トラウマになる経験をしていながら、どうすれば性的な望みを神からの賜物として見ることができるでしょうか。
わたしは性的虐待とポルノグラフィーによって被害を受けていたので、性的な望みの良い面を見ることは不可能だと感じていました。
筆者はアメリカ合衆国ネバダ州在住です。
わたしはかつて、性的な望みは神のすべての子供たちに与えられた神聖な賜物だと思っていました。もっとも、わたしを除いての話ですが。
わたしは幼いころにポルノグラフィーを見せられ、性的虐待の被害を受けました。成長するにつれ、わたしは子供のときに経験したトラウマと闘うようになりました。この気持ちをどうにかするために、有害な行動を取るようになりました。
わたしの癒しの旅は容易なものではなく、終わったわけでもありませんが、わたしは立ち直りへの道を前進しています。穏やかな気持ちでいるときには、神がわたしから迷いや苦しみを取り去って平安な気持ちと安らぎを与えてくださっているような気がします。多くのキリストのような人々の忍耐と、神から与えられたリソース、そしてキリストの贖罪によって、わたしは癒しを見いだすことができました。
性的な望みに関する主の目的を理解するうえで役立ったこと、そして皆さんにも役立つと思われることを、わたしが学んできたことの中から幾つか紹介します。
悩みについて祈る
神は性的な望みに関するわたしの悩みなど気にかけておられないと、長い間わたしは思っていました。しかし、ラッセル・M・ネルソン大管長の次の言葉から、神は人のあらゆる試練を御存じだということに気づきました。「天の御父とその愛する御子イエス・キリストは、確かに皆さんを愛しておられます。御二方は、皆さんがどんな状況にあってどんな善いことをしていて、何を必要としているか、どんな助けを求めて祈っているかをよく知っておられます。」
どんなに複雑な問題でも、神はわたしたちの生活におけるあらゆる問題の影響を御存じです。それがどんなことであれ、神はわたしたちの心配事や疑問に耳を傾けたいと思っておられます。性的な望みにまつわる問題について神に話すのは不適切だと考える人がいるかもしれませんが、神はわたしたちがあらゆることについて神に話すことを望んでおられます。
天の御父に助けを求めたとき、わたしは試練に遭っていたせいで、救い主の贖罪と癒しの力をよく理解することができるようになりました。主がわたしの苦しみを理解しておられることを知っているので、今では容易に主に頼ることができるようになりました。
信頼できる人に相談する
難しいテーマについて、宗教指導者やメンタルヘルスの専門家、家族など、信頼できる人に相談するのは難しいかもしれませんが、そのような人の助言は慰めになるでしょう。
伝道後、わたしは自分のトラウマについて地元のビショップに相談しました。そのときの話し合いには聖霊の導きがあり、わたしがより前向きな視点を育む助けとなりました。また、両親ともさらに打ち解けて話せるようになり、長年培った知恵に基づくアドバイスをしてもらえました。わたしはこれまでの人生で、誠実で、霊的な知性があり、人の気持ちを分かってくれる人たちに自分の悩みを打ち明けることによって、たくさん祝福を受けてきました。そういう人たちは、「互いに重荷を負い合う」ことや「悲しむ者とともに悲し〔む〕」(モーサヤ18:8、9)ことのほんとうの意味を教えてくれたのです。
さらに、適切なメンタルヘルスのコンサルタントやセラピストは、わたしの癒しの旅になくてはならない存在でした。性的なトラウマを経験すると、長期にわたって様々な影響が出る場合が往々にしてあります。専門家は、心理的なダメージに対処したり、適切な癒しのツールを提供したりする訓練を受けています。
意識してメディアを選ぶ
メディアを選ぶ際には注意と御霊の導きが助けになることを、セラピーで学びました。性的な望みに関する不健全でこの世的な描写は、有害なものになりかねません。性や性的な親密さについての情報をゆがめて、間違った情報を伝えるからです。
M・ラッセル・バラード会長(1928-2023年)は、かつて次のように言っています。「〔今日の〕ホームコメディーやドラマ、リアリティー番組にはだいたいどれも不道徳〔な〕描写があり、伝統的な価値観や家族制度を巧みにあざ笑っています。新番組は年々質を下げ、大衆の許容範囲をどんどん押し広げようとしているようです。」
わたしはまた、神から与えられた性的な感情には神聖な目的があり、そのような感情は神が定められた範囲、すなわち結婚した男女の間でのみ敬意をもって優しく表現するべきだということも学んできました。わたしにとって、これは大変大きな転機となりました。
すべての人(自分自身も含む)を神の目を通して見るよう努力する
わたしはかつて、肉体的、情緒的、霊的、性的に他人を傷つけた人に対して怒りを抱いていました。怒りは普通の感情です。トラウマや虐待の被害者は特にそうですが、わたしは世の中の悪事について悲観的な見方をして苦しみました。
自分の考えは正しいと思っていましたが、憤りを抱えて生きていても何も前向きなことは生じませんでした。憎しみを抱き続けることがわたしの癒しの妨げになっていたのです。そこでわたしは憎むのをやめて、自分自身を含め、すべての人に愛を示すように努めてきました。
十二使徒定員会のパトリック・キアロン長老は次のように教えています。「救い主は両腕を広げ、癒しの賜物を差し出しておられます。勇気と忍耐、信仰をもって主に心を向けるなら、ほどなくしてこの賜物を完全に受ける日が来ます。苦しみの荷を降ろして主の足もとに置くことができるのです。」
天の御父と救い主イエス・キリストはわたしたちの状況を御存じであることを証します。御二方はわたしたちの人生にかかわり、わたしたちが抱えている苦痛からの癒しを見いだすことを望んでおられます。すべての人に回復と平安、休息があります。わたしたちは自分の重荷を独りで負うべきではありません。
どのような経験をしてきたとしても、救い主の助けがあれば、わたしたちは自分の性的感情を神から与えられた賜物として見ることができるようになれるのです。