リアホナ
自分の選びを伝える
『リアホナ』2026年2月号


高校生の証

自分の選びを伝える

ぼくは高校入学と同時にフェンシング部に入部して活動を始めました。中学校のときはバスケットボールをやっていたので、個人競技であるフェンシングはとても新鮮でした。どんな攻撃をするか、次のプレイをどうするのか、全部一人で組み立てていくのが面白いのです。日曜日に練習や試合が入ることもありましたが、教会に行っていることを入部したときに顧問の先生へ伝えており、出ていませんでした。

新人戦か安息日か

2025年の秋、初めての県新人大会が近づいてきました。高校1年生のぼくにとって初めての大きな大会です。大会では団体戦と個人戦が行われます。ぼくは特に個人戦で自身の実力を試したいと思っていて、顧問の先生も「期待している」と言ってくれました。

ところが、個人戦が行われる11月16日は日曜日だったのです。先生にどうするか聞かれたとき、すぐには返事ができませんでした。「……考えておきます」と言ってその場は終わりました。それから毎日、どうしたらよいか考えて祈りました。心の中は早く答えが欲しいという気持ちでいっぱいでした。でも、なかなか祈りの答えは来ず、焦りが募りました。

祈り始めてしばらくたった11月5日の夜、携帯電話にメッセージが入ります。「えーっ!!」確認したぼくはその場で叫んでしまいました。四日市ワード担当高等評議員の兄弟から、11月16日の日曜日にステーク大会でお話をしてもらえませんか、という依頼でした。その日はまさに新人大会個人戦の日です。

(なんで今?!なんでこのタイミングやねん……!!)試合に出るか安息日を守るか悩んでいるぼくにとって、まさに試練を与えてくるようなタイミング。正直いやな気持ちがありました。

「どうしたん?」ぼくの叫び声に驚く母に、ステーク大会でのアサイメントが来たことを伝えて相談しました。個人的にはすごく試合を優先したい。でも、教会の大切さや、戒めを守ることで得られる祝福も分かっているので、選択の自由をどう行使したらいいだろうか、と。

心の底からの答え

ぼくの話を聞いた母は一言、こう言いました。「あなたにとって安息日って何?」

その言葉からまず思い出したのは、中学校での経験です。部活の最後の試合が日曜日に行われました。悩んだ末、ぼくは試合に行きました。でも全然、試合に集中できません。神様とイエス様から離れて、聖餐も取らずレッスンも受けずに日曜日を過ごしていることに良くない気持ちを感じました。

そのときから、日曜日の試合は行かないと決めていました。でも、今回は待ちに待った新人大会です。先生からの「期待している」という言葉も心に残っていました。だから、本当に深く考えました。ぼくにとって、神殿や教会、神権や戒めは、どんな意味があるんだろう?

……ぼくは、日の栄えに行って再び神様とイエス様に会うことを目標に、教会員生活をしている。だからそこに向かうステップを踏むために、教会や聖典学習、伝道に行くことや神殿で結婚することなどが、自分の人生ですごく大切だ─。

この思いが心に浮かんできたときに、教会に対する自分自身の気持ちを理解できました。そして、日曜日は教会を優先すると決めました。

その夜、寝る前に祈りました。ずっと悩んでいたことにやっと答えが得られた喜びがありました。祈りながら「やっぱり教会を選ぼう」「これからは日曜日に教会に行こう」という気持ちが心の底から浮かび上がって、どんどん強くなっていくのを感じました。

先生の言葉

翌日、個人戦に出場しないことを顧問の先生に話すと決めて、部活動に参加しました。変に思われたり、試合に出ることを強制されたりしたらどうしようという不安がありました。でも、練習の合間に機会を見つけ、先生に声をかけました。

「日曜日の個人戦のことなんですけど、どうしても教会を優先したいです。」

そう伝えると、先生は言いました。

「宗教やろ?教会を休むと親に怒られるんやろ?」

「いや親には怒られません。」

それからぼくは、自分の気持ちを話しました。教会は親に言われて行っているのではないこと。自分にとって重要で、自分が信じているから行っていること。ぼくの言葉を聞いた先生はしばらくうつむいて黙っていました。そして、顔を上げて言いました。

「神様を信仰する、宗教を通して信仰するという気持ちは大事だし、信仰しているんだったら、そっちも優先してもいいよ。」

先生の言葉を聞いたとき、今まで伝えたことがなかった自分の思いの深い部分が伝わった、良かった、と思いました。

その後、これから同じように日曜日の試合があったらどうするのかを聞かれて、先生はもう一度、ぼくに期待していると言ってくれました。

話し終えたとき、とても安心しました。自分がどれだけ信仰を持って教会に行っているかという思いが伝わって、先生との距離が近くなったようにも感じました。同時に、これから先も、自分が信じていることをしっかりと伝えていく必要があると思いました。

選ぶ力を養うセミナリー

今回の経験を振り返ったとき、セミナリーがとても重要だったと思います。セミナリーを通して信仰や証が強まっていると感じています。

早朝のセミナリーは、朝が早く、終わってから学校へ行くまでが忙しくて大変ですが、今まで休まず出ています。セミナリーでは、「(学んだことを)今後自分にとってどのようなものにしていきたいか」「この先、あなたは何を選択するか」という質問が多くあります。そのたびに、日曜日をどう過ごすか、何を選択して(人生の)道を進んでいくか、などを考える機会のあったことが、今回とても助けになりました。

11月16日のステーク大会で、ぼくはこの経験を話しました。そのときに紹介したのは、ヒラマン書第5章12節です。

毎日セミナリーをコツコツ続けることによって、信仰や証が作られていきます。1回だけの教会の活動や集会でも信仰や証は得られるかもしれませんが、1回きりで得られるものは薄いのではないかと思います。セミナリーや、毎日聖典を読むことの小さな積み重ねによって信仰と証ができあがっていくと思うのです。「堅固な基を築くために小さなことを行う」のは、とても大切だと思っています。◆