「教授法,スキル,採り上げ方」『教授法,スキル,採り上げ方』
「教授法,スキル,採り上げ方」『教授法,スキル,採り上げ方』
教授法,スキル,採り上げ方
教えることは複雑で多角的な作業です。教えるための方法やスキルのリストには,多くのアイデアや例が含まれるでしょうし,それらについての考察で何冊もの本が書けるでしょう。しかしそれらを,効果的に教えるうえで欠かせない教授法やスキル,取り組みの一般的な分野にまとめることはできます。このセクションでは,これらの重要な分野の一部を取り上げます。
教えるときにどの方法を用いるかを決める際には,方法とスキルは単に目的を達成するための手段であり,それ自体が目的ではないことを覚えておくことが大切です。教師は,生徒が特定の聖句ブロックの内容,教義,原則を理解し,これらの教義と原則を生活に応用するのに最も役立ち,教化と応用を促す方法を選ぶ必要があります。特定のスキルや技術を用いる目的を心に留めておくと,教師がより有意義な方法でそれを実践するのに役立ちます。また,御霊がなければ,最も効果的な教授法やアプローチでさえも成功しないということを覚えておくことも大切です。
質問
効果的な質問をすることは,教師として身につけられる最も大切なスキルの一つです。質問は,聖文を理解する過程に生徒を参加させ,生徒が重要な福音の真理を特定し理解するうえで役立ちます。質問は,生徒が福音からどのような影響を受けてきたかをよく考え,現在と将来に福音の原則をどのように当てはめられるかを検討するうえでも役立ちます。効果的な質問をすることにより,学習の過程において選択の自由を行使し,自分の役割を果たすことを通して,学習過程で聖霊を招くよう生徒に働きかけることができます。
レッスンを準備する際に,理解へと導き,思いと心で学びに携わるよう生徒を促すような質問を注意深く考え出すことには,大きな努力を払うだけの価値があります。質問を考える際,教師はまず,特定の質問をする目的を決めるべきです(例えば,教師は,聖句に含まれている情報を生徒に見つけてもらいたい,聖句の意味について考えてもらいたい,または,ある原則が真実であるという証を分かち合ってもらいたい,と思うかもしれません)。それから,教師はその目的を念頭に,思慮深く質問を考えるべきです。慎重に選んだ幾つかの言葉が,その質問が望ましい結果をもたらすかどうかに,大きな違いをもたらすことがあります。
教師は,考えたり感じたりするようにかき立てる質問を準備し,尋ねるように努めるべきです。教師は通常,単純に「はい」か「いいえ」で答えられる質問や,答えがはっきりしすぎて,生徒に考える気を起こさせない質問は避けるべきです。また論争を引き起こす可能性のある質問も避けるべきです。そのような質問は,生徒をいらだたせたりクラスの中に争いを生み出したりして御霊を悲しませることがあります(3ニーファイ11:29参照)。
クラスで質問するときには,教師は生徒に自分の答えについて考える時間を与えることが大切です。教師が質問し,1,2秒待ってもだれもすぐに答えないと,あせって教師自身が答えを言ってしまうことがあります。しかし,効果的な質問は考えたり,思い巡らしたりすることが必要となることがよくあるため,生徒は聖文の中から答えを見つけたり,意義深い答えをまとめたりするのに時間を必要とするかもしれません。時折,答える前に答えを書き留める時間を生徒に与えるとよいかもしれません。
卓越した教師であられるイエス・キリストは,御自分が教えられた原則について深く考え,応用するよう人々を促すために,様々な質問を用いられました。主の質問は,主が教えておられた人々の生活に何をもたらそうとされていたかによって様々でした。深く考え,答えを得るために聖文を参照するように促す質問もありました。例えば「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」(ルカ10:26)といった質問です。あるいは,決意を促すことを意図する質問もありました。例えば,「あなたがたはどのような人物であるべきか」(3ニーファイ27:27)というような質問です。
教師は多種多様な質問をすることができますが,福音を教え,学ぶのに特に重要な質問は一般的に4種類です:
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情報を探すように生徒を招く質問
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分析して理解するように生徒を導く質問
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気持ちと証を促す質問
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応用するように促す質問
情報を探すように生徒を招く質問
情報探しの質問は,聖句ブロックの内容に関する重要な詳細を調べるよう生徒を促し,生徒が聖文の基本的な理解を深めるのを助けます。情報探しの質問は生徒に聖文内の情報を見つけるよう促す質問であるため,あらかじめこうした質問をしてから,答えが記されている節を読むようにすると有益です。これにより,生徒が注意力を集中させ,聖文の記述の中から答えを見いだす助けとなります。
情報探しの質問には,だれが,何を,いつ,どのように,どこで,なぜなどの言葉がしばしば含まれます。情報を探すよう生徒を促す質問の例には,以下のようなものがあります:
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マタイ19:22によれば,なぜ金持ちの青年は悲しみながら立ち去ったのでしょうか。
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サムエル上17:24で,イスラエルの人々はゴリアテを見たとき,どのように反応しましたか。26節で,ダビデはどのように反応しましたか。
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アルマ38:5-15で,アルマは息子シブロンにどのような勧告をしているでしょうか。
情報探しの質問に対する答えは,基本的な理解の基盤を築き,その上にほかの種類の質問を積み重ねて,より深い理解と応用を促すものであるべきです。「人々は人の子をだれと言っているか」(マタイ16:13)という救い主の質問は,情報の背景を生み出しました。弟子たちの出した答えは,「それでは,あなたがたはわたしをだれと言うか」(マタイ16:15)という,より深く,より心を打つ質問に彼らを備えました。
分析して理解するように生徒を導く質問
分析を促す質問は通常,生徒が研究している節を熟知した後に尋ねます。そのような質問を通して,聖文に対するより広くより深い理解を得ようと努めるよう,生徒を招くことができます。また,生徒が関係やパターンを調べたり,聖文の中に対比を見いだしたりするのを助けてくれます。分析を促す質問は,ほとんどの場合,答えが複数あります。
分析する質問は通常,3つの目的のうちの少なくとも1つを果たすものです。そのような質問は生徒が次のことをする助けとなります:
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聖文の前後関係と内容をもっとよく理解する。
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福音の原則と教義を見つける。
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それらの原則と教義をより深く理解するようになる。
聖文の前後関係と内容をもっとよく理解できるよう生徒を助ける。質問を分析することは,生徒が歴史的,文化的背景,あるいはほかの聖句に照らして聖句を調べるのを助けることによって,生徒が聖文や出来事に対する理解を深める助けとなります。そうした質問には,生徒が言葉や聖句の意味を明確にしたり,話の筋の意味をさらに深く理解するために詳細を分析したりするのにも役立ちます。こうした過程は,原則と教義を見いだすことができるように生徒を備えさせます。
以下はこのタイプの質問の例です:
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マタイ13:18-23のイエスの説明は,3-8節のイエスの教えを理解するのにどのように役立つでしょうか。
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天使の指示に対するレーマンとレムエルの対応とニーファイの対応はどのように違っていることが分かるでしょうか(1ニーファイ3:31;4:1-7参照)。
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主はジョセフ・スミスに「人を神よりも恐れてはならなかった」(教義と聖約3:7)と勧告されましたが,116ページを紛失するに至った原因は何でしたか。
生徒が福音の原則と教義を見いだせるよう助ける。生徒は聖文の背景と内容を理解するようになると,聖文に含まれている原則と教義を見つける能力が増します。分析を促す質問は,生徒が結論を出し,聖句ブロックにある原則や教義を明確に説明するうえで役立ちます(26ページの2.5.1項「教義と原則を見つける」参照)。
以下はこれらの質問の幾つかの例です:
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大変な困難に遭ったにもかかわらずニーファイが真鍮の版を手に入れることに成功したことによって,どのような原則が明らかにされているでしょうか(1ニーファイ3-4章参照)。
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最初の示現から神の属性についてどのような教義を学べるでしょうか(ジョセフ・スミス-歴史1:15-20参照)。
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長血を患っていた女性が救い主に触ろうとしたことと,その行為に救い主が対応されたことから,どのような教訓を学べるでしょうか(マルコ5:24-34参照)。
生徒が原則と教義をより深く理解できるように助ける。生徒は,原則と教義を見つけるだけでなく,有意義な形で応用する前に,それらを理解する必要があります。生徒に対し,特定の原則や教義の意味をもっとよく理解する助けになる質問や,原則を現代の状況に照らして考えるように生徒を招く質問,あるいは原則をどのように理解しているか説明するように招く質問は,特に役立ちます。以下に幾つか例を挙げます:
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わたしたちが「勢力と思いと力」(モロナイ10:32)を尽くして神を愛した証拠として,どのようなことが挙げられるでしょうか。
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ほかの人々に思いやりのない言葉をかける誘惑や,御霊を侮辱するような催し物に参加する誘惑などに打ち勝つために必要な霊的強さを得るうえで,常に祈ることはなぜ助けとなるでしょうか(教義と聖約10:5参照)。
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キリストの基の上に築かれた人の生活には,どのような行動と特質が見られるでしょうか(ヒラマン5:1-14参照)。
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アルマ40章で学んだことを用いて,わたしたちの教会の会員ではない友人に復活の教義をどのように説明できるでしょうか。
気持ちと証を促す質問
生徒が福音の原則と教義について考え,理解するのに助けとなる質問もあれば,霊的な経験についてよく考えさせ,福音の原則や教義が真実であり,生徒の生活にとって重要であることをもっと深く感じるように導く質問もあります。多くの場合,このような気持ちがあると,より忠実に福音の原則に従って生活したいという強い望みが生徒の心に生まれます。CES宗教教育者への説教の中で,ヘンリー・B・アイリング管長はこのような質問について,以下のように述べています:
「霊感を招く質問もあります。優れた教師はそうした質問をします。……霊感を招きにくいのは次のような質問です。『真の預言者はどのような人として認識されていますか。』そのような質問は,聖文や生ける預言者の言葉の記憶から答えを導き出すよう促す質問です。多くの生徒は積極的に発言するかもしれません。ほとんどの生徒は少なくとも無難な提案はできるかもしれません。思いは刺激されるでしょう。
しかし,このように質問することもできます。違いはほんのわずかです。『預言者の前にいると感じたのはいつですか。』そのような質問は自分がどう感じたかを思い出すよう促します。質問した後,だれかに答えを求める前に少しの間待ちます。話さない人たちも霊的な経験について考えることでしょう。聖霊が招かれるでしょう。」 (“The Lord Will Multiply the Harvest,” 6)
このような質問は,過去のことをよく考え,「記憶の中の自分の気持ちを」思い出し,今話し合っている福音の教義や原則に関する自分の霊的な経験について考えるように促すものです。しばしば,これらの質問から,生徒がその気持ちと経験について話したり,教義や原則について証を述べたりすることがあります。また,このような質問は,福音が生徒の頭から心に向かう助けとなります。そして,生徒が心の中で福音の教義や原則の真実性と重要性を感じると,それを生活に応用する可能性が高まります。
以下に挙げるのは,感じるように促し,証を述べるよう招く質問の幾つかの例です:
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ほかの人を赦すことから得られる平安と喜びを,いつ感じましたか。
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自分の理解に頼るよりも主に信頼したことで,主から導かれて物事を決めることができたときのことを考えてください(箴言3:5-6参照)。そうすることでどのように祝福されましたか。
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あなたのために払ってくださった犠牲について救い主に個人的に感謝を述べることができるとしたら,何を述べたいですか。
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聖なる森で起こったことのために,あなたの生活はどのように変わりましたか。
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どのようなときに,ほかの人が試練に信仰をもって対応するのを目にしましたか。それはあなたにどのような影響を与えたでしょうか。
注意事項: この類いの質問への答えは,特に個人的で繊細なものとなるかもしれません。教師は,質問への回答,気持ちや経験の分かち合い,または証を強要されていると生徒が感じることがないよう注意してください。また,個人的な霊的経験が持つ神聖さを生徒が理解するように助け,そうした経験を適切に分かち合うように奨励してください(教義と聖約63:64参照)。
応用するように促す質問
究極的には,福音を教える目的は,生徒が聖文に見いだされる原則と教義を応用し,忠実で従順な人々に約束されている祝福を受けるにふさわしくなるよう助けることです。これまで福音の原則に従って生活することによってどのように祝福を受けてきたかを理解できる生徒は,将来福音の原則をうまく応用できるよう,その望みを強め,よりよく備えられるでしょう。質問をすることは,生徒が現在の状況の中でこれらの原則をどのように応用できるかを知り,また将来どのようにそれらを応用できるかを考える際,大きな助けとなる場合があります。
以下は,生徒が自分の生活に原則と教義を応用できる方法について具体的に考えるのに役立つ質問の幾つかの例です:
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安息日をもっとよく聖日として守り,世の汚れに染まらないことをもっと十分にできるようになるために,何を変える必要があるでしょうか(教義と聖約59:9-13参照)。
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預言者から勧告されていることでもっと厳密に従えることは何でしょうか(アルマ57:1-27参照)。
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最初に神の国を求めるならば人生のほかの事柄に祝福を受けるという原則は,これから2,3年先の目標と活動に優先順位をつけるうえで,どのように役立つでしょうか(マタイ6:33参照)。
クラスでの話し合い
有意義なクラスでの話し合いは,福音を教え,学ぶうえで重要な役割を果たします。クラスでの話し合いは,学びを促すような形で教師が生徒と言葉を介して交わり,生徒同士も言葉を介して交わるときに実現します。よい話し合いは,重要な疑問の答えを探すことの大切さと,人の発言やアイデア,経験に耳を傾け,それらから学ぶことの価値を生徒が理解するうえで助けとなります。また,生徒が集中力を保ち,クラスへ積極的に参加し続けられるよう助けることもできます。その結果,話し合っている教義と原則への理解を深めるとともに,学び,感じたことを応用したいという心からの望みを抱くことがよくあります。
以下は,教師がクラス討論を行い,促すのに役立つ幾つかのアイデアです:
話し合いを計画する。他の教え方と同様に,話し合いは慎重に準備し,その後御霊の影響の下で行う必要があります。教師は,生徒が学ぶ必要のある事柄を理解するうえで話し合いがどのように役立つか,その目的を達成できる質問は何か,最も効果的にそのような質問をするにはどうすればよいか,生徒の答えで話し合いが予期していなかった方向にそれた場合どのように対処するか,あらかじめ考えておく必要があります。
教師が解説を加えすぎないようにしてください。教師が話し合いのテーマについて過度に意見を述べると,教師には言いたい答えがあることを生徒は悟り,積極的に発言しようとしなくなるかもしれません。教師の解説が多すぎると,生徒は自分の貢献にはあまり価値がないと感じ,興味を失うことになります。
参加するよう生徒全員を招く。教師は,様々な理由でレッスンに積極的に参加しようとしない人も含め,すべての生徒が有意義な話し合いに参加できる適切な方法を見つけるよう,努力する必要があります。教師は,答える準備ができていないのを知りながら生徒を当てて,恥ずかしい思いをさせることのないよう注意する必要があります。
時には,一人の生徒や少数の生徒がクラスの話し合いを独占しがちになることがあります。教師は,そのような生徒と個人的に話し,彼らの参加意欲に感謝し,クラスの全員に参加を促すことがどれほど重要であるかを述べ,また彼らが進んで答えようとするときに指名されない可能性がある理由について,説明する必要があるかもしれません。
生徒に名前で呼びかける。生徒を名前で呼んで質問に答えてもらったり,意見を述べてもらったりすると,愛と敬意のある学習環境を設けるのに役立ちます。
沈黙を恐れない。効果的な質問をしたとき,生徒がすぐ返答しない場合があります。この沈黙は,それほど長く続かなければ,教師は困る必要はありません。生徒は時折,質問された事柄について,あるいは質問にどのように答えるかについて,じっくり思い巡らす機会を持つ必要があります。じっくりと考えれば,聖霊から教えを受けやすくなります。
質問を別の言葉で言い換える。質問が明確でないため,生徒がなかなか質問に答えられないことがあります。教師は,質問を別の言葉で言い換える,または質問の意味が分かったかどうかを生徒に尋ねる必要があるかもしれません。教師は,生徒が深く考えて適切な答えをまとめるために十分な時間を与えることなく,次々と質問し続けることは避けるべきです。
注意深く耳を傾け,フォローアップの質問をする。教師は時々,次にやるべきことや言うべきことを気にするあまり,生徒が言っていることに注意を払わないことがあります。生徒をよく観察し,よく耳を傾けることで,彼らが必要とする事柄に気づき,聖霊の導きの下で話し合いを導くことができます。「それはどういう意味かもう少し話してもらえますか」,あるいは「そのことを示す例を挙げてもらえますか」といった質問をして,教師が生徒の答えをきちんと理解できているか確認するとよいでしょう。そのようなフォローアップの質問をすることで,考えていることや感じていることをさらに分かち合うよう生徒を招き,その結果,回答に証の精神を招くことがよくあります。教師は生徒に,互いに耳を傾け合い,ほかの人が話しているときには話すことのないよう思い起こさせるべきです。
生徒の発言や質問をほかの生徒に投げかける。多くの場合,クラスの話し合いにはあるパターンがあります。教師が質問し,一人の生徒が答え,教師は次の質問をする前にその生徒の答えに洞察を加える,というパターンです。教師が一人の生徒の答えや発言をほかの生徒に投げかけると,話し合いはより有意義で活気に満ちた,効果的なものとなり得ます。例えば「ほかに付け加えることはありますか」,「今の発言についてどう思いますか」といった簡単な質問は,生徒が生徒に応じるパターンを作り出すことができます。これは多くの場合,学習経験を大いに高めます。通常,時間に余裕があれば,発言したいと思うすべての生徒が話す機会を得るべきです。
肯定的な態度で発言を受け入れる。生徒が答えるとき,教師は何らかの方法でそのことに感謝していることを伝える必要があります。単純に「ありがとう」と言うだけでもよいですし,その答えに対してコメントすることもできます。生徒が誤った答えを言ったら,教師は生徒が恥ずかしい思いをしないよう気をつける必要があります。効果的な教師は,生徒の意見の正しい部分を基に言葉を加えるか,あるいは生徒が自分の答えについて考え直せるような補足の質問をすることができます。
クラスで一緒に聖文を読む
クラスで聖典を読むことで,生徒にとっては,自分の研究している聖句に親しみ,より深く理解できるようになります。また,自分で聖典を読む能力に自信を深める助けにもなるでしょう。教師は,上手に読めない人や,非常に恥ずかしがりやの人が恥ずかしい思いをしないように気をつける必要があります。声に出して読むのを好まない生徒に読むことを強いるべきではありませんが,教師は,生徒がより取り組みやすい方法でレッスンに参加するよう励ますことができます。例えば,前もって一人の生徒に短い聖句を割り当てて読む練習をしてもらうことは,その生徒がクラスに参加する適切な方法かもしれません。
以下は,クラスで一緒に聖文を読む幾つかの方法です:
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一人一人順番に,あるいは生徒全員で,声に出して読んでもらう。
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生徒同士で互いに読み合ってもらう。
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生徒に聖句を黙読してもらう。
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物語の中に出て来る様々な人が語った言葉を別々の生徒に割り当てて読んでもらう。
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教師が声に出して読み,生徒は各自の聖典のその箇所を黙読する。
教師によるプレゼンテーション
学習過程に生徒が積極的に参加することは,聖典を理解し生活に当てはめるのにきわめて重要ですが,教師が様々なタイミングで適切に情報を提示して生徒に聞いてもらう必要性がなくなるわけではありません。この手引きの目的として,教師が話し,生徒が耳を傾ける時間を「教師によるプレゼンテーション」と呼びます。教師によるプレゼンテーションは,適切に用いるならば,ほかの教授法を向上させることができます。しかし,使い過ぎると,この教師中心の活動は教えることの効果を低下させ,研究と信仰によって学ぶ生徒の機会を制限してしまう可能性があります。
教師によるプレゼンテーションは,多くの教材を要約したり,生徒に新しい情報を提示したり,レッスンで取り上げる事柄を次々と切り替えたり,あるいは結論を引き出したりするときに,非常に効果的です。生徒が聖句ブロックの背景をより明確に理解することができるように,教師が解説したり,何かを明確にしたりすることが必要なこともあります。また,重要な教義と原則を強調し,それらを応用するよう生徒に勧めることもできます。恐らく最も重要なことは,教師が福音の真理について証し,天の御父とその御子に対する愛を伝えることができるということです。
教師のプレゼンテーションを用いるとき,教える方法を用いる場合と同様に,教師は生徒がどの程度教師の言葉を受け入れているかを評価するべきです。その際に,「生徒は興味を持ち,集中しているだろうか」,「生徒は話されている内容を理解しているだろうか」などと自問し続けるべきです。結局のところ,この方法をはじめ,あらゆる教え方の効果は,生徒が御霊によって学んでいるか,聖文を理解しているか,学んでいることを応用したいと望んでいるかによって変わります。
教師がこの方法をもっと効果的に利用するために,以下のアイデアが役立つでしょう。
レッスンの中の,教師によるプレゼンテーションの部分を計画する。時折,教師はレッスンのほかの部分を注意深く準備するものの,教師の話が大部分を占める,レッスンのこの部分にはそれほど注意を払わないことがあります。教師のプレゼンテーションに関する懸念の一つは,生徒が学習経験の受動的な参加者になってしまうということです。したがって,教師のプレゼンテーションにも入念な計画と準備が必要です。それには,プレゼンテーションの導入の方法と,論理的に教えを展開する方法が含まれます。
教師のプレゼンテーションの活用を計画する際,教師は,生徒に積極的な役割を果たしてもらうのが特に重要な箇所について注意深く検討する必要があります。通常,レッスンが聖句ブロックの背景と内容を理解することから,原則と教義を見いだし,話し合い,応用することへと進むにつれ,生徒が積極的な役割を担う重要性も増します。
教師のプレゼンテーションをほかの方法と組み合わせる。教室において教師のプレゼンテーションを効果的に活用する方法は,それをレッスンの中で,他の方法やアプローチを取り入れたレッスンプラン全体の一部として使うことです。生徒が退屈したり,混乱していることが明らかになった場合には変更できるよう,プレゼンテーションには柔軟性を持たせるべきです。このように,教師は自分が話しているときでさえ生徒と学習に焦点を当てて,必要に応じて調整を加えることができます。教師のプレゼンテーションを真珠のネックレスのひもにたとえた人がいます。真珠は教師が用いる様々な方法(質問,話し合い,グループ活動,視聴覚資料など)ですが,教師の指示と説明によってつなぎ合わされています。ひもだけでは魅力的なネックレスは作れません。
適切に変化を取り入れる。教師のプレゼンテーションに変化を持たせる様々な方法があります。教師は,声の抑揚や口調,大きさを変え,プレゼンテーションの進行に合わせながら部屋の中を移動することにより,単調になるのを避けることができます。また,様々な種類の教材を提示することもできます。例えば,教師は物語を話したり,適切なユーモアを用いたり,写真や教室のそのほかの展示物について話したり,引用文を読んだり,ホワイトボードや視聴覚資料を使ったり,証を述べたりすることができます。教師の発表に適切な変化を持たせることで,生徒が聖文を理解し応用する能力は必ず高まります。
物語
物語は生徒がイエス・キリストの福音を信じる信仰を築く助けになります。物語は興味を引きつけ,生徒が追体験によって福音を理解するのに役立ちます。また,生徒が聖句ブロックで見つけた福音の原則を理解するに特に有効です。聖文の背景のほかに,物語の中の福音の原則を現代の状況に照らして説明することによって,生徒に,福音の原則が自分の生活にどのように関連しているかを理解させ,また福音の原則を応用したいという望みを持たせることができます。
ブルース・R・マッコンキー長老〔1915-1985年〕は,次のように教えています:「もちろん,信仰を高める現代の物語,つまりこの神権時代の出来事を話すことは,何ら問題はありません。……実に,これは大いに奨励するべきことです。わたしたちは,昔の忠実な人々の間で起こったのと同じことが今日の聖徒たちの生活の中でも起きていることを示すために,あらゆる努力を払うべきです。……
恐らく,信仰を鼓舞する話を提示する際の理想的な方法は,聖文に見いだされることについて教え,その後でそれを,この神権時代,この民,また最も理想的にはわたしたち個人に起こった同様かつ同等の事柄を紹介して現実の生活と結びつけることです。」(“The How and Why of Faith-Promoting Stories,” New Era, July 1978, 4–5)
教師は,預言者の生涯や教会歴史に関する話,総大会の説教や教会機関誌に掲載されている話を分かち合うことができます。また,教師自身の経験から実話を伝えることもできます。最も有意義で影響力のある学習経験の幾つかは,教師が生徒に,自分の生活から福音の原則に従ったことによりどのような祝福を受けたかを分かち合ってもらうときに実現します。
物語を用いるに当たっては,幾つかの注意事項と助言に留意しなければなりません。
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物語を紹介することが教授法や技術の主流となる場合,物語自体がレッスンの中心となって,聖文に使う実際の時間が少なくなり,教える教義と原則が軽視されることになる可能性があります。
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教師は自分自身の生活からあまり多くの話を紹介すると,個人的な称賛を得て,「自分自身を世の光とする」(2ニーファイ26:29)ことになってしまう可能性があります。
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物語によって聖文の教えを明らかにし,活気づけ,生徒が御霊の力を感じられるようにすることはできますが,決してそれを用いて感情をあおってはなりません。
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教師は,物語をもっと劇的なもの,あるいは印象深いものにしようとして実話の内容を脚色することのないように気をつけなければなりません。
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要点を例証するユーモラスな話など,物語が実話でない場合は,話の始めに実話ではない旨をはっきりと伝えなければなりません。
少人数のグループでの話し合いと割り当て
生徒が学習活動や話し合いに一緒に参加できるように,時折,クラスを少人数のグループに分けるとよいでしょう。少人数のグループ活動によってしばしば,より多くの生徒が参加できるようになり,生徒が互いに気持ちや考え,証を気兼ねなく分かち合える環境を提供することができます。これらの活動はまた,生徒が人々に福音を教え,将来福音を教える備えをする助けとなる機会を提供することができます。少人数のグループでの話し合いによって,興味と集中力を失っていると思われる生徒を効果的に参加させることができ,また生徒のコミュニケーション技術を伸ばし,適切な社会的また霊的な関係を強化することができます。また,生徒のより有意義な参加を引き出し,控え目な生徒に自信を持たせることもできます。
生徒に二人一組か少人数のグループでの話し合いを行わせるとき,以下の事項を心に留めておくと役に立つでしょう:
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生徒を少人数のグループに分ける前に,教師は,生徒が活動の間に行うよう期待される事柄について明確な指示を与える必要があります。これらの指示をホワイトボードに書いたり,配付資料に印刷したりして,活動中に生徒が見返すことができるようにしておくと役立つことがよくあります。
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生徒の生活と状況に関連づける少人数のグループの学習活動は,通常,いっそうの興味と参加を促します。
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各グループに一人の生徒リーダーと具体的な時間制限を割り当てると,グループが作業を続けるうえで役立ちます。グループ活動の時間が長いと,しばしば,終わる時間がまちまちとなり,クラスの秩序が失われる可能性があります。
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通常,活動で学んだことをクラスで分かち合う準備をするように,あるいは教える準備をするように事前に生徒に伝えておけば,生徒はもっと興味を持って活動に参加します。これはまた,生徒がほかの人々に福音を教える練習をする機会ともなります。
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生徒は一緒に集まる前に個人的に聖文を調べるか,引用文を読むか,何かほかの課題を果たしておくと,しばしば,グループでの学習活動をもっとうまくできます。
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5人以上の生徒のグループでは,一人一人が有意義な参加をすることが難しくなることがあります。さらに,比較的大きなグループは通常,作業を続けるのがより困難になります。
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少人数のグループでの話し合いは,生徒をグループ分けするのに時間がかかることを考えると,簡単な質問に答えるのに最良の方法ではないかもしれません。
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グループによる学習活動は,使い過ぎれば効果が薄れることがあります。
少人数のグループでの話し合いや割り当てを行う中で,生徒は,活動の目的からそれたり,個人的なことを話したり,学ぶ努力をなおざりにしたりすることがあります。グループからグループへと回って学習活動を見守って積極的に生徒たちとかかわり続ける教師は,彼らが作業に取り組み,受けた割り当てから最大限に学べるよう助けることができます。
筆記活動
教師は生徒に,メモを取る,日記の課題,ワークシート,個人的な熟考,作文などの筆記活動に参加するよう招くべきです。時折,考えさせる質問の答えを文章にするよう招くことは,生徒の考えを深め,明確にするのに役立ちます。生徒がクラスで考えを発表する前に,質問に対する答えを書いてもらうと,自分の考えを整理し,聖霊からの影響を受けるための時間を与えることになります。生徒は,最初に自分の考えを書いておくと,それを分かち合おうとする傾向があり,その分かち合ったことがさらに有意義なものになることがよくあります。中でも,書く課題を与えると,生徒は個人で学習活動を行い,深く考え,霊感を受けるようになります。それは,人に教えたり感じたことを人に伝えたりするための準備になり,自分の生活に主の御手があることに気づき,証する機会にもなります。どの筆記課題が学習経験に適しているかを見極める際,教師は,デビッド・A・ベドナー長老が話した次の原則について考えるべきです:「聖文を研究するときに,学んだこと,考えたこと,感じたことを書き留めることは,深く考えることのもう一つの形であり,絶え間のない教えを受けるために聖霊を招く,強力な方法です。」(“We Have Them before Our Eyes,” New Era, Apr. 2006, 6–7)
若い生徒や能力が制限されている生徒のための筆記活動は,生徒が成功できるように調整する必要があります。例えば,教師は空欄を埋める問題を準備して,生徒により多くの情報を提供し,生徒に求める情報を減らすことができます。教師は,短い聖句や特定の質問に筆記課題を絞ったり,課題を完了するのに十分な時間を与えたりすることによって,このような生徒を助けることができます。
生徒は通常,以下のような場合に筆記活動からより多くのものを得られます:
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生徒が割り当てを果たす際に絶えず参照できるように,教師は書面にした明確な指示を与える。
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その活動は生徒個人の状況に関連のある福音の真理に生徒の思いを集中させるものである。
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その活動は生徒がそれらの真理を個人として応用するうえで助けとなる。
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筆記活動の間,いつでも生徒は教師から支援と助けを得られる。
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活動の難易度に応じて時折時間制限を設ける。
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生徒に活動から学んだ事柄について説明してもらったり,分かち合ってもらったり,証してもらったりする。
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個人の気持ちや決意に焦点を当てた筆記活動は,生徒の許可なしには教師を含むほかの人々に分かち合うことはないと生徒に保証する。
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その活動はレッスンプランの有意義な一部であり,「時間つぶしの活動」や行儀が悪いときの罰として行うものではない。
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書くのが難しい人のために,考えやアイデアを記録する別の方法が提供されている。例えば,別の生徒に筆記者を務めてもらう,音声録音をする,など。
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筆記活動を使い過ぎない。
黒板とホワイトボード
よく準備された黒板やホワイトボードの活用は,教師の準備の証となり,クラスの目的意識を高めます。レッスン中にホワイトボードを効果的に使うことにより,生徒に学習の備えをさせ,有意義な授業参加を促すことができます。特に,視覚から学ぶ生徒に有効です。ホワイトボードを使用する際,教師は,すべての人が見えるよう,はっきりと,大きな字で書き,十分に間隔を取りながら,整然と,読みやすくする必要があります。黒板やホワイトボードを利用できない場合は,大きな紙や厚紙が同じ目的を果たしてくれます。
教師は,ホワイトボードまたは黒板に,レッスンの要点や原則をまとめたり,教義や出来事を図解したり,地図を描いたり,フローチャートを描いたり,聖文中の事柄を絵にしたり,歴史的な出来事を表にしたり,生徒が聖文から見つけたことをリストにしたりすることができます。あるいは,学習効果を高めるその他の多くの活動を行うことができます。
物と絵
実体のない福音の様々な事項を教えるのは,多くの場合難しいものです。霊的な原則を生徒が理解する助けとして教師が物や絵を用いるのは,一つの効果的な方法です。例えば,石けんのような慣れ親しんだ物は,悔い改めのような,より抽象的な原則を生徒が理解する助けとなります。救い主は,聴衆が霊的な原則を理解するのを助けるために,この世の物(パン,水,ろうそく,枡など)にしばしば言及されました。
物と絵は,生徒が聖文の中の人物,場所,出来事,物,象徴がどのようなものだったかを思い描く助けになります。くびきについて話すだけでなく(マタイ11:28-30参照),教師はくびきをクラスに持って来たり,その写真を見せたり,ホワイトボードに絵を描いたりするとよいでしょう。生徒は「野の花」(マタイ6:28-29)について読みながら,花のにおいをかいだり触ったりすることもできます。あるいは,種入れぬパンを味わうこともできるでしょう。
地図や表を含む物や写真は,特に話し合いを活発にするために使用するとき,生徒が聖典を視覚化し,分析し,理解するのを助けるうえで役立ちます。生徒が教室に入るときに物や絵を掲示しておくことにより,学習の雰囲気を高め,生徒たちの探求心をかきたてることができます。
物や写真を使用する際には,次の2点の注意が必要です。第1に,レッスンの目的を損なうことなく,必ずレッスンの目的を強調するものであるべきです。第2に,出来事の背景と詳細に関するクラスの話し合いのための情報源は常に,その出来事や物語についての作家の解釈ではなく,聖文の記述である必要があります。
視聴覚資料とコンピュータープレゼンテーション
聖典は,主の子供たちが目と耳で主の教えを理解できるよう,主が助けられた話であふれています(1ニーファイ11-14章;教義と聖約76章;モーセ1:7-8,27-29)。視聴覚資料とテクノロジーのリソースは,適切かつ効果的に用いるならば,生徒が聖文をよりよく理解し,福音の真理を学び,応用する助けとなります。
視聴覚資料は,聖文の中の重要な出来事を描写し,生徒がこれらの出来事を思い描き,経験する助けとなります。これらのリソースは,人々が困難や問題を克服するために福音の原則を応用する方法をドラマ化し,御霊が真理について証する機会を与えてくれます。
コンピューター技術のおかげで,教師はビデオを見せたり,大切な質問や画像,中央幹部の言葉を見せたり,レッスン中に見つけた原則や教義を強調したりすることができます。また,黒板やホワイトボードを使うのとほぼ同じ方法でコンピュータープレゼンテーションを使用することもできます。レッスンの要点をまとめたり,参照聖句を掲示したり,二人一組やグループ,個人の学習活動の指示を文字にするために使えます。このような方法でテクノロジーを用いることで,視覚によって学ぶ生徒に恩恵を与え,生徒が学んでいることを整理し,理解を深める助けとなります。
視聴覚資料,コンピューターリソース,あるいはその他のテクノロジーリソースを使うとき,それはレッスンが明瞭で,興味深く,記憶に残るものとなるのに役立つものでなければなりません。また,生徒が御霊の影響を感じるのを阻害するようであってはなりません。
視聴覚プレゼンテーションは,生徒の考えや気持ちを刺激し,生徒を聖文に引き込むために用いるときに,生徒が福音の原則を学び,応用するのに最も役立ちます。視聴覚資料を見たり聞いたりする際,生徒が探すことのできる特定の事柄や考えられる質問をホワイトボードに書くのもよいかもしれません。また,質問をしたり,生徒に役立つ情報を指摘するためにプレゼンテーションを一旦止めることが大切なときもあるでしょう。多くの場合,教師の目的を達成するために必要なのは視聴覚資料の一部だけです。メディアやテクノロジーの使用と併せて,話し合いや筆記活動などのその他の方法を取り入れる教師は,生徒が福音の原則を理解し,自分のものとする可能性を高めます。可能であれば,視聴覚プレゼンテーションの字幕機能を使うと,特に聴覚障害を持つ生徒をはじめとする生徒の理解と定着を向上させることができるかもしれません。
レッスンで視聴覚資料やコンピューター技術を使用する場合,教師はクラスが始まる前に機器を設置し,適切に作動することを確認する必要があります。また,すべての生徒が自分の席からプレゼンテーションを見聞きできるようにする必要があります。レッスンの前に,教師はレッスンで必要なときに視聴覚資料またはコンピューターリソースを適切な場所から開始できるよう準備しておく必要があります。また,教師がレッスンで使用する前に,プレゼンテーションのためにテクノロジーを使う練習をしてもよいでしょう。
指針
恐らく,ほかの教え方以上に,視聴覚資料やテクノロジーの使用には内在する問題とデメリットが伴う場合があります。教師は,視聴覚機器やコンピューターのプレゼンテーションが適切で,学習経験に役立つものかどうかを判断する際に知恵を使うべきです。テクノロジーに過度に依存することで,聖文に基づき,学習者に焦点を当てたレッスンではなく,テクノロジーやメディア主導のレッスンにつながる可能性があります。以下の質問は,視聴覚機器やコンピューターのリソースの使用について賢明な決定を下す際に教師の役に立つでしょう:
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この資料は,生徒が重要なことを学ぶのに役立つだろうか。視聴覚プレゼンテーションは,生徒にとって非常に楽しいものや感動的なものであるかもしれないが,レッスンの目的や,生徒が学ぶ必要のある事柄に直接貢献するだろうか。これらの資料を娯楽や時間つぶしの手段として用いることは,使用する理由として十分ではありません。教師は,プレゼンテーションをクラスで使用する際には,事前に視聴して,そのプレゼンテーションが,レッスンで教えられる聖文および教義と原則を強調し,支えるものであることを確認してください。
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これはレッスンやレッスンのおもな焦点のためのリソースだろうか。ボイド・K・パッカー長老〔1924-2015年〕は,次のように勧告しています:「クラスの視聴覚資料は,その使い方に応じて祝福にもなればのろいにもなります。食事に伴うスパイスや味付けにたとえられるかもしれません。視聴覚資料は,レッスンを強調したり興味を引いたりするために控え目に使うべきです。」(Teach Ye Diligently, rev. ed. [1991], 265)
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この資料の内容は適切で,教会の標準に合っているだろうか。この資料は生徒を教化するだろうか。世の中で生産される多くの製品は良いメッセージを伝えているかもしれませんが,御霊を悲しませるような,望ましくない内容が伴ったり,福音の教えに調和しない考えが容認されていたりすることもしばしばあります。適切な内容であっても,不適切な内容が含まれる情報源が元となっている映像や音声を使用するべきではありません。物議をかもしたり,扇情的なものは,通常,信仰や証を築くことにはつながりません。
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著作権をはじめとする適用法令に違反しないだろうか。多くのビデオや歌,その他の視聴覚資料は,著作権法や利用規約により制限されています。すべてのセミナリーとインスティテュートの教師と指導者が,教えている国の著作権法に従い,適用法令と義務を遵守して,自身も教会も法的措置の責任を負うことのないようにすることが重要です。
以下の指針は,すべての国におけるセミナリーとインスティテュートの教師ならびに指導者に適用されるものです。
教会が制作した資料の利用
教会が制作した資料に別途記載がないかぎり,教師と指導者は,営利目的でなく教会,セミナリー,インスティテュートで使用するために,教会が制作した映画,ビデオ,画像,音楽の録音,録画を複製したり見せたりすることができます。『賛美歌』,『子供の歌集』,教会機関誌の音楽は,賛美歌や歌に制限が明示されている場合を除き,教会およびセミナリー・インスティテュートにおいて非営利目的で使用することができます。セミナリーとインスティテュートの教師と指導者は,制限が明示されている場合を除き,教会が制作した資料をクラスでダウンロードして見せることができます。
教会以外が制作した資料の使用
一般的なルールとして,適切なライセンスを購入しないかぎり,プログラムやソフトウェア,視聴覚資料をインターネットからダウンロードしたり,クラスでインターネットから見せたりしてはなりません。ビデオや歌,その他の視聴覚資料が教会の所有するものでないかぎり,いかなる国においても,そのような資料をクラスで見せることは著作権法に抵触する恐れがあります。したがって,一般的なルールとして,世界中のセミナリーとインスティテュートの教師と指導者は,教会が制作したものではないクラスの資料を見せてはなりません。
著作権で保護された(楽譜や録音など)音楽を含むメディアを複製することは,著作権者による書面の許可がなければ,著作権法の直接的侵害です。許可がなければ,歌についている著作権で保護された歌詞の複製も違法です。
以下の指針は,最初にビデオの著作権所有者からライセンスを取得することなく,アメリカ合衆国のセミナリーとインスティテュートの教師と指導者がクラスでビデオクリップを見せることを可能にする,アメリカ合衆国の著作権法に関する幾つかの例外を具体的に概説したものです。ほかの国にも同様の例外はありますが,セミナリーとインスティテュートの教師は,放送やインターネットで録画された,営利目的で制作されたビデオやプログラムの一部であるビデオクリップを見せる前に,それぞれの国に適用される法律と例外を特定するために,Intellectual Property Office(知的財産事務所)に問い合わせる必要があります。
営利目的で制作されたビデオの使用。アメリカ合衆国の法律には,教師と生徒がライセンスを購入することなく,営利目的で制作されたビデオをクラスで使用できる例外が含まれています。しかし,この点について,営利目的で制作されたビデオの使用が例外的に認められるのは,以下の条件をすべて満たす場合に限られます。使用するビデオクリップは,(a)正式に作成された複製品からのものである。(b)対面で教えるときに使用する。つまり,ビデオを使用する間,セミナリーとインスティテュートの教師または指導者が立ち会う。(c)教室や,レッスン用の場所で見せる。(d)セミナリーまたはインスティテュートのクラスなど,非営利の教育組織が使用する。(e)娯楽目的ではなく,コースの教科課程に直接関係のある教授目的で使用する。授業の前,間,後に,単なる娯楽の目的で,借りた,あるいは購入した,営利目的のメディアを使用することは,違法かつ不正直な行為です。映画を全編見せる際には,ほとんど間違いなくそれに該当します。
放送から録音・録画されたプログラムの使用。アメリカ合衆国では,一般大衆に無償で提供されている放送から録画したテレビ番組は,以下の条件を満たす場合のみクラスで使用することができます:(a) コピーの保存期間は45日を越えず,その後直ちに消去する。(b) コピーを作成した日から10日以内にクラスでのみ使用する(最初の10日以降は,最初の45日以内であれば,教師の評価のために,あるいはそのプログラムを将来のレッスンで使用するかどうか決めるためにそのコピーを使用できる)。(c) コピーは1回だけ見せる(レッスンを補強する必要がある場合のみ,2回見せることができる)。(d) 教室,または教育の用に供する類似の場所でのみ使用する。(e) プログラムの全体のメッセージあるいは内容を変えない。(f) コピーはほかの人に渡すために複製してはならない。(g) すべてのコピーに,録画したプログラムに対する著作権表示をしなければならない。(h) 教育資料やその他のものを作るために,別のプログラムのセグメントと(物理的に,あるいは電子的に)結合しない。
前述の要件に加えて,商業ビデオのクリップや,放送またはインターネットから録画したプログラムのクリップは,以下の条件も満たさなければなりません:(a) ビデオまたはプログラムの一部のみを見せる。(b) プログラムはいかなる修正も編集も加えずに使用する。(c) プログラムの制作者や所有者が教会やセミナリー・インスティテュートあるいはその教えを推奨しているかのような使い方,あるいは教会やセミナリー・インスティテュートがプログラムやその制作者または所有者を推奨しているかのような使い方をしない。(d) 教会やセミナリー・インスティテュートを奨励するかのような使い方をしない。(e) すでに知られている内容の規制と教会の方針に従って使用する。
セミナリーとインスティテュートの教師や指導者に,これらの指針の中で答えを得られない質問がある場合は,『総合手引き-末日聖徒イエス・キリスト教会における奉仕』の38.8.11の「著作権のある資料」を参照してください。
Intellectual Property Office
50 East North Temple Street, Room 1888
Salt Lake City, UT 84150-0018
電話:1-801-240-3959,または1-800-453-3860 内線2-3959
ファックス:1-801-240-1187
電子メール: cor-intellectualproperty@ldschurch.org
音楽
音楽,特に教会の賛美歌は,生徒が福音を学ぶ際に聖霊の影響力を感じられるようにするのに,重要な役割を果たします。教会の賛美歌集のはしがきの中で,大管長会はこのように記しています:「霊を鼓舞する音楽は,教会の集会に欠かすことができません。賛美歌は主の御霊を招き,敬虔な雰囲気を醸し出し,教会員を一つにし,主に賛歌をささげる機会を与えてくれます。
賛美歌を歌うことが,すばらしい説教となることもあります。賛美歌は,人を悔い改めと善い行いへと駆り立て,証と信仰を強めてくれます。また,疲れた者を元気づけ,悲しむ者を慰め,そして最後まで堪え忍ぶように励ましを与えてくれます。」(『賛美歌』9参照)ダリン・H・オークス管長は次のように教えています:「わたしたちは,集会やクラス,家庭で,天から送られたこのリソースを十分に活用しているでしょうか。……
わたしたちの神聖な音楽は,祈り,福音を教えるための力強い備えです。」(“Worship through Music,” Ensign, Nov. 1994, 10, 12)教師は,礼拝における音楽の重要性と,御霊がより効果的に働くことのできる環境を作り出すうえで音楽がどのように役立つかを,生徒が理解できるように助けるべきです。
以下は,教師が音楽を使って生徒の福音の学習経験を豊かにすることができる幾つかの方法です:
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生徒が教室に入って来るときや,生徒がレッスン中に割り当てを受けて何かを書いているときに,霊的な音楽をかける。
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クラスで一緒に賛美歌を歌うときに積極的に参加するよう生徒を招き,促す。
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その日に教えられている内容と直接関係のある賛美歌の全部または一節を歌うことにより,福音の原則を復習したり,レッスン中にさらなる洞察を与えたりする。賛美歌集の終わりには,この点に関して役立つ聖句索引とテーマ別索引の両方があります。
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賛美歌の歌詞を読むことによって,生徒が福音の教義と原則について証を築き,証を述べるうえで役立つ。
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クラスで生徒にその場にふさわしい歌を歌ってもらう。
何らかの目的(BGM,マスター教義,暗記など)で教室で音楽を使用することに関する決定を下す際には,ボイド・K・パッカー長老の次の注意を覚えておくことが大切です:「若い人々をメッセージに引きつけたいという期待から,これまで幾度も,神聖な福音のテーマを現代の音楽に結びつけようと試みられてきました。……どのようにすればそれを行い,その結果霊性を高めることができるのか,わたしには分かりません。恐らく,それはできないのだと思います。」(That All May Be Edified [1982], 279)結局のところ,学習経験で使用される音楽が教会の標準と調和し,主の御霊を決して悲しませないようにするのは,教師の責任です。
一般的な助言と注意
生徒と良い関係を築きたいと望むことは適切ですが,称賛を受けたいという望みは,教師がそれに気づかなかったり,抑制したりしなければ,生徒が学び進歩するのを助けることよりも,生徒が自分のことをどう思うかに教師が関心を寄せるようになる可能性があります。すると,教師はしばしば,聖霊を招くよう意図された方法を,生徒から見た自分のイメージを高めることを目的とした方法に置き換えるようになりがちです。このわなに陥る教師は,偽善売教の罪を犯しています。なぜなら,彼らは「利益と世の誉れを得るために,説教をして自分自身を世の光と〔している〕」(2ニーファイ26:29)からです。ユーモアや個人的な話をはじめとする教授法を用いる際には,生徒を楽しませたり,感動させたり,生徒の称賛を勝ち取ったりする目的で行わないように注意するべきです。むしろ,すべての宗教教育者の焦点は,天の御父に栄光を帰し,生徒をイエス・キリストのもとに導くことに置かれるべきです。
ハワード・W・ハンター大管長〔1907-1995年〕は,次のように教えています:「教師に非常に影響力と説得力があるために,生徒が福音よりも教師に忠誠心を抱くことの危険性を皆さんは認識していると確信しています。そのような問題はぜいたくな悩みであり,そのようなカリスマ的な教師であったらよいのに,と願うかもしれません。しかし,そこにはほんとうの危険が潜んでいるのです。……ですから,生徒に聖文に対するあなたの解釈や説明を提示するだけでなく,彼ら自身で聖文を学ぶよう招く必要があります。御霊について個人的な証を伝えるだけでなく,生徒自身が主の御霊を感じるように招かなければならないのです。以上の理由から,言葉巧みに教義を教える人間のもとに導くのではなく,最終的には,生徒を直接キリストのもとに導かなければならないのです。教師はいつも生徒のそばにいるわけではありません。彼らが高校や大学を卒業した後は,彼らの手を取ることはできません。また,教師の弟子は必要ないのです。」(“Eternal Investments” [evening with a General Authority, Feb. 10, 1989], 2)
さらに,次の助言と注意点が様々な教授法と状況に適用されます:
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競争の活用。教師は,特に生徒が互いに競い合うときには,教室での競争に注意を払うべきです。競争は,争いや落胆,あざけり,恥ずかしい思いをすることにつながりかねず,御霊を退かせる可能性があります。
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マイナスな点を強調する。教師は,クラスや生徒個人に対する落胆を口に出す際に知恵を用いるべきです。ほとんどの生徒は,ある程度自分は不十分だと感じています。生徒の欠点を強調するのではなく,生徒を高め,励ます必要があります。
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皮肉。教師が生徒に,あるいは生徒がほかの生徒に言う皮肉は,ほとんどの場合,否定的であり,有害であり,あざけりを招き,御霊を失う結果を招く可能性があります。
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不適切なコミュニケーションと言葉遣い。教師は生徒に向かって叫んだり,言い争ったりしないようにすべきです。冒瀆や下品さは,宗教教育の場にあってはなりません。
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身体的な力の行使。教師は,自分の体の大きさや力を使って,生徒を脅したり,行動を強要したりしてはなりません。ふざけての身体的接触であったとしても,誤解されたり,より深刻な事態へと発展する可能性があります。しかし教師は,ほかの生徒を守るために,生徒に対して物理的な接触が必要な場合があります。
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性別を表す言葉。教師は,聖文の中の,性別を表す言葉遣いを認識し,それに敏感であるべきです。聖文の中には,その由来となった言語の性質上,男性を指す語句で書かれているものがあります。教師は,男性を指す語句の中には,男性と女性の両方を指すものがあることを生徒に指摘する必要があります。アダムが「どこにいる人でもすべての人〔訳注-「すべての人」は英語では「all men」(すべての男性)〕が,悔い改めなければならない」と言われたとき(モーセ6:57),主は確かに男女両方について語っておられました。時には,男性を指す語句が文字どおり男性を指している場合もあります。例えば,神会の御三方は男性であられますし,神権の義務に関する言及は兄弟たちに対してなされています。