2024
能登半島地震の被災者を支援する教会
2024年4月号


News Commentary─ニュース解説

能登半島地震の被災者を支援する教会

2024年1月1日(月)の午後4時10分,石川県能登地方で令和6年能登半島地震が発災した。最大震度7を記録した能登半島を中心に,日本海側の広い範囲で本震と多数の余震に見舞われた。能登半島の北側では海岸が一気に最大4メートルも隆起するなど,数千年に一度とも言われる地殻変動が起こった。主要道路は多くの箇所で寸断され,住民が孤立した。穏やかに家族で正月を過ごしていた人々の暮らしは暗転する。被害の激しかったエリアには,金沢ステーク七尾支部がある。この記事では,末日聖徒イエス・キリスト教会がどのような考え方の下に被災地の人々を支援していったか見てみよう。

初動の速さ

翌1月2日,アジア北地域会長会の和田貴志(わだ・たかし)長老,ジョン・A・マキューン長老,J・キモ・エスプリン長老は,被災した方々に対し教会ニュースルームを通してメッセージを送った。1月3日には全国コミュニケーション評議会スペシャリストの須田昭仁(すだ・あきひと)兄弟が現地入りする。1月4日には,金沢ステークの会員と宣教師が七尾支部へ駆けつける。またアジア北地域エリアオフィス施設管理部職員が七尾支部の損傷を調査する。数か所にひび割れ,壁紙の破れがあるものの,構造的には問題がなく集会場として利用可能と評価された。同日夜,福祉自立支援サービス部の職員がワゴン車に物資を積んで到着した。6日,地域七十人の今井裕一(いまい・ゆういち)長老が訪問し,七尾支部・金沢ステークの指導者と支援の方法を評議した。翌週末の13日にはエスプリン長老が訪問,地元の会員に慰めと励ましを伝えた。

災害には段階がある。フェーズ1(超急性期)は発災から2,3日,支援が届かず被災者には自助が求められる。フェーズ2(急性期)は発災から1週間程度,行政などの支援が入り始める。フェーズ3(亜急性期)とは発災から2,3週間。フェーズ4(慢性期)は発災から数か月から数年の復興の時期を指す。それぞれの段階で現地の必要と優先度は刻々と変化する。教会は,その段階を踏まえて支援の人員を送っていることが分かる。

地元指導者を助ける

フェーズ1では,七尾支部の西田正則(にした・まさのり)支部会長に,現地の状況を問い合わせる連絡が頻繁に入った。西田会長と支部の指導者らは対応に追われ,自身も被災者でありながら,しばらく自分の家族や支部の会員のために動くこともできず疲弊することとなった。東日本大震災の際にも同じことが起きた。それを教訓に,教会から送った人員が情報収集や連絡などの業務を引き受けるようにした。

同時に,七尾支部へ支援物資が直送されて来て,集会所に集積され始めた。好意は有り難かったが,フェーズ1の時期,現地にいるのは皆,被災者であって,物資の受領や整理の作業は負担となる。送られたものが現地のニーズに合っているとも限らない。また物資を被災した人々に届ける手段も人員もなかった。そのため,神権指導者や教会ニュースルーム記事を通じ,支部の指導者に直接,連絡しないよう,また物資を直接,送らないようにと,繰り返し呼びかけがなされた。

ニーズの把握

発災直後から,能登半島は広い範囲で断水した。被災者はまず飲料水と生活用水の不足に苦しむ。情報を得ていた教会の福祉自立支援サービス部職員は,東京で飲料水を積み込み現地へ運んだ。金沢市でも調達し,フェーズ1から2の時期に複数回にわたって七尾市役所へ飲料水を,また簡易トイレ,ブルーシートと土嚢袋を寄贈した。一方,防災士の資格を持つ会員が行政から情報を得て,海上保安庁の巡視船から軽トラックに積んだタンクに水の供給を受け被災地へ運ぶ,給水活動に携わった。軽トラックによる給水活動はその後も継続され,教会の被災地支援の柱の一つとなる。

フェーズ2から,ニーズの把握が本格化する。この時期,七尾市の北にある穴水町(あなみずまち)へ炊き出しの試みもなされたが,道路の陥没や地割れで渋滞し現地へ到達できなかった。しかし,こうした手探りの活動から徐々に被災地の道路事情やニーズが明らかになっていく。金沢ワードから七尾支部へは,ニーズに応えて燃料,ポリタンク,簡易トイレが届けられた。

フェーズ3になると被災者に食料品は届くようになるが,カップ麺やレトルトカレーが中心となり,同じような食事が繰り返される。食生活に変化を加えるべく行政の炊き出し支援が行われてきたが,発災1か月で終了となった。その直後のタイミング,フェーズ4に入った2月2日に教会は,七尾市の避難所へ大規模な食料品支援を行った。その際,この時点におけるニーズの変化を品目に反映させる。パック詰めの肉ジャガ,筑前煮などの煮物,ポテトサラダなどのサラダ類,プリンやゼリー,長期保存のできる牛乳,シリアル,ティーバッグタイプの飲料,日本人には欠かせないお新香や梅干し,さらには子ども向けに乳酸菌飲料,動物型のゼリー,ポテトチップスなどの菓子類,嗜好品飲料などを発注し,およそ2,000人分,10日から半月分の食料品を届けた。そうしたきめ細かいニーズの把握にも,これまで教会が培った人道支援の経験が生きている。

福祉自立支援サービス部が物資を調達する際は,金沢市で購入して現地へ運ぶことが多かった。これは地元経済を回して地域の復興に資するためであった。2月2日の食料品支援では金沢市内の食品提供の専門業者に委託した。現地への物流も込みで対応してもらうためである。物資は,調達もさることながら,どうやって届けるかも支援の大切な要素となる。

地元オピニオンリーダーとの連携

こうした奉仕の機会が開かれたのは,市議会議員や県議会議員など,地元オピニオンリーダーからの紹介によるところが大きい。被災地支援において大切なのは,まず地元の人々の信頼を得ることである。彼らが心から必要としていることに耳を傾け,着実に応えることで信頼関係が築かれていく。それは宣教師が,ひいては救い主が人々に仕える方法に通じる。

教会コミュニケーション部の須田兄弟が訪ねた市議会議員の女性は,かつて教会の英会話に数回,参加したことがあった。そのご縁から紹介を受け,七尾市の複数の避難所へ支援の経路ができた。さらに,七尾市行政ボランティアセンターの立ち上げ準備会議に招かれ,教会が提供できる支援を提案し,最初のボランティアの機会にヘルピングハンズとして参加することとなった。1月23日・24日に七尾市矢田郷地区コミュニティセンター避難所の清掃活動が実施された。衛生環境の向上と感染症予防のためである。金沢ステークの会員とその友人,専任宣教師ら,2日間で延べ45名が,黄色のヘルピングハンズTシャツを着用して奉仕した。

このように,人と人との繋がりから支援の扉が開かれるのである。

行政や他の団体と連携

福祉自立支援サービス部職員はフェーズ2の段階から,JVOADと密接に情報交換をしてきた。また,教会と長年連携して活動してきたフードバンクのNPO法人「セカンドハーベスト・ジャパン」が被災地入りした際にも情報交換を行った。

教会はフェーズ3の段階で,セカンドハーベスト・ジャパンと, JVOADの正会員である日本赤十字社に義援金を寄贈した。赤十字社では300人規模の医師と看護師が,宿泊施設のない場所ではテントなどで自活しながら医療活動を行っている。教会にできることは限られているので,行政や他の専門的な団体と連携することで効果的な貢献ができる。

段階的支援

労働ボランティア活動には,ニーズとマッチした作業指示をボランティアに出す組織が必要であり,行政のボランティアセンターはその中心的存在となる。ボランティア保険も含め,奉仕する人の安全を確保する必要もある。そのため教会では,フェーズ1からフェーズ3において,地元の金沢ステーク内からのボランティアに限定して活動した。

フェーズ4に入った2月10日,JVOAD関連団体の「Sien Sien West」から情報を得て彼らと連携し,七尾市石崎地区でがれき撤去のヘルピングハンズ活動を行う。名古屋ステークと名古屋東ステークの23名がボランティアバスで現地入りした。これは,金沢ステークの外から参加した初めてのヘルピングハンズとなった。

***

今後の復興段階では,さらに多様な支援が展開される。それらは,救い主のように仕えるクリスチャンの精神と,阪神淡路大震災から東日本大震災,熊本地震と続いてきた教会の災害支援の経験に基づいて,「賢明に秩序正しく」進められていくことだろう。◆

  1. JVOAD(ジェイボアード):認定NPO法人全国災害ボランティア支援団体ネットワーク。末日聖徒イエス・キリスト教会はヘルピングハンズの名称で正会員となっている

  2. ニュースルームの能登半島地震関連記事を参照:https://news-jp.churchofjesuschrist.org

  3. モーサヤ4:27