2025
わたしにはできないこと
2025年7月号


Count Your Blessings ─ み恵み数えあげ

わたしにはできないこと

生活に注がれた恵み

2022年10月の総大会でネルソン大管長は、神殿を生活の中心とするようにわたしたちを招いてくださいました。このようにおっしゃっています。

「神殿は主の宮です。神殿には主の力が満ちています。……わたしたち一人一人が、さらに容易に霊的に磨かれるようにもしてくださっています。神殿にいる時間を増やすと、ほかの何をするよりも生活が祝福されると約束します。」これは神の預言者の約束です。

このメッセージを聴いてから、まず4人いる娘の一人が神殿に行き、次に夫が神殿に行きました。そして、家族の模範に従ってわたしも神殿に行きました。それまで一人で神殿に行ったことがなかったので右往左往しながら、スマートフォンの案内を頼りに東京神殿にたどり着きました。一人でも神殿に行けるようになったことで自信がついたわたしは、神殿にいる時間を増やすためにもっと神殿に行くことにしました。毎月一緒に神殿に行こうと言ってくださる姉妹がいて、励まし合いました。バスを使うと新幹線で行くより時間がかかるけれど、安く行けることも分かりました。

主の僕の声を聴くために

わたしの母は高齢で、肺炎を患って2023年1月から入院していました。入院前には施設に入所しており、新型コロナウイルス感染症対策のために2年以上面会することができませんでした。病院とのやりとりや手続きは姉たちが行ってくれていました。

2月の終わり頃、夕方に車を運転しているときでした。母はこの世を去ってしまうかもしれない、その前に会いたいなあ、という思いがふっと湧き上がってきたのです。しかし、その後で姉から、母のリハビリが始まるという話を聞いたので、「リハビリが始まるなら元気になれるめどが立っているのかな、大丈夫だったんだ」と安心していました。

それから間もなく政府(厚生労働省)の発表がありました。3月13日の月曜日以降、マスクの着用は個人の判断を基本とするというもので、これにより母の病院では3月13日から面会が可能になりました。ただし、面会は1日1組2人まで15分間という限られたものです。日頃病院の近くに住んでいる3人の姉たちが母の用事をしてくれていたので、わたしの面会の優先順位は最後だと思っていました。しかし、その週の姉たちの休みの日はもっと後で、13日の月曜日に空いているのはわたしだけでした。

実はその日、本当ならわたしも仕事だったのです。それが休みになっていたのは、午後5時から名古屋市で行われる中央初等協会会長のスーザン・H・ポーター姉妹の集会に出席するために勤務を替わってもらっていたためでした。集会の案内が来たときに夫は、「月曜日で家庭の夕べの日なのに集会をやるんだね」と驚いていました。集会の会場までは車で1時間半ほどかかります。最初は仕事の日で間に合わないから集会には行けないと思っていました。ですが、「主の僕の声を聴くために努力してください」というステーク会長のメッセージを受け、人を探して勤務を交替してもらっていたのでした。

こうして、13日に母と面会できることになりました。午前中に病院に行き、午後は数日後の神殿訪問の準備のために美容院に行き、夕方5時の集会に間に合うよう3時に家を出る計画を立てました。

母との面会

面会当日の午前11時頃、春休みだった四女を連れて母に会うことができました。久しぶりに会った母は、もともとふっくらした人だったのがすっかりやせてしまっていて、目を閉じて眠っているようでした。意識はなくても耳は聞こえていると聞いていたし、触覚はあると思ったので、「お母さん、会いに来たよ。綾美だよ。わたしのこと分かる?よく頑張ってくれたね」とずっと体をさすって話しかけました。反応はありませんでしたが、母はわたしが来たことを分かってくれていると感じました。一緒に来られなかった二女ともLINE通話を繋げて、声をかけてもらいました。幸せでした。

15分の面会時間の後、1時間半ほどかけて病院から戻り、美容院に行きました。カットを終えると、姉からのLINEメッセージに気がつきました。

「お母さんが亡くなりました。」

頭の中が真っ白になり、「え」と返信するのが精一杯でした。わたしたちが面会してから1時間もたたない、食事を摂るリハビリ中に容体が急変したそうです。わたしたちは、本当に亡くなる直前の母と会うことができたのです。

13日から政府が感染対策の変更をすることも、病院が面会の許可を出すことも、月曜日の夕方に教会の集会が開かれることも、何一つわたしにできることではありませんでした。神様は、母がこの世を去る前に会いたいという、わたし自身気づいていなかった心の奥底の願いを叶えてくださったのです。このとき神様が示された大きな慈愛に感謝し、ご恩返しとして主のために働こうと決めました。

娘の言葉

母が亡くなってから数か月後、わたしはステーク扶助協会の会長会の顧問として召されました。自分に務まるのか不安でしたが、神様のために働くと決めたのだから断ることはできないと思ってお受けしました。

さらに続けて神殿に行くことで、違った形の祝福を受けました。数年ほど前から娘の一人が不活発になりかけ、かろうじて教会に来ていました。わたしは彼女に「困ったことがあったら神殿に行けば祝福があるよ」と誘い、娘は神殿に一緒に行ったり、聖餐を取ったりしてくれていました。しかし、わたしがステークの責任に召される少し前くらいに娘から言われました。「お母さん、わたしが自分から教会に行きたいって言うまでそっとしておいてほしい。お母さんとわたしの進む道が違ってしまったとしても、それは仕方のないことだから……。」親としては子どもの思いを受け入れるしかなく、娘のために祈り続けて神殿参入をする日々が続いていました。

神殿がつまらない

ある日、いつものように神殿に向かっていたときのことです。いつもわくわくする気持ちで神殿に行っていたのに、突然つまらない気持ちに支配されました。「どうしてこんな気持ちになるんだろう、神殿に行くのにおかしいな」と思っても、心が沈んでしまいます。その後、儀式執行者として奉仕しているうちに心は晴れたのですが、その後も、なぜあのときわたしの心が沈んでいたのかずっと思いめぐらしていました。

そして分かったのは、教会に行きたくないという娘の気持ちでした。「あの子は教会に行ってもこんなふうにつまらない気持ちだったのかな、それなら教会に行っても楽しくないな。」わたしは本当に娘の気持ちを理解していなかったと分かりました。それを教えるために神様はわたしの心につまらない気持ちを与えてくださったのだろうと思います。

それからは娘に対して、どのように愛を示すかに集中できるようになりました。

「教会に行くことに対してあの子なりに頑張ってきてくれたのに、どうして『支度してくれてありがとう、一緒に教会に行けてうれしい』と言ってあげられなかったんだろう。」─これまでの娘に対する接し方を反省して、娘がわたしから愛されていると感じてもらえるよう努めました。お弁当を作ったときに娘は、「ありがとう。わたし自立するためにお弁当を週に1回作ろうと思う」と言ってくれました。今は月曜日の夜、娘と一緒にお弁当を作っています。娘は教会に行って聖餐を取るようになりました。お休みする日もありますが、毎週教会に行くか行かないかは、今は娘にとってそれほど重要ではないと感じます。娘が道に迷って本当に困ったとき、神様から導きを得られるという信仰が根付くこと、それが何よりも大事だと思えるようになりました。

***

ネルソン大管長の約束を最初に試してからずっと、わたしは神殿参入を続け、さらに儀式執行者として奉仕をするようになりました。生まれながらの人の弱い部分がわたしを捉えることがあっても、これらの出来事を思い出す度に心は奮い立ち、神様へのご恩返しをしたいとの思いを新たにします。預言者の約束は本当です。皆さまにもぜひ、神殿を通して神様の慈愛を受けて欲しいと思います。◆