祖父のカレーを求めて
2022年10月のことでした。高校の修学旅行を終えて学校に戻ったわたしは、駐車場で待っていた母の車に乗り込みました。夕方の空は、今にも泣き出しそうな曇り空でした。学校を出て、しばらく走った後、不意に母が口を開きました。涙声でした。「伝えないといけないことがあって……。呉じいちゃんが亡くなったんよ……。」
呉じいちゃん、というのは母方の祖父・堀向英伸のことです。当時72歳だった祖父は、広島県の呉市でカレー店「ホワイトハウス」を営んでいました。優しい祖父で、わたしたち家族が帰省するたびにカレーをふるまってくれました。少し体が悪いところはありましたが、お店を休むことはなくずっと働いていたので、あまりの驚きに感情が追いつきません。まさか、そんなことになるなんて……。
わたしはハンドルを握る母を見ました。母は泣きながら運転を続けています。その姿を見て心に浮かんできたのは、まず母を助けなければならないという思いでした。
ホワイトハウスをわたしが継ぐ?
祖父が亡くなってからホワイトハウスは一旦閉店していたのですが、店と建物をどうするか、家族会議で話題に上りました。完全にお店を閉めて建物もなくしてしまうか、誰かが続けるかの二択で話し合いましたが、答えが出ません。常連のお客様からは、「もう一度誰かやってくれないか」という声がありました。でも、チーズ工房を営んでいる両親は忙しく、誰もできる人がいませんでした。
2023年の12月、その日も家族でホワイトハウスについて話し合っていました。すると父がわたしに「やってみる?」と尋ねてきたのです。まさか自分がカレー店を経営するとは思ってもみなかったので、とても驚きました。
当時高校3年生だったわたしは、卒業後BYUに進学する計画を立てていました。ただ、秋入学を希望していたので卒業してからしばらく時間があります。その間、ホワイトハウスをやってみたらどうか、ということでした。父は少し話して、最後に「お祈りして、どう感じるか(主の思いを)聞いてみたらいいよ」と勧めてくれました。
その日の夜、寝る前に早速祈りました。祈り終わって「オープンしないほうがいい」とは感じませんでしたが、明確な答えもありませんでした。
お店をやってみたい気持ちはありました。ですが、わたしは調理師専門学校に通ったわけでもない普通の17歳です。お金をいただいてサービスを提供するなら、何歳だろうと手加減は許されず、安全なものをお出ししなければなりません。そして、「ホワイトハウス」はわたしが一から始めたお店ではなく、祖父が築いてきた歴史があります。孫が始めたと期待して足を運んでくださったお客様に、祖父の店とは違うと言われたらどうしよう─経験が何もない中で、焦りと不安だけがありました。
祖父のカレーを再現
それからも何度かホワイトハウス再開について祈りました。同時に、呉市にあるお店の建物に足を運ぶようになりました。閉店して1年以上たったお店の状況を確認するためです。当時のままの店内では、創業当時から使われている飴色のテーブルやいすがたたずんでいました。お店を続けてきた祖父の歴史を感じました。家族で作業をしていると、通りかかった近所の人たちから「またオープンしてくれんかね」と声がかかりました。
2階にある祖母の家で仏壇に飾ってある遺影を見ながら、祖父と、一緒にお店を始めた曾祖母に思いをはせました。ホワイトハウスをもう一度始めたら、彼らはすごく喜んでくれるだろう、そんな思いが湧き上がってきました。こうして、祖父たちや待ち望んでくれているお客様を喜ばせたいという気持ちで、わたしはホワイトハウス再開を決意しました。
祖父のカレー店を継ぐなら、祖父が出していたのと同じカレーを提供しなければなりません。2024年2月、わたしは祖父のカレーの再現に取りかかりました。祖父のレシピはあったものの、すでにカレーの現物はありません。呉に帰省するたびに食べさせてもらった味の記憶が頼りでした。
祖父の遺したレシピには工程ごとの材料と手順が記されていましたが、一つ一つの材料を入れる順番や煮込み時間などの詳しい指示はありませんでした。手順通りにやっても、なかなか祖父の味に近づきません。材料を入れる順番を変え、煮込み時間を変え、記録を取りながら何十回と作りました。味の記憶はあるのに、何をどうしたらそこにたどり着くのか分からない。正解も分からず、やみくもに作り続ける日々が続きました。
ホワイトハウス再開のためには資金調達や必要な資格の取得など、しなければならないことがたくさんあります。とにかく早くカレーを完成させなければならない状況で、いつも祈っていました。どうかわたしのおじいちゃんがそばにいて、助けてくださいますように、と。
そうして祈ると、カレーを作るときに小さなささやきのようなものを感じることがありました。この材料はこの順番で入れたほうがいいんじゃないか、次の工程に移るのはこのタイミングがいいかも─自分の考えなのか祖父の力なのかは分かりませんでしたが、その思いに従って作るカレーは、祖父のカレーに以前よりも近づきました。
祖父からのメッセージ
高校卒業後、わたしはホワイトハウスに引っ越し、カレー作りを続けていました。6月の終わり頃、その日のカレー作りを終えたわたしに、母が祖父のタブレットを差し出してきました。「何か玉ねぎの写真があった」と聞き、写真フォルダを懸命に探しました。見つかったのは、祖父が亡くなる1週間前に撮られた動画。その日は祖父が最後にカレーを仕込んだ日で、動画にはカレーを作る様子が映っていたのです。
なぜ祖父が、生涯最後のカレー作りの様子を動画に残そうと思ったのか分かりません。その動画で、ずっと疑問に思っていた煮込み時間や、次の工程に移る際のカレーの状態を確認できました。何をどうしたら味がきまるのかということも分かりました。嬉しかったのは、わたしが試行錯誤して見つけてきた調理方法が、映像の中の祖父の方法と少しずつ重なっていたことです。祖父がやってきたことを、今わたしが後ろに付いてやっているように感じました。
祖父のタブレットという大きな助けを得て、わたしのカレー作りは大きく前進しました。さらに試作を重ね、祖父の味を知っている家族に「ほぼ完成に近い」と言ってもらえる味になったのが8月頃でした。
先祖と子孫のつながり
祖父のカレーはほぼ再現できても、わたしの中には常に不安がありました。まったく未経験の人間がお店をやるという、今まで聞いたことがないことを本当に自分ができるのかという思いです。
その頃、通っていたインスティテュートクラスでは「家族歴史」について学んでいました。レッスンの中で「先祖と子孫のつながりがありますように」と祈ってみるよう勧められたとき、頭に浮かんだのは一番頼りたいと思っていた祖父でした。毎晩の祈りの中で「祖父とつながりのある方にどうか出会うことができますように」と祈り始めました。
すると、不思議なことが起こりました。ある日の聖餐会で隣に座った宣教師のお友達と話していると、かつてホワイトハウスでアルバイトをしていた方だったことが分かりました。20年前にホワイトハウスのホールで働いていて、祖父と他のスタッフと一緒にご飯を食べたり、みんなで夜まで働いたりしたそうです。
こんなこともありました。ある日、ホワイトハウスでカレーを作っているとドアをたたく音がします。ドアの前に立っていたのは見知らぬ80代くらいのおばあさんで、ちょうど一緒にいた祖母が「親戚のAさんだよ」と教えてくれました。入ってきたAさんは、「わたしは40年前、英伸さん(祖父)とずっと働いとったんよ」と言います。それから、お昼頃になるとAさんはお店に顔を見せるようになりました。カレーを味見してくれたり、祖父のカレーについて当時の記憶を元にアドバイスをくれたり。オープンしてからは1か月お手伝いに来て助けてくださいました。どちらの方も、祈りを通して主が出会わせてくださったのだと感じています。
2024年9月19日、「ホワイトハウス」は再オープンの日を迎えました。宣伝はしていたものの、どれくらいお客様が来てくれるのか分からず不安な気持ちでした。11時のオープンが近づいたころ、かつて常連さんだった方々がドアの前に5、6人すでに並んでおられるのが見えました。嬉しい気持ちと、喜んでいただきたいという焦りで、それからは手伝いに来てくれた父母も一緒に一生懸命働きました。その日だけで40食以上を提供し、仕込んでいたカレーはほぼなくなりました。
忙しい一日を終えて迎えた夜、その日お客様にかけていただいた言葉がよみがえってきました。「オープンしてくれてありがとう」「おいしかったよ、おじいちゃんの味に近づいているよ」……嬉しい言葉の数々をかみしめながら、祖父がとても喜んでくれているだろうな、と思いました。
2025年の9月で「ホワイトハウス」は1周年を迎えました。お店をやることを勧めてくれて支えてくれた両親や、喜んで見守ってくれているだろう祖父に感謝しています。彼らの力がなかったらわたしはここまでできなかったと思います。
11月17日、わたしは伝道の召しを受け取りました。場所は東京北伝道部です。宣教師になることは幼いころからの夢でした。ホワイトハウスで店長として、自分より年上のスタッフさんを指導したり、一緒に教会に行く家族がいない中で自分の信仰と向き合ったり、この1年はわたしにとって大きな試練の年でした。ですが、新しい環境で実家にいたときとは全く違う人間関係に入っていく経験は、忍耐力や、一人でも進んでいく力を与えてくれました。イエス様はわたしにこのような成長をした後で宣教師の選択をしてほしいと思っておられたのだと、今分かります。ホワイトハウスで学んだことを生かして、精いっぱい働きたいと願っています。◆