YAウィークリーから
暴行後にキリストにより癒される
筆者は南アフリカ在住です。
性的暴行をきっかけに、わたしはイエス・キリストを通して癒しと平安を見いだしました。
「野の花を考えてみるがよい」エバ・コーレバ・ティモシー画
専任宣教師として奉仕するようにという霊感を受けた瞬間から、わたしは準備を始めるべきだという強い思いを感じました。神がわたしのために正確で目的のある計画をお持ちであることに信頼を寄せていました。伝道の申請に取りかかり、必要な書類をわずか1か月ですべて終えました。
最後の準備が終わるのを待っている間、わたしは信仰が試されるような困難に直面しました。しかし、それらの困難は、わたしがこれから直面しようとしていることに比べれば、何でもないものでした。
キリストに慰めを求める
この間に、わたしは性的暴行を経験しました。暴行を受けて、わたしは自分の将来がどうなるのか悩んでいました。
わたしは新たな疑問を抱きました。特に主の業を行おうとしているときに、このようなトラウマ的な出来事に耐えなければならなかったのはなぜだろうか。
わたしの人生は不確実性と恐れ、それに疑いに飲み込まれました。自分は修復不可能だと思い込んでいました。このようなつらい経験からどうやって立ち直れるのか、わたしには分かりませんでした。わたしは深い孤独を感じ、絶望感でいっぱいになりました。
この経験をしたことで自分がふさわしくない者になったのではないかと心配し、ステーク会長に指導を求めました。彼はわたしに、イエス・キリストの癒しの贖罪に慰めを求めるよう提案してくれました。彼はキリストが癒しと平安の究極の源であることを強調し、モルモン書を読むように勧めてくれました。
わたしは混乱と疑いと格闘し続けました。頭がぼんやりしていて、どうしたらよいか分かりませんでした。ステーク会長は、伝道に出るための書類を保留にし、心理学者に専門的な助けを求めるように勧めました。彼らが教えてくれた対処法と友人たちのサポートは、癒しの過程でわたしを助けてくれました。しかし、特に神殿で慰めを見いだしました。
癒えないものを癒す
この酷い苦痛の時期に、わたしは神に頼り、癒しと強さと平安を求めて祈りました。モルモン書に没頭していると、深い平安を感じるようになりました。イエス・キリストの癒しの力は、わたしにとって特に意義深いものとなりました。わたしは自分が経験してきたことが自分のせいではないことに気づき、神がわたしの苦闘を御存じで「〔わたしの〕戦いを戦〔ってくださる〕」(教義と聖約105:14)ことを知って慰められました。この理解は、求めていた安心感と明瞭さをもたらしてくれました。
イエス・キリストは、「御自分の民の苦痛と病を身に受けられ……御自分の心が憐みで満たされるよう」(アルマ7:11-12)になさいました。キリストは、わたしたちが耐え忍んできた過去の傷を深く理解しておられ、慰めと安らぎを与えてくださいます。主はまた、赦すのにとても長い時間がかかったとしても、わたしたちが赦すことを可能にしてくださいます。
専門家と霊的な助けの両方を得て痛みに対処し、平安を得ることができました。最近、神殿のエンダウメントを受け、伝道の召しを受けましたが、すべてイエス・キリストの力のおかげです。
十二使徒定員会のパトリック・キアロン長老は次のように教えています。「イエスは不可能に思えることを可能にする御方です。主が来られたのは、不可能を可能にし、取り戻せないものを取り戻し、癒せないものを癒し、正せないものを正し、約束し得ないことを約束するためです。主はそれを得意とし、事実、それを極めておられます。」
イエス・キリストの贖罪の真理は、わたしの人生で不可能だと思っていたことを主が可能にしてくださったことで、わたしにとって現実のものとなりました。主はわたしの恐れや疑い、混乱を癒し、さらに奇跡的にわたしを癒してくださいました。
トラウマや虐待を経験したことがある人は、自分が愛されていることを思い出してください。あなたは愛と癒しを受けるにふさわしい人です。どうか自分自身に忍耐強くあってください。癒しは厳密なタイムラインに従うものではありません。そして、一人で苦しまないでください!悩みを打ち明けられる、支えとなる人を見つけることがきわめて重要であり、それはほんとうに違いを生みます。
そして最も大切なことは、キリストに頼ることです。主は皆さんを救助してくださいます。