Message for the Area ─日本へのメッセージ
「えり抜きの世代」─若人が持つ力
─フリーマン会長を迎えた,青少年とYSAのための全国ディボーショナル─
2025年2月9日(日),中央若い女性会長会会長のエミリー・ベル・フリーマンご夫妻を迎え,広島ステーク高須ワードにてディボーショナルが行われた。広島ステークの澤祐介会長が司会を務める中,アジア北地域会長会のジョン・A・マキューン会長夫妻,第一顧問のJ・キモ・エスプリン長老夫妻がともに集い,日本全国の青少年と親,YSA,またその指導者に向けて霊感あふれるメッセージが届けられた。
開会の後,広島ステークのYSAと青少年による音楽発表の場が設けられ,efyメドレーが歌われた。
島本 朝輝 兄弟:「わたしもそうなりたい」
「皆でefyメドレーを歌って,すごく安心して〔壇上に〕上ることができています。」緊張しつつも勇気を奮って聴衆の前に立った高校3年の島本兄弟は,尊敬する人物,同じワードで一緒にセミナリーを受けていた姉妹について語り始めた。彼女は毎日しっかりと身支度を整え,早朝6時から始まるクラスに余裕を持って参加するだけでなく,ノートを用意して,都度都度熱心にメモを取っていた。「誠実に生きるとは,個人的な心地良さや人気,都合よりも,心を尽くして真理を愛するということです。」『青少年の強さのために』(小冊子)にあるこの言葉を読むと,彼女のことが思い浮かぶ。眠い,遊びたい,面倒くさい……セミナリーを受けるに当たって個人的な思いや都合を優先していた自分に比べ,いつも笑顔を保ち,周りに明るい光を放っている彼女を見て,「わたしもそうなりたい」と自然に思えた。─そう話した島本兄弟をフリーマン姉妹は壇上に留め,彼を「誇りに思います……セミナリーの友達が放っているのと同じ光をあなたも持っています」と称賛する。
フリーマン姉妹:えり抜きの世代として
フリーマン姉妹が年末にSpotifyを確認したところ,自分が最も頻繁に再生していた曲は奇しくもefyメドレーであったという。「大切なことを教えてくれるこの歌が大好きです。」わたしたちが神の子であること,わたしたちにはなすべき業が備えられていることを思い起こさせてくれる曲だとし,歌詞の一部を紐解く。
日本語のefyメドレーは,「シオンの娘(女声パート) 主に選ばれた(男声パート) 神の子(混声パート)」という歌詞で締めくくられている。この「主に選ばれた」という部分は,英語歌詞の“a marked generation”に当たり,エズラ・タフト・ベンソン大管長の説教が元になっている。「6,000年近くの間,神は主の再臨に先立つ終わりの時代に皆さんが世に来るよう,皆さんをとどめておかれたのです。……神は,この終わりの時に王国に勝利をもたらすのを助けるために最強の子供たちをとどめておかれたということです。〔疑いなく,〕皆さんはえり抜きの世代なのです。」フリーマン姉妹は,この「えり抜きの世代」こそわたしたちであり,主は,その目的を果たせるようにわたしたちを強めてくださると訴える。
多くの水よりも強く
聖文にも証拠があるというフリーマン姉妹は,まず若い男性に向け,モーセに語られた主の言葉を紹介する。「わたしは全能の主なる神〔である。〕わたしの子モーセよ,わたしはあなたに一つの業を用意している。」主がこの場に来られたとしたら,わたしたちにも同じことを語られるとし,フリーマン姉妹は確信に満ちた表情で言う。「その業がどのようなものか,わたしたちには分かりませんが,主は御存じで,わたしたちを備えてくださいます。」
続けて,主はモーセに一つの賜物を与えられた。「モーセよ,あなたは幸いである。……あなたは多くの水よりも強くされるからである。」多くの聖書学者は,モーセが主と語らったのは砂漠であったと考察している。水のない砂漠にあって,なぜこのような賜物が与えられたのか─時は過ぎ,その答えが明らかにされる日がやって来た。奴隷の状態にあった大勢の民を率いてエジプトを脱出し,紅海の沿岸にたどり着いたモーセ一行。ところが後ろを振り返ると,エジプトからの追手がすぐそこまで迫っている。「そのとき,モーセはこう思ったのではないでしょうか。そうだ,わたしには賜物が与えられている,わたしは『多くの水よりも強くされる』のだと。」そうして主を信頼し,海を分けたモーセは,奇跡的に民を救うことができた。「皆さんにも,そのような業が備えられています。主はそのように偉大な業を果たすに十分な強さを,皆さんに与えてくださるのです。」
主の力を受ける
「主は御自分の娘にも語りかけられた」というフリーマン姉妹は,次に若い女性に向けて,エマ・スミスに対する主の言葉を紹介する。「わたしがあなた,すなわちわたしの娘エマ・スミスに語る間,主なるあなたの神の声を聴きなさい。……あなたが忠実であって,わたしの前に徳の道を歩むならば,わたしはあなたの命を守ろう。そして,あなたはシオンで受け継ぎを得るであろう。」
島本兄弟の尊敬する若い女性が放っていたのは,「忠実」であることによってもたらされる光であり,「徳」は聖約からもたらされる「力」を意味するというフリーマン姉妹。「忠実であり,聖約と神殿を心に留めるなら力がもたらされることを知ってほしいと,主は願っておられたのです。」
青少年が持てる力
この,主が与えてくださる力について,フリーマン姉妹はある友人の話を分かち合う。オレゴン州に暮らす彼女は,早朝セミナリー教師の召しを受けている。毎朝疲れた状態でセミナリーにやって来る生徒たちを目の当たりにしていながら,彼女は大胆にも「友達を連れてきてください」と招いた。すると驚くべきことに,生徒たちは彼女のチャレンジにこたえ,毎日のように異なる友人を連れてセミナリーに参加した。その年の暮れには,連れて来られた一人の青年がついにバプテスマを受ける決意をした。
ピアノの伴奏,指揮,祈り,お話,バプテスマの執行に至るまで,彼のバプテスマ会はセミナリーの生徒たちが主導する形で進められ,部屋にいた大人はビショップとセミナリー教師だけだった。青年は,友人たちに囲まれながらバプテスマを受けられることを心から喜んでいたという。「これこそ,教会の青少年である皆さんが持っている力です。皆さんにはなすべき偉大な業が備えられており,主は皆さんとともにいてくださいます。」
マルコによる福音書にも,同じような奇跡のストーリーが載っている。イエスが村に来られたと耳にし,足の不自由な友人をイエスのおられる家まで運んで行った友人たちは,混雑のため中へ入ることが難しいと分かると,「屋根をはぎ,穴をあけて」友人をイエスのもとへ吊り下ろした。「イエスは彼らの信仰を見て」,すなわち友人を運んできた4人の信仰のゆえに,足の不自由な者を祝福してくださった。
人々をキリストのもとへ
フリーマン姉妹はここで,聴衆に向かって問いかける。「皆さんは,自分がそのような友人になれると思いますか?」ネルソン大管長は,今日の青少年は集合の業に関して「並外れた能力が〔あり〕」,自らの証を説得力ある方法で分かち合うことができると述べている。また,わたしたちのために備えられている偉大な業の一つは「人々をキリストのもとへ導くこと」であるとし,フリーマン姉妹は証する。「皆さんは,イエス・キリストについて知っている人があまりいない国にあって,イエス・キリストのことを知っています。それは賜物です。……伝道の召しを待つ必要はありません。〔皆さんは〕今すぐ友人たちをキリストのもとへ連れてくることができます。」
「皆さんは神の息子,娘です。〔イエス・キリストは青少年の力であり,〕主は皆さんのために取っておかれた偉大な業を果たすことができるように皆さんを助けてくださいます。……モーセやエマと同じく,主はわたしたちを強めてくださるのです。」
マキューン長老:3つの望み
「皆さんを心から愛しています。」42年ほど前に福岡で伝道して以来,日本人への愛を心に抱いているというマキューン長老は,皆でこたつを囲んでいるかのように,リラックスした雰囲気で会を進めたいとし,教会の若人たちに望んでいることを語り始めた。
1.喜びを得る
「一つ目の望みは,皆さんが喜びを得ることです。皆さんが生涯にわたって喜びを抱き続けられるようにと願っています。」喜びを味わってほしいという望みこそが,会長会としてあらゆる決断を下す際の原動力となっており,近ごろセミナリーのスケジュールに変更が加えられたことに関しても,その願いが根幹にあると語るマキューン長老。変更によってセミナリーの受講期間が延び,とりわけ受験前の時期には負担を感じる青少年も多いだろう。「皆さんが大変だということは分かっています。……しかし,人生において重要なことが起こっているとき,皆さんにとって最も必要なものは霊的経験,また天の御父との関係であるということも,わたしたちは理解しています。……良い学校に行き,良い教育を受け,良い職に就くことは非常に大切です。しかし,永遠の命は比べものにならないほど重要なものなのです。」
神は約束を果たされる御方であるとし,マキューン長老は真剣な眼差しで,一つずつ言葉を紡ぐ。「人生において主を第一に据えるなら,他の物事はあるべき場所に落ち着きます。そうするなら,皆さんは喜びに満ちた人生を送ることができるのです。」
2.神の愛を知る
「二つ目に,真に神の愛を知り,味わってほしいと望んでいます。……神が愛してくださっていることを心の底から感じることです。」主御自身は,御父についてこのように語っておられる。「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである。」神の愛をさらに感じるには,父なる神についてさらに深く理解する必要があるとし,マキューン長老は続けて説く。
「神の特質を想像してみてください。御父は完全なる愛に満たされ,親切で優しく,忍耐強く,憐れみ深い御方です。」ところがわたしたちは,救い主こそ愛と憐れみの象徴であり,神はあくまで正義の象徴であると思い込んでいる節がある。「確固として公正な御父に対して,自分たちのために嘆願してくださる救い主,といった構図が思い浮かぶかもしれませんが,それは正しい認識ではありません。」
主は御父に完全に従われた御方であり,御父から愛と憐れみについて学ばれた。主御自身,「子は父のなさることを見てする以外に,自分からは何事もすることができない」と述べておられる。わたしたちは自分の理解力を超える物事を理解しようとする際,自分の目に見えるもの,理解できるものに頼ろうとする傾向があると指摘するマキューン長老。例として,天の御父を理解しようと努める際に死すべき父親について知っていることを当てはめる場合があるほか,聖文の中でさえ,「怒る」神や「妬む」神など,人間的な特質を用いて神について説いている箇所がある。しかし,それらはあくまで限られた理解力しかないわたしたちのために使われている表現なのだ。「神はその愛と憐れみにおいて完全な御方であられ,その特質はいかなる死すべき人間の父親の特質をも超越しています。御父は,わたしたちが御自分のみもとに戻ってくることを心の底から望み,道を備えてくださった御方なのです。」
3.自分が持てる力を理解する
「皆さんに望む三つ目のことは,自分が持てる力を理解するということです。それは父なる神が,御子イエス・キリストを通して皆さんに与えてくださる力です。」聖約を交わす個人と主との間に特別な関係性が生まれることは,聖句にも述べられている。「あなたがたが交わした聖約のために,あなたがたは……キリストの息子および娘と呼ばれる。見よ,それは,今日キリストが霊的にあなたがたを子としてもうけられたからである。」神聖な儀式に参加し,聖約を交わして守るなら,男性にも女性にも等しく,豊かに神権の力が注がれる。
「愛する皆さんがこの世においても永遠においても,尊くすばらしい人生を送ることができるようにと願っています。……神は生きておられ,わたしたちには救い主が与えられています。わたしたちは主の贖いを通して清めと癒しを受け,永遠に続く喜びと神様の愛を感じることができるのです。イエス・キリストの御名により,アーメン」◆