虐待
自分の価値を見いだす


「自分の価値を見いだす」「被害者への支援」

「自分の価値を見いだす」「被害者への支援」

自分の価値を見いだす

注: この話は、虐待被害者(サバイバー)である人が分かち合ってくれた実体験です。名前や個人を特定する情報は変更しています。

この手紙は、当初、性的虐待被害者(サバイバー)のために働くビショップを助けるためのステーク訓練用に書かれたもので、許可を得たうえで掲載しています。

親愛なるビショップの皆さん、

わたしは、皆さんがある種の醜悪な秘密、すなわち子供時代からずっと続いている秘密を抱える人を理解する一助となれるよう願っています。

皆さんのだれもがわたしを見知っており、多くの方がわたしのことを御存じだと思います。中には、わたしとともに働いたことのある方々もいらっしゃいます。皆さんはわたしについて、非常にしっかりした若い女性として認識しておられると聞いています。わたしは伝道に出ましたし、これまで重要な指導者の召しを受けてきました。しかしながら、過去に根差したわたしのある部分については、外見からはうかがい知ることができません。それでも時折、わたしは人々が自分の過去について知っているように感じていました。わたしのような人々は、四六時中、自分が「見つけ出され」、ひどい評判を立てられたり、拒絶されたりすることになるのではと感じるものなのです。

それが始まったのは何歳のときだったのか分かりませんが、子供のころ、わたしは性的虐待を受けていました。最初は近所に住む少年たちから、後には年上のいとこからでした。その度に、わたしは自分には価値がないと感じ、忘れようとしました。高校の最終学年になり、虐待のことを思い出す状況になるまで、わたしはかなりうまく、そうした記憶を心の片隅に押し隠していました。

その後、断片的に過去の出来事を思い出したわたしは、自分の身に起こったことを親友に打ち明けました。彼女はわたしが信頼して秘密を打ち明けた最初の人であり、何年もの間、それを知る唯一の人でした。性的虐待を受けると、人はしばしば自身を醜く汚れた罪人だと思い込んでしまうものだからです。深い自己嫌悪を感じます。虐待について知られたら、人々はその醜悪さに注目し、自分に対してそれまでとは異なる見方をするようになるだろうと思ってしまいます。

高校時代、またそれ以来何度も、わたしは拒食症に苦しむ期間を過ごしました。そうした状況は、性的虐待の被害者に共通するものであることを後に知りました。性的虐待は、神聖で個人的なものに対する自分の抑制を失うことで生じます。わたしは、何かを抑制する必要があると切実に感じました。食欲を抑制することで、自己嫌悪を克服する助けになると考えたのです。もちろん、うまくいきませんでした。状況はますます悪くなるばかりで、制御不能の飢餓感に繰り返し襲われるのでした。こうした病的な食行動を取るのには、別の理由もありました。二度目の虐待を受けていた時期、加害者はわたしの体について、自分の好みに合わないとよく言ってきました。そのせいで、わたしは自分の外見に対して否定的な思いを抱くようになりました。

それに、自分の身に起こったことを人に気づかれてしまうのではと怖れていました。ですから、デートはわたしにとってつらいものでした。当時の人間関係において、わたしはまるでカメレオンのように、デート相手の好みに自分を合わせようとする傾向がありました。建設的な自己主張をすることが、いつも苦手でした。こうした傾向は、被害者に共通するものです。

生涯を通じて、わたしは常に醜悪な秘密に苦しんできました。神の御前で自分には罪がないと認識すること、また実際の悪、つまり加害者からの自分に対する暴行と切り離して考えることは難しいのです。性的ないたずらを受けたとき、純真無垢な子供だったわたしは、そのような行為に子供は同意できないということを理解していませんでした。この事実が、問題をいっそう難しくしています。なぜ自分は虐待をやめさせなかったのか。なぜそれが続くままにしたのか。どうしてそのようなことが起こらねばならなかったのか。成長するにつれ、わたしは幼い少女であった自分自身について、理解の度合いを深めていきました。歳を重ねるごとに、過去の自分に対して選択の余地があったのではないかという誤った認識を持つようになり、わたしは罪悪感をますます強く感じるようになりました。そうした考えもまた共通するものです。わたしたちの多くにとって、罪悪感は決して助けとなりません。自分自身に対する根強い悪感情のせいで、自分を神の娘としてではなく物として扱うことによって、自分自身に対する否定的な見方を助長するような男性に引き寄せられてしまうからです。わたしたちの自己嫌悪の大部分は、こうした考え方や行動パターンから生じるものです。

性的虐待のせいで、わたしは悪夢を見るようにもなりました。何年もの間、そうした悪夢に悩まされる時期が続きました。わたしは自分の心に入れるものに注意をするようになり、サタンが恐ろしい夢を生み出す材料とならないよう努めました。

こうした悪夢がきっかけとなって、わたしは自分の性的虐待についてビショップに話すことにしました。この話し合いは非常に助けになりました。ビショップは、末日聖徒イエス・キリスト教会のファミリーサービスのグループに参加するよう勧めてくれました。こうした機会や環境は、まさにわたしが必要としていたものでした。

天の御父はわたしに、自分の価値について教えてくださり、最も孤独を感じていた日々に、わたしが御父に助けを求めなかったときも忍耐してくださいました。そのことに心より感謝しています。性的虐待の被害者にとって、祈るのが難しいことがしばしばあります。信頼することが非常に難しいのです。神への信頼さえも、また時折、とりわけ神を信頼することこそが難しいときがあるのです。

子供時代に傷を負ったことで、わたしは、生来の安全であるという感覚や神の守りの御手への信頼が損なわれていました。勇気を奮って信頼し、謙遜さを育むよう努め、神がわたしを愛しておられ、わたしの幸せを望んでおられることへの理解を徐々に深めることにより、努力と目的を伴った祈りのプロセスが少しずつ身についてきました。伝道中、わたしは信仰をもって祈ることを学びましたが、伝道地で得た観点は、わたしの癒しに欠かせないものでした。末日聖徒イエス・キリスト教会のファミリーサービスのグループカウンセリングに参加することもまた、癒しの過程において重要でした。

主がわたしを癒してくださることを、学ぶ必要があったのです。性的虐待の傷は非常に根深いものです。ビショップやファミリーサービスグループの協力を得ることは、わたしが自分の傷口を開き、清め、手当てをするうえで助けとなりました。わたしは今も癒しの過程にいます。今後も相変わらず傷が痛む瞬間があるでしょうが、以前と比べるとはるかに良い状態です。心より感謝しています。

ビショップの皆さん、皆さんは、周囲の人々との接し方、また女性に示す敬意の度合いにおいて模範となる存在であることを忘れないでください。福音において義にかなった男性を見ると、この世に信頼できる男性がいるという望みを持つことができます。わたしたちにとって最大の支援の一つは、自分個人の価値を見いだすよう励ましてもらうことです。わたしたちは皆、神の子供としての賜物を有しており、一人一人が固有の価値を受け継いでいます。わたしたちが自分の価値を理解するとき、また御自身の犠牲によりわたしたちの価値を確かなものにしてくださる救い主のもとへと続く道を見いだすとき、その受け継ぎは宝となります。救い主がどのようにわたしたちの嘆きや悲しみを担うことがおできになるかを、わたしたちは理解し始めるのです。

救い主にあって、わたしは大いなる力を見いだしました。主がわたしを愛しておられ、わたしを気遣ってくださることを知っています。また、わたしが心の内に主を受け入れるとき、主がどれほどわたしを助けることがおできになるかも知りました。この知識のおかげで、わたしは以前よりも強い人間になれています。わたしの道のりは、まだ、長いです。

わたしの祈りは、すばらしいビショップである皆さんとともにあります。皆さんは重荷ともなる大きな責任を負っていますが、主が皆さんとともにあって、皆さんを強めてくださることを知っています。主が協力を求めることのおできになる職に、皆さんが就いていてくださることを感謝します。皆さんの働きすべてにおいて、主の祝福がありますように。

敬具

あなたの姉妹より

あなた自身または知人が虐待を受けているなら、今すぐ公的機関、児童相談所などの児童福祉サービス、または警察やDV被害者相談、女性相談センターなどの成人福祉サービスに助けを求めてください。また被害者支援サービス、カウンセリングまたは医療の専門家の支援を求めるのもよいでしょう。こうしたサービスはあなたを保護し、さらなる虐待を防ぐ助けとなるでしょう。さらに詳細な情報については「危険な状況にありますか」ページを参照してください。