ファミリーサーチの現在
U字で繋がる先祖の儀式
最近、アメリカでファミリーサーチの機能がアップデートされ、神殿の儀式申請ができる範囲が「血縁の繋がっている人」に限定されました。
例えば、ある人の先祖を遡ると曽祖父に○○さんがいます。その曽祖父には何人かの子どもがいます。その曽祖父の子孫と、探究しているその人は(曽祖父という共通の先祖がいるので)血縁が繋がっています。その血縁の人とその伴侶までは儀式申請ができます。つまりファミリーツリー上で「逆U字型」につながる人と伴侶まで、という意味です。
これは、19世紀の預言者の時代から変わらない「先祖の身代わりの儀式を行う」という教義に則ったもので、特に新しい方針ではありません。ファミリーサーチのシステムがそれに沿った形になっただけです。
ただし、儀式申請はできなくても、逆U字からU字型に遡る人々の情報をファミリーサーチに入力することができます。それは将来、血縁の繋がる人が先祖を探究する際の貴重な情報となり、贈り物となります。
名前をデータベース化する意味
一方、家族歴史部では、世界中で名前の記録を集めています。例えば、ファミリーサーチは2025年、沖縄県営平和祈念公園にある、沖縄戦戦没者の名前を刻んだ「平和の礎」を写真に収め、400人のボランティアが入力して、24万2,200人余の名前をデジタルデータにしました。
平和の礎にはほぼ、名前と出身地の情報しかなく、親族との繋がりが示されませんので、直接、神殿で儀式を受けることはできません。しかし、先祖探究の手がかりとなり得ます。
下は岡山県の和気町にある戦没者慰霊碑です。ここにも名前しかありません。しかし、もし子孫がファミリーサーチで名前を検索し、この慰霊碑に刻まれた人がヒットした場合、その人が岡山の和気町の出身であると分かります。子孫はその土地の役所や図書館からその人の情報を得られるかもしれないのです。
そうした理由で、ファミリーサーチはあらゆる場所に残された名前の記録を集めています。東京都にある8つの公営墓地だけでも推定で100万人ほどの名前が刻まれていますが、子孫が途絶え、墓じまいも進んでいます。古文書に記された膨大な数の名前もあります。写真に撮っておかなければ失われるかもしれません。
AI(人工知能)の時代に
今はたくさんのボランティアが協力し、写真から名前を読み取って入力・デジタルデータ化していますが、近い将来、AIによる文字の読み取りが可能になるでしょう。これはわたしが個人的に試みていることですが、より多くの事例でAIを訓練することにより、読み取り精度は上がっていくと実感します。人間の目でチェックする必要はありますが。
ファミリーサーチはそれらの情報を、様々な外部団体と共有していきます。沖縄の「平和の礎」の名前のリストは沖縄県によって活用され、検索システムとなってネット公開されました。また、公立の図書館をはじめとする外部団体にも膨大な情報があるので、ファミリーサーチで検索した際に外部団体のウェブサイトへと繋がれるよう、連携を模索しています。
ビジョンとしては、バプテスマを受けた新会員が、自分の知っている先祖(祖父など)の名前をファミリーサーチで検索すると、外部団体を含めて幾つもの手がかりがヒットし、そこから先祖探求を進めていける─そういったイメージです。
人手によらず切り出された石
名前を集める大規模なプロジェクトに取り組み始めた当初、わたしは、「こういう史料、ああいう史料がある、何としてもデジタル化をやり遂げよう!」という強い気持ちがありました。プロジェクトが一つ終わるごとに達成感を覚えました。
ところが、ふと立ち止まってみると、日本全国から海外まで含めて見つけられていない記録、お墓などの、とてつもない量に圧倒されます。情熱をもって取り組むのは悪いことではありませんが、主の定められた範囲の中で行うことの大切さが心に掛かってきました。その中で気付いたのは、後世の人に託すという気持ちを持つこと、自分で全部するのではなく他の人にも同様の機会を持ってもらうこと、この二つが大事だということです。
個人の家族歴史探求でも、責任感から自分がやらないとだめだと思い、できないと罪悪感を感じたり、自分を責めたりすることもあります。けれども主の業は、「石が人手によらず山から切り出され」て転がっていきます。あまり目先の働きに一喜一憂せず、主にお任せし、むしろ主の邪魔にならないくらいに自分の範囲でベストを尽くすこと。それが大事だと思います。主の業が失敗に終わることは決してないと証します。◆