2024
主はご自身の時刻表をお持ちです
2024年9月号


Young Service Missionary ─ ヤング奉仕宣教師

主はご自身の時刻表をお持ちです

初夏の青森県八戸市は爽やかな風が吹いている。2023年5月末のよく晴れた朝のこと。宣教師としての最初の任地で2週間目の藤田優花姉妹は,約束の時間に遅れまいと肩に手提げカバンをかけ,幹線道路沿いの歩道を自転車で懸命に走る。

そのときだった。突然,自転車が前のめりになり,優花姉妹は顔から地面に投げ出される。

痛みとショックで何が起こったのかすぐには分からない。驚いた同僚が駆け寄ってくる。転んだのは交番のすぐ前で,お巡りさんが飛び出してくる。たまたま通りがかった人の中に看護師さんがいて,応急手当てをしつつ励ましてくれる。

自転車の前輪がカバンの裾を巻き込んでロックし,走っていた勢いで後輪が持ち上がって投げ出されたのだと後で知った。お巡りさんが呼んでくれた救急車が程なく到着し,病院に搬送される。

幸い,運ばれた先には口腔外科があった。顎に5針ほど縫う怪我と,耳の横の骨折,歯の損傷─連絡を受けた両親は心配で震えたものの,痛みも腫れも軽く,入院するほどの状態ではなかった。母親の藤田照美(てるみ)姉妹は,不思議なほど迅速に処置されたことについて,「全て神様が最善の準備を整えられていたんだなって感じました」と語り,宣教師は守られている,との思いを新たにした。

伝道への憧れと,驚きの召し

藤田優花姉妹は予定日より2か月半早く930グラムで産まれた,と照美姉妹は振り返る。超低出生体重児として様々な疾病リスクがあり,生き延びてくれるか,との両親の心配をよそに,大きな病気もせず順調に育った。ただ医師の話では,筋肉の緊張が弱く,日常生活に問題はないがアスリートになるのは難しい,とのことだった。

優花姉妹は読書好きの創造性豊かな子どもだったという。父親の藤田 満(みつる)兄弟は特別支援学校の先生をしており,少女時代,転勤する父について北海道中を転々とした優花姉妹もいつしか,障害者教育に深い関心を寄せるようになる。父親の障害者教育関係の蔵書を小学校高学年までにほとんど読破していた。そして2022年春,難関の入試を突破し,茨城県の大学で障害科学を学ぶべく実家を出た。

一方,心の中に伝道への思いも育っていた。父方の祖父,藤田烈(いさお)兄弟は小樽(おたる)の教会の開拓者であり,長らくステークの祝福師を務めた。高齢となって祝福師の召しを引退したが,最後に孫の優花姉妹の祝福を行う。そこには伝道について記されていた。「もともと小さい頃から宣教師に憧れを持っていて,いつか宣教師になるのかな,とは思っていました。」明確に伝道を決心したのは大学1年の秋だった。断食して祈ったときに,「神様はわたしの長所とか心の望みを全部御存じで,わたしを必要としてくださっているし,わたしにしかできない奉仕の機会が巡ってくる」─そんな印象を受けたのである。

伝道の申請は大学のある茨城県から出したものの,現住所は札幌の実家とした。やがて正式な伝道の召しと任地を知らせるメールが届く。両親と一緒に心躍らせて開くと,英文が目に飛び込んできた。

「Japan Sapporo Mission」

「─いや,本当にびっくりだったんです。まさか札幌の住所で申請して札幌伝道部に召されるなんて夢にも思っていなくて。」すぐに祖父母へ電話で知らせると,ことのほか喜んでくれた。「何か御心があるんだろうね,と家族で話しました。」

地元ならではの機会

2023年4月に米国ユタ州プロボの宣教師訓練センターに入り,5月中旬には札幌伝道部に着任,八戸(はちのへ)支部に赴任した優花姉妹。その出鼻を挫かれるようにして事故に遭ったのだった(記事冒頭)。その後も継続して通院が必要だったので,伝道本部のある札幌市内に転任し3人同僚で働いた。同僚の一人は元看護師で,常に優花姉妹の体調を気遣ってくれた。

6月には札幌神殿敷地内に大規模な集会所「北海道北ステークセンター」が完成し,お披露目のオープンハウスが開かれた。優花姉妹はそこに高校時代の友人二人を招く。「主の平安受け」という曲を宣教師の発表の一部として優花姉妹が独唱し,友人たちに聞いてもらうことができた。また,祖父のサポートで,彼が若い頃に福音を伝えようとして果たせなかった弟たち(大叔父)を訪問する機会も得た。地元で伝道しているからこその強みが生かされた経験だった。

伝道の曲がり角

ところが9月初旬,優花姉妹はコロナウイルスに感染して高熱を発した。隔離期間後,1週間ほど療養し一応の回復を見たものの,後遺症が残る。体力がいっそう落ちて,疲れやすくなった。照美姉妹は言う。「宣教師さんの日常の行動範囲が広く,運動量が激しいので,本当に神様は娘を専任宣教師として召されるのかなと,実は心配していました。」札幌の短い秋を通して優花姉妹は懸命に働いたが,体力と精神力には限界が来ていた。當真(とうま)伝道部会長夫妻は,体調の回復を優先すべき,との判断により11月中旬から優花姉妹に実家で1か月の医療休養を取らせる。

休養に至るまでに心身の不調を相談する中で,ヤング奉仕宣教師に転任するという選択肢も示されていた。休養中,奉仕伝道リーダーの関口(せきぐち) 治(おさむ)・貴子(たかこ)夫妻がタイミング良く札幌を訪れ,詳しい説明を聞く機会もあった。優花姉妹は迷いに迷い,思い悩む。當真会長から与えられた1か月の間に,よく考えて結論を出したかった。

自分が本当にしたい伝道は

休養期間終了まであと1週間弱となった12月8日,當真健一(けんいち)・るり伝道部会長夫妻と面接をする。そのとき優花姉妹の中では,ティーチング宣教師として任期を全うしたい気持ちが7対3くらいで優勢だった。「それが本来一番標準的な伝道の形だと思っていたからなのかな。」

當真姉妹は言う。「彼女ならどちらを選んでも何も問題はない,どちらも一生懸命頑張ることができるっていう強い確信があったので,片方だけを勧めることはしませんでした。」

全ては優花姉妹の選択に委ねられていた。「─でも,自分が本当に何をしたいのかなって考えたときに,奉仕宣教師をやってみたい気持ちがわたしの中に生まれてきました。ヤング奉仕宣教師制度は本当に始まったばかりで,あなたは奉仕伝道のパイオニアになれるよ,って當真会長に言われて。聞けば聞くほどすごくわくわくしてきました。」面接が終わる頃には,意外にも奉仕宣教師への気持ちが2対8くらいで逆転していたという。

翌日,小笠原(おがさわら)ステーク会長との面接でも結論を保留にした優花姉妹は,自分の伝道について,その晩遅くまでじっくり祈って見つめ直した。

「自分が一番したいことは,どんな形であれ少しでも早く復帰し,少しでも長く伝道を続けること,そう気付いたんです。それなら,今までと同じ伝道スタイルにこだわる必要はない,奉仕宣教師は今の自分にとって一番希望を持てる選択だと,そういう結論に至りました。」

春まで溶けない本格的な雪で札幌が真っ白になった12月中旬,優花姉妹は休養期間を終え,ヤング奉仕宣教師として新たなスタートを切った。

奉仕伝道の幅広さ

優花姉妹の1週間は充実している。

毎週火曜日の午前中には,自宅に近い児童発達支援施設「ドリームつばさ」で幼い子どもたちの療育活動を行う。このボランティアは札幌市の社会福祉協議会のサイトで見つけ,希望した。障害科学を学ぶ優花姉妹にとっては,専門性を生かした奉仕となり,療育の現場を経験する得難い機会ともなっている。

「働き方がすごく丁寧で」と,施設の管理責任者の高田(たかだ)ちはるさんは評価する。「障害特性に合わせてといった細かいことはまだ難しいと思うんですけど。でも子どもたちのことを知りたいっていう姿勢はすごく見えているので,その強みをぐいぐい出して子どもたちと関わって,(障害の)重い子にも携わっていけるようになったらいいかなと思っています。」

伝道本部での奉仕もある。事務手続きを手伝ったり掃除をしたり,ゾーン大会では當真姉妹を助けて食事を準備したり,宣教師の神殿団体参入では儀式執行者を務めたり,宣教師のレッスンへの同席や,模擬レッスンの相手役を務めたりと,することはいくらでもある。「本当に幅広く色々と活躍されてるんです。」すばらしい,彼女のような奉仕宣教師がもっといてくれたら,と當真会長夫妻は声を揃える。

週の後半2日は札幌神殿の儀式執行者として奉仕する。ある雪の日に當真姉妹が伝道本部から外を眺めていると,優花姉妹がスーツケースをころころと引きながら雪の上を器用に走って神殿に入っていくのを見た。「さすが道産子(どさんこ)だな,と微笑ましく見ていたんですけど。」

高校時代に合唱部だった優花姉妹は,音楽の才能も奉仕に使う。毎月開催される音楽イベント「ミュージックサタデー」の企画運営を手伝って出演し,ワード指揮者と初等協会音楽指導者の召しを果たし,ステーク聖歌隊へ参加する。そのほかにも,ティーチング宣教師のときに見つけた友達を札幌インスティテュートハウスの活動に誘って一緒に参加したり,高校生の子に英語を教える学習支援ボランティアをしたり……奉仕宣教師は柔軟に活動を計画できるので,自分のペースで働くことができ,パーソナリティーに応じて活動の幅は広がっていく。

家族に仕える召し

祖父母の家が札幌神殿から徒歩5分なので,神殿奉仕の前日はそこに泊まり,家事を手伝ったり,互いに証をしたりして過ごす。「本当の証会のようになるんです。孫とわたしたちの関係がすごく近づいたっていう気持ちがありまして」と祖父の藤田 烈兄弟はほほえむ。その時間は祖父母にとって主からの贈り物のように思える。祖母の明子(あきこ)姉妹は,「生き生きとして神様の仕事をしている孫を見ていて,本当に幸せです」としみじみ言う。父親の満兄弟も言う。「うちの両親が元気なうちに優花が両親の支えになる。そういう意味でも奉仕宣教師としての召しがあるのかな,と。」照美姉妹も言い添える。「この地に召されたからこその,神様の深い御心なんだなって思います。」

両親にとっても,優花姉妹の奉仕伝道は特別な時間となった。「娘が大学へ行ってしまったら,家族として生活することは,もうこれからはそんなにないんだなって。成人式も一緒にはできないって思ってました」と話す照美姉妹。「考えたら今,家族で毎日ご飯を食べて一緒に生活させてもらえることは,本当にありがたいなって。」

主が用意された時間

當真会長は言う。「どこの地でも奉仕宣教師ってすごく価値のある働きですけれど,藤田姉妹の場合には,この札幌に召されて札幌で奉仕宣教師ができたっていうのが,とても恵まれた,導かれたことだったと思いますね。」

今,優花姉妹はこう振り返る。「伝道に出ようと思ったこと,事故に遭ったこと,いろいろあって奉仕宣教師を選んだこと。その一つ一つに本当に神様の御心があったんだと思います。ティーチング宣教師から奉仕宣教師になったことで,挫折感や葛藤があったり,気持ちを切り替えられなかったりするって一般的には思われそうですけど,わたしは不思議とそういうのがなくて。決断さえ一度してしまったら,逆に,今まで何を迷っていたんだろうっていうぐらい,すごくわくわくして,前向きで,楽しみで。當真姉妹から,希望に満ちあふれてると言われたこともありました。

現在,奉仕宣教師をしていることにどんな御心があるのか完全に理解しているわけではありませんけど,一つ言えるのは,神様はそのときのわたしにとって最もふさわしい経験を,いつも用意してくださっているということです。」

藤田優花姉妹は,人に仕えたいとの心の望みを胸に,主に与えられた伝道の時間を精一杯楽しんでいる。◆

  1. ヘンリー・B・アイリング「大幕はどこにあるのですか」2012年10月総大会説教参照

  2. 「障害とは何か」を追究する学問。社会学,社会福祉学,心理学,臨床心理学,医学,生理学,脳科学,特別支援教育学といった様々な角度からアプローチする

  3. 2018年度ユースミュージックのテーマ曲

  4. ヤング奉仕宣教師は専任宣教師だが,実家で生活して奉仕伝道を行う。同僚はいないものの,支えてくれる家族が同僚に相当する。藤田姉妹の場合,両親と祖父母が伝道を支援する