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使徒8-12章
使徒8-12章の紹介とタイムライン
復活の後,イエス・キリストは使徒たちに,あらゆる国の人々を教え,バプテスマを施すよう命じられました(マタイ28:19-20;マルコ16:15-16参照)。主はまた,使徒たちの教導の業がエルサレムで始まり,ユダヤとサマリヤ全土に広がり,ついには「地のはてまで」行くと予告されました(使徒1:8)。使徒8-12章 は,この初期のキリスト教の教会の世界的な拡大の始まりを描いています。これまでのところ,使徒行伝は,エルサレムとユダヤにおけるユダヤ人の間での教会の成長について詳しく述べています。使徒8章では,十二使徒を助けるために召された7人の指導者の一人であるピリポについて書かれています(使徒6:5参照)。ピリポは多くのサマリヤ人と宦官であるエチオピヤ人を教えてバプテスマを施しました(使徒8:5-7,12,26-40参照)。使徒9章には,後に使徒や異邦人に対する力強い宣教師となるサウロの改宗が記されています。主はまた,教会の指導者としてのペテロに,異邦人を教会に受け入れるよう指示する示現を与えられました(使徒10-11章参照)。反感が増しているにもかかわらず,教会の指導者たちは,福音を「地のはてまで」推し進めました(使徒1:8)。
使徒8-12章の解説
使徒8:1-4。教会に対する反感と福音の広がり
福音はエルサレムから広まりました。
ステパノの殉教後,サウロとエルサレムの人々は引き続き教会を迫害しました。サウロは「教会を荒し回〔り〕」,強制的に男や女を家々から連れ出して投獄しました(使徒8:3)。この迫害のために,イエス・キリストの信者の多くは安全を求めてユダヤ地域外に旅をし,そこで福音を宣べ伝え続けて福音が広がるのを速めました。使徒行伝に一貫するテーマは,迫害にもかかわらず神の業が進むということです(使徒4:3-4;12:1-2,24参照)。近代において,預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)は次のように教えています。「真理の旗が掲げられています。いかなる汚れた者の手も,この御業の発展を止めることはできません。迫害は威を振るい,暴徒は連合し,軍隊は集合し,中傷の風が吹き荒れるかもしれません。しかし神の真理は大胆かつ気高く,悠然と出で立ち,あらゆる大陸を貫き,あらゆる地方に至り,あらゆる国に広まり,あらゆる者の耳に達し,神の目的は成し遂げられるでしょう。かくして,大いなるエホバは,御業は成ったと告げられることでしょう。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』142)
使徒8:5-8。ピリポとアロン神権
ピリポは,貧しい人々の世話をすることにおいて使徒たちを助けるために選ばれた7人の男性のうちの一人でした(使徒6:1-6参照)。その責任を果たすために,ピリポは教えを説き,バプテスマを施し,汚れた霊を追い出し,そのほかの奇跡を行いました(使徒8章参照)。ピリポは,アロン神権者として教え導いていたようです。バプテスマを施す権能はありましたが,聖霊の賜物を与える権能はありませんでした(教義と聖約84:107-108参照)。ピリポがバプテスマを施した人々は,メルキゼデク神権者であるペテロとヨハネが到着し,聖霊の賜物を授けるのを待たなければなりませんでした。
使徒8:9-13,18-24。シモンは神権の権能を買うことを望んだ
ピリポによってバプテスマを受けたサマリヤ人の魔術師シモンは,ペテロとヨハネが神権の権能を行使しているのを見て,自分もこの権能を買うことができると考えていました。信仰箇条第5条では,神権の権能は買うことができず,神の定めた方法で受けなければならないことを次のように明確にしています。「わたしたちは,福音を宣べ伝え,その儀式を執行するためには,人は預言によって,また権能を持つ者による按手によって,神から召されなければならないと信じる。」
ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,ふさわしい権能を持つ人から神権を受けることに加えて,次のように述べています。「この神聖な力を受けて行使する資格の標準として,個人のふさわしさを備えていなければなりません。」(「神権を行使する個人のふさわしさ」『リアホナ』2002年7月号,58)
使徒8:14-17。サマリヤ人の改宗者が聖霊の賜物を受けた
エルサレムの教会指導者たちは,ピリポが福音を教えることに成功していると聞いて,ペテロとヨハネをサマリヤに送りました。そこで二人は聖霊を授けるためにサマリヤ人の改宗者たちの上に手を置きました。十二使徒定員会のジョセフ・B・ワースリン長老(1917-2008年)は,聖霊の賜物を受けるための必要条件を次のように述べています。「聖霊の賜物は聖霊を常に伴侶とする権利ですが,これを受けられるのは次の条件を満たしたときだけです。すなわち,キリストを信じる信仰を持ち,悔い改め,水に沈めるバプテスマ,そしてメルキゼデク神権を賦与された権威ある僕による按手を受けることです。聖霊の賜物は主の教会のふさわしい会員にのみ与えられる,最も尊い賜物なのです。」(「言い尽くせない賜物」『リアホナ』2003年5月号,26。教義と聖約20:38,41も参照)
使徒8:27。「宦官であるエチオピヤ人」
ピリポは御使いの指示に従ってエルサレムの南方を旅し,宦官であるエチオピヤ人に出会い,バプテスマを施しました(使徒8:26-39参照)。現代のアフリカにあるエチオピア〔訳注—口語訳聖書ではエチオピヤ〕はユダヤの一部ではなかったので,この人の改宗は,福音がユダヤとサマリヤを越えて広がるという使徒1:8に記録されている預言を部分的に成就しました。また,異邦人の間で劇的な伝道活動がまさに始まろうとしていることを予示していました(使徒10章以降)。
使徒8:29-38。「だれかが,手びきをしてくれなければ,どうしてわかりましょう」
御霊は,イエス・キリストの生涯とその務めによってイザヤ書から読んでいた預言が成就したことをこの宦官であるエチオピヤ人に教えるようピリポを促しました。使徒8:32-33で引用された聖句はイザヤ53:7-8にあります。ピリポの霊感された教えは,その宦官がイエス・キリストは神の御子であると断言し,バプテスマを求めるに至らせました。「ふたりとも,水の中に降りて行き,ピリポが宦官にバプテスマを授けた。」(使徒8:38)この宦官は水に沈めるバプテスマを受けました。バプテスマの儀式は,末日の教会で施されるのとまったく同じように時の中間でも執行されたからです。
十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,わたしたちは皆,宦官であるエチオピヤ人のように,霊感された福音の教えを必要とし,すべての人がよりよい福音の教師になるよう努める必要があることを次のように説明しています。
全教会の教師は,ほかの人々が聖文をよりよく理解するよう導きます。
「わたしたち一人一人が『キリストのもとに来』て〔教義と聖約20:59〕, 主の戒めを守り, 主の模範に従い,天の御父のみもとに戻るのは, 人類が存在する最も高く尊い目的です。そして, 人々がこの目的を果たせるよう助けること, すなわち, 彼らが贖いの道を歩むよう教え, 説き勧め, 祈りをもって導くのも, 間違いなく人生でそれに次ぐ重要な務めです。以前にデビッド・O・マッケイ大管長が『神の子供たちの教師となる以上に大きな責任はこの世にない』〔in Conference Report, Oct. 1916, 57〕と語ったのも,そのような理由からでしょう。実際, わたしたちは皆, ピリポが遣わされたエチオピヤ人のような側面があります。彼と同様, 宗教への探求心があり,聖文の研究に多くの時間を割き,この世の財産を手放しさえします。しかし, 十分な教えを受けなければ, それらすべての目的, また将来求められる事柄の意味を理解できないことになります。そうしてわたしたちは, 大きな権力を持ったこのエチオピヤ人とともに次のように叫ぶのです。『〔教師〕が,〔わたしたちを〕 手びきをしてくれなければ, どうして〔わたしたちは〕わかりましょう。』」(「神からこられた教師」『聖徒の道』1998年7月号,28参照)
使徒9:1。サウロはどのような人物だったのか
サウロはキリキヤにあるギリシヤの都市,タルソで生まれました(使徒21:39参照)。彼は生まれながらのローマ市民(使徒16:37参照)で,「ヘブル語」(恐らくアラム語)とギリシヤ語を話しました(使徒21:37-40)。サウロは,ベニヤミンの血統であるユダヤ人であり(ローマ11:1参照),イエス・キリストに従う者を執拗に追跡し,苦しめた(使徒9:1-2参照)熱心なパリサイ派でした(使徒23:6参照)。後にパウロというラテン語名で知られるようになりました。
かつて,預言者ジョセフ・スミスは,パウロの外見を次のように述べました。「彼〔使徒パウロ〕は身長約5フィート,非常に黒い髪, 色黒の顔,浅黒い肌,大きなローマ人ふうの鼻,鋭い顔立ち,永遠を見通すような小さな黒い目,猫背,すすり泣くような声。しかし,気持ちが高揚したときには,ほとんどライオンの唸り声に似ています。彼は優秀な演説家でした。」(in “Extracts from William Clayton’s Private Book,” p. 4, Journals of L. John Nuttall, 1857–1904, L. Tom Perry Special Collections, Brigham Young University; copy in Church History Library)使徒パウロについて詳しくは,35章の「使徒パウロからローマ人への手紙の紹介」を参照してください。
使徒9:2-6。ジョセフ・スミスの最初の示現との類似点
Brother Joseph, by David Lindsley
ダマスコは,エルサレムの北東240キロメートルに広がる交易で豊かな都市でした。もしキリスト教がそこに定着することが許されれば,さらに容易に周囲の地域に広がる可能性がありました。サウロはキリスト教が発展するのを阻止するためにダマスコに送られましたが,その道中に驚くべき示現を受けました。ダマスコへの道でのサウロの経験は,ジョセフ・スミスの最初の示現と幾つかの点で共通しています。サウロとジョセフ・スミスの両方が天からの光を見た。両者とも地に倒れ,自分の名前を呼ぶ声を聞いた。両者とも神の御子を見て,主が自分に話されるのを聞いた。何をすべきか尋ねたとき,両者とも神からの指示を受けた。両者とも後に,示現を見たと言うことで迫害されたが,それでもなお示現を見たことを証言し続けた(使徒9:2-6;26:19-21;ジョセフ・スミス—歴史1:14-19,24-25参照)。ジョセフ・スミスが最初の示現について書いた記述に違いがあるのと同様,使徒行伝に記録されているパウロの示現に関する3つの話には,若干の違いがあります。これらの違いの詳細については,使徒26:19-21,24-25の解説を参照してください。
使徒9:4-6。サウロの改宗は普通ではない
サウロの改宗の始まりを告げるこの示現は劇的であり,直ちに影響をもたらしました。ほとんどの人にとって,改宗のプロセスはそれほど劇的ではありませんが,意義深いものです。十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老は,次のように説明しています。「皆さんは,こう尋ねるかもしれません。『なぜその大きな変化がもっと早くわたしに起きないのでしょうか。』ベニヤミン王の民やアルマ,聖文に登場するほかの人々の目覚ましい例もありますが,それは驚くべきことであり,すべてがそうではありません。多くの人にとって,その変化は少しずつ時間をかけて起こります。再び生まれるとは,肉体的な誕生とは異なり,一つの出来事ではなく一連の過程です。」(「再び生まれる」『リアホナ』2008年5月号,78)
使徒9:5。「とげのあるむちをければ,傷を負うだけである〔訳注—欽定訳聖書(英文)から和訳〕」
「とげのあるむち」とは,動物たちを突いて前に進ませるために使用された,とがった槍や棒を指します。頑固な動物は,前に進む代わりに後ろ足で蹴り返しました。文字どおり「とげのあるむちを」蹴ったのです。このような反応は,動物が飼い主から,より痛い方法で促されることになるので,苦痛を増すだけでした。救い主は,サウロが主に反抗し続けても,彼自身に苦痛をもたらすだけであることを明確にしておられました。ギリシヤ文学では,「とげあるむちをけ〔る〕」ことは,神に反抗することに対する周知の隠喩でした。
May We So Live, by Sam Lawlor.ダマスコへの道のサウロ
デビッド・O・マッケイ大管長(1873-1970年)は,示現の前にダマスコへの道を旅したときのサウロの内面の感情を次のように推測しています。「この比較的暇な数日間に,〔サウロ〕は今まで行ったことが正しかったかどうか考えたに違いない。死に際のステパノの輝いた顔と彼の最後の祈りは,恐らく今まで以上に彼の心に深くしみ込んできた。サウロが縛った両親を慕う小さな子供たちの泣き叫ぶ声は,さらに鋭く心を刺し通し始め,また彼がダマスコでこの種の経験をもっとしなければならないと考えると,惨めで不愉快になった。彼は,神の業に従事しているのならば,そのように不安で苦しい気持ちになるものかどうかといぶかった。彼は間もなく,こういう気持ちは悪魔の働きによってのみ起こり,ほんとうに主に奉仕するときには,必ず平安と満足があることに気づいたに違いない。」(Ancient Apostles, 2nd ed. [1921], 148)
使徒9:6-8。「主よ,わたしが何をすることをお望みですか〔訳注—欽定訳聖書(英文)から和訳〕」
エズラ・タフト・ベンソン大管長(1899-1994年)は,主に対するサウロの質問の重要性について次のように語っています。「人は生涯,『主よ,わたしが何をすることをお望みですか』というパウロが尋ねた質問以上に重要な質問をすることはできないでしょう。人は,自らをその質問の答えへと導く道を追求し,その答えを実行に移すこと以上にすばらしい行いを示すことはできません。」(“Listen to a Prophet’s Voice,” Ensign, Jan. 1973, 57)
使徒9:9,18。サウロは3日間,目が見えなかった
示現に続くサウロの3日間の盲目は,イエス・キリストについての真理を学ぶ前のサウロの霊的な盲目を表しています。今やサウロは自分の過去を脇に置いて将来に目を向けなければならず,導きを得るために主と主の地上での務めに信頼を寄せなければなりませんでした。アナニヤの手によって祝福を受けた後,サウロには肉体的にも霊的にも新しい視力がもたらされました(使徒9:9,17-18参照)。
Ananias Blesses Paul, by Paul Mann
十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老(1915-1985年)は,3日間の盲目の間にサウロの内に起こり始めた驚くべき変化を強調するために,サウロと息子アルマの改宗を次のように比較しています。「アルマは二日二晩昏睡状態にありました。その間,彼はすばらしく霊的な現れと再生を受け,再び生まれて,主の声を聞きました(モーサヤ27:22-31)。同様に,サウロの3日間の盲目の日々は,やがてキリスト教の歴史を変えることになる人間性の変容の始まりでした。サウロが感じなければならない魂の苦悩,良心の炎,罪に対する神の御心に添った悲しみはいかばかりだったことでしょう。そのとき,彼はアナニヤの命令に従うためにへりくだり,自分自身を準備していたのです。」(Doctrinal New Testament Commentary, 2:90)
使徒9:10-15。「あの人は……器として,わたしが選んだ者である」
アナニヤは恐らくダマスコの教会の指導者でした。彼はサウロが逮捕の対象にしていた人だったかもしれません。このことは,主がそうするように命じられた後にアナニヤが最初はサウロを捜したがらなかったことの説明になるでしょう。それにもかかわらず,アナニヤは主に従順であり,将来主イエス・キリストの使徒となるサウロを信仰と赦しの道に導くのを助けました(使徒9:10-15参照)。
どうして主がサウロのような教会に敵対する者に現れ,その後,彼を主の務めに召すのか不思議に思う人もいます。ブルース・R・マッコンキー長老は,この難しさは,主の救いの計画がわたしたちの前世を包含していることを理解することによって解決されると次のように説明しています。「サウロは予任されていました。彼が地上で行ったことは,今後の働きについて彼を不適格とすることはありませんでした。前世で育まれ身につけた彼の生来の霊的な賜物は,来るべき務めのために彼を備えました。」(Doctrinal New Testament Commentary, 2:91)
サウロの教導の業への召しについて, トーマス・S・モンソン大管長は次のように述べています。「救い主は熱意と力のある宣教師を選ぶときに,御自身の教えに従う者からではなく,敵対者の中からお選びになりました。サウロは,ダマスコへ行く途中の出来事によって変わりました。サウロについて,主はこう言われました。『あの人は,異邦人たち,王たち,またイスラエルの子らにも,わたしの名を伝える器として,わたしが選んだ者である。』〔使徒9:15〕迫害者サウロは,宣教者パウロになりました。」(「きょう,選びなさい」『リアホナ』2004年11月号,69)
使徒9:16。「わたしの名のために……苦しまなければならない」
サウロは偉大な業のために選ばれたと宣言するだけでなく,主はサウロが「わたしの名のために……苦しまなければならない」とも言われました(使徒9:16)。サウロが主イエス・キリストの教導者として経験した苦しみについて読むには,使徒14:5-6,19;16:22-24;21:30-33;2コリント11:23-27を参照してください。
使徒9:23-26。サウロのエルサレムへの旅
ガラテヤ人への手紙で,サウロは改宗後にダマスコを離れ,アラビヤに向かったことを学びます(ガラテヤ1:17参照)。サウロがそこに行った理由は記録されていませんが,研究や熟考のために行ったのかもしれません(恐らく,使徒9:22と23節に記録された出来事の間)。または,安全のためそこに逃げたのかもしれません(使徒9:23-25参照)。サウロはアラビヤに3年もの間滞在していました。そこにいる間に,サウロは恐らくイエス・キリストが多くの旧約聖書の預言をどのように成就したかについて理解を深めたようです。アラビヤで過ごした後,サウロは,ペテロとそのほかの教会指導者たちに会うためにエルサレムに向かう前に,短期間ダマスコに戻りました(ガラテヤ1:17-18;使徒9:26-27参照)。パウロの生涯と務めに関するさらに詳しい情報は,次の表を参照してください。
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パウロの生涯と教導の業における出来事の年表 | ||
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紀元約1-3年 |
ベニヤミンの部族のタルソで生まれる—生まれながらのパリサイ人であり,ローマ市民 | |
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紀元約19-29年 |
エルサレムでガマリエルによって教育を受ける | |
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紀元 33年 |
エルサレム地域でステパノと迫害されたキリスト教徒の殉教を目撃する | |
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紀元33年 |
ダマスコへの道で,イエス・キリストの示現を見,改宗し,ダマスコでキリストについて宣べ伝える | |
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紀元33-35年 |
ダマスコからアラビヤに逃れる | |
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紀元 35年 |
ダマスコに戻り,短期間福音を宣べ伝える | |
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紀元35年 |
3年後にエルサレムを訪れ,ペテロと主の兄弟ヤコブと話す | |
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紀元35-49年 |
シリヤ,キリキヤの地方で14年間を過ごす(その期間の一部はバルナバとともに伝道していた)。パウロの故郷,タルソは,キリキヤにあった。 | |
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紀元46-49年 |
最初の伝道の旅(バルナバとともに) | |
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紀元49年 |
エルサレム会議に出席する | |
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紀元49-53年 |
2回目の伝道の旅 | |
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紀元53年 |
エルサレムを訪問する | |
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紀元 54-58年 |
3回目および最後の伝道の旅 | |
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紀元 約58年 |
ギリシャへの最後の訪問;貧しい人々に援助品を届けるためにエルサレムに向かう | |
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紀元58年春 |
エルサレムで幹部の兄弟たちに報告し,神殿で誤解され,逮捕される | |
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紀元 58-60年春 |
カイザリヤで投獄される | |
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紀元60年秋-紀元 61年春 |
逮捕されている間に船でローマに連れて行かれる。難破し,シチリアのすぐ南にあるマルタ島で冬を過ごす。 | |
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紀元 約61-63年 |
ローマで自宅軟禁される | |
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紀元63-66年 |
イタリアのローマやそのほかの場所で可能な務めを行う | |
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ローマで2回目の投獄 | ||
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紀元約68年 |
死亡 | |
表はThomas A. Wayment, From Persecutor to Apostle (2006), viii–ix and Richard Lloyd Anderson, Understanding Paul (1983), 393–97に基づいています。
使徒9:26-31;11:22-30。バルナバとサウロはともに教え導く
サウロが仲間に加わろうとしたとき,エルサレムの聖徒たちは当然のことながら慎重になりました(使徒9:26参照)が,バルナバはサウロに付き添って使徒たちと会い,サウロのことを保証しました(使徒9:26-28参照)。バルナバは,レビ族のユダヤ人でした(使徒4:36参照)。バルナバの最初に記録された教会に対する奉仕は,すべてのものを共有にするという聖徒たちの合意に従って,自分の所有する土地を売ったことでした(使徒4:36- 37)。バルナバはギリシャ語を話しました(see Bible Dictionary, “Lycaonia”)。バルナバは「聖霊と信仰とに満ちた立派な人であった〔。〕」(使徒11:24)エルサレムの教会指導者たちは,バルナバを(シリヤの)アンテオケで教え導くために遣わしました。そこで大勢の人々が福音に改宗したためです。このような改宗は,ステパノの死後にエルサレムで迫害された教会員がアンテオケに逃げ,そこで教えを説いたために起こりました(使徒11:19-22参照)。
使徒行伝には二つの異なるアンテオケ,すなわちシリヤのアンテオケとピシデヤのアンテオケへの言及が含まれていることに注意してください。両方のアンテオケとも現在のトルコにあります。アンテオケから,バルナバはタルソに行ってサウロを捜しました。サウロはエルサレムでの迫害を避けるためにそこに逃げていたからです。二人はアンテオケに戻って福音を教えました。二人はアンテオケの聖徒たちから,飢饉で苦しんでいるユダヤの教会員たちに寄付金を持って行くよう選ばれました(使徒11:22-30参照)。バルナバは後に,サウロの最初の伝道のときに同僚宣教師となりました(使徒13-14章参照)。
使徒9:32-43。アイネヤとタビタの癒し
ルダとヨッパで教え導いている間に,ペテロはアイネヤとタビタ(ドルカスとも呼ばれる)を癒しました。これは「わたしを信じる者は,またわたしのしているわざをするであろう」という救い主の言葉の良い例です(ヨハネ14:12)。ペテロのアイネヤの癒し(使徒9:32-35参照)は,救い主の中風の人への癒しに似ています(マルコ2:1-12;ルカ5:18-26参照)。同様に,タビタをよみがえらせたこと(使徒9:36-42参照)は,救い主がヤイロの娘をよみがえらせられたことに似ています(マルコ5:35-43;ルカ8:49-56参照)。ルカが注意深くこれらの同様の出来事を記録しているのは,彼の目的の一つを反映しています。すなわち,イエス・キリストと教会の間の関連を断言し,イエス・キリストの力と権能がペテロに続いていることを示すことです。
使徒9:36。タビタ,「数々のよい働きや施し」
Tabitha Arise, by Sandra F. Gagon.タビタを癒すペテロ
タビタの「よい働きや施し」には,恐らく,貧しい人のために着物を作っていたことも含まれたでしょう(使徒9:39参照)。トーマス・S・モンソン大管長は,末日の扶助協会の会員たちが頻繁に与えている,ある種の愛にあふれた奉仕を行う女性の模範として,タビタ(ドルカス)について次のように言及しています。「『数々のよい働きや施しをしていた』女性であったタビタについて説明しているこの聖句は,扶助協会の持つ基本的な責任を明らかにしていると思います。つまり,苦しんでいる人を慰めること,貧しい人の世話をすること,そしてこれらに付随するあらゆる事柄です。」(「模範になりなさい」『リアホナ』2002年1月号,116)
使徒10:1-8。御使いがコルネリオに指示を与える
コルネリオはカイザリヤに暮らす百卒長でした。彼は異邦人ですが,神を敬い,信心深く,寛大で,絶えず祈る人であると説明されています。御使いがコルネリオに現れ,当時ヨッパにいたペテロに人を遣わすよう指示しました。以前はユダヤ人だけが教会に入ることを認められていたのに対し,この示現は福音が異邦人に宣べ伝えられるようになる幾つかの出来事のうちの最初のものでした。
使徒10:9-33。異邦人に福音をもたらすために選ばれたペテロ
コルネリオの使者たちがヨッパに向けて旅をしていたとき,ペテロは示現を見ました。その示現の中で,ペテロは,モーセの律法の下では食べることを禁じられていた動物を殺してその肉を食べるようにと命じられました(レビ11章参照)。これらの動物は象徴的に異邦人を表していました。ペテロが食べることを拒むと,主は次のように答えられました。「神がきよめたものを,清くないなどと言ってはならない。」(使徒10:15)ペテロは示現の意味を最初は理解していませんでしたが,異邦人が事前にユダヤ教に改宗することなくバプテスマを受けて教会に入る時が来たことをすぐに理解するようになりました。ペテロは当時の使徒の頭であり,教会全体に対する神権の鍵を持っていたため,異邦人の改宗に関するこの啓示がペテロにもたらされたのです(マタイ16:18-19参照)。教会全体に対する啓示は,常に適切な経路を通じて与えられます(教義と聖約28:2,6-7;43:1-7参照)。十二使徒定員会のL・トム・ペリー長老は,教会に対する啓示を受けることの秩序について次のように語っています。
「主が御自身の御心を人類に示される方法には秩序があります。わたしたちは皆,自分自身の管理人の職の範囲において,主に願い求めて啓示を受ける権利があります。親は自分の家族のために,ビショップは委ねられた人々のために,そして大管長会は教会全体のために啓示を受けることができます。しかし,わたしたちはほかの人の管理人の職のために啓示を受けることはできません。預言者ジョセフ・スミスはこう述べています。
『教会のいかなる会員であっても,あるいはいかなる人であっても,自分よりも高い権能を持つ人々のために指示を受けることは,神の摂理に反します。』(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』197)
『教会に対する神の思いと望みについての啓示は,大管長会を通じてもたらされます。これが天の秩序で〔す〕』〔『教え—ジョセフ・スミス』197〕。」(「神がこれまでに啓示されたすべてのことを信じる」『リアホナ』2003年11月号,85-86参照)
使徒10:17-34,44-48。啓示はしばしば,徐々にもたらされる
ペテロの汚れた動物の示現は,神からの啓示はしばしば,徐々にあるいは少しずつもたらされるという原則を示しています(使徒10:17-34,44-48参照)。この例では,ペテロは最初に示現を受けたときは,それを理解しませんでした(17節参照)。ペテロはその意味を深く考え,信仰をもって行動したので,その意味,すなわち,異邦人が事前にユダヤ教に改宗することなく教会に受け入れられるようになったことを,少しずつ理解する助けとなる出来事が起こったのです。
十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老は,そのような徐々にもたらされる啓示を朝に太陽が昇ることにたとえています。「日の出のときに少しずつ光が増していく様子は,『教えに教え,訓戒に訓戒を加えて』神からメッセージを受けることと似ています(2ニーファイ28:30)。ほとんどの場合,啓示は時間をかけて少しずつもたらされ,わたしたちの望み,ふさわしさ,準備の度合いに応じて与えられます。天の御父からのそのようなメッセージは少しずつ,優しく『天からの露のように〔わたしたち〕の心に滴る』ものです(教義と聖約121:45)。このパターンの啓示は珍しいことではなく,むしろ一般的で〔す〕。」(「啓示の霊」『リアホナ』2011年5月号,88)
使徒10:30-33。コルネリオの祈りはペテロを通してこたえられた
主はほかの人々の働きを通して祈りにこたえられることが頻繁にあります。コルネリオの場合もそうです。コルネリオは神の御心を知りたいと思っていました。そして,彼は4日間断食して祈っていました(使徒10:30参照)。御使いはコルネリオに,ペテロがコルネリオの行うべきことを伝えるであろうと約束しました(欽定訳〔英文〕使徒10:6参照)。トーマス・S・モンソン大管長は,主が自分たちを通してほかのだれかの祈りにこたえてくださったことを知ることの喜びを次のように説明しています。「わたしは責任を果たしてきて,学んだことがあります。それは静かな促しに耳を傾け,引き延ばすことなく行動に移すならば,天の御父は進むべき道を示し,わたしたちや人々の生活を祝福してくださるということです。促しに耳を傾けたときほど,すばらしい経験をしたことや,かけがえのない感情を抱いたことはありません。主がだれかの祈りに,皆さんを通してこたえてくださっていることを知るのです。」(「静まれ,黙れ」『リアホナ』2002年11月号,55)
使徒10:34。「神は人をかたよりみないかたで〔ある〕」
聖文は「神は人をかたよりみないかたで〔ある〕」と教えています(使徒10:34)。すなわち,アダムから地上の最後の人まで,すべての人が福音を受け入れる機会を授かるということです。救いの原則はすべての神の子供たちにとって同じです。ニーファイは次のように宣言しています。「主は,御自分のもとに来て主の慈しみにあずかるように,すべての人を招かれる。したがって主は,黒人も白人も,束縛された者も自由な者も,男も女も,主のもとに来る者を決して拒まれない。……すべての人が神にとって等しい存在なのである。」(2ニーファイ26:33)使徒10章に記されている出来事が起こるまでは,福音はおもにユダヤ人に対して教えられました。ペテロを通して与えられた新しい啓示と理解は,血統を考慮することなくすべての人々に対して福音が教えられるための扉を開きました。
同様のパターンは1978年にも起こりました。大管長会が受けた啓示によって,神権と神殿の祝福を「人種や肌の色にかかわりなく」「教会のすべてのふさわしい男性会員」にまで広げることになったのです(公式の宣言二)。この啓示は,ペテロが受けた啓示のように,福音は主の時刻表に従って常に世に広まってきたことを教えています。1978年の啓示が世界中に発表された直後に,ブルース・R・マッコンキー長老は次のように教えています。
「福音は,優先順位に基づいて,また神の時刻表に調和して,次々と国々に広がるだけでなく,地上における人と神とのやり取りのすべての歴史は,このようなことが過去にもあったことを示しています。それは多くの人々が関心を持たれている場所に限定され制限されてきました。例えば,モーセの時代とキリストの時代の間の時期は,福音はほぼ独占的にイスラエルの家にのみ伝えられました。イエスの時代まで,管理するための適切な権限を持っている人と主の弟子たちは,福音をイスラエルの家にしか広めないという概念に完全に凝り固まっていました。復活の後,彼らが全世界に福音を携えて行くべきであるという主の宣言のほんとうの意味を想像することはまったくできませんでした。彼らは当初は異邦人の国には行きませんでした。主御自身の働きにおいて,イエスは,イスラエルの家の失われた羊にのみ教えを説き,またそのように使徒たちにお命じになりました(マタイ10:6)。
主が一部の異邦人の信仰と献身のために少数の小さな例外を作られたのは事実です。子供たちの食卓から落ちたパンくずでも食べることを願った女性がいました。そこで主は『女よ,あなたの信仰は見あげたものである』と言われました(マタイ15:28。マルコ7:27-28も参照)。わずかな例外を除いて,当時,福音はイスラエルにのみ伝えられました。主はペテロに,汚れた肉を載せた布が天から降りて来るという示現と啓示を与えられる必要がありました。その後,コルネリオは,自身と異邦人の彼の仲間が行うべきことを知るために,使者をペテロに遣わしました。主は,福音が異邦人にも伝わるべきであると彼らに命じられました。そして,それはそのとおりになりました〔使徒10:1-35,44-48参照〕。約四半世紀の間,当時,新約時代に,聖徒たちの中で極端に困難な時期がありました。彼らは,福音がイスラエルの家にのみ伝わるべきであったのか,それとも今やすべての人々のもとにもたらされたのかという問題に取り組み,それを検討し判断するために悩んでいました。すべての人がアブラハムの子孫と同等の基準で主のもとに来ることができるのでしょうか。……
皆さんは次の原則を御存じでしょう。神は『ひとりの人から,あらゆる民族を造り出して,地の全面に住まわせ,それぞれに時代を区分し,国土の境界を定めて下さったのである。こうして,人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば,神を見いだせるようにして下さった。』(使徒17:26-27)つまり,後に続く国々や人々や人種や文化に救いをもたらす福音の真理が与えられる,定められた時があります。……
わたしたちは真理と知識を教えに教え,訓戒に訓戒を加えて得ます〔イザヤ28:9-10;2ニーファイ28:30;教義と聖約98:11-12;128:21参照〕。今や,この特定のテーマに関して新しいあふれんばかりの知性と光が増し加えられています。このような知性と光の前に,過去の暗闇,見解,考えはすべて消え去ります。過去の教会指導者が語ったことはもはや重要ではないのです。……
このとき〔すべてのふさわしい男性会員に神権が授けられるようになるという啓示を受けたとき〕,わたしたちの嘆願と信仰がこたえられました。まさしく,時が到来したのです。主はその深い御心によって,奇跡的な驚嘆すべき方法で,大管長会と十二使徒たちに聖霊を注いでくださいました。それは出席しただれもがそれまで経験したことのないものでした。」(“The New Revelation on Priesthood,” in Priesthood [1981], 130–34)
使徒10:38。救い主は「よい働きをしながら……巡回されました」
示現の意味を理解したことで,ペテロはイエス・キリストの生涯と使命に関する知識がすべての人々に教えられるべきであると証しました。ペテロは,「神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました」と教えています(使徒10:38)。「キリスト」という称号は,文字どおりには「油注がれた者」という意味です。ペテロは,救い主は「よい働きをしながら……巡回されました」と宣言しています。この短い言葉は,救い主の生涯の重要な側面を要約しており,主に従うすべての人に,主が奉仕されたように奉仕するよう招いています。
神権者に対して話しながらも,トーマス・S・モンソン大管長は,すべての人に当てはまる原則を次のように教えています。「イエスは奉仕の典型と言える御方です。『よい働きをしながら……巡回されました』と記されています〔使徒10:38〕。兄弟の皆さん,そのようにしていますか。機会は多くても,すぐに過ぎ去るものもあります。兄弟の皆さん,人をよい行いに導く際に皆さんの与えた助言や示した模範,教えた真理,及ぼした影響力をだれかが思い起こすなら,それは何とすばらしい喜びでしょうか。」(「危険な道」『聖徒の道』1998年7月号,54)
使徒10:44-48。聖霊の力と聖霊の賜物の違い
Laying On of Hands, by Lyle Beddes
使徒10:44-48では,バプテスマを受ける前に聖霊がコルネリオとほかの人々に降ったことが記録されています。『聖書辞典』(Bible Dictoinary)は次のように説明しています。「聖霊は,地上のすべての人々に聖霊の力として,また聖霊の賜物として現れる。聖霊の力は,まだバプテスマを受けていない人にも及び,福音が真実であることを証する。聖霊の力によって,人はイエス・キリストとその業と,地上における主の僕の働きについての証を受ける。聖霊の賜物は,使徒8:12-25やモロナイ2章にあるとおり,正当な権能によるバプテスマを受け,按手によって確認された後にのみ授けられる。聖霊の賜物は,ふさわしいときにはいつでも,聖霊を伴侶とする権利である。」(Bible Dictionary, “Holy Ghost”)
ブルース・R・マッコンキー長老は,次のように教えています。「バプテスマ前の証は,比喩として語るなら,暗い嵐の夜に光る稲妻のようにやって来ます。……バプテスマの後に聖霊を伴侶とすることは,真昼の太陽の継続的な輝きのようであり,命の道とその周りのすべてのものに光を注ぎます。」(A New Witness for the Articles of Faith [1985], 262)
使徒11:1-18。コルネリオのバプテスマ
コルネリオがバプテスマを受けたとき,初期の教会において,割礼を受けていない異邦人がバプテスマを受けて教会に入ったのは初めてのことでした。この出来事によって,福音の宣教に新たな広がりを得ました。異邦人の改宗者が事前にユダヤ教に改宗することなく教会に加わることを許すことは,多くの教会員にとって受け入れ難いことでした。それは,福音が神の子供たちに伝えられる方法が大きく変わったことを示しています。主がアブラハムと契約を結ばれた(割礼の儀式によって示された)とき,主はそれを「永遠の」契約と呼ばれました(創世17:7)。初期のキリスト教徒が理解するようになったことは,アブラハムの契約と割礼の儀式の違いでした。契約は永遠のものでしたが,人がこの契約を交わすための儀式はもはや割礼ではなく,バプテスマでした。ペテロがエルサレムの聖徒たちにカイザリヤで起こったすべてのことを詳しく述べた後,教会員たちは改心し,「それでは神は,異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と宣言しました(使徒11:18)。
使徒11:22-30。アンテオケにおける教会の成長
使徒9:26-31;11:22-30の解説を参照してください。
使徒11:26。初期の聖徒はクリスチャンと呼ばれた
使徒11:26には「クリスチャン」という言葉が使われていますが,これは聖書においてこの用語の使用が初めて記録された箇所です。この用語は「キリストに従う者」を意味し,アンテオケの非キリスト教徒が教会員を指すために使われたのが最初です。結局,教会員たちは,その用語を自分自身を指す言葉として採用しました(使徒26:28;1ペテロ4:16参照)。
この期間は,初期の教会のあり方とそれが始まったユダヤ教のあり方がどんどん離れて行った時期でした。この分離は,教会が異邦人の間で伝道活動を始め,ユダヤ人と異邦人の会員がお互いに仲良くなり,教会の指導者が,会員は割礼を受ける必要がないと宣言したときに起こりました(使徒15章参照)。「クリスチャン」という用語の使用は,教会が教会自体をユダヤ教から区別する方法の一つでした。
使徒12:1-2。ヘロデに殺されたヤコブとはだれか
ヤコブは主から愛されたヨハネの兄弟であり,最初の十二使徒の一員でした。ヤコブは,紀元約44年にヘロデ・アグリッパ1世(ヘロデ王)の手で殉教させられるまで(使徒12:1-2参照),ペテロとヨハネとともに大管長会で働いていました。このヤコブを新約聖書でヤコブと名付けられたほかの二人と混同すべきではありません。(1)アルパヨとマリヤの子(マルコ16:1;使徒1:13)で,小ヤコブとしても知られた,最初の十二使徒定員会の一員でもあったヤコブ,また,(2)イエスの異父兄弟であり,救い主が生きておられたときに,ほかの兄弟たちと同様,イエスの神性を受け入れなかったヤコブ(ヨハネ7:1-7)。イエスの兄弟であるヤコブについてさらに読むには,使徒15:13-29の解説を参照してください。
使徒12:1-19。ヤコブは殺されたが,ペテロは救われた
ヤコブはヘロデの命令で殺されましたが,ペテロは神から遣わされた天使によって牢獄から救われました。主はなぜ両者を救われなかったのだろうかと疑問に思う人がいるかもしれません。わたしたちはそのような質問に対する答えを常に知っているわけではありませんが(イザヤ55:8-9参照),わたしたちが忠実であれば,主の目的がわたしたちの生活の中で達成されることは知っています。また,イエス・キリストの贖罪を通して,永遠においてわたしたちから祝福が差し控えられることはないことも知っています。
使徒12:12。マルコと呼ばれているヨハネとはだれか
一般にマルコと呼ばれているヨハネは,恐らく,マルコによる福音書の著者です。彼は,エルサレムの初期の教会の主要な女性の一人である,マリヤという名前の女性の息子です。信者たちは彼女の家に集まっており,ペテロは牢獄から解放されてそこに戻りました(使徒12:12-17参照)。マルコと呼ばれているヨハネは,パウロとバルナバが最初の伝道の旅に出たときに,二人の同僚として選ばれました(使徒12:25;13:5参照)。マルコと呼ばれているヨハネの詳細については,第11章の「マルコによる福音書の紹介」を参照してください。
使徒12:21-23。ヘロデ・アグリッパ1世(ヘロデ王)の死
ヘロデ・アグリッパ1世(ヘロデ王)はヘロデ大王の孫でした。彼はユダヤ人の習慣を守るように気をつけていたので,一般的にパリサイ人たちに人気でした。この理由,すなわちユダヤ人の間で人気だった理由は,恐らく,ヤコブの死を命じたことによるものです(使徒12:1-2参照)。アグリッパは 紀元44年に54歳で死にました。同じ年にヤコブは殉教しました。ルカは,アグリッパの突然の死を,主の使いによって執行された神の懲罰と理解しました。