2024
ネームタグをつけた会員のように
2024年8月号


Ministering ─ 人々に仕える

ネームタグをつけた会員のように

沖縄県・八重山(やえやま)群島に位置する石垣島。雨上がりの国道を1台の自動車が走っていく。車窓をよぎるサトウキビ畑,石垣牛の牧草地,ヤラブ並木……。日焼けした手でハンドルを握る島田長老の隣には,妻であり同僚である由香理姉妹。2人は北海道・網走(あばしり)支部出身の夫婦宣教師だ。出身地とは全く異なる環境で奉仕する二人の伝道のモットーは「すべての人にミニスタリング」。北国の小さな支部で培った経験を生かし,南の島の人々に仕えている。

北の国から南の島へ

「網走の寒さは突き刺さるような寒さで,北海道では『しばれる』っていうんですけど……。」故郷の気候を言い表す言葉を探して島田姉妹は言いよどむ。網走市の年平均気温は6.5度。冬の夜にはマイナス15度まで下がり,海には流氷が押し寄せる。そんな北方の地から南国の石垣島に夫妻がやってきたのは2023年6月のこと。空港で出迎えてくれた石垣支部会長・知花秀樹(ちばな・ひでき)兄弟,扶助協会会長・与那覇達子(よなは・たつこ)姉妹と車で走り出すと,色鮮やかな花々が咲き乱れる風景に目を奪われた。「今は見慣れたけどね,初めて見たときは,何だこの辺り,何か違うって……」と島田長老は振り返る。

そこにいるだけでいいですから

島田夫妻はそれぞれ東京北伝道部,大阪伝道部の帰還宣教師だ。伝道が終わりに近づいた頃,若い島田姉妹は「次は夫婦伝道に出よう」と決めていたという。

待ちに待った二度目の伝道生活は,若い頃とは違ったチャレンジと試行錯誤に満ちていた。まず圧倒されたのは南国の暑さだ。「熱気が押し寄せてくる。日差しの強さが違います。」

伝道方法もかつてと大きく変わっていた。エリアブックなどの伝道に必要なツールはデジタル化されており,PCやタブレットの操作に通じていなかった夫妻は途方に暮れる。ちょっと質問しようにも当時,石垣島に若い宣教師はいなかった。

「宣教師の生活に慣れるまで,どのような伝道活動をしたらよいのか分かりませんでした」と島田長老は言う。若い頃のように宣教師らしく伝道しなければという思いで戸別訪問を行うも,南の暮らし方が分からず,最も暑い14時頃に出かけていた。「1時間くらいで汗だくで。もう頑張ったねって切り上げたりしていました。」自分たちは今,宣教師として働いている。その実感を求めて呼び鈴を鳴らしていた部分もあったという。

慣れない南国での伝道に戸惑う島田夫妻に,原伸二郎(はら・しんじろう)伝道部会長(当時)は「そこ(石垣支部)にいてくれるだけでいいですから」と声をかける。しかし責任感の強い二人にはその言葉の意味がよく分からなかった。「いるだけで本当にいいのかっていう気持ちは正直ありました」と島田長老。「若い宣教師のような伝道をしても目に見えるような成果がなくて,何もできないな,何しに来てるんだろうなっていう気持ちになることはよくありましたね。」

仕えるべき人々を探して

島田夫妻が赴任した沖縄ステーク石垣支部は,石垣市内のビルの一角に十数人が集う小さな支部だ。まれに転勤してくる家族もいるが,数年たつといなくなる。

2人が赴任して初めての日曜日,知花会長から「ぜひ訪問してほしい」と,教会から足が遠のいている会員たちのリストを渡された。それまで支部には車で動ける会員が1人しかおらず,訪ねて回ることは難しかった。島田夫妻は車で島を巡って会員訪問を始める。会えた会員にはあいさつと自己紹介をし,不在の会員にはポストに自己紹介と連絡先を書いたカードを投函した。

訪問を始めて少したったある日,島田長老の携帯電話が鳴る。出てみると先ほど訪問して不在だった姉妹からだった。カードを見つけてお礼の電話をくれたのだ。「そんなことをしてくれる人はいなかったから,本当にうれしかった」と島田姉妹は目を細める。早速,電話をくれた安里千佐子(あさと・ちさこ)姉妹の家を再訪した。足が悪く,20年ほど教会に集っていなかった安里姉妹は2人を歓迎してくれた。何度か訪問するうち,島田夫妻は農作業を手伝うようになる。ティーリーフの葉を拭きながら話をする時間は,安里姉妹に福音の喜びを思い起こさせてくれた。「今って人のために何かするのはばかばかしいみたいに言うけど,島田長老は違いました。人のためにこんなことしたよ,って話したときに,ぼくも仕事中に電車賃が足りないって人が来たから,戻るかは分からないけれどお金を渡したことがある,って言われて安心したんです。自分が教会に入ったのは,そういう教えを知りたいって思いがあったから。」

島田夫妻と知り合う少し前,安里姉妹は,かつて石垣で伝道した宣教師からの手紙を受け取っていた。その手紙と,島田夫妻の度重なる訪問が,安里姉妹の心を教会へと引き戻していった。ある日,島田夫妻は安里姉妹が「足が痛いとか,階段が上がれないとかは(教会に行かない)理由にはならないよね」と呟くのを聞く。こうして2023年8月27日,安里姉妹は20年ぶりに石垣支部へ足を運んだ。久しぶりの教会は場所も移転し,会員たちはタブレットで聖典を読んでいる。しかし,支部の家族的な温かい雰囲気はそのままだった。「やっぱり教会はいいね,と思いました。」それ以来,夫に送ってもらい,石垣支部まで片道35キロの距離を通うようになった。「急な仕事が入ったときや,夫に部落の用事が入ったとき以外は,なるべく行くようにしています。」

ミニスタリングを通して会員たちと信頼関係を築き,繋がっていく中で,島田夫妻のもとには助けを求める依頼が次々と舞い込んで来るようになった。引っ越しの手伝い,コロナで亡くなった会員の家族のお葬式の準備,高齢者の携帯電話変更,マンゴー農家を営む会員夫妻の畑の整備……。島田長老は,「日中,奉仕の時間のあるわたしたちがいて良かったな,って思うようなことも何度もありました」と言う。それは,彼ら夫婦宣教師が石垣にいることを,確かに主が知っておられることの表れのようだった。

島田夫妻の訪問をきっかけに,子供たちがバプテスマを受け,教会へ戻った家族もいる。ミリアン・メンデス姉妹はブラジル出身の会員だが,夫妻が初めて訪問したときは教会に来ていなかった。ミリアン姉妹は日本語の専門用語の理解が難しい。彼女が市役所に赴く際は島田夫妻が同行し,公的制度をかみ砕いて説明した。

ミリアン姉妹と打ち解けた頃,島田夫妻は息子さん,中学生のダニエルくんと小学生のダヴィくんに福音を教えたいと申し出る。するとミリアン姉妹は─「二人は以前も福音を学んだことがあるけど,よく分かっていなくて……次はあなたたちのような年配の人から福音を学ばせたいと思っていた。」まさに渡りに船だった。

レッスンを始めると,子供たちは競ってモルモン書を読んだ。ダヴィくんは学校にまでモルモン書を持っていくほどの熱の入れようだった。11月に海で行われた二人のバプテスマ会では,島田長老が執行者を務めた。「若い兄弟たちをお助けできたことは喜びでしたし,この時期を境にミリアン姉妹が教会に来てくれるようになったのは重ねてうれしいことでした」と島田長老はしみじみと語る。

家族歴史の探求と沖縄神殿

石垣支部の一角には家族歴史センターがある。部屋にはパソコンや印刷機が置かれており,着任当初島田長老は驚いた。「小さな支部に,なんでこんなに立派なセンターがあるんだろう?」

島田長老の疑問は,支部会員の白保律子(しらほ・りつこ)姉妹によって解ける。八重山群島出身の白保姉妹は家族歴史相談員として40年近い経験があり,夫の定年退職後に石垣島へ移住,琉球王朝に繋がる先祖の探究活動に取り組んできた。島田姉妹は初めて白保姉妹の資料を見せてもらったとき驚いた。「詳しく整理された資料で,王朝の系譜で18代まで遡れるようになっていて。すごくワクワクしました。」

沖縄と隣国の台湾には,琉球王朝の歴史記録が残されている。白保姉妹は「那覇市家譜資料」と「戸籍謄本」の間を繫ぐ近世紀の『歴史資料調査報告書 沖縄の家譜』を用いて家系図を琉球王族までつなげている。「その中には,本島系,宮古系,八重山系,久米系の保管者名が記録されています。氏族ごとに代々受け継ぐ名前の頭一文字の漢字『名乗(なの)り頭(がしら)』と『氏名(うじめい)』が解れば,王朝につながる大きなヒントになります」と白保姉妹は解説する。白保姉妹が膨大な時間と手間をかけて調べた先祖の記録は数千人に上る。

島田姉妹は,沖縄の先祖探求の業にエリヤの霊を感じるという。「沖縄は特別な地域ですよね。日本と中国に挟まれて,両方とうまくやろうと努力してきたのに,戦場にされて多くの方が亡くなって,資料も焼けてしまった。でも今,王族まで繋げて他の地域の系図より遥かに上の代まで遡れるというのは,これまでの歴史を見ておられた主の深い計らいを感じます。」

島田夫妻は,沖縄の先祖探求を続ける白保姉妹とともに,沖縄神殿と石垣支部の会員たちをつなげる試みに取り組んでいる。彼らの先祖探究を助け,ファミリーツリーへの入力を手伝う。「せっかく沖縄に神殿ができたので,石垣島の皆さんにとって神殿が身近になり,頻繁に足を運べる場所になればいいと思っています。」

真夏の猫探し

島田夫妻が石垣島に来て間もないころ,沖縄神殿のオープンハウスに先立ちボランティアの募集が始まった。夫妻は支部会長の知花兄弟を誘う。「当時,兄弟はまだエンダウメントを受けていなかったので,神殿に心を向けるきっかけになると思いました。」知花兄弟は快諾するが,ボランティア締め切り3週間前になって困ったことが起きる。知花兄弟の保護していた猫が逃げて行方不明になってしまったのである。支部を挙げて真夏の大捜索が始まった。島田夫妻は朝晩毎日のように知花兄弟宅付近を回った。支部の会員たちとともに迷い猫のポスターを貼って回り,SNSでペットの助け合いグループを見つけて情報を募ったりもした。

─失踪して2週間,知花兄弟は,猫が見つからない限りオープンハウスのボランティアの参加はできない,と言う。これまで家族同然に世話をしてきた彼には,真夏に行方不明の猫を置いて沖縄本島に行くことはできなかった。市街地に住む知花兄弟の自宅近くは建て込んでおり,その中から一匹の猫を見つけるには主の力に頼るほかない。島田夫妻は断食して祈り,主を信じて捜索を続けた。

数日後,知花兄弟の元に猫がひょっこりと姿を現す。しかし警戒心が強く,すぐに逃げてしまった。それからは知花兄弟が毎日同じ場所で猫を待つ日々が続いた。

失踪して3週間目。「明日はボランティア登録の締め切り日だし,捕まえないといけないね」と話しつつ島田夫妻は捜索していた。すでに夕暮れ時である。─そのとき,彼らの耳に知花兄弟の叫び声が聞こえる。急いで部屋に向かうと,そこには猫をしっかりと抱きしめた知花兄弟がいた。時間をかけて距離を詰め,ついに捕獲に成功したのだ。「これって夢じゃないですよね?」と問いかける知花兄弟に島田長老は笑って答える。「支部会長,神殿に行かないって言えなくなりましたね!」

無事,沖縄神殿のオープンハウスに参加した知花兄弟は,駐車場整理のボランティアで感じた気持ちが忘れられないという。「ものすごく暑い日でしたが,平和な気持ちがずっとありました。そのとき神殿が特別だと感じたので,奉献された沖縄神殿で儀式を受けたいと思えました。」そして12月,稼働を始めた沖縄神殿で,知花兄弟は島田夫妻に見守られながら自身のエンダウメントを受けた。

ネームタグを付けた善き会員として

伝道に出て1年がたった。島田夫妻は今日も,ミニスタリングを通して人々を招き,助ける働きを続けている。去年の夏から,宣教師の食事会を発展させたおしゃべりと食事の会「ゆんたく会」を始めている。「こっちでは夕方になったら家の前や道路に座って井戸端会議をしているのをよく見かけるんです。それを沖縄の言葉で『ゆんたく』っていうんですけど。教会にみんなが気軽に集まる機会を作りたいと思って。」月1回,平日の夜に行われるゆんたく会には,教会員と地元の人々が集まり,島田姉妹の手料理に舌鼓を打ちながら話をする。先日,ずっとゆんたく会に来てくれていた親子にモルモン書を渡した。「歩みはゆっくりかもしれないですけど……できる方法で,イスラエルの集合を助けたいです。」

最近,島田夫妻は,「いるだけでいい」と言った原伝道部会長の言葉の意味が分かるような気がしてきた。「人が少ない地方のユニットに,世間や教会のいろんなことを経験してきた夫婦宣教師がきて1年半ずっといる。それだけで意味があるんじゃないかと思います」と言う島田長老。この1年,ミニスタリングを通して多くの人を教会と神殿に導いた。ミニスタリングも家族歴史も,網走支部でずっとやってきたことだ。召された場所で,これまで自分のユニットでやってきたように奉仕する。宣教師と呼ばれる立場ではあるが,ネームタグをつけた善い教会員としてそこに「いるだけ」で,任地の人々の力になれることがあるのではないか─そう考えている。

「でも本当は,わたしたちが助けられているんですけどね」と島田姉妹は笑う。赴任した日,迎えてくれた知花会長と与那覇姉妹は冷蔵庫に食品を満たし,弁当を渡してくれた。暑さに参ったときには,会員が夏バテに効く島の食べ物を教えてくれた。たくさんの愛をくれた石垣の人々に仕えたい。「1年半は短いです。わたしたちはただ助けるのでなく,一緒に主に従って成長していきたい。わたしたちの後に途切れず夫婦宣教師が来て,同時に,見つけて教えるのが得意な若い宣教師もいることが,支部にとって一番いいと思います。」

今でも時々,夫婦で「自分たちの伝道はこれでいいのかな」と自問することはある。ただその問いは,宣教師らしく伝道できているかという思いではなく,「主の御心は何だろう」という思いからだ。主は自分たちの経験をご存じで,人々を導くために使ってくださる。そう信じて島田夫妻は今日も車を走らせる。◆

  1. 石垣島でよく見られる街路樹(テリハボク)

  2. 北海道弁で,きびしく冷え込む,凍る,の意

  3. 和名センネンボク。リュウゼツラン科の植物で,大きな柔らかい葉はフラの衣装や生け花に使われる

  4. かつて琉球人の間で用いられていた中国風の名前(唐名)の名字