2024
神様は腕を広げて迎え入れてくれました
2024年3月号


Okinawa Japan Temple ─ 沖縄神殿をめぐる物語

神様は腕を広げて迎え入れてくれました

沖縄本島のほぼ中央の東海岸に位置し,太平洋に繋がる金武湾に面した金武(きん)町(ちょう)。その海岸線から少し奥に入ったところに田港勝子姉妹が住む団地がある。玄関に入ると,家じゅうに飾られた手作りの置物や壁掛け,写真,絵,手工芸品に目を奪われる。古いびんの蓋や小さな木箱には色とりどりのペイントが施され,両親が初めて描いた絵,宣教師に贈った蝶番(ちょうつがい)の置物の写真,父が作ってくれた三線(さんしん)や艶やかな包布(ほうふ),イエス・キリストの写真,子どもの作品や写真などが,思いのままに勝子姉妹の周りに置かれている。

一筋の光の中に神様を感じて

沖縄で生まれ育った勝子さんは24歳で結婚し,33歳までに6人の娘を出産した。双子の妹として誕生した5女の界(かい)ちゃんは,1歳半の時に肺炎で入院。医師から「胸に雑音が聞かれ,先天的に心臓に穴が開いている」と言われた。元気に育っていた界ちゃんが幼稚園に入ったころ,勝子さんは近所に新しくできた病院に心臓の専門診療科があることを知る。すぐに娘を連れて受診し,このまま放置するとどうなるのかを医師に尋ねた。「自然に治ることもありますが,(心臓に負担がかかるので)子どもが産めないこともあります。でも簡単な手術で治りますよ。」説明を聞いた勝子さんは,「手術,やります。お願いします」と即断する。両親ときょうだい8人の大家族で育ち,自身も6人の娘に恵まれ,大変なこともあるが幸せな日々を過ごしてきた。娘にも子どもを持つ喜びを知ってほしい。何かにつけて比較される双子の将来に差がつかないようにと願った。

しかし,手術が終わり病室に運ばれてきた界ちゃんは,目を覚ますことなく昏々(こんこん)と眠り続けている。勝子さんは夫に子どもたち5人を任せて,待合室で一人,夜が明けるのをずっと待っていた。「間違ってないよね。」何度も自分に言い聞かせる。手術を選択したことは正しかったのか確信が持てず,後悔の念や恐怖が押し寄せた。─どの位たったのか,ふと北側の窓に目をやると,いつしか闇は薄くなり,青みを帯びている。もう夜明け間近なのか─そう思うや,東の空から斜めに,一筋の澄んだオレンジの光が差し込んできた。闇を切り裂くような一瞬の光の筋に,「ああ,神様がいる!」その実在を確信した。

「でも神様はどこにいるんだ?」辺りを見まわし考えていると,待合室に放送が流れる。「界さんが目を覚まされましたよ。」急いでベッドに向かった。界ちゃんは「なんで驚いているの」といった表情で,涙を流しながら喜ぶ母を見上げたのだった。「神様がいるのは分かった。でもどこにいるのかな。あちこち見ても分からんし。」それから神様の居場所を探し求める日が続いた。

「あんた,導かれているね」

生活のために色々な仕事をしてきた。長く勤めた水道の検針の仕事は,よく計画をして毎月約2000軒を2週間で終わらせ,下の子が3歳になった頃からは,金武湾(きんわん)の護岸沿いにある母親の空き家で食べ物屋を始めた。「子どもたちが小銭で気軽に立ち寄れるように」と考えたメニューは,沖縄そばやかき氷,つまんで食べられるおやつの天ぷらなど。沖縄の天ぷらは,卵を多く使ったたっぷりの衣でいかや魚,野菜などを揚げ,ウスターソースと一味唐辛子をかけて食べる。学校帰りには天ぷらをほおばる子どもたちでにぎわった。

店が暇なときには,奥の方で電動糸鋸(いとのこ)を使って木を切ったり,壁飾りや置物作りなどに励む。沖縄でトールペイントが流行し始めると,活動している人の作品を見に行き,様々な素材に自己流で花などを描き進めた。やがて作品を売ってほしい,教えてほしいと言う人が現れ,勝子さんは「Maggyおばさんのペイント教室」を開き,昼夜のクラスで多くの生徒に教えるようになる。

界ちゃんが小学3年のころ,アメリカから義姉の家族が沖縄にしばらく帰省していたことがある。夫の姉である義姉は,沖縄で軍人として駐留していた日系3世の教会員,タノ兄弟と出会い,結婚したのだった。後に改宗した義姉は,「教会に行こうね」と,勝子姉妹の下の3人の娘を毎週教会に連れて行ってくれた。義姉の実家にはモルモン書があり,「モルモンって何だろう」と気に留めた記憶がある。

38歳のとき,アメリカでトールペイントの世界大会が開催されると聞いて,ぜひ参加したいと思った。義姉がアメリカから送ってくれた本を見て独学もしていたが,やはり本場の技術を直接学び,自分の描き方でいいのか知りたかった。大会に参加したのは日本支部の会員10数名で,沖縄からは勝子さんただ一人。例年他の場所で催されてきた大会が,この年はソルトレーク・シティーで開催されると聞いた義姉は,しみじみと語った。「あんた,導かれているね。」この言葉がどういう意味なのか,旅費相当のお金が思わぬ形で手に入った理由も,勝子さんにはさっぱり分からなかった。

両手を広げて待っていてくれた

同郷の仲間のいない勝子さんは,ホテルで一人部屋となった。10階くらいだったろうか。窓を開けると,大きな建物が目に飛び込んできた。部屋もかなりの高さなのに,さらに見上げるほどそびえ立っていたのはソルトレーク神殿だった。「あんな綺麗な建物があるんだね。中を見たい。すごく中に入ってみたいと思ったんだよね。」グレーっぽくて決して派手ではないが,その美しさに釘付けになった。「よし,この催しが終わったらあっちに行ってみよう。」手前にあるタバナクルや訪問者センターは目に入らなかった。

2日後,その日の研修を終えた午後,さっそく神殿を見に行った。ガイドに案内されていた日本人男性2人に合流して説明を聞く。外は5月の爽やかな風が吹いていた。ガイドに「あっちに行きたい」と神殿を指すと,「そこはね,教会員でもすぐには入れないんですよ」という。「次ここに来るときには,神殿に入る目的で来ます」と返した。そうこうするうちに,説明を聞きながら訪問者センターのらせん階段を昇り切ると,大きなイエス・キリストの像が現れた。勝子さんは立ち止まって息を呑む。「えっ,ここにいたの……。」

喜びが広がった。勝子さんはそのときの気持ちをこう語る。「こういう風に腕を広げて,わたしを高い所から見ていたのね。神様がどこにいるのか分からなかったけど,ここにいたの?ここまで遠かったな,やっと来た,という感じ。最後に,わたしについてきなさいって言うよね。神様が本当にここで待っていて,自分を迎え入れてくれたように思えたんだよね。」

大会はまだ続いていたので,勝子さんは午前の研修が終わるとホテルにこもり,習いたての技術で作品を次々に仕上げていく。講師からは,日本に帰ったら先生として活動できると太鼓判を押された。

トートーメーをも守る神様

沖縄に帰ってまもなく, 勝子さんが訪問者センターで書いた住所を頼りに,長老宣教師がモルモン書を持って訪ねてきた。6人の小さな子どもで家のなかはめちゃくちゃだったが,男兄弟のいない女の子たちは大喜びではしゃぎ回った。以前から,姉からは「宣教師は自分のお金で伝道に出ている。お腹がすいている時もあるから,食べるものがあったらあげなさいよ。ご飯を食べなさいとか言ってあげてね」と電話のたびに言われている。まだ教会員ではなかったが,一緒にご飯を食べたり,宣教師の奉仕の日には子どもたちも砂浜の掃除を手伝ったりした。「宣教師は自分のお金で来ているっていうけど,教会の建物なんかのお金はどうするの?」などの質問から自然にレッスンが始まり,ソルトレークから帰って5か月後の1991年10月20日,勝子姉妹は長女と一緒にバプテスマを受ける。少しして二女と三女が後を追い,下の3人も8歳になるのを待って姉たちに続いた。

教会に入った頃,両親はまだ健在だった。少し前に,勝子姉妹の一番上の姉が予期せぬ亡くなり方をし,家族は深い悲しみに沈んだ。「父は夕方になると護岸に座って,ずっと海を見ていました。悔しい思いをして,長い時間座っていたね。」そして,娘が営む食べ物屋に目をやっては,幼い孫たちが走り回るのを眺め,「自分には孫がいるが,いつまでも遊べるわけではない」と自分を励まし,「よいしょ」と立ち上がるのだった。勝子姉妹が改宗したことを知った父は娘に語った。「おまえが教会に入ったことは聞いている。お前が選んだのだからいいよ。お母さんは反対すると思うから,いちいち言わなくてもいい。おまえが神様を信じているというのは,悪いことではない。トートーメーは皆神様になると言うけど,おとうはそう思わない。トートーメーを守っているのが,隣にいる神様だ。おまえが信じている神様と同じはずだから,教会はそのまま行ってもいいさ。」いずれトートーメーに刻まれる父の名前……その父がこんなことを考えているとは思わなかった。「小さいときからトートーメーは神様だと聞いていたけど,この人達さえも守ってくれる神様がいるんだ。それが本当の神様なんだ。」神様に対する確信はさらに強くなった。

命がけのアメリカ旅行で神殿へ

改宗して2年後,義姉の長女の神殿結婚への参列と帰還宣教師を訪ね歩くために,3週間の単独旅行を計画した。ところが折悪く,旅行直前に腹痛が勝子姉妹を襲う。リンパ節まで転移して,かなり進行している卵巣がんだと言われた。出発は2日後に迫っている。勝子姉妹は周りの反対を押し切って,笑顔で旅を強行したのだった。

サンディエゴ神殿では,母方の唯一の親族代表として姪の結婚式に立ち会った。儀式の意味はよく分からなかったが,こうして親族が一緒にいられるのだと思った。コロラド,アリゾナ,ユタでは帰還宣教師やその家族に会い,念願のソルトレーク神殿への参入も果たす。やっと神様を見いだした神殿に入れたという感慨が胸を満たした。

一方で,旅行中も病気は確実に進行し,次第に痛みで眠れなくなり,帰りの飛行機内で「死にそうな思い」をする。手足はパンパンに浮腫(むく)み,入院すると大きく膨らんだお腹から1日半かけて数リットルの腹水が抜かれた。手術前には,医師の勧めもあり親族が続々と面会に駆けつけた。手術で子宮や周辺の臓器を全部摘出したが,血管に浸潤したがん細胞は取り切れず,10か月近く抗がん剤による治療が続いた。不思議と死ぬという感覚はなかった。ただ髪の毛がまとめてバサッと落ちていくのがつらく,そのときだけは娘と一緒に泣いたという。それでも,勝子姉妹はおしゃれなバンダナを巻いて,すぐに活気ある生活を取り戻していったのだった。

沖縄に神殿ができるんだよ

あの旅から約26年。「沖縄に神殿ができるんだよ!」2019年4月の総大会で神殿建設の発表を聞いた義姉から,すぐに連絡があった。「え,神殿って,あの?」と驚く勝子姉妹。「そうよ,あんた,よかったね。沖縄にできるんだって,すごいね。」弾む声が響いた。

何度もの引っ越しで家は教会から遠くなり,車がない時期もあり,病気や家族の死,年を取ったなどの理由でしばらく教会から離れていたが,少し前から勝子姉妹はまた集い始めていた。久しぶりに見る教会堂は「すごく立派に」建て替えられ,「もう自分を覚えている人もいないだろう」と思ったが,両手に余る人が再会を喜んでくれたという。「すごく大変なことがあったのに,何事もなかったかのように頑張り続けている人もいれば,若い時は微塵(みじん)も見せなかったけど,子ども時代からのつらさを抱えながら集い続けている人もいる。すごいなと。」人生経験を重ねてきた会員の話から,何度も力をもらった。

神殿敷地に隣接する沖縄ワードに集いながら,勝子姉妹は神殿がどんどん完成していくのをずっと見てきた。「まだ神殿推薦状がないから,こういうときに行かないと」と,オープンハウスに2回行き,目に焼き付けた。沖縄神殿に参入する日を待ち望んでいた義姉は,神殿を見ることなく,1年前に亡くなった。色々あったが夫と結婚したからこそ,この義姉夫婦との繋がりができ,探し求めていた神様を見いだし,娘たちとともに教会に入ることができたのだ。実の妹のように心にかけ,接し続けてくれた義姉─「あんた,導かれているね」の言葉を思い出すたび,義姉の存在こそが導きだったと思う。「神殿ができたら,ボランティアでも何でもやってね」と言い続けた義姉や,仕事から帰ったらほとんど毎日神殿の奉仕に出かけていたタノ兄弟。「教会員の家族ってすごいな,なんかいいよね。」ずっとそう感じてきた。

「神殿が目の前にあるんだから,行かんとだめだよね。でも今の目標はまず,もっと真面目になること。よほどのことがなければ,教会に行かないと言わないようにしようと思っている。これまで教会に行けない理由はいっぱいあったけど,少し無理をしたら行けることもあったのは事実だと思うし。神様に嘘の言い訳はしたくないからね。」その先に,神殿があるのだと思っている。勝子姉妹はいつも神様の前で自分の心に問いかけ,金武湾を左手に見ながら45分ほどの道のりを,ほぼ毎週,車を運転して教会に通っている。

***

勝子姉妹が写真や作品に目をやれば,当時の情景や感情が鮮やかによみがえり,口からはよどみなくストーリーがあふれ出る。部屋の飾りの一つ一つは,あたかも家族や神様との繋がりを描いたファミリー・ヒストリーのようで,永遠に一緒にいたいという勝子姉妹の心の願いを表しているかのようだ。◆

  1. 「尊いお方の御前」の意味で,漢字で「尊御前」とも書く。亡くなった先祖の名前や死亡年月日などが記入された「位牌」のこと。沖縄における先祖崇拝の象徴的存在で,家の守り神として大切に祀られている