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黙示1-3章
ヨハネの黙示録の紹介
ヨハネの黙示録を研究する理由
ヨハネの黙示録は,イエス・キリストの信者たちに,迫害と試練の中でも忠実であり続けるよう促します。「アポカリプス」としても知られるこの書は,ギリシャ語で,啓示,明らかにする,隠されたものの覆いを取るという意味です。「イエス・キリストの啓示」(黙示1:1)として,この書は,主イエス・キリストについて隠されたものの覆いを取り,イエス・キリストの権威と力と,御父の救いの計画における役割を明らかにするものです。また再臨と福千年に至る出来事についての,非常に重要な情報も明らかにされています。よく祈ってこの書を研究することで,復活し,栄光を受けられた神の御子について,また地球の歴史を通して,特に終わりの時においての御子と神の子供たちとのかかわりについて,いっそう深い理解を得られます。
預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)は次のように述べています。「黙示録は,神から命じられて書かれた書物の中で最も分かりやすいものの一つです。」(in History of the Church, 5:342)現代の読者には必ずしも理解しやすいとは限らない比喩や象徴が多く使われていますが,この書のテーマは単純で霊感を与えるものです。「黙示録のメッセージは全聖文のメッセージと同じである。すなわち,最終的に神がこの地上で悪魔に勝利をお収めになること,善が悪に,聖徒が迫害者に,神の王国が人間とサタンの王国に永遠に勝利することである。」(Bible Dictionary, “Revelation of John”)したがって,ヨハネの黙示録は,すべての忠実な人に希望のメッセージを伝えます。
ヨハネの黙示録の著者
この書の著者は,自らをヨハネであると特定しています(黙示1:1,4,9;22:8参照)。すなわち,ゼベダイの息子であり,イエス・キリストの愛弟子であるヨハネだと考えられます(マタイ4:21-22参照)。末日の啓示は,愛弟子ヨハネが著者であることを確認しています(1ニーファイ14:18-27;エテル4:16;教義と聖約77:1-2;『聖句ガイド』「黙示録(ヨハネの)」の項参照)。
ヨハネの黙示録の書かれた場所と時期
黙示録はキリスト教徒が偽りの教えや無関心,厳しい迫害に直面していたときに書かれました(黙示1:9;2:4,10,14-15;3:16;6:9参照)。恐らくこの迫害は,ドミティアヌスの治世(紀元81-96年)の後期に,ローマの役人の手によって行われたものでした。ドミティアヌスは皇帝崇拝の習わしを復活させ,国家が承認した神を礼拝しない人々を追放あるいは処刑しました。古代の資料によると,キリスト教徒とユダヤ人はこの皇帝の治世下で迫害されました。ヨハネはパトモス島から書き送っていますが,言い伝えによれば,ヨハネは「神の言とイエスのあかしとのゆえに」(黙示1:9)ローマの役人によってパトモス島に流刑になりました。
ヨハネの黙示録の対象読者とその理由
ヨハネはイエス・キリストの教えをなおも忠実に守った当時の人々に希望と励ましのメッセージを書きました(黙示1:4,11参照)。黙示録の最初の3章は,特に小アジヤの7つの教会の支部にあてたものでした(黙示1:4,11;2-3章参照)。これら特定の教会が選ばれた理由は不明です。アジヤ(ピシデヤのアンテオケなど)に教会のほかの支部が設立されていましたが,これら7つは教会全体を表すのかもしれません(7という数字は完全性の象徴)。史料によれば,ヨハネは1世紀の終わりごろエペソに住んでいたので,パトモスに追放される前から7つの教会とは密接な関係にあり,小アジヤで務めを果たしたときに訪れたことがあったのでしょう。また,それらの教会は,なおも忠実であって背教と迫害に屈していないほんのわずかな支部の一部だったのかもしれません。
忠実な教会員は激しい迫害の時代に生きました。当時追放されていたヨハネを除いて,すべての使徒がすでに亡くなり,教会には多くの派閥と問題がありました。結果として,聖徒は,黙示録に見られる励ましのメッセージを非常に必要としていました。ヨハネは,神がすべてを管理しておられること,悪に対するイエス・キリストの究極の勝利は果たされること,すべてのキリスト教徒の希望が最終的に実現することについて聖徒を安心させました。
ヨハネの黙示録の特徴
この書全体の構造は,黙示1:19に示唆されています。ヨハネは自分が見たものについて書きました。すなわち,イエス・キリストについての示現(黙示1章参照),「現在のこと」(当時の教会の状況。黙示2-3章参照),「今後起ろうとすること」(黙示4-22章参照)です。黙示録は,末日の啓示の助けによれば,特にイエス・キリストの再臨と大いなる福千年の平和の時代に先立つ期間に焦点を当て,世界の歴史について霊感された概要を示しています。
悪に打ち勝つ忠実な聖徒への約束が含まれています(黙示2-3章参照)。龍や獣を含む,数多くの象徴的な概念が含まれています。前世における天での戦いを描写した聖句の一つが含まれています(黙示12:7-11参照)。この書の主要なテーマには,神の計画が遂行される中でのイエス・キリストの役割,地球の歴史における神の働き,イエス・キリストの再臨と悪の滅亡,終わりの時に義人に約束された霊的な守り,福千年,地球は最終的に日の栄えとなるという約束が含まれます。
1ニーファイ14:24-29で,ヨハネが誕生する約600年前,預言者ニーファイがヨハネのものと似た示現を見て,ヨハネの名前を知ったことが分かります。主はニーファイとヨハネの双方に,見た示現のほんの一部だけを書くように指示されました。すなわち,ニーファイはキリストの最初の降臨と末の日の出来事の一部を書き,ヨハネはキリストの再臨,福千年,地上における神の業の完成について書きました。ほかの預言者たちも同様の出来事を示現で見てきました(エテル3:25-28;モーセ7:59-67参照)。
概要
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黙示1-3章ヨハネはイエス・キリストについての示現を見た。アジヤの7つの教会にあてて個別のメッセージを記した。これらのメッセージには,各支部の忠実な聖徒に対する称賛,警告,約束が含まれている。
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黙示4-11章ヨハネは,日の栄えの王国で御座に着かれる神,神の小羊,7つの封印で封じられた巻物の示現を見た。7つの封印のそれぞれが開かれることに関連する示現を見た。終わりの時に神の守りを受ける者は,額に神の印を持つ者である。ヨハネは主の再臨に先立つ戦争,災い,そのほか多くの末日の出来事を見た。
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黙示12-16章ヨハネは,前世における天での戦いと,その戦いが地上で続くことについて示現を見た。悪の力が地上の神の王国を破壊しようとすることを教えた。福音は天使の働きにより終わりの時に回復される。義人は世の邪悪を表すバビロンから出て来て集められ,ハルマゲドンの戦いに向けた準備がなされる。
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黙示17-22章霊のバビロンが全地に広がる。義にかなった聖徒が集合した後,バビロンは倒れ,バビロンを支えていた者たちは悲しむ。義人は神の小羊の婚宴に招かれる。サタンは縛られ,福千年が始まり,キリストが御自身で地を統治される。死者は裁きを受ける。地球は日の栄えの栄光に達する。
ローマのコンモディッラの地下墓地にあるこのイエス・キリストの絵の両側には,ギリシャ文字のアルパとオメガ(黙示1:8参照)が見えます。この絵は紀元4世紀に描かれました。
黙示1-3章の紹介とタイムライン
現在のトルコの海岸から少し離れた所にパトモスと呼ばれる小さな島があります。そこでは,1900年あまり前に,主イエス・キリストが愛弟子ヨハネに現れ,まさにこれからヨハネに与えられる示現と啓示について書き記すように指示されました(黙示1:10-16,19参照)。黙示1-3章で,ヨハネはその書全体を貫くテーマを紹介しました。黙示1章では,主イエス・キリストについての示現を描写し,救い主の力と永遠の使命という側面を明らかにしています。主が忠実な僕たちの間で,彼らとともに働いておられるという真理を再確認することが含まれています。黙示2-3章は教会の7つの支部へのヨハネの手紙であり,信者が昇栄の祝福を受けるのを助けるため主からの勧告と懲らしめを伝えています。これらの章のメッセージは,ヨハネの時代の聖徒に,キリストは御自分が勝利を得られたように主の信者たちが勝利を得るのを助けてくださることを示しました。今日も同じことをわたしたちに教えています。
黙示1-3章の解説
黙示1:1。黙示録は隠されたものの覆いを取る
ジョセフ・スミス訳は黙示1:1を変更して,この書が確かに救い主イエス・キリストによってヨハネに与えられた啓示であることを明らかにしています。「神の僕であるヨハネの黙示。この黙示は,イエス・キリストから,……ヨハネに与えられたものである。」(『聖句ガイド』内「聖書のジョセフ・スミス訳(抜粋)」黙示1:1)
後に七十人の一員となったジェラルド・N・ランド長老は,黙示録が多くの真理を明らかにしたと次のように説明しています。
「この書のギリシャ語の題名はApocalypsisです。そこからアポカリプスという別の一般的な名前が付けられました。Apocalypsisは,二つのギリシャ語の言葉から構成されています。すなわち,apoは分離または除去を示す前置詞,kalyptoは覆う,隠す,ベールをかぶせることを意味する動詞です。そこで,Apocalypsisは,文字どおりにはベールまたはカバーを外すことを意味します。それゆえに,英語での題名は『啓示の書』(あるいは『明らかにする書』または『隠されたものの覆いを取る書』)となりました。
「多くの人はその題名を皮肉であると思い,この書以上に多くが隠されている,あるいは覆われている書はほとんどないと主張しますが,題名は適切です。なぜなら,ほんとうに多くを明らかにしているからです。ブルース・R・マッコンキー長老は,『わたしたちは黙示録を理解するよう期待されていますか』という質問に対して次のように答えています。
『もちろんです。そうでなければ,どうして主がこの書を啓示されたのでしょうか。黙示録が,理解できない獣や疫病や神秘的な象徴を扱っているという一般的な考え方は真実ではありません。……十分に固い決意をもって専念するならば,古代の啓示者が記録したものの重要性を理解することができます。』(Ensign, Sept. 1975, 87.)……
黙示録を解釈するために主が与えてくださった鍵をわたしたちが熱心に用いるなら,その書はわたしたちにとってほんとうに啓示の書となり得ます。」(“Seeing the Book of Revelation as a Book of Revelation” Ensign, Dec. 1987, 46, 52)
黙示1:1は,神からの啓示が御使いによって「僕ヨハネ」に「伝えられた」と述べています。「伝えられた」(signified)という言葉は,ギリシャ語のeseemanenの英訳です。これは,記号,マーク,または印で何かを示すことを意味します。
St. John at Patmosby Paul Gustave Doré
黙示1:3。「〔そのような〕者たち……は,さいわいである」
黙示録には「さいわいである」という表現が幾つかあります(黙示1:3;14:13;16:15;19:9;20:6;22:7,14参照)。マタイ5:3-11にある至福の教えと類似しています。黙示1:3に記されている一連の行為,すなわち,「朗読する,聞く,守る」は,黙示録(またはほかの聖文)を読んだり聞いたりすることに加えて,「その中に書かれていることを守」らなければならないことも示しています。これらをすべて行うことによって,わたしたちは約束された祝福を受けます。3節のジョセフ・スミス訳は,この一連の行為に理解するという言葉を加えて,この書の教えを理解することの重要性を示しています(『聖句ガイド』内「聖書のジョセフ・スミス訳(抜粋)」黙示1:3参照)。
黙示1:3には,「時が近づいているからである」という言葉が含まれています。3節のジョセフ・スミス訳は,この概念を次のように明確にしています。「主の来臨の時が近づいているからである。」(『聖句ガイド』「聖書のジョセフ・スミス訳(抜粋)」黙示1:3)ヨハネが「すぐにも起るべきこと」(黙示1:1)を示されたと言ったとき,言及したものの一つは再臨でした。すべての事柄と同様に,再臨は,主の時刻表に従って起こります(2ペテロ3:8参照)。
黙示1:4-20。象徴
象徴は,異なった世代や文化の人に意思伝達を可能とする強力な教材です。複数のメッセージを伝えることができます。神は,その愛子についての真理をはじめ,永遠の真理を教えるために象徴をお使いになることがよくあります。象徴を理解するには,以下の指針が役に立つでしょう。(1)聖文を研究し,ほかの聖句が解釈や洞察を与えていないかどうかを確認する,(2)象徴が用いられた背景を調べる,(3)象徴の性質と特性をよく考える,(4)聖典にある補助資料を用いる,(5)最も重要なのは,神からの個人的な啓示を求めることです。次の表は,黙示1章に見られる顕著な象徴と,考えられる解釈を要約したものです。
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黙示1章にある象徴 | |||
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節 |
象徴 |
考えられる解釈 |
参照聖句 |
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7つの霊 |
アジヤの7つの教会を管理する僕または指導者たち |
ジョセフ・スミス訳黙示1:4(『聖句ガイド』内) | |
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御国の民と祭司 |
日の栄えの王国で昇栄を受ける人々 | ||
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アルパでありオメガ |
ギリシャ語アルファベットの最初と最後の文字。神の業におけるキリストの永遠の役割を表す |
黙示1:4;『聖句ガイド』「アルパとオメガ」の項 | |
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7つの燭台 |
福音の光を掲げることになる7つの教会(黙示2-3章参照) | ||
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右手 |
聖約の手であり力の象徴。キリストは右手に7つの教会をお持ちである | ||
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7つの星 |
7つの教会を管理する僕または指導者たちを表す別の象徴 | ||
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鋭いもろ刃の剣 |
神の言葉は邪悪な者に裁きを宣告し,罪のない者を解放する | ||
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死と黄泉との鍵 |
霊の死と肉体の死の扉を開く(勝利する)鍵 | ||
黙示1:5-6。「神のために,御国の民とし,祭司とし」
黙示1:5-6は,「神のために,御国の民とし,祭司と」なるという祝福は,生活の中でイエス・キリストの贖罪の効力を受けることによってもたらされることを示しています。十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老(1915-1985年)は,「その血によってわたしたちを罪から解放し」という言葉について(黙示1:5)次のように教えています。「キリストの血だけが悔い改めた人を罪から清めます。『清くない者は,決して』神の王国に『入ることができない。』この言葉はキリストの言葉であり,キリストは死人の中から最初にお生まれになった御方です。また,『信仰を持ち,罪をすべて悔い改め,最後まで忠実であることによって,わたしの血により衣を洗われた者のほかには』そこに受け継ぎを得る者はいません(3ニーファイ27:19)。」(Doctrinal New Testament Commentary, 3 vols. [1966–73], 3:436)
ジョセフ・F・スミス大管長(1838-1918年)は次のように教えています。「わたしたちが地上に存在する目的は,満ちみちる喜びを得ることです。神の相続人,イエス.キリストと共同の相続人〔ローマ8:14-17参照〕として文字どおり完全な意味での神の息子,娘になること,神のあって王となり祭司となり,栄光と支配,昇栄,王位,そして天父が持っておられるすべての力と属性を受け継ぐことです。これがわたしたちの地上にいる目的です。この高く上げられた地位を得るためには,死すべき世での経験もしくは試しの時期を通して,長兄であるイエスの助けを借り,自らがそれにふさわしいことを証明しなければなりません。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・F・スミス』100参照。出エジプト19:5-6;1ペテロ2:9参照)
預言者ジョセフ・スミスは黙示1:6を引用し,「わたしたちを,その父なる神のために,御国の民とし,祭司として下さった」という言葉に焦点を当て,〔訳注—欽定訳では「神とその御父とのために」となっている。〕その意味について次のような説明を与えています。「イエス・キリストの父なる神には御父がおられました。……パウロは,地に属するものは天に属するものの形であると言っています。もしイエスに御父がいらっしゃるとしたら,御父にも御父がおられたことを信じることはできないでしょうか。」(in History of the Church, 6:476)預言者ジョセフは以前に次のように教えています。「神御自身,かつては今のわたしたちのようであられました。そして今は昇栄した御方であって,かなたの天で御座に着いておられます!」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』40。see Doctrinal New Testament Commentary, 3:436–37)
黙示1:5-7。イエス・キリストは「無数の聖徒を率いて」来られる
ジョセフ・スミス訳黙示1:5-7のメッセージは,慰めと希望を告げています。これらの節は救い主の再臨を描写しています。「それゆえ,忠実な証人であるわたしヨハネは,死人の中から最初に生まれた御方,地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから,また,天使によって述べられた事柄を証する。見よ,彼は,御父の栄光を身にまとい,王国の無数の聖徒を率いて雲に乗って来られる。すべての人の目が主を見る。そして,主を刺し通した者たちと地の諸族は皆,主のゆえに嘆き悲しむ。まことにそのとおりである。アーメン。」(ジョセフ・スミス訳黙示1:5-7〔英文〕より和訳)この教えは,迫害者の手に掛かった多くの忠実な聖徒の死は無駄ではなく,その義のために報いられるということを理解するのに役立ちます(1テサロニケ4:16-17;教義と聖約88:96-98;101:15参照)。
黙示1:8,11。アルパでありオメガである
ジェフリー・R・ホランド長老は,ブリガム・ヤング大学の学長を務めていたときに,救い主の称号であるアルパとオメガの意味について次のように説明しています。
「この世の救い主でありすべての人の贖い主である御方ほど,わたしたちの生活に浸透するものはほかになく,これほど包容力があり,包み込んで鼓舞してくれるものはありません。アルパは,ギリシャ語のアルファベットの最初の文字で,始まりや開始を意味します。『……わたしは初めに父とともにいた……』と主は明らかにされています(教義と聖約93:21)。そして長子として,主は天の会議と創造の業において御父の右に立たれました。この世が創造される前に,わたしたちが善と悪の間の大いなる戦いで生き残ったのは,(主が御父と一つであられたように)わたしたちが主と一致したからでした。『小羊の血と〔わたしたち〕のあかしの言葉』とによって,わたしたちは『悪魔と……呼ばれ〔る〕年を経たへび』であるサタンの妨害に打ち勝ちました(黙示12:7-11参照)。
主が初めからおられたように,この世が終わるときにも主はおられます。ギリシャ語のアルファベットの最後の文字から取られた名前であるオメガのように,キリストは到達点であり,現世の経験が終わる理由であると同時に成果でもあられます。……
ギリシャ語のこれらの文字は,世の始まりから終わりまでのイエスの普遍的な役割を意味します。しかしまた,主は特にアルパとオメガであられるべきです。すなわち,わたしたちの個人的な始まりとわたしたちの個人的な終わりなのです。」(“Whom Say Ye That I Am?”Ensign, Sept. 1974, 6–7)
黙示1:8。「全能者」
「全能者」という称号は,ギリシャ語のPantokratorの英訳であり,すべてを支配し統制する人を意味します。黙示録のテーマの一つは,いつの時代にも神の民は迫害と苦難に直面するにもかかわらず,神は確かにすべてを治め,いつかすべての悪に終止符を打たれるということです。黙示録の初めの数章に出てくる幾つかの象徴は,「全能者」としての救い主の役割(黙示1:8)を強調しています:主の言葉は 「鋭いもろ刃のつるぎ」(黙示1:16)であり,主は「死と黄泉とのかぎ」をお持ちである(黙示1:18)。主は人々の業を知っておられる(黙示2:2,9,13,19参照)。
黙示1:12,20。7つの燭台の象徴的意味は何か
「七つの金の燭台」(黙示1:12,20)という比喩は,エルサレムの神殿にある7つに枝分かれした燭台を思い起こさせます。これらの燭台は7つの教会を表していました。救い主が弟子たちに命じられたように,燭台は世に光を与えるために設けられました(マタイ5:15-16参照)。
ブルース・R・マッコンキー長老は次のように述べています。「燭台は光をともしておくものであって,光を作り出すことはしません。燭台の機能は光を役立たせることであって,作り出すことではありません。したがって,ヨハネがこれから勧告を与えようとしている7つの教会を描写するために,主が7つの燭台を用いられたのは,地上における主の民が,主の光を世界に携えて行くよう意図されていることをお示しになるためでした。キリストは世の光です(ヨハネ8:12)。『あなたがたの光を掲げて,世の人々に輝き渡るようにしなさい。見よ,あなたがたの掲げる光とは,わたしである。 すなわち,わたしが行うのをあなたがたが見た,その行いである。』(3ニーファイ18:24;マタイ5:14-16)」(Doctrinal New Testament Commentary, 3:442)
黙示1:13。救い主はわたしたちの間にいらっしゃる
その示現の中で,ヨハネは,「それらの燭台の間に」イエス・キリストを見ました(黙示1:13)。これは,主が7つの古代の教会とともに,あるいはその中にいらっしゃったことを象徴的に示すものです。死すべき世での務めの間に,イエスは次のように約束されました。「ふたりまたは三人が,わたしの名によって集まっている所には,わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:20)イエス・キリストは主の聖徒とともにいて,彼らを見守っておられるという約束は,教義と聖約38:7のような現代の聖文にも見られます。「まことに,まことに,わたしはあなたがたに言う。わたしの目はあなたがたのうえにある。わたしはあなたがたの中にいるが,あなたがたはわたしを見ることができない。」このような約束は,現代の預言者や使徒たちによっても繰り返されてきました。大管長会のヘンリー・B・アイリング管長は,次のように証しています。主は「わたしたちと一緒に見守っておられます。主はすべての事柄を理解し,果てしない愛をもって,決して眠ることなくわたしたちと一緒に見守っておられるのです。」(「『わたしと一緒に目をさましていなさい』」『リアホナ』2001年7月号,46)
7つの星を手に燭台の間におられるキリスト
黙示1:16,20。7つの教会の7人の御使いはだれか
ジョセフ・スミス訳は,黙示1:20と,アジヤの教会にあてた手紙7通のそれぞれ冒頭にある「御使」という言葉を「僕」に変えています。したがって,7つの星は,当時の7つの教会を率いる管理役員を表します。
黙示2-3章。7つの教会への手紙のパターン
次の表は,7つの教会にあてた手紙で用いられたパターンの概要を示しています。(教会の場所については,この章冒頭の地図を参照してください。)それぞれの手紙は,まずその地域の教会指導者に呼びかけ,象徴的な言葉を使ってイエス・キリストについて述べます。次に,賛美と称賛の主の言葉と,懲らしめと警告の主の言葉を伝えます。そして,イエス・キリストを信じる信仰によって勝利を得る者に約束が与えられます。約束は,昇栄と永遠の命に関連しており,神殿の象徴を豊かに含んでいます。
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黙示2-3章。7つの教会への主の指示 | ||||
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教会 |
イエス・キリストについての記述 |
賛美と称賛 |
懲らしめと勧告 |
勝利を得る者に対する約束 |
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エペソ(黙示2:1-7) 小アジヤで最大の都市。古代の世界七不思議の一つ,壮大なアルテミスの神殿で有名。 |
「右の手に七つの星を持つ者,七つの金の燭台の間を歩く者が,次のように言われる。」 |
「わたしは,あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また,あなた〔は〕,悪い者たちをゆるしておくことができず,……弱り果てることがなかった。……あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んで〔いる。〕」 |
「あなたは初めの愛から離れてしまった。そこで,あなたはどこから落ちたかを思い起し,悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし,そうし……なければ,わたしは……あなたの燭台を……取りのけよう。」 |
「神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう。」 |
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スミルナ(黙示2:8-11) 皇帝崇拝の初期の中心地。主要な積み出し港であり貿易の中心地。スミルナの司教ポリュカルポスはここで殉教した。 |
「初めであり,終りである者,死んだことはあるが生き返った者」 |
「わたしは,あなたの苦難や,貧しさを知っている(しかし実際は,あなたは〔霊的に〕富んでいるのだ)。」 |
「あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。……死に至るまで忠実であれ。」 |
「いのちの冠を与えよう。……勝利を得る者は,第二の死によって滅ぼされることはない。」 |
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ペルガモ(黙示2:12-17) 地方における皇帝崇拝の中心地。皇帝崇拝に献じた神殿が3つ。図書館には20万本以上の巻物が所蔵されていた。 |
「鋭いもろ刃のつるぎを持っているかた」 |
「わたしはあなたの〔業〕を知っている。……あなたは,わたしの名を堅く持ちつづけ,わたしの忠実な証人アンテパスが……殺された時でさえ,わたしに対する信仰を捨てなかった。」 |
「あなたがたの中には,現にバラムの教を奉じている者がある。……偶像にささげたものを食べさせ,また不品行をさせたのである。……同じように,あなたがたの中には,ニコライ宗の教を奉じている者もいる。……だから,悔い改めなさい。そうしないと,わたしはすぐあなたのところに〔行く。〕」 |
「隠されているマナを与えよう。また,白い石を与えよう。この石の上には,……新しい名が書いてある。」 |
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テアテラ(黙示2:18-29) 羊毛染色で有名。軍事都市。主要な神はテュリムノス(太陽神)であり,武勇の描写によく描かれた。 |
「燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子」 |
「わたしは,あなたのわざと,あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また,あなたの後のわざが,初めのよりもまさっていることを知っている。」 |
「あなたは,あのイゼベルという女を,そのなすがままにさせている。この女は……わたしの僕たちを教え,惑わして,不品行をさせ,偶像にささげたものを食べさせている。……わたしは……この女と姦淫する者をも,悔い改めて彼女のわざから離れなければ,大きな患難の中に投げ入れる。」 |
「諸国民を支配する権威を授ける。彼は鉄のつえをもって,……彼らを治めるであろう。……わたしはまた,彼に明けの明星を与える。」 |
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サルデス(黙示3:1-6) 5つの主要幹線道路の交差点。富は莫大で道徳基準は低いと言われた。 |
「神の七つの霊と七つの星とを持つかた」 |
「その衣を汚さない人が,数人いる。彼らは白い衣を着て,わたしと共に歩を続けるであろう。彼らは,それにふさわしい者である。」 |
「あなたは,生きているというのは名だけで,実は死んでいる。目をさましていて,死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは,あなたのわざが,わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。……守りとおし,かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら,わたしは盗人のように来るであろう。」 |
「このように白い衣を着せられるのである。わたしは,その名をいのちの書から消すようなことを,決してしない。また,わたしの父と御使たちの前で,その名を言いあらわそう。」 |
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ヒラデルヒヤ(黙示3:7-13) 「東への玄関口」と呼ばれた。ワイン生産で有名。酒の神バッカス崇拝の中心地。当時は比較的目立たない町。 |
「聖なる者,まことなる者,ダビデのかぎを持つ者,開けばだれにも閉じられることがなく,閉じればだれにも開かれることのない者」 |
「あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず,わたしの言葉を守り,わたしの名を否まなかった……。」 |
なし |
「わたしの神の聖所における柱にしよう。……そして彼の上に,わたしの神の御名と,わたしの神の都,すなわち,……新しいエルサレムの名と,わたしの新しい名とを,書きつけよう。」 |
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ラオデキヤ(黙示3:14-21) 豊かな商業と金融の中心地。ヒエラポリスの温泉から温水をラオデキヤに送っていた。医学校では眼軟膏を作っていた。 |
「アァメンたる者,忠実な,まことの証人,神に造られたものの根源であるかた」 |
なし |
「熱くもなく,冷たくもなく,なまぬるい……。富む者となるために,わたしから火で精錬された金を買い,……見えるようになるため,目にぬる目薬を買いなさい。」 |
「わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど,わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。」 |
黙示2:2。「使徒と自称してはいるが,その実,使徒でない者たち」
エペソで教えていた偽使徒についてさらに読むには,使徒20:17-18,28-30を参照してください。パウロは,この偽使徒たちとほかの同様の人々を「狂暴なおおかみ」(使徒20:29)と言い表し,聖徒の中から起こる「いろいろ曲ったことを言って,弟子たちを自分の方に,ひっぱり込もうとする者ら」と述べました(使徒20:30。2コリント11:13-14,26;1ヨハネ4:1-3も参照)。
黙示2:6,15。「ニコライ宗の教」
ニコライ宗は「性的な罪を犯すことを認めるよう主張した小アジヤの無律法主義の宗派」でした(Bible Dictionary, “Nicolaitans”)。無律法主義者は,神の恵みによって戒めに従わなくてもよくなったと主張する性的に寛大なキリスト教徒でした。主は,ニコライ宗の行いを拒んだ一部の聖徒を称賛する一方で,ニコライ宗の教義を奉じていたほかの聖徒を叱責されました(黙示2:6,15参照)。ブルース・R・マッコンキー長老は,黙示録で言及されたニコライ宗とは,「世の方法で生活しながら,教会での立場を守ろうとしている会員のこと」であると説明しています(Doctrinal New Testament Commentary, 3:446)。
黙示2:7。「いのちの木の実を食べること」
命の木はエデンの園に植えられました。園では,アダムとエバが神とともに歩き,神と語りました。堕落の後,彼らは命の木から隔てられました(創世3:22-24参照)。イエス・キリストの贖罪のおかげで,堕落の影響は克服されます。すべての人が復活し,それによって死に打ち勝ち,忠実な者は永遠の命を受け継ぎます。天使は忠実な者の報いについて次のように述べました。「勝利を得る者には,……いのちの木の実を食べることをゆるそう。」(黙示2:7)「勝利を得る」という言葉は「戦勝者となる」という意味のギリシャ語の動詞nikaōから来ています。ヨハネと同様の示現の中で,預言者ニーファイも命の木を見ました(1ニーファイ11:8-9,21-23参照)。命の木を食べることについてさらに読むには,黙示22:2や黙示21:2-27;22:1-5の解説を参照してください。
ジェリー・トンプソンによる命の木の描写。.主はエペソの教会に次のように語られました。「勝利を得る者には,神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう。」(黙示2:7。1ニーファイ8:10-12;アルマ5:34;32:39-42も参照)
黙示2:10。「死に至るまで忠実であれ」
主はスミルナの聖徒に,彼らの一部が投獄され,誘惑と試練を受けるが,恐れる必要はないと言われました。もし「死に至るまで忠実」なら,主は彼らに「いのちの冠」をお与えになります(黙示2:10)。
紀元155年に殉教したスミルナの司教ポリュカルポスを表現しています。
主の言葉が成就することは,紀元69年から155年に生きたスミルナの教会の司教ポリュカルポスの生涯に見ることができます。ポリュカルポスはヨハネの弟子で,使徒でありイエス・キリストの目撃者であるヨハネの教えを直接聞いた,生存する最後の教会指導者の一人でした。信仰を放棄しなかったので,殉教者として火あぶりにされました。ローマ皇帝を崇拝し,キリストをのろえば殉教を回避できると言われたとき,ポリュカルポスは次のように答えました。「わたしは86年間ずっと〔キリストの〕僕であり,主はわたしに何一つ悪いことをなさいませんでした。わたしを救ってくださった我が王をどうして侮辱することができましょうか。」(The Apostolic Fathers, vol. 2, trans. Kirsopp Lake, Loeb Classical Library [Cambridge: Harvard University Press, 1913], 325)ひどい逆境にもかかわらず示した勇気と信仰を記念し,後のキリスト教徒はポリュカルポスを後世に伝えました。キリストの名を「堅く持ちつづける」ことに関する詳細は,黙示2:13の解説を参照してください。
黙示2:11。「第二の死」
黙示2:11は,忠実な者は「第二の死によって滅ぼされることはない」と教えています。しかし,邪悪な者については,「火と硫黄の燃えている池が,彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」(黙示21:8)と教えています。アール・C・ティンギー長老は,七十人会長会で務めていたときに,次のように説明しました。「第2の死は霊的なもので,神のみもとから離されることです。」(「偉大な幸福の計画」『リアホナ』2006年5月号,73)
ある意味で,わたしたちは皆,神の前を離れて地上に来たときに霊の死を受けました。しかし,この最初の分離は,黙示2:11で述べられた「第二の死」ではありません。イエス・キリストの贖罪を通して,神のすべての子供たちは,この最初の霊の死に勝利を得て,裁きを受けるために神の前に連れ戻され(ヒラマン14:16-17参照),その後,ほとんどの人が栄光の王国を受け継ぐのです。第2の霊の死は,裁きの日に,罪の悔い改めを拒んだ者や,サタンがしたように,福音の光と真理に故意に背いた者に宣言されます(教義と聖約29:44-45;『聖句ガイド』「死(霊の)」;scriptures.lds.org参照)。彼らは永遠に神から隔てられ,滅びの子となります(教義と聖約76:30-37,44参照)。
黙示2:12-13。「サタンの座」とは何か
ヨハネは,「サタンの座」はペルガモにあったと記録しました。ペルガモの聖徒は,多くの悪事に取り囲まれながらも信仰を否定しなかったことで称賛されました(黙示2:12-13参照)。ブルース・R・マッコンキー長老は「サタンの座」を次のように定義しています。
「ペルガモは,ローマ帝国の国教の中心地でした。皇帝が崇拝された宗教であり,キリスト教徒が守らなければならず,もし守らなければ死を遂げることになる宗教です。剣によって課せられた宗教でした。ここでキリスト,すなわち,その口から「鋭いもろ刃のつるぎ」が突き出ている御方は,永遠の力を持っていることを宣言されます。すなわちローマという生死の支配を超えた力と,邪悪な者を剣によるかのように滅ぼす力です(黙示1:16)。ヘブル4:12-13を参照してください。……
『アウグストの治世下,恐らく紀元前29年に神殿がペルガモン〔ペルガモ〕に建てられてローマとアウグストにささげられ,ペルガモンは皇帝崇拝の中心地となり,「サタンの王座」〔サタンの座〕となりました。』〔J. R. Dummelow, ed., The One Volume Bible Commentary (1936), 1075.〕」(Doctrinal New Testament Commentary, 3:449–50)
ゼウス神に献じられたペルガモの古代の祭壇の模型。ドイツ・ベルリンのペルガモン博物館所蔵。主はペルガモの聖徒に「わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある」(黙示2:13)と語られました。多くの学者は,「サタンの座」はペルガモの祭壇を指すと考えています。
黙示2:13。「あなたは,わたしの名を堅く持ちつづけ」
ローマの役人に投獄や死刑を宣告されたキリスト教徒は,時にはキリストをのろい,代わりに皇帝を崇拝することで死を免れることがありました。ヨハネは,ペルガモの聖徒が死の脅威の下でさえ,主の名を「堅く持ちつづけ」たことに対する主の称賛を記しました(黙示2:13。黙示2:25;3:3,11も参照)。黙示2-3章で繰り返し述べられた言葉は,真理を「堅く持ちつづけよ」という勧告です(黙示2:13,25;3:3,11参照)。十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老は,次のように説明しています。神の言葉から得られる真理を「堅く持ちつづける」とは,「耳を傾け,そこで教えられた原則に従い,わたしたちの命がそれに依存しているかのようにそれらの原則にしっかりとつかまることを意味します。霊的な命の話であるとすれば,それは文字どおり真理です。」(“Be Strong in the Lord,” Ensign, July 2004, 10)
黙示2:14。「バラムの教」
The Angel Appearing to Balaamby Paul Gustave Doré.黙示2:14で言及されたバラムの教義は,民数記に記されたバラムとイスラエルの子らの記述を指します。
バラムは旧約の預言者であり,その行いは民数22-24章;31:16に記録されています。初めに,バラムは主と主の民に忠実だったようで,イスラエルをのろうようにというバラクの願いを何度も拒みました。しかし,最終的にはバラクが申し出た金銭に負け,性的な罪と偶像礼拝によってイスラエルの軍勢を弱体化させる方法をバラクに教えました(民数25:1-5;31:13-16参照)。その企てには,モアブ人の女がイスラエルの男をそそのかして異教徒の神に犠牲をささげるよう仕向け,それにより霊的に滅ぼすことも含まれていました。
ブルース・R・マッコンキー長老は,バラムの教義を次のように定義しています。喜んで「報酬のために予知〔預言〕する。神の御心に反する勧告を与える。主の正しい道を変える。すなわち,すべてが人の富と名誉を得ることを目指しています。実質的に,金銭のため,あるいは個人的な力や影響力を得るために教えを説くことです。当然のことながら,そのような行動は主の正しい道から逸脱するものです。2ペテロ2:10-22を参照してください。」(Doctrinal New Testament Commentary, 3:450)
黙示2:17。「隠されているマナ」と「白い石」
主は,イスラエルの子らが40年間荒れ野にとどまっている間に食べるため,命を維持するマナをお与えになりました(出エジプト16:15,35参照)。マナが肉体の命を維持するように,イエス・キリストは霊的な命を維持する「命のパン」です(ヨハネ6:35,48)。黙示2:17で述べられた「隠されているマナ」とは,イエス・キリストを指します。イエスは,邪悪な者たちから「隠されて」います。しかし,ヨハネ6章で主がお教えになったように,象徴的に主の肉を食べる人は永遠の命を受けます(ヨハネ6:47-58参照)。
黙示2:17は,この教えを諸教会に伝えています。「勝利を得る者には,隠されているマナを与えよう。また,白い石を与えよう。この石の上には,……新しい名が書いてある。」白い石の意味について明らかにされた洞察に関しては,教義と聖約130:8-11を参照してください。
黙示2:23。「人の心の奥底までも探り知る」
ここで「奥底」と訳された言葉の文字どおりの意味は「腎臓」です。ヘブライ人にとって,この言葉は強さと活力を表しました。ギリシャ語では願望や思考という意味を含みます。「人の心の奥底までも探り知る」という言葉は慣用句であり,主は内なる人についてすべてを御存じであることを意味します。主はこの完全な理解によって「あなたがたひとりびとりのわざに応じて報い〔る〕」ことがおできになるのです(黙示2:23。教義と聖約137:9も参照)。
黙示2:28。「わたしは……彼に明けの明星を与える」
「明けの明星」とは,イエス・キリストの象徴です(黙示2:28;22:16)。「明けの明星」の約束は,「勝利を得る者,わたしのわざを最後まで持ち続ける者」に与えられます(黙示2:26)。それは預言者ジョセフ・スミスが教えた第二の慰め主についての約束であるかもしれません。「この〔第二の〕慰め主を得る人は,イエス・キリスト御自身が伴侶となってくださるでしょう。もしくは主の現れを時折受けるでしょう。そして主は御父を明らかにしてくださり,御二方は彼とともに住まわれることでしょう。そして天の示現が彼に開かれ,主は直接彼を教えてくださいます。」 (in History of the Church, 3:381)
黙示3:7。「ダビデのかぎ」
黙示3:7には,預言者イザヤの次の言葉が引用されています。「わたしはまたダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開けば閉じる者なく,彼が閉じれば開く者はない。」(イザヤ22:22)イザヤはダビデ王の家来の頭の一人であるエリアキムについて話していましたが,エリアキムは聖なる神殿の閉ざされた扉を開く鍵をゆだねられていました。これらの鍵は権力と管理権の象徴と見ることができます。黙示3:7では,イエスは御自身を「ダビデのかぎ」を持つ者と呼ばれました。すなわち,主は天の宮への鍵,最終的には神の前における命に至る鍵を持っておられるという意味です。
黙示3:12。「彼の上に,わたしの神の御名……を,書きつけよう」
主は,勝利を得る者に 「わたしの神の御名」を書きつけると宣言されました(黙示3:12)。名前は,アイデンティティー,評判,家族,交友関係,属性,役割,能力など,本人について多くの概念を示唆することができます。ブルース・R・マッコンキー長老は,この言葉の意味の一つについて次のように書いています。「神の御名は神です。人に神の御名を書くということは,その人を神と同一に扱うことです。……永遠の命を得る人々は神になるのです!〔教義と聖約132:19-20参照〕」(Doctrinal New Testament Commentary,3:458)神の名がわたしたちに書かれることが意味することについてさらに読むには,黙示14:1-5の解説と黙示22:4の解説を参照してください。
黙示3:14。「アァメンたる者」
ヘブライ語とギリシャ語で,「アーメン」という言葉は,まことに,確かに,忠実にという意味です。黙示3:14では,大いなる「アァメンたる者」として,キリストの忠実さとまことが,ラオデキヤの人々の生ぬるい態度と対照的に表されています(黙示3:15-16も参照)。祈りや講話の締めくくりに言うときは,「アーメン」は,述べられた事柄への承認や同意を厳粛に表します。ブルース・R・マッコンキー長老は,次のように教えました。救い主の「アァメン」という称号は,「救い主によってまた救い主を通して,神聖な確認が御父のすべての約束に結び固められる」ことも示しています(Mormon Doctrine, 2nd ed. [1966], 32)
黙示3:15-16。「冷たいか熱いかであってほしい」
ラオデキヤのすぐ北にあるヒエラポリスの温泉から,南方に流れる小川に温水が注いでいました。この温水は,ラオデキヤに届いてもまだ生ぬるいままでした(黙示3:15-16参照)。「忠実な,まことの証人」(黙示3:14)であるイエス・キリストは,ラオデキヤの教会員を生ぬるいと表現されました。生ぬるい聖徒とは,「イエスの証に雄々しくない」人々(教義と聖約76:79)と言うことができます。ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,教会が真実であるか偽りであるか,人はそれに対して論理的に「なまぬるい」立場を取ることはできないと次のように教えています。
「黙示録には次のように宣言されています。『わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく,熱くもない。むしろ,冷たいか熱いかであってほしい。
このように,熱くもなく,冷たくもなく,なまぬるいので,あなたを口から吐き出そう。』(黙示3:15-16)……
わたしたちは一人一人が,教会が真実かあるいは偽物かという問題に面と向かわなければなりません。妥協点はありません。神の教会であり王国であるか,あるいは何物でもないかのいずれかです。」(「忠誠を尽くす」『リアホナ』2003年5月号,60参照)
黙示3:20。「わたしは戸の外に立って,たたいている」
Jesus Knocking at the Doorby Del Parson
黙示3:20の比喩は,わたしたちが救い主に対して戸を開かなければならない者であることを示唆しています。トーマス・S・モンソン大管長は,戸を開け,救い主に生活に入って来ていただけるようにすることを教会員に勧めています。
「天の御父がわたしたち一人一人を愛しておられることを,わたしは全身全霊を込めて証します。……天の御父は謙遜な人々の祈りや,助けを求める叫びを聞いてくださいます。救い主であり贖い主である神の御子は,今日もわたしたち一人一人に呼びかけておられます。『見よ,わたしは戸の外に立って,たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら,わたしはその中にはい〔るであろう〕。』〔黙示3:20〕
わたしたちは戸をたたく音に耳を傾けるでしょうか。その御声を聞こうとするでしょうか。その扉を開けて主を迎え,主がすぐにも与えてくださる助けを受けようとするでしょうか。わたしたちがそうできるように……祈ります。」(「パットン夫人—その物語の続き」『リアホナ』2007年11月号,24参照)
黙示3:21。「わたしと共にわたしの座につかせよう」
ブルース・R・マッコンキー長老は,主とともに御座に着くことは,昇栄の祝福を受けることを意味すると説明しています。「〔イエス・キリストの贖罪〕を通して, 神の栄光の福音を信じてそれに従うすべての人,真実かつ誠実であって世に勝つすべての人,キリストとキリストの御言葉のために苦しむすべての人,主の大義のために試され,鞭打たれるすべての人—これらの人は皆造り主のようになり,その王座で主とともに座し,主とともに不滅の栄光のうちに統治するのです。」(「ゲツセマネの清めの力」『聖徒の道』1985年7月号,9参照)