Ministering ─ 救いと昇栄の業
幕の彼方へ広がるミニスタリング
池内英二兄弟は徳島で生まれ,18歳で改宗した。24歳から福岡伝道部の専任宣教師として働き,帰還後は教会教育部の職員としてインスティテュートやJMTCで熱意を込めて教えた。結婚後は4人の女の子に恵まれ,幸せを絵に描いたような生活を送っていると誰もが思っていた。ところが,結婚生活を揺るがす危機に直面し,池内兄弟は,幼い子どもたちを徳島の田舎に住む両親に預けて事態の改善に努める。結局,自身の弱さもあって1994年に40歳で離婚,子どもたちは池内兄弟が引き取った。当時召されていた千葉の鎌ヶ谷(かまがや)ワードの監督の責任を投げ出すような形で教会を離れ,教会教育部の職からも退いた。それは,池内兄弟を慕う多くの教会員にとっても衝撃的なことだった。
かつて同じワードのYSAだった中澤由紀(なかざわ・ゆき)姉妹(松戸第一W)は当時の池内兄弟をこう語る。「池袋のインスティテュートはサークルのような活気がありました。レッスンは霊的で分かりやすく,彼を尊敬し,憧れる生徒がたくさんいました。」池内兄弟のもとで学ぶことが楽しく,中澤姉妹は週に何度も足を運んだ。忘れられないのは,当時付き合っていて改宗したばかりの中澤兄弟に対して池内兄弟がいつも気を配り,ロードバイクでの日本縦断に誘うなど,とてもかわいがってくれたことだ。いつも歓迎してくれたことが幸せな結婚に繋がったと中澤姉妹は感謝する。池内兄弟はとりわけ,青少年と過ごす時間を愛した。岡本康(おかもと・こう)兄弟(松戸第一W)も語る。「池内兄弟は監督室に青少年を招き,月に1回,パンとレタスとマヨネーズのごちそうをしてくれました。」岡本兄弟は教会のことや学校のこと,個人的なことなど,何でも池内兄弟に話した。池内兄弟は青少年の良き理解者であり,青少年は安心して心を開いた。そして,伝道の備えができるようチャレンジを与えて見守り,信仰が増すようにと気にかけ,伝道中は手紙を送り続けてくれた。心の拠(よ)り所(どころ)を突然失った青少年やYSAがショックを受けたのも,無理のないことだった。
ほどなくして,鍼灸師(しんきゅうし)の国家資格を持っていた池内兄弟は川口市に引っ越し,治療院を始める。できるだけ幼い子どもたちのそばにいたい,授業参観に出かけられる時間もほしいと思っての開業だ。仕事が軌道に乗った2年後には,子どもたちを呼び戻し,子育てと仕事に没頭した。治療院には腕のいい鍼灸師が集まり,東京と埼玉で2つの会社,8店舗を立ち上げるなど事業を拡大し,「元気堂」は45人のスタッフを擁する人気治療院となる。子どもたちが成長して全員結婚した後は,田舎にいる母親を連れて来て介護をした。父親は先に亡くなり,ちょうど母親一人での暮らしが難しくなっていた頃だった。池内兄弟は4年間の献身的な介護の後,2年前に母親を看(み)取る。長男,父親としての務めを果たし終えて一息つき,ようやく自分に目を向けられる時が来ていた。
神殿に招かれて
教会を離れた当初,多くの会員や宣教師が「元気堂」を訪ねてくれたが,心を開くことなく20数年が過ぎていった。それでも,「再び戻って来ることができたのは,ぼくより一回り以上若い,数人の兄弟姉妹の熱心なミニスタリングが始まりでした」と池内兄弟は語る。
2022年春,教会は東京神殿の大規模な改装工事を終え,7月の再奉献に向けて動き出していた。ある日,池内兄弟のもとに興津留美(おきつ・るみ)姉妹(浦和W)からのメッセージが届く。「平野拓也(ひらの・たくや)兄弟が日本に帰ってくるんだけど,気心の知れた仲間で食事をしない?」池内兄弟は彼がまだ高校生だったとき,「拓也行くか?」と声をかけ,自転車で東京湾を一周したことがある。鎌ヶ谷を出て東京から神奈川を下り,久里浜港からフェリーで金谷港に渡り,千葉県を北上して戻って来るという1泊2日の冒険は,心躍るものだった。懐かしさもあり,池内兄弟は喜んでその話に乗った。神殿近くのカレー屋には,興津姉妹,中澤姉妹,岡本兄弟ら数名が集まった。話は盛り上がり,池内兄弟は東京神殿オープンハウスへの招待を快諾,その場でグループラインが始まる。これまで何百回も参入し,儀式執行者も務めた神殿─懐かしく思わないわけがない。
闇から引き戻した力
ところが約束のオープンハウス当日,地下鉄を降りた池内兄弟は,「お前はふさわしくないから行ってはいけない。神殿を汚してはいけない」とささやく声に心を捉えられてしまう。神殿から目をそらすように有栖川(ありすがわ)記念公園に向かい,公園の裏から愛育病院の方に回る。さらに神殿の裏道をふらふらと歩き続け,周辺を30分近くさまよった。「今日は無理だ,もう帰ろう。」引き返そうとした瞬間,電話が鳴る。「どこにいるの!今からそっちに行くから!」の声に,ハッと我に返った。興津姉妹と中澤姉妹からだった。この機会を決して失わせまいと駆けて来る二人を見ながら,池内兄弟は難を逃れたと知る。「福音から遠ざかると心は揺れ動きます。彼らがぼくのために強い祈りをささげ,そばにいてくれることで,否定的になる気持ちに待ったがかけられ,引き戻されました。」
グループラインでのやり取りは増え,誕生会や食事会,職場のイベントの手伝いなど,仲間からの働きかけが続いた。「とにかく福千年までに池内兄弟を教会に戻そう,というのが目標だったと聞きました。すごく強い意思があったと思います。」彼らの前では,ありのままの自分でいられた。「戒めが守れなくても,絶対わたしを否定しない。教会に戻れ,それはだめ,とかではなく,意思決定をじっと待ってくれているのを感じました。自分たちがレールを敷いてそこを歩かせるんじゃない。それは池内兄弟が自分で決めることだよと。寄り添い,心を許せる,太陽のような存在でした。」
興津姉妹は結婚後,池内兄弟が車で20分の所に住んでいると知ってからは,神様から彼のことを委ねられたと受け止め,この20数年間,絶対に連絡を途絶えさせまいと意識してきた。「わたしたちが本気で池内兄弟が戻れるようにと頑張ってきたのは,ただ,今まで受けてきた恩を少しでも返したいと思っていたからです。」「池内兄弟は色々なことをしてくれたのに,自分は何も返せていないという無力感や悔しい思いがありました。」口々に語られる仲間たちの感謝の念は,半端なものではなかった。
徳島に帰って一から出直そう
2023年5月,オープンハウスからほぼ1年が過ぎていた。池内兄弟は霊的な飢えを感じるようになり,それは日ごとに膨らみ,もう抑えがたいほどになっていた。母親が亡くなり空き家となった実家,子どもたちの将来を考えて建ててくれた両親の思いにも心を寄せるようになる。家の周りの野原や川も恋しく,郷愁の念が募った。「徳島に帰って,のんびりと田舎で過ごしながら一から出直したい。ちゃんと教会に行って,聖餐も取れるようになりたい。」仕事の関係で2年半は帰れる状態ではなかったが,8月に戻ると決めた。
その見通しも立ち,仲間たちに計画を伝えると,興津姉妹から「じゃあ一度,浦和(うらわ)ワードにちゃんと自分で来て!」とのチャレンジが返ってきた。教会を離れて間もない頃,夫婦で夜桜に誘ってくれたのも,事あるごとに会員の近況を知らせ,1年前にビショップとラインでつないでくれたのも彼女だ。興津姉妹は,口伝えや,60人以上に増えた池内兄弟と仲間たちのグループラインなどを通して,彼が教会に来るとのうれしい知らせを伝えた。
7月31日,池内兄弟は面接を受けるため,初めて所属の浦和ワードに向かう。西山勝(にしやま・まさる)ビショップは,「神権の祝福をしてもよろしいですか?」と頭に手を置き,これまでのことや今後についての話に耳を傾けてくれた。そして面接の終わり際,優しく告げる。「池内兄弟,今日から聖餐を取ってください。」イスラエルの判士の思いがけない言葉が主の声のように思われ,池内兄弟の目からわっと涙があふれ出た。「いつでもお話を聞きますよ」と声をかけてもらっていても,ずっと踏み出せずにいた。「聖餐を取れない,取ってはいけないと思っていました。悔い改めは,謙遜さを取り戻し,主に対してへりくだる,すばらしいとても大切な機会でした。恥ずかしさも罪を覆い隠そうとする思いも,すでに消えていました。」
教会には,知らせを受けて駆けつけた40名近くの人が集っていた。聖餐会中,泣き続ける中澤姉妹の姿もあった。「池内兄弟は尊敬できる憧れの存在だったのです。彼が来なくなって何度も,彼とともに聖餐会に出席し,聖餐を取る夢を見ました。夢が覚めた時,現実でなかったことに寂しさを覚えました。こうして教会に戻ってきて,共に聖餐を取る機会があり,涙が止まりませんでした。あの夢は,神様が将来起こることを知らせてくださったのだと思います。」集会後,池内兄弟を取り囲む人垣は延々と続き,涙とハグで再会を心から喜ぶ声,激励の言葉や遠い昔の思い出や感謝の言葉が続いた。
自分一人のための贖い
池内兄弟が住む山川町は,徳島支部から35㎞離れた田舎だ。徳島には集会場は1つしかない上に,徳島を横断する列車は単線で本数も少ない。眼が悪いので車にも乗れない池内兄弟は,四国八十八か所を巡るお遍路(へんろ)さんの精神に倣うつもりで,ロードバイクで教会に通い始めた。
残暑の厳しい9月だった。賛美歌を歌いながら国道192号線を教会に向かって走っていると,7~8㎞進んだところで背中にリュックがないことに気づいた。急いで取りに戻ろうとしたその瞬間,またあの声が聞こえる。「今から引き返しても間に合わないから,今日はゆっくりしていよう。慌てると事故になるから,今日はやめとけ。1回ぐらい大丈夫。」もう一人の声も聞こえる。「聖餐式に間に合わなくても,行けばいい話が聞けて自分のためになる。初志貫徹!荷物を持ったら行こう。」
池内兄弟は思わず大声で笑ってしまった。「サタンはこんな風に人を誘惑するんだ。思い通りにはならないよ」という気持ちと,「否定的な考え方をする気持ちが,まだ自分の中にあるんだ」と自戒する思いからだった。必死でペダルをこぎ,教会のドアを開けると,賛美歌が聞こえてきた。急いで着替え,礼拝堂の手前にあるキッチンに入り,用意されたいすに座って,息を整えながら聖餐が届くのを待つ。
そのとき─何の前触れもなく突然,ゴルゴダの丘の光景が映像としてありありと心に流れ出した。主がやりで脇腹を刺され,十字架に架けられるまでの流れは,過去に見た映像の記憶などではない。こんなにも間近ではっきりと,主の御姿を知るのは初めてだった。ゲツセマネで祈られる主の苦しみにも胸が詰まる。これらの光景について考えていると,「ああ,そうだったのか!」突然,理解の眼が開いた。
池内兄弟はそれをこう説明する。「イエス・キリストの流された血,裂かれた肉は,ぼくのためなのだと実感しました。罪のない主が苦しまれたのも,ぼく自身のためだとはっきり知りました。主は全人類をひっくるめてではなく,ぼくという個人を覚え,ぼくのために……。」その後の時間は嗚咽(おえつ)をこらえるのがやっとだったという。かつて聞いたことのある,100年近く前の預言が思い出された。
「……中には迷い出る羊がいるかもしれませんが,囲いに連れ戻そうと差し伸べられている神の御手に遅かれ早かれ彼らは気づくでしょう。現世か来世のいずれかで戻って来るでしょう。そのとき,正義に対する負債を支払うために自分の犯した罪に苦しみ,いばらの道を歩むことになるかもしれません。そのつらい道を通って,罪を悔い改めた放蕩息子のように,最終的に,愛と赦しに満ちた父の家に戻るのであればつらい経験も無駄にはならないでしょう。軽率で反抗的だった子供のために祈り,信仰を持って見守ってください。神の救いを見届けるまで希望と信頼を捨てないでください。」迷い出た自分に,希望を捨てずに寄り添い続けてくれた仲間の顔が浮かぶ。彼らこそが,主が自分を連れ戻すために差し伸べてくださった御手なのだと思った。
「役場に行きなさい」
2023年10月の半期総大会では,初めてスクリーン越しに説教を聞いた。永遠の結婚や「日の栄えの考え」について思いを巡らしていると,「主の宮に入って主のそばにいたい,主とお話をしたい,もう一度ガーメントを身に着けたい」という願いが次々に湧き上がってきた。「それまでは教会に戻り,安息日に教会に集うこと,聖餐を頂くことが,一番大切なことでした。総大会はわたしに,主の宮で新たな聖約を交わす必要があることを教え,次に進む決心をさせてくれました。」
2023年12月13日,池内兄弟は29年ぶりの神殿参入に向けて,徳島の実家2階の10畳ほどの和室に座って準備をしていた。推薦状やお金,ガーメントなどを確認し,スーツや着替え,ワイシャツなどをカバンに詰めているときだった。
「役場に行きなさい。」
曇りのない,はっきりとした声が聴こえた。瞬時にその意味を理解した池内兄弟はすぐに立ち上がり,階段を駆け降りる。役場に電話をかけ,「系図を調べているので助けていただけますか」とだけ伝え,スマホと財布を持って,自転車で急いだ。
時刻は14時半を回っていた。17時過ぎのJR阿波山川(あわやまかわ)駅発の列車に乗らなければ,東京行きの夜行バスには間に合わない。池内兄弟は役場に着くと,「系図を調べているので,取れるだけの除籍謄本を用意してもらっていいですか。この後すぐに東京へ行くので,できれば持って行きたいんです」と頼む。一旦家に帰り,17時前に再び役所に戻ってみると,「これだけ取れましたよ。」職員の笑顔で迎えられ,整えられた約30部もの資料が目の前に置かれた。池内兄弟の要請に応えようと,2~3人がかりで慣れない仕事に取り組んでくれたのだ。「急がせて申し訳なかったです。お手数をおかけしました。」深々と頭を下げる。「ここに先祖がいる。これで身代わりの儀式ができるんだ。」池内兄弟は高鳴る思いで資料をカバンに詰め,すぐに駅へと向かった。
神殿に着くと,かつて同じワードで,教会に戻った直後から系図を調べるよう励ましてくれた榎本邦子(えのもと・くにこ)姉妹(麻布W)が除籍謄本を受け取り,儀式カードの準備を整えてくれた。その日,池内兄弟は父親の身代わりのバプテスマを受け,母親の身代わりをする姉妹にバプテスマを施す。翌日は,鎌ヶ谷ワードゆかりの会員やかつてのインスティテュートの生徒など,50名近い人が神殿に駆けつけた。池内兄弟は,初めから身代わりをする父親の存在を強く感じていた。そして,再び開かれた,主と聖約を交わす特権,愛する父親の身代わりができる喜びに感極まり,真に主の囲いに戻されたと実感したのだった。
先祖からのエール
2024年2月に神殿に参入したときのことだ。日の栄えの部屋で瞑想していると,ゆったりとした白い衣をまとった先祖が目に浮かんできた。先頭にいる数人は皆男性で,後ろには女性を含む20名くらいの人が連なり,さらに大勢の先祖が集っているように感じられた。先頭の中央にいた族長らしい男性が,皆を代表して,池内兄弟の目を見て語りかける。「あなたが神様のことを一生懸命にやっているなら,わたしたちは福音を受け入れやすくなるんだよ。」これまでそのような教えを聞いたことも,考えたこともない。その言葉を深く思い巡らしていると,「そうか。霊界で宣教師が先祖を訪問したときに,『あなたの子孫が儀式を受けましたよ』と告げる機会があるのかもしれない。」ストンと腑に落ち,奥深い教えに心打たれた。族長はすでに福音を受け入れており,儀式を待っている。他の先祖たちも同じだと思った。別れ際,族長は彼を愛おしむように告げる。「頑張れー,応援しているよ。」池内兄弟は,頑張れの言葉に込められた思い,責任を重く受け止めた。「教会に戻ってからずっと,イスラエルの集合のための旗印になりたいと,そればかりを考えていました。一人で信仰を守ることは不確かだけど,ぼくたちは先祖のために働くことで守られるんだと思いました。」心強い後ろ盾を得て,力づけられる思いだった。
榎本姉妹は語る。「今回,彼が仲間の助けを得て儀式を受ける先祖は85名,儀式カードにすると117枚になります。5か月間ですでに107枚の儀式が完了していて,彼らの儀式を進めていくスピードには目を見張るものがあります。」 2年前,仲間たちに手を引かれて神殿のオープンハウスに参加した池内兄弟は,今は毎月,夜行バスで神殿に通い続けている。かつての仲間によるミニスタリングは続き,その影響は幕の彼方にまで広がった。
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この春,池内兄弟は高松地方部大会で,自分を囲いに連れ戻してくれた神の御手について証した。「御霊の声に耳を傾けようとすれば,御霊の静かで細い声は必ず聞こえてきます。それは思い込みでも,聞き間違いでもありません。光はわたしたちに届き,正しい選択をするように促してくれます。多くの兄弟姉妹の熱意と祈りと主の不思議な方法で,氷のように固く閉ざしていた心も溶けていきました。現在,わたしのように,福音から遠ざかった多くの方々が次から次へと戻ってきています。彼らのところに行き,ミニスタリングを通して祝福を分かち合いましょう。」池内兄弟はその業に携わることを心から望み,歩み出している。◆