再臨のしるし:恐れる理由はない
救い主が再び来られる前に、幾つかの重大なことが予告されています。しかし、あなたには恐れずにいられる十分な理由があります。
「主は再び来て治め、統治される」メアリー・R・ザウアー画
わたしたちの救い主イエス・キリストは、再び来られます。主はこの真理を非常に分かりやすく教えられました(マタイ24章参照)。それがいつ起こるのか知りたがる人はたくさんいますが、イエスはこう言われました。「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも知らない。ただ父だけが知っておられる。」(マタイ24:36)
しかし主は、再臨の前に起こるしるしは明らかにされました。福音の回復、モルモン書の出現、イスラエルの集合など、多くは胸躍るすばらしい出来事です。
しかし、その後、ほかのしるしも明らかにされました。以下はその例です。
すべて恐ろしいことのように聞こえるかもしれません。実際、救い主は、終わりの時には、多くの人々が恐れのために気絶するだろうと言われました。
さて、皆さんは、直面する個人的な試練だけでなく世界中で起こっている問題を見て、気がめいったり、不安になったりしているかもしれません。再臨に向けて恐ろしいことが次々に起こり、難しい状況になっていくばかりだというのに、何を待ち望めばよいのだろうと思っているかもしれません。
しかしイエス・キリストは、弟子の一人であるあなたに、このようなことを考えながら主の再臨を待ち受けてほしいと思ってはおられません。
弟子たちへの救い主のメッセージ
終わりの時のあらゆる混乱と激動の中にあっても、救い主は「心配することはない」と弟子たちに言われました。なぜでしょうか。それは、「これらすべてのことが起こるとき、あなたがたは、与えられた約束が果たされることが分かるから」(教義と聖約45:35)です。
イエス・キリストはわたしたちに、「恐れてはならない」(教義と聖約50:41)、「元気を出しなさい」(教義と聖約61:36)と言っておられます。ですから、来るべき災いのことばかりに目を向けるのではなく、ほかのことにも目を向けるのがいちばんいいかもしれません。
「恐れず」に栄えある再臨を待ち望み、黙示者ヨハネのように「主イエスよ、きたりませ」(黙示22:20)と言えるようになるための大切な方法を、3つ紹介します。
1.預言者に頼る
救い主は、御自分の来臨の前に多くの偽キリストと偽預言者が現れ、多くの人々を欺くであろうと警告されました。わたしたちの周りには、けたたましい声で分かりにくく否定的なことを言って道を誤らせようとする人がいます。末の日に悪魔は、「人の子らの心の中で荒れ狂い、人の子らをそそのかして善いことに対して怒らせ」(2ニーファイ28:20)ます。真の選民でさえも真理から引き離されてしまうのです。
しかし、主はわたしたちに大きな助けを与えてくださいました。わたしたちを祝福し、導くために預言者を召されたのです。大管長会と十二使徒定員会は、わたしたちを誤った道へ導くことはありませんし、そうすることもできません。救い主はこう宣言しておられます。「わたし自身の声によろうと、わたしの僕たちの声によろうと、それは同じである。」(教義と聖約1:38)ラッセル・M・ネルソン大管長が最近教えた次のような真理を聖霊が確認してくださるよう、天の御父に求めるとよいでしょう。「最高の時はこれからです。救い主が再びおいでになります!」「主は再臨の備えをしておられます。わたしたちも、主を受け入れる備えができますように。」
そして、「忍耐と信仰を尽くして」(教義と聖約21:5)預言者の教えに従うとき、それがあなたの人生にどのような祝福を与えているかが分かります。
七十人のアレン・D・ヘイニー長老はこう言っています。「わたしは子供のころ、終わりの時の預言を聞いて怖くなり、自分が生きている間に再臨が来ないようにと祈っていました。……でも今は反対のことを祈っています。…
…わたしたちは恐れるには及びません。わたしたちが霊的に生き残り、肉体的に堪え忍ぶために従わなければならない教義と原則は、生ける預言者の言葉の中にあります。」
預言者と使徒の導きに従うとき、恐れは信仰、希望、喜びに変わります。
2.聖なる場所に立つ
救い主は、終わりの時の災いのただ中にあって、「わたしの弟子たちは聖なる場所に立ち、動かされない」(教義と聖約45:32)と言われました。この聖なる場所とは、自分の家庭や集会所、神殿などです。
神殿について、ネルソン大管長は次のように教えています。「わたしたちを守る最も安全な手段は、主の聖なる宮に参入する資格を維持することです。」そして、「神殿での時間をさらに過ごせば、……再臨に備えるのに役立ちます。」
Eventideキム・ヨンサン画きむ
3.世界を備える
終わりの時にイエス・キリストの教会が果たす役割の一つは、主の来臨に世を備えるのを助けることです。そして、主の業に携わることによって助けることができます。
「見いだす場所を知らないということだけで真理を得られずにいる」(教義と聖約123:12)人たちに福音を伝えて、その人たちに神の光と真理をもたらすことができます。
また、幕の向こう側にいる人の中で「福音を知らずに死に、……それを受け入れたであろう人々」(教義と聖約137:7)のために神殿でバプテスマを執行することもできます。
悲観的にならざるを得ないことがたくさん起こっている世の中で、あなたはほかの人たちの光となり、この世に癒しをもたらすようにすることができます。救い主が来られる民、すなわち救い主を受け入れる準備ができている人々を備える助けをすることができます。
それは大きな責任であり、待ち望むべきすばらしいことです。