「YAウィークリー」から
どんな最悪の日も乗り越えさせる歴史上最高の日
イエス・キリストの復活は歴史上のほんの一時ではありません。わたしにとって日々の希望の源です。
すべてが台無しになるような、人生を完全に変える瞬間を、あなたは経験したことがありますか?わたしはあります。そしてそれを止めさせるためにわたしにできることは何もありませんでした。
ある時、わたしはきょうだいたちと一緒に居間のソファに座って静かに待っていました。次の瞬間、自分の世界が崩れ落ちたような気がしました。
離婚を申し立てることにしたと父が突然説明したのです。これは、わたしが思っていたのとまったく反対のことでした。幸せな家族だと思っていたのです。毎日の聖文研究と家族の祈りをしていたので、家族はずっと一緒にいられるはずだと思っていました。
そのときから、多くのことが変わりました。子供時代の幸せな思い出が苦いものになっていきました。父も母も再婚しました。きょうだいはどちらについていくか考え始めました。
自分の人生はいったいどうなってしまったのだろうかと、わたしは思いました。
キリストに従うと決意する日
おかしなことだと思いました。なぜほかの人が決めたことのあおりを受けて自分の人生が台無しになるのでしょうか。
それとも、そうではなかったのでしょうか。しばらくの間、両親の離婚は人生で最も重要な日だと思っていました。でも、十二使徒定員会のディーター ・F・ウークトドルフ長老の次の話を読んで、考え直しました。
「人類史上最も重要な日は、神の生ける御子であるイエス・キリストが、神のすべての子供たちのために死と罪に打ち勝たれた日です」と言ってから、
人生で最も重要な日は 、イエス・キリストに従うと決意する日であり、このような日は「生涯を通して何度も何度も」繰り返し訪れる日になってほしいと願っていると付け加えたのです。
両親の離婚は確かにわたしの人生を変えましたが、イエス・キリストの贖罪は 人類の歴史の軌跡を変えました。それだけではありません。復活祭で祝われる出来事のおかげで、キリストはわたしの人生の軌道を毎日変えることがおできになることを学びました。
取り戻した希望
両親の離婚後、人生を送りながら、わたしはイエス・キリストがほんとうに平安と希望の究極の源であられることを学びました。
使徒パウロはキリストを「すでに現れた祝福の大祭司」(ヘブル9:11)と呼んでいます。イエスが来られる前の大祭司たちは、将来ささげられるもののひながたとして動物の犠牲をささげていました。その後、イエス・キリストは無限の贖いの犠牲として御自身の命をささげ、わたしたちを罪と死から永遠に贖い、復活と永遠の命の希望へと導いてくださいました。主の犠牲のおかげで、わたしたちにはこの世でも次の世でも良いことが必ず起こるのです。
その確信は、前進し続けるのに必要な希望を与えてくれました。自分の将来は現在の状況よりも明るいものになるのです。わたしにとって、復活祭はその希望を祝うものです。
キリストが十字架につけられた日、希望は消え失せたかのようでした。十二使徒定員会のジョセフ ・B・ワースリン長老(1917-2008年)はこう言っています。「世界の歴史が始まって以来、この金曜日ほど暗い日はなかったでしょう。」
そしてこう続けています。
「だれもが自分の金曜日を経験するでしょう。世界が粉々になり、その砕け散っ たかけらの中に自分が独りいるように感じる金曜日を。 ……
しかし、死に打ち勝たれた主の御名により、証します—日曜日は必ずやって来ます。」
あの最初の復活祭 の日曜日が やって来て、それまでの暗闇は消え去りました。キリストの復活は、あらゆる時代の弟子たちに希望を回復しました。この希望は、わたしたちの日々の生活に取り入れることができます。
壊れたものを建て直す
十二使徒定員会のゲレット ・W・ゴング長老は次のように教えています。「〔イエス・キリスト〕は昔も今も、一部の人のためでなく、すべての人のために生きておられます。主は昔も今も、打ち砕かれた心 を持つ者を癒し、囚人を解放し、盲人の目を開き、打ちひしがれている者に自由を得させてくださいます。これはわたしたち一人一人のことです。主の贖いの約束は、わたしたちの過去や現在、あるいは自分の将来についての悩みにかかわらず、適用されます。」
キリストの癒しの力は実在します。何年もの間、わたしは父と話をしませんでした。わたしは父がしたことを忘れようとしました。怒りを捨て去ることができるよう、キリストの恵みを願い求めました。御霊の助けによって、なすべきことが理解でき、ついには父を赦すことができました。まだ修復の途中だったものの、父との関係には新しい命が吹き込まれました。
復活祭は、イエス・キリストを通して、希望が絶望に打ち勝ち、人生が死に打ち勝ち、光が闇に打ち勝つことを思い起こさせてくれます。主に従うことを選ぶのは、わたしの人生を形作る決断であり、ほかの人が下す決断ではありません。
どこかの時点で、わたちは皆、人生を変える瞬間を経験します。福音のすばらしさは、そのような日が最も重要な日ではないことを知っていることです。最も重要な日はすでに訪れており、わたしたちは日々その中で生きることができます。