ペンシルベニア州ハーモニーのジョセフ・スミスとエマ・スミスの家は,啓示の地でした。ここでジョセフは,
エマやエマの弟ルーベン,
マーティン・ハリス,
オリバー・カウドリといった筆記者たちの助けを受けながら,神の力によってモルモン書の翻訳を続けました。
金版を受け取ってわずか2か月後の1827年12月に引っ越してから,1828年1月か2月初旬に約5ヘクタールの農場に引っ越すまで,ジョセフとエマはエマの両親と短期間この家で一緒に暮らしました。ジョセフとエマは後に,エマの父親と兄からこの家を購入しました。所有地の一部は,サスケハナ川からオクアゴ山の麓まで伸びていました。その中には,納屋と,エマの兄ジェシーが建てた家が含まれていました。ジョセフ・スミスとエマ・スミスの家は,元の場所に建てられた家を復元したものです。
ハーモニーに到着後,ジョセフはおよそ4か月にわたり,金版の翻訳をある程度進めました。エマは,弟のルーベン・ヘイルや後にマーティン・ハリスが筆記を助けるまで,ジョセフの最初の筆記者を務めました。
1828年6月初旬,マーティン・ハリスはジョセフ・スミスに,原稿をパルマイラに持って行き,妻のルーシー・ハリスや,マーティンがジョセフを支持していることに腹を立てているほかの家族と共有してもよいかと懇願しました。原稿を持ち帰るための主の許可を得られるようジョセフが3度試みた後,主はついに許可を与えられ,1828年6月14日,マーティンは原稿を持ってハーモニーを出発しました。翌日,エマは最初の子を出産します。男の子はほんの数時間しか生きられませんでした。近くの
マッキューン墓地にその子を埋葬した後,ジョセフは難産で苦しみ,子供を失ったことを深く嘆き悲しんでいる妻の世話をしました。約2週間後,体力を取り戻し始めたエマは,原稿についてジョセフが感じている不安に気づきました。マーティンからの連絡はなく,夫の不安が重くのしかかり始めているのが彼女には分かりました。
ある日,エマはジョセフに言いました。「気がかりだわ。ハリスさんが原稿をどうしているか,その状況が少しでもつかめないと,休めないし,安心できないわ。」エマに何度も勧められ,ジョセフは駅馬車でハーモニーからマンチェスターに向かいます。そこでマーティンが原稿をなくしたことを知ります。「すべてが失われた」とジョセフは絶望します。「主の御前から絶たれる。」ジョセフはその日のうちにハーモニーに戻り,エマにこの悲惨な知らせを伝えました。ハーモニーに戻って間もなく,モロナイが再び現れ,版と解訳器を手に取り,ジョセフが「十分にへりくだ〔れば〕」9月には返すだろうと告げました。しばらく悔い改めた後,ジョセフ・スミスが受けた啓示(現在の
教義と聖約第3章)の中で,主は,御自分の目的が「くじかれることはあり得ない」と宣言され,ジョセフは「人を神よりも恐れ〔る〕」べきではなかったと告げられました(教義と聖約3:1,7)。主はまた,ジョセフが「再び業に召される」と宣言されました。版は返され,エマが再び筆記者を務め,ジョセフは翻訳の作業をたどたどしくも再開しました。
1829年4月5日,マンチェスターでジョセフ・シニアとルーシー・スミスのもとで下宿していた学校教師のオリバー・カウドリがハーモニーに到着しました。ジョセフ・ジュニアの啓示について知ったオリバーは,それが神からのものかどうかを知るために研究し,祈りました。それらが神から出ていることを確信した後,ジョセフを助けるという自分の役割があることも確信しました。ジョセフ・スミスと初めて会ってから2日後,オリバーは筆記者として働き始めました。ジョセフとオリバーはともに3か月余りでモルモン書を翻訳し,またその間にアロン神権とメルキゼデク神権を授かり,モルモン書の出版の手配をし,イエス・キリスト教会を組織する備えをしました。
ジョセフ・スミスとエマ・スミスの家で起こった出来事について詳しくは,
『聖徒たち』第1巻第5章を読みましょう。
体験しましょう
ジョセフ・スミスとエマ・スミスの家は,神権の回復の史跡で利用できるガイドツアーの一部です。ツアーの所要時間は約30分で,家の2つのメインルームを案内します。ツアーは訪問者センターから始まります。
360°ウォークスルー