「YAウィークリー」から
暗闇の中でつまずいていますか?キリストの光に導いていただきましょう
天の御父を探すことは、暗闇の中でのかくれんぼである必要はありません。
わたしが目を開けると、真っ暗闇でした。わたしは独りぼっちでした。そして、わたしは動き出す必要がありました。
その少し前、きょうだいたちと一緒に納屋に集まっていました。ここは、わたしたちの大好きな遊び、暗闇でかくれんぼをするのに最適な舞台でした。
わたしは最初の鬼になるという不運に見舞われました。きょうだいたちは懐中電灯を手に走って行き、わたしは明かりなしで一人取り残されました。2分ほど待った後、きょうだいを探しに走り出す時間になりました。
しかし、わたしは動く気にはなれませんでした。
暗闇の向こうに何が待ち受けているのかという恐怖で、一時的に動けなくなってしまったのです。やがて、独りでいることへの恐れに支配されました。わたしはためらいがちに一歩踏み出すと、
うつ伏せに倒れました。
立ち上がっては、暗闇の中で転び続けました。
人生は時々、暗闇の中で独りぼっちで、天の御父のもとに帰る道でつまずいているように感じることがあります。この世の影響に囲まれているとき、どのように主を見いだすことができるでしょうか。
その答えはなんでしょうか。あなたは一人ではありません。きょうだいと遊んでいるときのわたしとは違い、あなたには生活を導いてくれる霊的な懐中電灯があります。
あなたの霊的な懐中電灯
聖文で、イエス・キリストが「世の光であり命である」と言及されているのは、偶然ではありません(3ニーファイ9:18)。主は、愛にあふれる天の御父のもとへと続く旅路を照らしてくださいます。御父はわたしたちがみもとに戻ることを切望しておられます。救い主に頼り、主と強い聖約の関係を築くことを選ぶとき、あなたは生活に主の導きを喜んで迎え入れることになります。
同様に、懐中電灯をつけることを選ぶとき、その光があなたを包み込むよう招いています。納屋での遊びとは異なり、わたしたちは皆、聖霊の影響力、つまり、聖約を交わして守ることを通して天の御父のみもとに帰る旅路を導いてくれる、霊的な懐中電灯の恩恵を受けることができます。
わたしたちは、救い主と自分を結びつけるような生活を送ることによって、明かりをつけるという意識的な決断をしなければなりません。灯りを消しているとき、わたしたちは救い主イエス・キリストから距離を置くことを選択しています。聖霊を通して主が与えてくださる光は、わたしたちの日々の決定、思い、行動に影響を与え、御霊の次の4つの重要な賜物にアクセスする能力を高めます。
1. 平安
暗闇をひどく恐れていたわたしは、真っ暗な納屋の中で無防備のように感じました。怖いという気持ちばかりに気を取られていなかったら、待ち受けている障害に対してもっと準備ができていたかもしれません。
キリストに従い、主の光に取り囲まれるとき、わたしたちの行く手を阻もうとする、害を及ぼす可能性のある多くの障害物から守られます。主の約束は偉大なものです。「わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。」(ヨハネ8:12)主に従うとき、命の光がもたらす慰めで主包んでくださるでしょう。そうすることで、あなたはより完全に主に従うことができるのです。
2.善と悪を見分ける
わたしは納屋でつまずいて転びました。障害物が見えなかったからです。懐中電灯があれば危険を知り、苦痛をかなり軽減できたでしょう。
同様に、聖霊は善悪についての深い理解を授けることがおできになります(アルマ32:35参照)。わたしたちが主と聖約を交わし、聖霊の賜物を受けるとき、御霊はわたしたちの行動に影響を与え、善悪を見分ける能力を強めてくれます。
これにより、魂を傷つけて、天の御父から遠ざかる罪から守られます。イエス・キリストと主が与えてくださる光とのつながりを保つことは、わたしたちを取り巻く複雑な世界を生き抜く助けとなります。
3.悔い改め
明かりがあって導かれても、間違った方向に行くことがあります。しかし、キリストはあなたが自分の過ちを認め、方向転換し、正しい方向に進むのを助けてくださいます。
中央若い女性会長会第一顧問のタマラ・W・ルニア姉妹は次のように教えています。「わたしたちは一度も過ちを犯さずに聖約の道にとどまるのではなく、毎日悔い改めることによって、この道にとどまります。」
わたしたちは天の御父に向かう道から外れることがあることでしょう。これは死すべき世において避けられないことです。しかし、イエス・キリストに焦点を当て、聖約を守ることによって、わたしたちはその道に戻る道を見いだすことができます。
4.慈愛
暗闇に隠れることにうんざりしている神の子供たちもたくさんいるかもしれません。懐中電灯を手にすれば、あなたは行く手に彼らを見つけ、救い主の温かく心地良い光の中に連れてくることができます。
救い主に熱心に従おうとするとき、わたしたちはかがり火の役割を果たします。中央扶助協会会長のカミール・N・ジョンソン会長は次のように教えています。「分かち合うとき、わたしたちは人々にイエス・キリストの安らぎをもたらし、主への帰依が深まり、癒しを待つ間でさえも満ち足りた者となれるのです。」
だれも独りで旅をするべきではありません。人々をイエス・キリストのもとに導くことには、喜びがあります。ミニスタリングと慈愛により、わたしたち一人一人が、神の愛を分かち合い、聖約の道を歩むよう人々を招くことができます。
霊的な懐中電灯にすがる
あの日、納屋にいた妹はわたしのヒーローでした。彼女はわたしが彼女の進路を横切るときに、助けを求めるわたしの嘆願を無視することもできました。しかし、懐中電灯をつけて、わたしを助けに駆けつけました。彼女の親切さのおかげで、わたしの孤独感は和らぎました。そして、兄弟たちの捜索が終わるまで、わたしはその親切にすがり続けました。
天の御父のもとに帰る旅路は、暗いものである必要はありません。御父はあなたを御自分のもとへ導くために、イエス・キリストを備えてくださいました。主が差し出される光を脇に置いてしまい、主の貴い賜物を無駄にすることはしないでください。
イエス・キリストとその光にすがるとき、天の御父のもとに帰る道を見いだすでしょう。