Young Missionary′s Story ─宣教師のものがたり
神様は全部わかっておられます
わたしとすべての人に注がれる主の愛と導き
わたしは教会員の両親のもとに生まれ育ったいわゆる「二世」です。2022年の春、大学進学のため東京でひとり暮らしをすることになりました。引っ越しの準備で忙しくしていた頃、ある言葉が頭に浮かんできました。
「あなたは教会から離れて生きることはできない」
わたしの場合、神様の導きは、文字、日本語という言語を通して出てきます。言語は認識して言葉になるので、ぱっと言葉が心に浮かぶ感じで何かを受け取るのです。その言葉について、そのときは「そっか」と思っただけでした。
わさびを育てる
上京して間もなく、ホームセンターの店頭にわさびの苗が売られているのを見つけました。家でも栽培できることに驚き、わさびがすごく好きということもあって、2株ほど購入して育てることにしました。
苗は大きめのプランターに植え、直射日光が当たらないよう資材を組み合わせて日よけも作りました。わさびは湿った状態を好むので、朝晩2回、大量の水やりが必要です。少し面倒ではありましたが、せっかくの機会だと思ってこまめに世話をしました。
ある日、水やりをしていると、
「このわさびは、あなたの生活の予型ですよ」
という言葉が心に浮かんできました。そのとき、これは自分自身だな、と思いました。わさびがどのように育つかが、自分の生活と信仰の状況を表していると感じたのです。
夏休みは広島の実家に帰らねばならず、自動で水やりをしてくれる簡易装置をプランターに据え付け、帰省しました。ところが、2週間後に東京のアパートに戻ってみると、わさびは枯れていました。装置に用意した分の水では足りなかったのです。今からでも水をやろうかと思いましたが、葉っぱも全部落ちていたので諦めました。そしてわさびが枯れた頃から、わたしは教会に行かなくなっていきました。
教会に行かなくなった主な原因は、アルバイトのしすぎです。夏前から始めた飲食店でのアルバイトが楽しく、働けば働くほどお金がもらえることが単純に嬉しくて仕事の予定を詰め込みました。生活サイクルはみるみるうちに崩れました。日曜日にアルバイトは入れませんでしたが、よく働いていたのが夕方から25時までの時間帯だったため、土曜深夜に帰宅して就寝、目を覚ますと11時で、もう教会はいいや、という日が続くようになりました。
コロナにかかって
2023年の1月、わたしは新型コロナウイルスに感染しました。一人でおとなしく横になっていると、ふと、ひどく散らかった部屋が目に入ります。
唐突に「死ぬかも」という思いが湧いてきました。理屈ではなく、頭の中で警告を受けた感じです。
そのとき初めて、自分の生活が福音から離れたものになっていることに気が付きました。教会に行かなくなって数か月がたっていました。そして以前受けた導きをようやく思い出しました─「あなたは教会から離れて生きることはできない」。
コロナから全快したわたしは、2023年2月、上京当初に通っていた東京西ステークの町田ワードへ再び足を運びました。主の言葉を思い出し、導きに従わなければ死んでしまうという命の危険を感じたからです。
なかば義務感で教会に行ったのですが、2週間後にプライマリーの勇者クラスの教師として召されました。
福音を教えるには自分がよく理解していなければなりません。『わたしに従ってきなさい』を使って勉強を始めました。テキストを読み、子どもたちに興味を持ってもらえる組み立てを求めて頭をひねりました。元気な子どもたちにレッスンをすることは本当に楽しかったです。教会に戻った当初の切迫感はすっかり忘れ、来週レッスンだから、と自然と教会に集う生活になっていました。
YSAの仲間たち
また、ワードのYSAメンバーも温かく受け入れてくれました。町田ワードには有志が主催する様々なサークル活動があります。わたしがガンプラが好きなことを知ったYSAリーダーの兄弟は、サークル「ガンダムの会」に誘ってくれました。プラモデルが好きな5人から8人くらいが集まって、時々会話しながら一緒に作ったり塗装したりするのは楽しい時間でした。ほかにも東京の名建築を巡る「建築散歩」(父も母も建築設計の仕事に携わっていたので建物に関する興味が結構ありました)や、イラストや小説をはじめ様々な創作活動を行う「クリエイターサークル」等、サークル活動は、わたしがワードになじむ助けになってくれました。
生まれてこのかた福音を疑ったことはなくて、お祈りに答えが来るのも、聖文が力強い本であることも知っていました。教会に行かなかった時期はありましたが、小さい頃から福音そのものは好きで、宣べ伝える機会があるならやってみたいかも、とは思っていました。
その思いを強めてくれたのは町田ワードの方々です。YSAの中には帰還宣教師も何人かいて、こういう人たちのようになれるなら、と思ったからです。
特にYSAリーダーの兄弟が印象的でした。人々に愛を示すというのを、堅苦しくなく義務感でもなく、一緒に仲良く楽しくしたい、と自然に行っていました。キリストのような模範に思えました。その姿を見て、わたしもこんなふうに自然に人々に福音を伝えたい、と思うようになりました。行くとしたら大学2年のこのタイミングしかないか、と思いました。
導かれた任地
2024年2月に伝道の申請書を出し、召しが来たのは3月28日です。4月14日にアメリカのMTCへ来るようにと書いてありました。数か月あると思っていた準備期間が2週間しかなくて、神様は、物事を先延ばしにするわたしの傾向をよく御存じだなと思いました。同時に、自分のことを必要としてくださっていると実感しました。
MTCのトレーニングを終えた7月、あるワードに赴任します。その近況をフェイスブックに投稿したところ、町田ワードのYSAリーダーからメッセンジャーで連絡がありました。
「1つお願いがあります!
(町田の)教会員の知り合いで、周りにYSAの仲間がいなくて寂しい思いをしている方が居ると聞いてます。もし、機会があれば話しかけてみて欲しい〜!」
わたしが赴任したワードにいるご家族の娘さんについてのお願いでした。彼女がもの作りに興味があることを知って、「クリエイターサークル」にリモートで参加してもらおうと思いついたのだそうです。サークルのみんなで招待状を作り、赴任先の宣教師アパートに送ってきました。
この件でわたしがしたことは、招待状を渡すという小さな働きでしたが、YSAリーダーの兄弟は、「クリエイターサークルにも参加したことがあって繋がりのある村中長老が、今そのワードに赴任したことは、決して偶然ではない」と感じていたことを後に知りました。
偶然はない
伝道活動をしていると、何年も前に宣教師に会って福音を聞かれた方や、モルモン書を受け取られた方に会うことがよくあります。教会がやっていると全く知らずに日本語会話クラスに来てくれたフィリピン人、その方のお母さんが教会員だったこともあります。
それらは偶然ではなくて、神様は全部分かっていてわたしたちと人々をめぐり合わせてくださるのだな、と感じます。わたしたち宣教師が改宗に導くのではなく、そのガイドを少しさせていただくというのが正しいな、と思います。神様と聖霊が伝えてくださる。それがなければ宣教師は何もできません。
宣教師の務めは福音を教えることですが、キリストのような特質を通じて福音を実践する姿を見てもらう役割もあります。両親をはじめ、故郷の広島光ワードや多くの会員の方々が、長い時間をかけてわたしの中に積み重ねてくださった福音を、町田ワードの皆さんのように自然に、キリストの愛をもって伝えていきたいです。◆