聖文ヘルプ
ローマ7-16章


「ローマ7-16章」『聖文ヘルプ:新約聖書』

聖文ヘルプ

ローマ7-16章

パウロはローマの聖徒たちへ手紙を送り続ける中で,わたしたちの永遠の性質と堕落した性質との間の葛藤について書きました。イエス・キリストを通して,わたしたちは肉体の弱さを克服することができると教え,聖徒たちに,聖約に忠実な子供として,神の相続人,キリストと共同の相続人になることができることを思い起こさせました。またパウロは,選民,すなわち予任について書きました。神は御自分の民を血統ではなく,忠実さに応じて選ばれると教えました。そして福音に従って生活するよう教会員に勧告しました。そうすることで,平和と教会の一致を生み出すことができます。パウロは,福音に忠実であり続けるよう聖徒たちに嘆願して手紙を結んでいます。

リソース

注:末日聖徒イエス・キリスト教会が発信したものではない情報源が引用されている場合,その情報源や著者が教会によって承認されている,あるいは教会の公式見解を表していることを意味するものではありません。

背景と文脈

ローマ7:1-4

結婚はどのような点でモーセの律法の比喩なのか

パウロは結婚の比喩を使って,妻が夫につながれるように,イスラエルがかつてモーセの律法につながれていたことを説明しました。しかし,夫が亡くなった(律法が成就した)今,イスラエルはイエス・キリストと新たな聖約の関係で結ばれることになります。

ローマ7:5-148:3-4

モーセの律法はどのように不十分だったのか

一部の熱心なユダヤ人は,モーセの律法に対して冒瀆を語ったとパウロを非難しました。ローマ7-8章で,パウロは,モーセの律法は良いものであったが,限界があったと説明して,自分の見解を明確にしました。パウロがモーセの律法が「聖なる」ものであると教えたのは,罪とは何かを理解するのを助けてくれるものだったからです。しかしモーセの律法には,堕落の影響や人間の弱さを克服する力も,人々が聖霊によって変わる方法を提供する力もありませんでした。このため,わたしたちにはイエス・キリストの贖罪によって得られるようになった恵みが必要なのです。

モルモン書の預言者アビナダイは似たような証を次の言葉で述べています。「救いは律法だけで与えられるものではない。もしも神御自身が民の罪と不義のために行われる贖罪がなければ,たとえモーセの律法があっても,彼らは滅びるほかはない。」

ローマ8:14-16

神のもとに生まれた息子や娘となるとは,どういう意味か

聖文では,神の子供であるわたしたちについて,二つの異なる方法で述べられています。一つは,全人類が文字どおり天の御父が愛される霊の子供であるということです。もう一つは,わたしたちはイエス・キリストとその贖罪を通して神の子供として生まれ変わるということです。

ローマ8:16の文脈は,「わたしたちが神の子である」と述べたときにパウロが二番目の,すなわち聖約的な意味について語っていたことを明らかにしています。パウロは,神の御霊によって導かれる者は養子となり,「アバ,父よ」と呼び求めることができると教えました。改心の過程においてイエス・キリストが重要な役割を果たされるため,再び生まれる人々は主の息子や娘とも言えます。なぜなら,彼らは主を通して霊的に再び生まれるからです。

ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように教えています。「福音を受け入れてバプテスマを受けるとき,わたしたちはイエス・キリストの聖なる御名を受けます。わたしたちはキリストの息子娘として養子縁組されており,兄弟姉妹であることを知っています。主はわたしたちの新しい命の父であられます。」

ニール・L・アンダーセン長老は次のように述べています。「地上の人はすべて神の『子孫』〔使徒17:28〕ですが,『神の子』という呼び名には,はるかに多くの意味があります。イエス・キリストのもとに来て主と聖約を交わすとき,わたしたちは『御子の子孫』また『王国を受け継ぐ者』〔モーサヤ15:11〕,『キリストの子……,キリストの息子および娘』〔モーサヤ5:7〕となるのです。」

ローマ8:17

「神の相続人であって,……キリストと共同の相続人」であるとはどういう意味か

御父の長子,肉における独り子として,イエス・キリストは天の御父の生まれながらの相続人です。主は,「御父の完全な栄光を受けられ,天と地の両方で一切の力を受けました。」

パウロは,神の聖約の子として再び生まれる人々は「神の相続人となり,イエス・キリストと共同の相続人となる」と教えました。救い主を通して,わたしたちは永遠の命の賜物を含め,御父が持っておられるすべてを受けることができます。

ローマ8:29

「御子のかたちに似たものと〔する〕」とはどういう意味か

預言者ジョセフ・スミスは次のように教えています。「キリストの贖罪と復活により,また福音に従うことによって,わたしたちは再び御子イエス・キリストの形に似た者となるのです。そのときわたしたちは神の形と栄光と特質を得ているはずです。」

ローマ8:29-30

予任の教義とは何か

欽定訳聖書で「あらかじめ定めて」と訳されているギリシヤ語のproorizōは,「前もって何かを決めておく」という意味です。ローマ8章でパウロが使ったproorizōという言葉は,予任の教義を指しています。「前世において神は,ある霊たちが現世で特別な使命を果たすように任命されました。これを予任と呼びます。予任は一人一人がある特定の召しや責任を受けるという保証ではありません。そのような機会は,現世で選択の自由を行使して義しいことを選んだ結果,与えられるものです。これは,前世で義しくあった結果,予任されたのとまったく同じです。」

ローマ9-11章

パウロはイスラエルの家についてユダヤ人に何を教えたか

パウロの時代の多くのユダヤ人キリスト教徒は,モーセの律法から離れることについて懸念を抱いていました。異邦人の改宗者を教会に受け入れることに消極的な者もいました。どちらの懸念も,イスラエルの家の一員であることを意味する信条に関連しています。ユダヤ人は,神がイスラエルを御自身の選民として選ばれ,モーセの律法に従うことで選ばれた人々が際立っていると信じていました。さらに,一部のユダヤ人は,異邦人は元々イスラエルの家の一員ではなかったため,神の王国における彼らの役割はあまりないと考えていました。

パウロは,ローマ9-11章でこれらの懸念に対応しました。パウロは,神の聖約の民の一員となる資格を得るのは血統によるのではなく,イエス・キリストとその戒めに対する忠実さによるものだということを強調しました。パウロは,古代において神はイスラエルを御自分の聖約の民として選ばれたが,彼らは神に対して心をかたくなにしてきたと教えました。しかしまた,イスラエルが聖約を永久に拒み続けることはないと約束しました。主は御自分の聖約を覚えておられ,イスラエルは福音を受け入れた異邦人も含めて救われると証しました。

ローマ9:11-2411:5,7,28

選民とは何か

選民とは次のようなことを指します。「神学的用語であり,主に,イスラエルの家が全世界に対する祝福の手段となるという特権と責任が伴う聖約の民となるという神の選びを意味する。……

選民は『天地の造られる前から』選ばれているが,永遠の命に対して無条件で選ばれる者はいない。救いを得るには,それぞれが自ら福音に耳を傾け,主の僕の手によってその儀式と聖約を受けなければならない。選ばれても仕えない者に対しては,神の選びは無駄であったと言えるだろう。」

ローマ10:4-13

救われるために必要なことは何か

背景を考えないと,ローマ10:9のパウロの言葉が,救われるために人が行わなくてはならないことは,イエス・キリストへの信仰を言葉にして告白することだという意味に誤解されかねません。しかし,ほかの聖句に記録されているように,パウロは,悔い改め,バプテスマ,聖霊を受けること,そしてイエス・キリストの教えに従う努力をすることも不可欠であると教えました。

ローマ10:4-13でのパウロの目的は,救いの目的のすべての説明を提供することではありませんでした。その代わり,パウロは4節で述べた「キリストは,すべて信じる者に義を得させるために,律法の終りとなられたのである」ということを裏付けていたのです。パウロは,申命30:12-14に触れ,人はキリストを見いだすために「天に上る」または「底知れぬ所に下る」必要はないと主張しました。そうする代わりに,すべての人は,ユダヤ人であれ異邦人であれ,キリストが救い主であられることを告白し,キリストを信じる信仰を持つときに,それぞれの心の中に救い主を見いだすことができるということです。

ローマ12:1-2

わたしたちの体を生きた供え物としてささげるとはどういう意味か

パウロがわたしたちの体を「生きた……供え物」としてささげるように言ったとき,動物を犠牲にする旧約聖書の習慣と比較していました。ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように教えています。「わたしたちはさらに犠牲をささげるように命じられていますが,それは動物の血を流すことではありません。わたしたちがささげることのできる最大の犠牲は,自分自身をさらに神聖で清いものにすることです。

これは神の戒めを守ることによってできることです。このようにして神の従順と犠牲の律法は,あやなす糸のように互いにからみ合っています。……こうした戒めに従うとき,何かすばらしいことが起きます。わたしたちは自分をコントロールすることができるようになります。つまり主の弟子になることができるのです。そしてさらに神聖で清くなり,主に似たものとなるのです。」

ローマ14:1—15:3

パウロは,食事,慣例,祝日に関する意見の相違について何を教えたか

パウロの時代に教会が成長するにつれ,ユダヤ人の改宗者と異邦人の改宗者の生活様式の違いが明らかになりました。パウロは,食の好み,慣例,習慣,祝日の違いに気づきました。このような異なる生活様式は,ローマやそのほかの地域の聖徒たちの間に分裂を生じさせました。

パウロは聖徒たちに,食生活やそのほかの習慣に関する選択の動機は,主に仕え,主に喜ばれるためであるべきだと教えました。また,異なる生き方をした人々を裁いてはならないとも教えました。また,聖徒たちは,ほかの人を霊的につまずかせる可能性がある場合には,幾つかの行動を控えるべきであると付け加えました。教会における平和と教化を促すことは,個人的な好みを維持することよりも優先されます。

ローマ16:1-2

フィベは,どのような人物だったのか

手紙の結びで,パウロはフィベという名前の教会員を高く評価しました。彼女は,パウロの手紙をローマの聖徒に届けた人でした。パウロによるフィベの描写から,彼女が教会で奉仕し,パウロを含む多くの聖徒を支援していたことが分かります。パウロのフィベについての書面での承認は,別のキリスト教の会衆のもとに旅するときに推薦状を携える初期キリスト教徒の習慣の例です。

ローマ16:22

パウロは自分で手紙を書いたのか

ローマ人への手紙の最後には,パウロの指示の下でこの手紙を書いた筆記者が,ローマの聖徒たちに対するあいさつ文を挿入しました。パウロは,彼の手紙の大半,またはすべてを書くために筆記者を利用したのかもしれません。古代の筆記者は,彼らが何を書くかに対して,程度の差はありましたが,影響力を持っていました。

新約聖書学者の中には,パウロの名前が書かれた手紙の幾つかが実際にパウロによって書かれたものかどうかについて議論しました。この議論の大部分は,手紙の文体と言い回しにおけるわずかな違いに関するものです。しかし,これらの違いの幾つかは,パウロが異なる状況において,様々な度合いの個人的意見を持った異なる筆記者を使った,ということで説明できます。

さらに学ぶ

肉の欲を克服する

「神を愛する者たち〔のために〕……万事を益となるようにして下さる」

フィベの献身的な模範

  • Camille Fronk Olsen, “Phebe,” Ensign, Aug. 2019, 38–39

メディア

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