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使徒13-15章
使徒13-15章の紹介とタイムライン
使徒13-14章には,サウロの最初の伝道の旅での出来事や教えが含まれており,その間にサウロはパウロとして知られるようになりました。この伝道は,エルサレムから遠く離れた地域に教会の支部を確立し,「信仰の門を異邦人に開〔く〕」(使徒14:27)ことにつながりました。敵に石を投げられるなど,時には猛烈な反対に遭いましたが,パウロは,イエス・キリストを信じる信仰と不断の努力をもって伝道を続け,主の業の大いなる成功を見ました。
教会が成長し続けるのに伴い,使徒15章に記録されているとおりのきわめて重要な岐路に直面しました。多くの異邦人の改宗者が教会に加わったことで,聖徒たちの間に争論が起こりました。一部のユダヤ人キリスト教徒は,異邦人の改宗者が救われるためには割礼を受ける必要があると主張しました(使徒15:1参照)。一方,ペテロとパウロのように,ほかの人々は,救いはモーセの律法を守ることではなくイエス・キリストを通してもたらされると教えました(使徒13:38-39;15:11参照)。教会の使徒たちと長老たちは,エルサレムでの集会(しばしばエルサレム会議と呼ばれる)に集い,この問題に対して霊感された解決策が与えられました。
使徒13-15章の解説
使徒13:1-14:26。サウロの最初の伝道の旅
(シリヤの)アンテオケはエルサレムの北480キロメートルに位置し,ローマとアレキサンドリヤに次ぐローマ帝国で3番目に大きな都市でした。その人口は10万人を超えていました。初期のキリスト教徒にとって特に重要だったのはエルサレムの町だけでした。パウロは3回の伝道の旅をそれぞれアンテオケから始めました。
サウロの改宗から最初に記録された伝道の旅までの10年間,サウロ(後にパウロとして知られる)はダマスコ,アラビヤ,タルソ,そして最後にアンテオケで福音を教えました。使徒13:1-3に記録されているように,サウロとバルナバは,1節に述べられている「預言者」を含めたアンテオケの神権指導者によって伝道に行くよう召されました。それは,サウロの最初の伝道の旅となりました。サウロとともにいたバルナバについて詳しくは,使徒9:26-31;11:22-30の解説を参照してください。
パウロが最初の伝道の旅で訪れた町々
この最初の伝道の旅は,エルサレムとサマリヤからはるかに離れた地域に教会の支部を設立させることになりました(使徒1:8参照)。サウロとバルナバはこの最初の伝道で1,400マイル(2,250キロメートル)以上を旅し,それまで人々が福音を聞いたことのない地域で福音を教えました。サウロとバルナバが教会員のいない場所に着いたとき,二人は通常,最初に地元の会堂に行き,ユダヤ教の教えを信じていた同胞のユダヤ人と異邦人に対して福音のメッセージを伝えました(使徒13:5,14;14:1;使徒13:14-41の解説参照)。福音のメッセージを受け入れた人々を教え,バプテスマを施した後,二人が出発した後に教会を見守るため,二人は地元の指導者を召して,任命しました(使徒14:23参照)。二人はしばしば教会本部に戻りながら,新しく組織された支部を訪問するようにしました。この最初の伝道の話は,教会指導者としてのサウロの新しい能力を示しています。
使徒13:2-3。指導者は召しについての啓示を受ける
サウロとバルナバを伝道に出るよう召した教会の指導者たちは,この重要な召しを与える前に断食し,啓示を受けました。七十人会長会のロナルド・A・ラズバンド長老は,ヘンリー・B・アイリング管長が専任宣教師を任地に派遣するのを手伝ったときのことについて語っています。その日の出来事を分かち合い,ラズバンド長老は次のように述べています。「アイリング長老は集会を閉じるに当たり,救い主が,世界に出て行き,回復された福音を宣べ伝えるよう割り当てを受ける宣教師一人一人を愛しておられることを証してくれました。また,これらのすばらしい若人,シニアの宣教師,シニアの夫婦宣教師がどこで働くべきかを主の僕が知ることができるのは,救い主の深い愛のおかげであると言いました。わたしは,その日の朝にさらなる証を得ることができました。この教会で召され,特定の伝道部に割り当てを受ける宣教師,また割り当てが変更される宣教師は皆,主なる全能の神から,主の僕を通して与えられる啓示によって召されるのです。」(「宣教師の神聖な召し」『リアホナ』2010年5月号,53)
使徒13:3-4。一同は,「手をふたりの上においた後,出発させた」
使徒13:3に関連して,十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老(1915-1985年)は,次のように教えています。「サウロとバルナバは預言によって召され,按手により,聖任または任命,あるいはその両方が行われました。」(Doctrinal New Testament Commentary, 3 vols. [1965–73], 2:120)人々を召しに任命するための神権指導者による按手は,古代と現代の両方の教会において長年にわたって確立された慣習です(申命34:9;教義と聖約36:1-2;信仰箇条1:5参照)。
スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)は,古代の教会と同じように,今日でも任命されることは非常に重要であると次のように説明しています。
「任命は確立された教会の慣習であり,男性も女性も,宗務関係,定員会,補助組織の役職など,特別な責任に『任命』されます。……
任命を形式的な行為と受け止めている人がいる一方で,大きな期待をもって臨み,一言も聞き逃さずに吸収し,それによって自分の生活を高めている人もいます。
任命は文字どおりの解釈が可能です〔訳注—『任命』を意味する英語のset apartには『分離』の意味もある〕。すなわち,罪からの分離,肉欲からの分離を意味し,何であれ粗雑で,下品で,悪意ある,安っぽい,低俗なものからの分離を意味し,この世から分離され,より気高い思いと行いへ向かうことを意味します。祝福は責任を忠実に行うことを条件に与えられます。……
わたしの経験では,サウロのような多くの人々が,任命されることを通して,『広い心』,影響力の拡大,知恵の向上,より大きな視野,新しい力を得ています。」(in Conference Report, Oct. 1958, 57)
使徒13:4-11。神権が持つのろう力
パポスで,ローマの役人であったセルギオ・パウロは,福音を聞こうとして,パウロとバルナバを招きました。二人がイエス・キリストの福音を教えようとしたとき,皮肉なことにバルイエス(イエスの息子)という名の「にせ預言者」であり,エルマとも呼ばれる「魔術師」に反対されました(使徒13:6-8参照)。パウロはエルマが「主のまっすぐな道を曲げ」ようとしていると断言し,盲目になるようのろいました(使徒13:10-11)。この経験は,主が権威ある僕に祝福する力とのろう力の両方をお与えになることを示しています(教義と聖約124:93参照。アルマ30:49-50と比較)。
ブルース・R・マッコンキー長老は,神権者が御霊によってそうするよう指示されない限り,だれかをのろうために決して神権が使用されるべきではないことを次のように明確にしています。「神権の力と権威によって,祝福と同様にのろいが行われるかもしれません。しかし,地上における主の代理人は,本来,のろうためではなく祝福するために遣わされます。主からの直接の啓示によってそうするように命じられる場合を除いて,のろいは決して命じられるべきではありません。」(Mormon Doctrine, 2nd ed. [1966], 175–76。マタイ10:14の解説も参照)
使徒13:5,13。マルコと呼ばれているヨハネはパウロの最初の伝道に同行した
使徒13:5に述べられているヨハネは,ほかの箇所では「マルコと呼ばれているヨハネ」や「マルコ」などと呼ばれています。恐らく,彼がマルコによる福音書を書きました。彼はバルナバのいとこで(コロサイ4:10参照),サウロとバルナバの最初の伝道の旅の初めに同行しました。マルコと呼ばれているヨハネがペルガでほかの宣教師たちから突然離れたことは,後にサウルとバルナバとの間に不一致を引き起こしました。それは彼らが2回目の伝道に出る準備をしていたときのことでした(使徒15:37-40参照)。聖典には,マルコが伝道地を離れた理由は述べられていません。しかし,マルコは後にバルナバに同行してクプロに行き,エペソでテモテと合流しました。恐らく,ペテロが「わたしの子」と語ったマルコと同一人物です(使徒15:37-39;2テモテ4:11;1ペテロ5:13参照)。このようにして,マルコは初期の教会において価値あることのための強力な力となりました。
使徒13:9。「サウロ,またの名はパウロ」
使徒行伝の前半の章では,ルカはヘブライ語の名前でサウロと呼んでいました。しかし,サウロが異邦人の中で最初の伝道を始めたときから使徒行伝の残りの部分に至って,ルカはサウロをそのラテン語の名前であるパウロと呼んでいます。パウロとは「小さな」または「小さい」という意味です。これはパウロが自分の手紙の中で言及した名前でもあります。
使徒13:14-41。ユダヤ人と,神を敬う異邦人へのパウロの説教
ピシデヤのアンテオケ(教会員が最初にクリスチャンと呼ばれたシリヤのアンテオケと混同しないでください)で,パウロはユダヤ人と,「神を敬う」そのほかの人々の両方に対して教えを説きました(使徒13:16,26;14:1参照)。神を敬う人々は,エホバを彼らの神として受け入れた異邦人で,ユダヤ教の様々な慣習に従って生活していましたが,割礼の儀式を受けることによるユダヤ教への完全な改宗はしませんでした。パウロによる異邦人改宗者の多くは,会堂で礼拝する神を敬う人々で,ユダヤ教の聖文(旧約聖書)を知っており,福音のメッセージを受け入れる準備ができた状態にありました。割礼という慣行については,使徒15:1,5,24の解説を参照してください。
使徒13:22-23。ダビデの子孫としてのイエス・キリスト
ダビデの子孫としてのイエス・キリストについて読むには,マタイ1:1,17の解説やマタイ1:1-17の解説を参照してください。
使徒13:34。「ダビデに約束した確かな聖なる祝福」
「ダビデに約束した確かな聖なる祝福」(使徒13:34)とは,神が復活についてダビデと交わされた約束を意味します(詩篇16:10;89:48-49;イザヤ55:3参照)。
使徒13:38-39。罪の赦しと正義
パウロは,「罪のゆるし」はイエス・キリストを通してのみもたらされることを教えました(使徒13:38)。十二使徒定員会のリチャード・G・スコット長老は次のように説明しています。
「その罪が大きくても小さくても解決法は同じです。それは,イエス・キリストとその贖罪を信じる信仰に基づいて完全に悔い改め,主の戒めに従って生きることです。……
悔い改めに必要なあらゆる段階の中で最も重要なのは,赦しがイエス・キリストによって,またキリストを通じてもたらされるという確信を持つことです。そのことを証します。主の条件に従うときにのみ赦されると知っておくことはきわめて重要です。キリストを信じる信仰を行使するとき,皆さんは助けを得るでしょう〔2ニーファイ9:22-24;アルマ11:40参照〕。キリストを信じる信仰を行使するとは,主とその教えを信頼するということです。」(「良心の安らぎと心の安らぎ」『リアホナ』2004年11月号,16-17)
パウロはまた,救い主によって「信じる者はもれなく」義とされることが可能になり,この義は「モーセの律法で」は起こり得ないと宣言しました(使徒13:38-39)。義とされることは救い主からの賜物です。救い主は,人が完全に向けての進歩を続けられるように,罪のない,正義の要求を完全に満たすことを免れ,神との正しい関係に戻されていると宣言されています。モーセの律法ではなく,イエス・キリストを信じる信仰によって義とされるという教義についてさらに研究するには,ローマ3:27-31の解説を参照してください。
使徒13:45-46。「わたしたちはこれから方向をかえて,異邦人たちの方に行くのだ」
アンテオケの多くのユダヤ人は,パウロの説教に「口ぎたなく反対し」ました(使徒13:45)。『聖書辞典』(Bible Dictionary)は,冒瀆を次のように定義しています。「神や,神殿,律法,預言者など,神に関する神聖な物事に対して不敬な言葉を口にすること」(Bible Dictionary, “Blasphemy”)。
アンテオケのユダヤ人の反対に応じて,パウロとバルナバは「これから方向をかえて,異邦人たちの方に行く」と宣言しました(使徒13:46)。このとき,多くのユダヤ人が福音と異邦人の改宗に反対するにつれ,教会の伝道活動においてますます何が起こるかを予示していました。この出来事の後,パウロはほかの地域に旅をしながら,通常,「ユダヤ人をはじめ,ギリシヤ人にも」(ローマ1:16)福音を教え続けましたが,ユダヤ人がメッセージを拒んだとき,パウロはすぐに「異邦人たちの方に」行って,福音を受け入れる備えができている多くの人々を見つけました。
使徒13:47-48。「みな信じた」
パウロは当時のユダヤ人に,主はイスラエルを「異邦人の光」とされたと教えました(使徒13:47;イザヤ42:6)。イスラエルは,異邦人を含め,それを受け入れるすべての人々のために救いをもたらすことになっていました。パウロの時代のユダヤ人はこのことを知っていましたが,彼らはイエス・キリストとその福音を拒みました(使徒13:47参照)。しかし,多くの異邦人はパウロの言葉を聞き,「主の御言」を受け入れました(使徒13:48)。使徒13:48のジョセフ・スミス訳は,「信じた者は皆,永遠の命に入るように定められた」と述べています(ジョセフ・スミス訳〔英文〕から和訳)。
使徒13:51。「足のちりを払い落し」
足のちりを払い落とすことについて読むには,マタイ10:14の解説を参照してください。
使徒14:1-6,14。パウロとバルナバは使徒であった
これは,新約聖書において,パウロが使徒であることに言及した最初の箇所です。『聖書辞典』(Bible Dictionary)によれば,「使徒……は,イエスが地上で務めを果たしておられたときに,最も身近な弟子となり助け手となるように選び聖任された12人の人々に,御自身でお与えになった呼び名である(ルカ6:13;ヨハネ15:16)。イエスは昇天の後,御自身の代理人として,御自身に代わって務めを果たさせるために彼らを遣わされた。……この称号は,最初の十二使徒の一員ではないが,主の特別な証人として働くよう召された人々にも用いられた。パウロは繰り返し自分自身を使徒と語った(ローマ1:1;1コリント1:1;9:1;ガラテヤ1:1)。パウロは主の兄弟であるヤコブにも(ガラテヤ1:19),また,バルナバにもこの称号を用いた(1コリント9:5-6。使徒14:14も参照)。」(Bible Dictionary, “Apostle”)
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長(1876-1972年)は,次のように述べています。「パウロは聖任された使徒であった。彼が〔十二使徒評議会〕のほかの兄弟の空席を埋めたことは疑うべくもない。」(Doctrines of Salvation, comp.Bruce R. McConkie, 3 vols. [1954–56], 3:153)ほかの使徒たちの一人が処刑されたため,恐らく十二使徒評議会に空席が生まれたのです。
使徒14:1-6に示されている使徒行伝の主要なテーマは,福音の宣教が人々の間で大きな分裂を引き起こしたことです。
使徒14:8-10。「いやされるほどの信仰」
パウロとバルナバはイコニオムで命をねらわれていることを知り,ルステラとデルベに向かいました。ルステラで,二人は生まれつき足の不自由な男に出会いました。その男に「いやされるほどの信仰が……ある」のを認め,パウロはその男に歩くよう命じると,彼は歩き出しました(使徒14:8-10参照)。この挿話は,神権の執行により癒されるすべての人々にとって,信仰が不可欠であることを示しています。
病人に癒しの儀式を施すことに関する有名な説教の中で,スペンサー・W・キンボール大管長は,次のように語っています。「信仰の必要性がしばしば軽視されています。病人やその家族は祝福を受ける本人の方により大きな責任のあることに気づかず,ただ神権の力と儀式を施してくれる兄弟たちの賜物だけを当てにしているようです。……その人が正常な認識と責任の持てる人であれば,癒されるか否かはほかの何よりも本人の信仰にかかっているのです。『あなたの信仰があなたを救ったのです』〔マタイ9:22〕と主は繰り返しおっしゃいました。」(「キンボール大管長,癒しの儀式について語る」『聖徒の道』1982年8月号,43参照)
使徒14:11-18。パウロとバルナバは神と呼ばれた
このギリシャ神ゼウス(ギリシア神話の主神で,ローマ神ジュピターに相当)の古代像は,1680年にスミルナで発見されました。
パウロがルステラで足の不自由な男を癒したとき,偶像を信じて礼拝していたその地域の人々は,パウロとバルナバを神だと思いました。そして彼らはバルナバをゼウスとして崇拝しようとしました。恐らく,バルナバはパウロより年上で,身長も高かったからかもしれません。また,パウロを「おもに語る人なので」神々の使者であるヘルメスとして崇拝しようとしました(使徒14:12)。
使徒14:19-22。主の僕への迫害
アンテオケとイコニオムの一部のユダヤ人はパウロとバルナバに猛反対し,二人をルステラまで追いかけて,そこで群衆を仲間に引き入れ,パウロを石で打たせました。パウロはその厳しい試練を切り抜けて生き残り,福音を広める働きを続けることをやめませんでした。十二使徒定員会のロバート・D・ヘイルズ長老は,主が常にその僕たちを迫害から守られるわけではない理由の一つは,試練によって不純物を取り除き,強め,祝福を与えることができるからだと次のように説明しています。
「この世のチャレンジには意味と目的があります。預言者ジョセフ・スミスについて考えてみてください。ジョセフは生涯を通じて,希望を打ち砕かれるような逆境に遭いました。病気,事故,貧困,誤解,偽りの告発,そして迫害さえ受けたのです。こう尋ねたくなるかもしれません。『主はなぜ,預言者をそのような障害から守り,無限の助けを与え,非難する者たちの口を封じられなかったのだろうか。』その答えはこうです。すなわち,さらに救い主のようになるには,各人が一定の経験を得なければならないのです。現世という学校の訓練はしばしば苦痛と試練を伴います。けれどもその教訓は,不純物を取り除いて人に祝福を与え,強めることを目的としており,決して滅ぼすことを意図しているのではありません。」(「苦難の中で信仰により得る平安と喜び」『リアホナ』2003年5月号,17)
使徒14:21-22。「信仰を持ちつづけるように」
パウロとバルナバがルステラ,イコニオム,アンテオケに帰ったとき,彼らは「弟子たちを力づけ,信仰を持ちつづけるようにと奨励し」ながら(使徒14:22),教会の支部を設立した町に帰るという一般的な規範に従っていました。この文脈では,「奨励する」とは「強める」という意味です。現代では,ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)が,教会の新会員を強めるために,わたしたち一人一人が同様の責任を持っていると次のように教えています。「改宗者のますますの増加に伴い,わたしたちは,改宗者が道を見いだせるように助けるため,これまで以上に大きな努力を傾けなければなりません。改宗者のだれもが3つのものを必要としています。それは友人と責任と『神の善い言葉』による養いです(モロナイ6:4)。これらを提供するのはわたしたちの務めであり,わたしたちに与えられた機会です。……これはすべての人のための業です。ホームティーチャーと訪問教師のための業です。ビショップリック,神権定員会,扶助協会,若い男性と若い女性,そして初等協会のための業でもあります。」(「改宗者と若い男性について」『聖徒の道』1997年7月号,56,58)
使徒14:23。「教会ごとに彼らのために長老たちを任命し」
パウロとその同僚たちは,忠実な男性を召して,教会の支部が設立された様々な町で教会を導くよう任命し,その後,「彼らを……主にゆだね」ました(使徒14:23参照)。パウロは後に,地元の指導者を尊び敬うよう教会員に強く勧めました(1テサロニケ5:12-13参照)。十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老も,わたしたちは地元の教会役員を支援すべきであると次のように教えています。「主は初期の教会員に対して,主の僕たちの声は主の声であり,主の僕たちの手は主の手であると言われました(教義と聖約1:38;36:2参照)。わたしはこの原則が真実であることを証します。この原則によって教会員は指導者に忠実であること,彼らの指示に誠実に従うことを神聖な義務として負うことになります。それらの義務を果たす人々を主が祝福されることをわたしは約束します。」(「監督, 助けて!」『聖徒の道』1997年7月号,26)
使徒14:24-28。パウロとバルナバは最初の伝道を終える
パウロとバルナバは,現在のトルコとキプロスの中にある幾つかの町をさらに訪れて,最初の伝道の旅を続けました。二人はこの旅をシリヤのアンテオケに帰って終えました。そこは,2年以上前にその伝道を始めた場所でした。
使徒15:1-5。「ある人たちがユダヤから下ってきて」
ユダヤから来たクリスチャンがアンテオケにいるパウロ,バルナバ,およびそのほかの会員を訪問しました。ユダヤから来たこれらの人々や彼らに似たそのほかの人々は,教会に改宗した異邦人は割礼を受けてモーセの律法に従って生活することによって,ユダヤ教にも改宗しなければならないと主張していたため,「ユダヤ化主義者」と呼ばれることがあります。恐らく,彼らは,アブラハムとその同胞が主と契約を交わしたときに割礼を受けるという,神の戒めを守ることを擁護しているつもりなのでしょう。「こうしてわたしの契約はあなたがたの身にあって永遠の契約となるであろう。」(創世17:10-14参照;強調付加)しかし,ユダヤ化主義者は,割礼が契約自体ではなく契約のしるしであることを理解していませんでした。彼らは,ユダヤ人と異邦人の両方にとって,キリストとの新しい契約に入ることが,割礼によってではなく,信仰,悔い改め,バプテスマ,そして聖霊を受けることによるということを理解していませんでした(使徒2:37-38参照)。
ユダヤ化主義者の教えはパウロやバルナバの教えと矛盾していました。その結果,パウロやバルナバとそのほかの教会員が,この問題をどう解決すべきかを使徒たちに尋ねるため,エルサレムに遣わされました。
使徒15:1,5,24。「モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ」
エホバは,エホバとの契約のしるしとして,アブラハムとその子孫の間で割礼の慣行を制定しました。このしるしは,自らの義務と,義において主に仕えるすべての人に与えられる神聖かつ永遠の祝福を思い起こさせました(アブラハム2:8-11;創世17章参照)。モーセの律法で,すべての男子は生まれて8日目に割礼を受けなければならないとされていました(レビ12:3参照)。「子供は八歳になるまでわたし〔主〕の前に責任を負わないことを,あなたがとこしえに知るためである。」(『聖句ガイド』内「聖書のジョセフ・スミス訳〔抜粋〕」創世17:11)新約時代,ユダヤ人を割礼の者,異邦人を無割礼の者と呼ぶのは一般的なことでした(使徒10:45;ローマ3:30;ガラテヤ2:7-9;エペソ2:11参照)。
イエス・キリストによって制定された新しい契約において,バプテスマの儀式が割礼というしるしに取って代わりました。モルモン書に記録されている,モルモンに与えられた啓示において,イエス・キリストは次のように言われました。「割礼の律法もわたしによって廃されている。」(モロナイ8:8)割礼に関する議論は,教義の解釈と適用だけでなく,教会指導者による新しい啓示を受け入れることにも関係していました。
使徒15:6。評議会は神からの啓示を求める
割礼に関する争論を解決するために,教会の使徒たちと長老たちは,「この問題について審議するために集まった」(使徒15:6)。この集会は,エルサレム会議と呼ばれることもあります。使徒15:7-29は,これらの指導者の間で行われた議論について述べています。ともに評議し主の御霊を求めることを通して,教会の指導者たちは争論を解決し,聖霊から確かな証を得ることができました。十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老は,評議会の永遠の役割と,今日の教会にとって,共に評議することがどのように祝福となるかについて次のように話しています。
ワード評議会
「神はわたしたちに永遠の幸福をもたらす栄えあるご計画を提示するために,前世で大会議を招集されました。主の教会はあらゆるレベルで評議会が組織されており,大管長会と十二使徒定員会の評議会から始まって,ステーク,ワード,定員会,補助組織,そして家族評議会に至ります。
スティーブン・L・リチャーズ会長は次のように言いました。『この教会の統治の真髄は, 評議会によって治めるところにあります。……
わたしは何のためらいもなく,確信をもって言うことができます。皆さんが期待されているとおりに評議会で話し合うなら,神は皆さんが直面する様々な問題の解決策を授けてくださるでしょう。』(in Conference Report, Oct. 1953, p. 86)……
力を合わせて働くとき,霊的な相乗効果が生まれます。つまり一致協力することによって,より大きな効果や成果を上げ,一人一人の力を集めたよりもさらに大きな結果を引き出せるのです。」(「評議のカ」『聖徒の道』1994年1月号,85-86参照)
使徒15:6-31。エルサレム会議で話し合われた疑問
エルサレムでの評議会では,二つの主要な疑問に焦点があてられました。まず,異邦人の改宗者は割礼を受ける必要があるか。第二に,異邦人の改宗者はモーセの律法に対して,もしあれば,どのような義務を負っているか。
割礼についての疑問は,先任使徒のペテロが 「立って」,異邦人が教会に受け入れられるという以前の啓示(使徒10:9-16;11:18参照)について語ったとき,討議の早い段階ではっきり解決されました。また,割礼を受けていない異邦人の改宗者たちが聖霊を授かったことを述べ,神が「われわれと彼らとの間に,なんの分けへだてもなさらなかった」ことを証明しました(使徒15:7-9)。ペテロは,割礼が彼らの救いの必要条件ではないと断言しました。ユダヤ人と異邦人の両者にとっての救いが,イエス・キリストを通してもたらされました(使徒15:10-11参照)。ペテロの発言に続く沈黙は,出席している人々がペテロの啓示による指導的権威を理解し受け入れていることを暗に示しています(使徒15:12参照)。
Peter, by Marilee Campbell
ヤコブは,異邦人の改宗者がモーセの律法のそのほかの要件にも従うべきかどうかという第二の疑問について話しました(使徒15:13-21参照)。ヤコブはまず,異邦人も主を尋ね求めるであろうというアモス9:11-12の預言に言及して,ペテロの言葉を裏付ける聖句を引用しました。この聖句は,パリサイ人であった評議員に対して説得力があり,異邦人の改宗者を受け入れることにおいてペテロを援護するよう促しました。
次に,ヤコブは,異邦人の改宗者にモーセの律法のうち幾つかの要件を守るように教えることを提案しました(使徒15:20参照)。ヤコブは,異邦人の改宗者には「偶像に供えて汚れた物」(偶像に供えられることによって汚された肉を意味する)と不品行を避けるよう教えることを勧めました。要するに,改宗者たちは,古代ギリシャの影響を受けたローマ文化の世の中で横行していた性的な罪と偶像礼拝に深くかかわることを避けるべきでした。モーセの律法は血を食すことを禁じているため(レビ3:17;17:10-14;19:26参照),「絞め殺したものと,血とを」避けるというヤコブの勧告が,ユダヤ人を怒らせることを避け,そうすることで,ユダヤ人の間での伝道活動に支障を来すのを避けることを意図していた可能性があります。ヤコブは次のように説明しています。「古い時代から,どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がい〔た。〕」(使徒15:21)言い換えれば,地中海世界の至る所にユダヤ人の地域社会があったので,異邦人の改宗者は,ユダヤ人を怒らせたり,彼らに福音を受け入れるよう説得することを避ける必要がありました。
使徒15:7-30。エルサレムでの評議会
次の表は,エルサレムの評議会で明示された効果的な評議の原則を幾つか示しています。
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効果的な評議会が用いる原則 | |
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評議会のメンバーは自由に意見を述べることができた。(「激しい争論があった。」) | |
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管理役員は自分の考えを説明し,以前の啓示を参照した。(使徒の頭であったペテロが評議会を管理し,すでに受けた啓示に言及することによって,異邦人が割礼を受ける必要のないことを明確にした。) | |
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評議員は経験を分かち合い,お互いに耳を傾けた。(バルナバとパウロは,神が異邦人の間で行われた奇跡について証し,ペテロが受けた啓示を裏付けた。) | |
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評議員は自分の意見を表明した。(ヤコブは,異邦人の改宗者の割礼は必要ないというペテロの勧告に対する支持を表明し,関連する問題について自分の意見を述べた。) | |
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評議会は全会一致に至り,それは聖霊によって確認された。(評議会の決定は,「聖霊とわたしたちと〔で〕……決めた。」) | |
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決定は関係者に伝えられた。(布告はアンテオケ,シリヤ,キリキヤの異邦人に送られた。) |
使徒15:13-29。ヤコブ
ヤコブはエルサレム会議で重要な役割を果たしました。彼はヨセフとマリヤの息子であり,イエス・キリストの異父兄弟でした。当時,ヤコブはエルサレムにある教会の支部の指導者でした。エルサレムは重要拠点であったために,教会におけるヤコブの地位は高いと見なされました。パウロはヤコブを使徒と呼んでいます(ガラテヤ1:19参照)。このヤコブは使徒12:17;21:18;1コリント15:7で言及されているヤコブと同一人物です。また,恐らくヤコブの手紙の著者です。
使徒15:22-28。聖霊が指導者を導いた
神の御心と調和した全会一致に至るために,エルサレムの評議会の評議員は聖霊の導きを求めました。この会議の進め方について,ブルース・R・マッコンキー長老は次のように述べています。「自分たちで妥当と思われる結論に到達した後—つまり,ペテロの原則論に続いて述べられたヤコブの言葉を採用した後—その結論が真理であり,かつ主の御心にかなったものであるかどうかを主に尋ねたのである。その答えは,御霊の力によってもたらされ,彼らの結論の真実性を認証した。」(Doctrinal New Testament Commentary, 2:144–45)十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老も,エルサレム会議における聖霊の役割について次のように語っています。
「その後,パウロとバルナバ,そして恐らくほかの人たちもペテロの宣言を支持して語り,ヤコブはこの決定を書面で教会に送り履行することを提議し,『衆議一決』しました(使徒15:25。12−23節も参照)。この決定を伝える書面の中で,使徒たちは『聖霊とわたしたちとは……決めた』と述べています(使徒15:28)。言い換えれば,この決定は聖なる御霊を通して神の啓示によってなされたのです。
これと同じ規範が,今日,回復されたイエス・キリストの教会でも守られています。大管長は自分に与えられる啓示を基に,教義を宣言しあるいは解釈します(例として, 教義と聖約138章参照)。また,教義の説明は,大管長会と十二使徒定員会が合同で評議して行う場合もあります(例として,公式の宣言二参照)。評議の場では,標準聖典や教会指導者の教え,過去の慣例がしばしば検討されます。しかし最終的な目的は,新約聖書の時代の教会と同様,単に評議会の会員の意見が一致することではなく,神から啓示を受けることです。評議は,主の思いと望みを知るために理性と信仰の両方を働かせて行う過程なのです。」(「キリストの教義」『リアホナ』2012年5月号,88)
教会の指導者の間に意見の相違と「激しい争論」(使徒15:7)があったにもかかわらず,彼らは聖霊の促しに応じて最終的に一致に至りました。ジェームズ・E・ファウスト管長(1920-2007年)は,教会の評議会における調和の重要性について次のように教えています。「世の中の議会には『忠実な反対者』というグループがあります。イエス・キリストの福音にはそのようなものはありません。救い主は厳粛にこう警告していらっしゃいます。『一つとなりなさい。もしもあなたがたが一つでなければ,あなたがたはわたしのものではない。』(教義と聖約38:27)主は管理定員会での決議が『皆,その定員会の全会一致の声によってなされなければならない。すなわち,……各定員会のすべての会員がその決議に同意しなければならない。』(教義と聖約107:27)ことを明らかにされました。これは,率直で開かれた話し合いの後,究極の決定権を有する管理役員の指示により,評議会で決定がなされるという意味です。そしてその決定は支持を受けます。一致は義なる原則への完全な同意と,神の御霊の働きへの全員の呼応によって得られるからです。」(「誓約を守り,神権を尊ぶ」『聖徒の道』1994年1月号,44)
使徒15:23-28。エルサレム会議の決定
異邦人がバプテスマの前に割礼を受ける必要はないという教会指導者の全会一致の決議にもかかわらず,多くの教会員はその決定を容易に理解したり受け入れたりはしませんでした。ロバート・J・マシューズは,次のように教えました。「エルサレムの評議会の活動には重要な政策決定が含まれていました。……ペテロが間違いなくコルネリオと経験したことによって,モーセの律法がキリストにより成就したことを幹部の兄弟たちが理解したことは明らかですが,どうやら多くの教会員は理解していませんでした。それは教義,伝統,文化,感情の問題でした。たとえ幹部の兄弟たちが10年前に教義上の問題を解決していたとしても,その問題が一部のユダヤ人キリスト教徒の心の中で文化的,感情的に解決されるまでにはかなりの時間が経過しました。さらに,この評議会の少なくとも10年後でも,エルサレムの多くのユダヤ人キリスト教徒は,依然としてモーセの律法を守っていました(使徒21:17-25)。
エルサレムの評議会の決定は最終的なものではなく,モーセの律法は廃すべきであると率直に言ってはいませんでした。その決定は,異邦人の救いのために割礼を必要としないとは宣言しましたが,ユダヤ人の教会員が自分の息子に割礼をする必要はないとは言っていませんでした。」(“Unto All Nations,” in Studies in Scripture, Volume Six: Acts to Revelation, ed. Robert L. Millet [1987], 39)
エルサレム会議の後の数年間,パウロはどこに行っても,依然として反対の教えや態度と闘う必要があると感じました(ローマ2-4章;1コリント7:19;ガラテヤ5:6;6:15;コロサイ2:11;3:11;『聖句ガイド』「割礼」の項参照)。
使徒15:30-40。パウロとバルナバとの間の争い
パウロとバルナバは,アンテオケに行ってエルサレムの評議会の決定を知らせるよう選ばれました。二人はアンテオケの教会員に教えを説き,彼らを強めるのを助けた教会指導者で「共に預言者であった」ユダとシラスを連れて行きました(使徒15:32)。しばらくして,パウロはバルナバに,改宗者を訪ねて「みんながどうしているかを見〔る〕」ために,二人が最初の伝道の旅の最中に教えを説いた町々に戻ろうと提案しました(使徒15:36)。しかし,バルナバがマルコと呼ばれているヨハネを連れて行こうとしたことで,パウロとバルナバとの間に意見の相違が起こりました。バルナバのいとこ(または,おい)であるマルコと呼ばれているヨハネは,パウロとバルナバの最初の伝道に同行しましたが,早い段階で身を引いてしまいました(使徒13:13参照)。マルコと呼ばれているヨハネが離れた理由や,それがほかの宣教師に与えた影響についてはほとんど分かっていませんが,明らかにパウロは彼についていまだに危惧していました。結局,パウロとバルナバは別れ,パウロはシラスを新しい同僚宣教師として選び,バルナバはマルコと呼ばれているヨハネを選びました。パウロとマルコと呼ばれているヨハネは,2テモテ4:11やコロサイ4:10に記されているとおり,後に和解しました。バルナバはマルコと呼ばれているヨハネを連れてクプロに行きました(使徒15:39参照)。パウロとシラスは本土の町々に向かいました。
使徒15:40。シラスとはだれか。
シラスは,恐らく,パウロがその手紙の何通かで言及した「シルワノ」です(2コリント1:19;1テサロニケ1:1;2テサロニケ1:1)。シラスはエルサレムの教会指導者たちの間で著名であり,パウロはその2回目の伝道の旅に同行するようシラスを選びました。シラスは明らかにペテロの第一の手紙の筆記者でした(1ペテロ5:12参照)。