『わたしに従ってきなさい』
隠された宝
救い主はわたしたちの不完全な努力さえも受け入れてくださいます。
神は、わたしたちが神に従うために最善を尽くすとき、わたしたちを尊んでくださる
教義と聖約111章
1836年、預言者ジョセフ・スミスと数人の同僚は、教会が負債を返済するのを助けるために、引き取り手がいないとうわさがあったお金の隠し場所を探しにマサチューセッツ州へ行きました。
しかし、そのようなお金は存在しないことが判明しました。これらの忠実な兄弟たちは、少々恥ずかしく思ったかもしれません。しかし、救い主は彼らを慰めました。「主なるあなたがたの神であるわたしは、あなたがたの愚かな行為にもかかわらず、あなたがたがこの旅をしてきたことを不快には思わない。」(教義と聖約111:1)
偶然にも、回復された福音を聞く備えのできた、見込みある改宗者という「宝」がその地域にはいました(教義と聖約111:2-3参照)。ジョセフと同僚たちは何人かの改宗者を教え、バプテスマを施しました。ですから、無駄な旅にはならなかったのです。実際、彼らが最終的に成し遂げたことは、おそらく資金を見つけることよりももっと重要なことでした。
教義と聖約117章
オリバー・グレインジャーは忠実な教会員でしたが、ほとんどの聖徒がミズーリに向けて出発した後、教会の財政問題を解決するためにオハイオ州カートランドに残るという困難な任務を与えられました。
これは、聖徒たちを追い出した人々と交渉することを意味していました。当然のことながら、グレインジャー兄弟は聖徒たちが負っている負債のほとんどを集めることができませんでした。
しかし、主はグレインジャー兄弟がこの割り当てを与えるときに受ける失望に備えられるよう助けてくださいました。主はジョセフ・スミスに言われました。「彼〔オリバー・グレインジャー〕は倒れるとき、再び起き上がるであろう。彼の犠牲は、彼が増し加えるものよりもわたしにとって神聖だからである。」(教義と聖約117:13;強調付加)
主がわたしたちに求めておられることについて考えてみましょう。主は、わたしたちが平和をつくり出す者となり、貧しい人や困っている人を助け、善を広めてほしいと望んでおられます。わたしたちはできることをすべて行いますが、必ずしも完全に成功するとは限らないことも心の奥で分かっています。戦争、貧困、罪は再臨の直前まで続くかもしれません。
しかし、わたしたちはこれらのものを世界から(特に自分自身の生活から)取り除くためにあらゆる努力を払うことができます。
聖徒たちはミズーリ州に神殿を建てることはできませんでしたが、最終的にイリノイ州ノーブーに神殿を建てました。
教義と聖約124章
最善の努力にもかかわらず、聖徒たちはミズーリ州ジャクソン郡に神殿を建てることができませんでした。彼らが直面した迫害と暴力は、あまりにも容赦のないものでした。
救い主が預言者ジョセフ・スミスにこう言われたときの彼らの安堵を想像してみてください。
「わたしが人の子らのだれかにわたしの名のためにある業を行うよう命じ、そしてそれら人の子らが勢力を尽くし、彼らの持っているすべてを尽くしてその業を成し遂げるように努め、かつ熱心であることをやめなければ、彼らの敵が彼らを襲って、彼らがその業を成し遂げるのを妨げるとき、見よ、わたしは当然のこととして、もう人の子らの手にその業を求めることはなく、彼らのささげ物を受け入れる。」(教義と聖約124:49)
割り当てを果たすためにあらゆる努力をする中で、病気、うつ、世界規模のパンデミック、そのほか自分ではどうしようもない状況などの「敵」に阻まれても、大丈夫です。あなたが行うことのできたことは何であろうと、主は受け入れてくださいます。