2025
日本四国地方部が組織される
2025年2月号


日本四国地方部が組織される

─ 人口減少社会のチャレンジに応え,「喜びの教会を築く」四国マスタープラン ─

2024年11月17日,香川県の高松支部にて,四国地区特別集会が開かれた。当初の予想を130人ほど上回る361人が集い,礼拝堂と多目的ホールが一杯になった。管理はアジア北地域会長会第二顧問のクリストファー・H・キム長老である。そのとき高松地方部会長会第二顧問だった森村もりむら重義しげよし兄弟は振り返る。「3週間くらい前に急遽,(四国全域から)集まってくださいと伝えて。『何があるんですか?』と聞かれましたが,言うわけにいきませんから。」その場で,高松地方部と松山地方部を統合し,日本四国地方部へ名称変更することを提議,村野むらのさとる会長,青葉あおば拓馬たくま第一顧問,姉川あねかわ淳夫あつお第二顧問の地方部会長会が召され,全会一致で支持された。

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四国の教会歴史は一風変わっている。1970年大阪万博でのモルモンパビリオン出展を機に,全国で会員数が増えはじめ,その流れの中で日本高松ステークは誕生した。1981年のことである。それから10年後(1991年),高松ステークは,高松地方部と松山地方部へ分割された。ステークから地方部への分割は例がなく,世界初と言われる。その背景を,高松ステーク会長を1984年から7年間務め,2つの地方部への分割までを見届けた田染たしぶ洋一よういち兄弟はこう振り返る。「ステークの活発会員数の伸び悩みと,地元指導者たちへの負担が原因でした。七十人のユージン・ハンセン長老が来られて,『四国はとても(地理的範囲の)大きいステークだ。訪問するのも集まるのも大変だし,二つの地方部に分かれてそこで力をつけて,またステークを目指したらどうか』という勧めがありました。」分割された高松地方部の初代会長を務めた森村兄弟は,当時の教会機関誌にこう記している。「高松ステーキ部は四国全体を包括していたため地域が広範囲にわたり,ユニット数が多く,ステーキ部になって10年が経過していたにもかかわらず,その成長が停滞していたからです。以上の問題点の解消を図るために,高松ステーキ部を分割してふたつの地方部として再組織し,もっと細かく管理してその成果を得るようにとの提案でした。」今回の高松・松山地方部の統合,四国地方部の誕生は一見,33年前の高松ステークへの回帰のように見える。一体,当時と何が変わったのだろうか。

ユニット数の多さ

高松ステークにはかつて,高松・徳島・高知・松山の4ワードと,丸亀まるがめ坂出さかいで鳴門なると阿南あなん南国なんごく川之江かわのえ新居浜にいはま今治いまばり八幡浜やわたはま宇和島うわじまの10支部,合計14ユニットがあった。現在の四国は,統合前の高松地方部が徳島・高松・丸亀の3支部,松山地方部が高知・東予(とうよ)・松山・宇和島の4支部となっており,合計7ユニット。往時に比べるとかなりシンプルである。さらに今回,地方部が一つになったことで地方部役員の数が減った。その分を,各ユニットを強めるために割り当て,地元のミニスタリングを充実させることができる。

距離の負担

1980年代,田染ステーク会長が,高松から最も遠い宇和島支部を訪問するには,瀬戸内海に沿って走る国鉄予讃線よさんせんを乗り継いで6時間ほどかかった。安息日の集会が9時から始まるので,前日の土曜日に出発して松山で一泊し,翌日早朝から宇和島に向かう。見晴らしの良い海岸線をひたすら走るのどかな列車であった。宇和島支部では,13時までの定例集会の後にミーティングがあり,高松に帰り着くのは日付けが変わる頃となった。当時,高速道路はないに等しく,車のあるステーク役員は一般道で向かった。森村兄弟の伴侶はステーク扶助協会会長であり,丸亀から宇和島への訪問の際には,姉妹を乗せて森村兄弟が運転し,夜中の3時に出発したという。ユニット数が多かったこともあって,指導者が各ユニットを年2回訪問するのは大変だった。毎回のステーク大会は各県4ワードの持ち回りで行い,会員たちも犠牲を払って出席した。現在では,四国の各ユニットは高速道路網で結ばれている。高松から宇和島までは高速で3時間ほどとなった。ただ,それでも距離があることに変わりはない。これは四国のみならず,全国各地の教会の共通の悩みでもある。

開拓者が築いた礎

森村兄弟の遠隔会議アプリの背景には,讃岐富士さぬきふじをいただく丸亀支部の画像が使われている。この建物はステーク分割19年後の2010年に建てられた。教会の建物を頂くために,「1年間通して聖餐会60名以上の目標があり,頑張ったんですね」と森村兄弟は懐かしそうに語る。そうした開拓者世代の信仰と熱意と犠牲が,今日の受け継ぎを築いてきた。その頃,リチャード・G・ジンケ神戸伝道部会長(2011-2014年)が「もう一度四国をステークにしよう」と呼びかけ,四国の会員も徐々に再統合を意識しはじめる。現在の佐野さの剛史つよし会長が着任し,四国の指導者たちと会って最初に尋ねられたのは「いつ四国はふたたび一つになるのでしょうか」との質問だった。

テクノロジーの助け

四国地方部の村野会長が,高松地方部会長に召されたのは未だ,コロナ禍の中にあった2022年。当初に比べればウイルスの弱毒化が進んではいたが,まだまだ社会は平常を取り戻せていなかった。しかしこの時期,社会的に大きく進んだのが通信テクノロジーの活用である。教会も例外ではなく,聖餐会の遠隔配信は当たり前の風景になった。コロナ前にはセミナリーの遠隔授業など一部で使われていただけだったが,物理的に教会へ集えなかった時期を通じて,教会員個人や家族の単位で,遠隔会議アプリやYouTubeで見るディボーショナルなどのテクノロジーが浸透した。かつて遠距離を移動していた集会の多くが遠隔会議に置き換えられた。それは指導者や会員の負担を軽減し,より本質的な,ミニスタリングのための時間をもたらすことになる。地域七十人や福岡神殿会長を歴任した東予支部の青葉あおば太一たいいち兄弟は言う。「集会とか,コミュニケーションを取ることの本質が何かを考えさせる,いい動機付けにはなりました。コロナの4年間を通して困難もあったけれど,学んだこともたくさんあったし,確かにわたしたちの伝道の仕方,会員の関係の作り方っていうものが,時代と共に変わっていかなければいけないことも実感しましたね。」

喜びの教会へ

青葉兄弟は分割後の松山地方部で二代目(2002-2005年)の地方部会長を務めた。再びステークを目指す中で,聖餐会の出席者数やメルキゼデク神権者数などの要件は厳しかった。「現実的な問題として,(当時は)人数に焦点を当てたビジョンというものが中心だったように思います。それが今,わたしの気持ちの中で変わってきているのは,決して人数によってステークやワードになるのではなく,会員一人一人の思いが一つになって,いわゆるシオンの状態をつくらなければ,一時的に人数を稼いで形として(ステークに)なったとしても,本当のステークは維持できない。そういう質と量のバランスというものに視点が変わってきましたね。」個人的な思いですが,と断りつつ青葉兄弟は言葉を継ぐ。「分割後の33年間を乗り越えて残っている高齢の会員がたくさんいます。この人たちの知識と経験,何があっても教会を離れることのなかった,たくましい年配者たちのパワーを生かさなければ,ステークには絶対にならない。若い指導者と熟練した会員たちをどのようにかみ合わせて力に変えていくか。今後,新しい地方部の指導者に求められるのは,そこじゃないかなと。その要になるのは,イエス・キリストに対する揺るぎない確固とした信仰と,信仰生活の中に見いだせる喜びがあるかどうか。それらがうまくかみ合えば,奇跡的に再び四国はステークになれる。そういう要素は十分,神様から頂けると思っています。」四国地方部の村野会長も異口同音に言う。「わたしたちが喜びをもって教会に集まり,福音生活を送る。そして,周りの人に福音を伝える。『喜びの教会にする』っていうのが一番大きな課題ですね。それができるようになったら,四国でもっと伝道が進むと感じています。やはり,楽しくないところに人は来ないので。」

様々な人を迎えて

四国地方部が誕生した次の土曜日,地方部のYSAの有志が,愛媛県西条市の山あいにある「あおば窯」へ集まり,青葉兄弟の指導で陶芸体験を行った。「青少年や若い世代はやはり,一つの大きなかたまりの中で成長していけると感じます」と森村兄弟も言う。高松地方部会長の頃から若い世代を強めたいと願ってきた村野会長の思いに応える,初の活動となった。参加者の中には,フィリピン出身のサイリーン姉妹がいた。教会員の彼女は技能実習生として来日し,1年近く教会を探してこの8月に高松支部へやって来た。村野会長は言う。「わたしは徳島の田舎に住んでいるんですけど,外国人の方をちらほら見かけます。農業とか,外国人なしではもう成り立たないとか。」サイリーン姉妹も,フィリピン人の女性7,8人で共同生活し,溶接の仕事を学んでいるという。「宣教師の皆さんには,ぜひ,日本人だけじゃなくて外国人にも声をかけて,福音を伝えてください,とお話ししています。」人口減少社会にあっても,世代も国籍も超えて共に喜び,ミニスタリングする教会─33年を経て再び一つとなった四国地方部は,新たな時代を築いていく。◆

  1. 現在のステーク

  2. 「新たに組織された地方部長会」『聖徒の道』1991年10月号ローカル4

  3. 付属支部を含む

  4. 国鉄(日本国有鉄道)は1987年に分割民営化されて今日のJRとなった。現在の,松山から内陸部をショートカットして宇和島へ向かう路線は当時まだなかった

  5. ヤングシングルアダルトの略。18 歳から35 歳までの独身会員

  6. 陶芸家・青葉太一兄弟のニュースルーム記事「青葉夫妻の軌跡:信仰,芸術,豊かな人生」