない。みんなはそこで、目の前にある楽な方、つまり、教会から離れるという選択をするんだと思います。でも、教会が真実であるという証は強くなる一方で、わたしにはその選択ができませんでした。諦めたくなかったんです。福音の教えによって解決できないことは何もないはずだ、それを自分の人生で証明したい、という気持ちがありました。

そこで、ファミリーサービスが提供している、性的依存を克服するためのプログラムを受けることにしたんです。3か月弱のプログラムを受ける中で、いろんなことを学びました。福音の原則だけでなく、心理学的なアプローチもあり、自分を客観的な立場から理解することができました。自分の思考のひずみとか、ズレみたいなものが分かってきて、そういうものを克服していけば、より良い自分を見いだせるんだ、と思えるようになってきたんです。自分の中で、一つ一つ良い道筋が組み立てられ始めてきた、そんな感覚がありました。独力で悔い改めようとしていたときは挫折の連続でしたが、ポルノグラフィー脱却に向けて希望の光が差してきました。

完全な笑顔

プログラムを受け始めて、2か月近くたったときのことです。急に頭の中で、眼前に、映像が浮かんできたんです。

もう一人の自分が後ろを向いていて、その顔がふーっと動き出したと思ったら、わたしの方を向きました。ものすごく喜んでいる顔、完全な笑顔でした。

「間違いなく前世だ。前世から地球に自分が降りてくるときの光景だ」

その姿を見た瞬間、完璧に理解しました、「ああ、わたしは全てを引き受けて、この家族のもとに生まれてきたんだ!」と。

なんでこんな風に産まれちゃったんだろうって、自分で自分を苦しめてきました。けれど、母親が悪いわけでも、父親が悪いわけでもなかった、ましてや自分が悪い子だから、そんな重荷を負わされたわけじゃない、って分かったんです。

前世のわたしは喜びに満たされ、障害や困難も含む全てを受け入れていました。神様は全てを御存じで、わたしの思いも全て理解されていて、わたしが乗り越えて成長するのに必要な経験を与えてくださったんだ、自分のありのままの人生を受け入れればいいんだ─ものすごい平安を感じました。

大丈夫だ、できる

この経験があってから数か月、克服しようと努力してきた戒めを連続で守ることができています。このタイミングであの示現を見せてもらえたのは、わたしが少しずつ変化している様子を主が見ていてくださったからなんだろうと信じています。「あなたが問題を克服して、同じように苦しんでいる人たちの助けになりなさい。」そう言われているように感じます。だとしたら、わたしはその主の期待に応えるために、よりふさわしくなるために、今の道を全力で走り切らないといけない、と心から感じています。簡単ではない、ただ、できないことではないと思っています。

人は罪を犯すと、アンダーグラウンド、目立たないところに行ってしまいます。自分はダメな人間なんだとか、間違った理解をして、自分自身の評価を下げてしまうんです。でも、みんなだれもが道半ば、わたし自身も道半ば、完全な者はだれ一人いません。とんでもないことを散々してきた、こんな自分でも、主は見守ってくださり、その都度助けを与えてくださいました。何年もかかりましたが、やっとここまで来ることができました。多くの仲間に、「大丈夫だ、できる」と伝えたいのです。◆

  1. ADHD(注意欠陥多動性障害)は広汎性発達障害の様々な症状の例として知られる。原因としては、遺伝的な要因や脳機能の障害が関係していると言われるが、完全には解明されていない

  2. 教義と聖約64:31-34