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純潔とは性的な清さ以上のものである
人生の霊的な目的に関連する、純潔が大切な理由を幾つか紹介します。
わたしは以前、末日聖徒の10代の生徒たちに、預言者によって次のように定義されている純潔の律法に、なぜ従うべきなのか尋ねました。
ある生徒は、病気を避けるためだと答え、別の生徒は、婚外妊娠をしないためだと言いました。わたしは、それは賢明で論理的な答えだと言いました。「でも、仮に妊娠したり病気になったりしないとしたらどうでしょう」とわたしはこたえました。「どうしてそれでも純潔でなければならないのですか。」突然、クラスが静まり返りました。聖徒たちは、保健の授業で学んだ以上の理由、つまり霊的な理由は何も提示されていませんでした。
性的な清さの理由として、さらに神のようになるという人生の霊的な目的に関連するものを幾つか挙げたいと思います。
神の特質
永遠の命とは神がなさるような生活を送ることであり、神の創造の業の中心は家族です。わたしたちの天の御父として、神はその特性において一貫しておられ、目的が変わることはありません。神は御自分の力を義にかなって、無私の心で、愛を持って、節制、つまり義にかなった自制心をもって用いておられます。
これらの神聖な特質は、神が永遠の家族を創造し、維持し、神の子供であるわたしたちが神を完全に信頼することを可能にする一環なのです。もし神が制御不能で、その性質に一貫性がなく、行動が不安定で、御自分の力を制御せず、代わりに利己的に、制限なくそれを用いるとした場合を、少し想像してみてください。不道徳な神への信仰を持とうとすることを想像できますか。
なぜ純潔が大切か
「この話が純潔の律法とどんな関係があるのだろうか」と思うかもしれません。すべてにおいて関係しています!なぜなら、純潔の律法は性的な清さ以上のものだからです。純潔の律法は、信頼を得るためのものです。それは義にかなった力の使用について、無私の忠誠心について、創造についてです。それは聖約の家族についてです。
子供をもうけ、家族を築き、伴侶と親密になりたいという生来の人間の望みは、天から与えられたものですが、その神聖な望みは、抑制の効かないとき、高慢や横暴であるとき、人を操ろうとしたり、無礼、利己的なとき、汚れてしまいます。
命を創造する力は、神が地上の子供たちに与えられた最も大いなる力の一つです。純潔を守る人は、その計り知れない力を大切にする方法も、適切に使う方法も知っています。
現代社会には、人間の性に関して線が引かれることを好まない人もいますが、彼らは、力に制限を設けないことが腐敗と混沌両方の基盤であることを忘れています。覚えておいてください。神でさえも越えることのない境界線をお持ちで、そうでなければ神は「神でなくなる」(アルマ42:22、25)のです。
力を適切に制御し、聖約の境界線内にとどまることを学ぶとき、さらに神のようになるための助けとなる特質を学びます。
では、望まない妊娠や病気のほかに、なぜ純潔の律法を守らなければならないのでしょうか。純潔の聖約とは、性的な関係についての行うべきことと行ってはならないことだけを指すのではないことを知る必要があります。それは、信頼でき、自制し、境界線を尊重し、利己的に力を乱用せず、聖約の家族を作って維持できる、神のような人格を育んでいくことなのです。主が愛されるように愛し、主が創造されるように創造し、主が感じられる喜びを感じることなのです。