虐待
新たな自己認識を得る


「新たな自己認識を得る」「被害者への支援」

「新たな自己認識を得る」「被害者への支援」

新たな自己認識を得る

注: この話は、虐待被害者(サバイバー)である人が分かち合ってくれた実体験です。名前や個人を特定する情報は変更しています。

わたしが8歳ぐらいのころ、父はわたしを身体的に虐待するようになりました。最初に虐待を受けたときのことをわたしは覚えていません。ただ4年生になるころには、父に殴られることが日常生活の一部になっていました。数年間、そうした暴力をわたしは普通のこととして受け止めていました。そうされるのが当然なだけの理由が自分にあるとさえ思っていたのです。父は度々、わたしがこうやって「罰を受ける」のはわたしのせいだと言いました。わたしはひどく手におえない子供で、父が知っているほかの子供たちよりはるかに悪い子だと言うのです。わたしがもっと従順でありさえすれば、わたしが部屋をきれいにしておきさえすれば、わたしがもっと良い成績を取りさえすれば、わたしが父をそれほど怒らせさえしなければ、わたしがもっと良い娘でありさえすれば、父はわたしを殴らなくて済むでしょう。父が言うには、父はわたしを教育して、もっと良い子にしようとしているにすぎないのです。実際、父はわたしに、おまえをぶつのは、おまえを愛しているからだと言ったものでした。父親を愛していて、父親からも愛されたいと切実に願う少女のわたしは、父の言葉を信じていました。

父がわたしにするよう求めることはどんなことでも、幼い子供にできるかぎり一生懸命やりました。人生におけるこの時期、わたしは非常にもの静かで、素直でさえありました。従順であるよう、礼儀正しくあるよう、賢くあるよう懸命に努力しましたが、そうした努力はまったく功を奏せず、父の暴力はやみませんでした。ルールがしょっちゅう変わるため、わたしはいつでもルールからはみ出るのです。

10代になると、わたしの態度が変わり始めました。何一つうまくいかないように思えることに怒りを感じるようになったのです。怒りや欲求不満が増大するにつれ、わたしは父がわたしを殴ろうとすると、反撃するようになりました。すると暴力はさらに激しさを増し、わたしは虐待のせいで時々、学校や教会、社交活動に行きそびれるようになったのです。やがて、生活のほかの面でも、わたしは自分の怒りをぶちまけるようになりました。きょうだいや友人、学校の教師、また教会の指導者など、あらゆる人とけんかしました。わたしの態度は、まるで夜と昼のように正反対の変わり様を見せることもありました。幸せで愛にあふれていたかと思うと、次の瞬間には意地悪で辛辣になるのです。

変わったのは生活態度だけではありませんでした。学校の成績が急激に下がりました。虐待が始まる前、わたしは加速学習プログラムを実施する上級学校に籍を置いていました。ところが高校の終わりごろには、卒業資格を得るために四苦八苦する有様でした。以前はもの静かで、勉強好きで、自信にあふれていたわたしは、怒りではちきれんばかりの、不安定で手に負えない娘になってしまっていたのです。それでも、わたしは家庭で起こっていることを決してだれにも話しませんでした。そのことを秘密にしておくことは、自分の責任だと思っていたからです。高校生になると、虐待は不当であることを知っていたにもかかわらず、 わたしは閉じられたドアの向こう側で起こっていることについて話さないことで、家族の体面を保つことが自分の責任だと感じていました。隣人やワードの会員たちの目に、わたしたちが相変わらずごく普通の家族のように見えるかどうかはわたし次第なのです。

ヤングアダルト時代には、ますます軌道を逸する生活が続きました。わたしはできるだけ早い時期に両親の家を離れました。 自活すれば、生活状態が良くなっていくだろうと思ったのです。しかし、そうはなりませんでした。多くの面で、事態はさらに悪化していったのです。人生のこの時期に味わった暗闇については、できれば考えたくありません。落胆と怒りと不安が増していきました。わたしは自分が相変わらず情緒的に不安定な人間関係の中にいることに気づきましたが、どうやってそこから抜け出せばよいのか分かりませんでした。心穏やかで普通の暮らしをしたいと切実に願いましたが、どうすればよいのか手がかりもなければ、そうした生活がどのようなものかさえ見当もつかなかったのです。自分が世界の片隅の暗闇に暮らす、失意にまみれた、はみ出し者であるかのように感じました。幸せそうな、ごく普通の暮らしぶりの人々を目にしても、彼らに加わることは決して許されないのでした。わたしの居場所はどこにもありませんでした。

このころ、わたしは伝道に出るようにという霊的な促しを受けるようになりました。伝道に出たいという望みなどまったくなかったわたしは、数年間、そうした促しを拒み続けました。しかし最終的にはその促しを受け入れ、東ヨーロッパで奉仕する召しを受けました。伝道生活は大変でした。自身の内面的な葛藤のせいで、時折、奉仕の召しを果たすのが困難でした。とても親切な同僚や、メンタルヘルスカウンセリングの訓練を受けた妻を持つ思いやり深い伝道部会長から、大いに祝福を受けました。成長過程で虐待を受けた経験についてカウンセリングを受けようと決意したのは、伝道中のことでした。

帰還して間もなく、わたしは家の近くの末日聖徒ファミリーサービス事務局に電話をかけました。自分が何をしようとしているのか、わたしにはまったく分かっていませんでした。受付の女性から何のために治療が必要なのかと尋ねられて、わたしは口ごもりながらこう言いました。「ええと、父が何度もわたしを殴っていたんです。」彼女は一人のカウンセラーをわたしの担当に割り当て、最初の受診予約の日付と時間を告げました。

予約時間になる前、わたしはLDSファミリーサービスの建物の外にたたずんでいたことを覚えています。わたしは自分が信じられないほど愚かだと感じました。「わたしは大げさに騒ぎ立てているのよ」と自分に言い聞かせました。「家に帰るべきだわ。」なぜ自分がそこにいるのか、その理由を説明したら、カウンセラーはあきれ顔でこう言うに違いありません。セラピーは「実際に」問題を抱えた人のためのもので、あなたは少々誇張しすぎてますよって。中に入るのを危うくやめるところでした。

足を踏み入れてよかったと、今はほんとうに心から思っています。最初のセラピーセッションはまさしくわたしの人生の道筋が変わった瞬間であったと、断言することができます。

担当のカウンセラーは、真の理解と共感をもってわたしの話に耳を傾けてくれた最初の人でした。彼女はわたしが何年もの間、経験してきた困難を認めてくれました。そのときまで、わたしは自分が承認されることをどれほど切実に必要としているか理解していませんでした。 20年近くもの間、閉ざされていた部屋に流れ込んできた新鮮な空気のように感じられました。彼女の診断によると、わたしが自分の「破壊された部分」(怒りや憂うつ、悲惨な恋愛関係を招く特性)と考えていた事柄の多くはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状であり、精神的外傷を与える環境に対する一般的な反応だったのです。わたしは普通だったの?欠陥があるわけではないの?8歳のころから、そんなことを言われたことはありませんでした。初めて、わたしは自分が幸せになれるという明確な希望を感じました。かつて味わったことのない軽やかな気持ちで、セラピーセッションの部屋を後にしました。

セラピーはおよそ1年間続きました。緊迫感に満ちたセッションのときもあれば、気楽なセッションのときもありました。その年のセッションを通じて、わたしは父の虐待によって受けた精神的ダメージをなくすよう努めました。セラピストは、わたしが思いも寄らないような新たな考え方や振る舞い方を見つけ出すよう助けてくれました。否定的で自虐的だったわたしの考え方は、もっと肯定的で前向きなものへと、ゆっくり変わり始めました。セラピーを受けている間、わたしはセラピストのオフィスでも、独りでいるときにも多くの涙を流しました。しかし、以前より自然に笑うようになりましたし、自分自身や人生に対して、以前にも増して心からの安らぎを感じるようにもなりました。治療が終わるころには、悲しみや恐れ、恥ずかしさを感じることなく虐待について考えたり、話したりできるようになっていました。わたしは突破口となる重要なことを幾つか発見しました。虐待を受けたのは決して自分のせいではないこと、また自分は有能で価値ある人間であることに気づいたことなどです。

セラピーに出向いたとき、わたしは内に秘めた心痛という重荷を肩に負っていました。もしセラピーに行かずに以前の生き方にとどまっていたなら、負のスパイラルは今でも続いていたことを承知しています。わたしは「痛みとともに生きる」ために全力を尽くそうとしたでしょうが、以前そうであったように、その痛みはますますわたしを苦痛に満ちた状況や決断に追いやったことでしょう。セラピーを終えるころには、自分自身への感覚を取り戻し、本来なら健全な家庭環境の中で身につけていたはずの生活スキルも得ていました。わたしはより健全な自己認識を得、対立への対処法や、信頼するとはどのような感覚か、また暗く否定的な考えに心がふさがれるときにはどうすべきかを学びました。セラピーを終えて出て来たとき、わたしは人生を恐れるのではなく、人生に備えていました。

最初にセラピーを受け始めてから10年近くになります。それ以後、わたしは大学を卒業し、働き始め、結婚しました。今はメンタルヘルスの大切さを伝える立場として全力を尽くし、悩みを抱えている人たちに専門家の助けを求めるよう勧めています。いまだに時折、困難を感じるときがあります。そうした思いが完全に消え去るとは思えません。しかし、今では対処法を知っているので、そうした困難な状況が激しくなることも、長引くこともありません。わたしの人生は、支援を受けることなく過ごしていた時よりも、はるかに幸せで豊かになり、また充実したものになっています。セラピーによる祝福に心より感謝しています。

あなた自身または知人が虐待を受けているなら、今すぐ公的機関、児童福祉サービス〔訳注—児童相談所など〕、または成人福祉サービス〔訳注—警察やDV被害者相談、女性相談センターなど〕に助けを求めてください。また被害者支援サービス、カウンセリングまたは医療の専門家の支援を求めるのもよいでしょう。こうしたサービスはあなたを保護し、さらなる虐待を防ぐ助けとなるでしょう。さらに詳細な情報については「危険な状況にありますか」ページを参照してください。