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第1章:新約聖書の紹介


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新約聖書の紹介

紹介とタイムライン

新約聖書は27の個別の書で構成されています。それぞれの書は,例外もありますが,おもに主イエス・キリストの使徒たちによって書かれたものです。これらの書は,イエス・キリストの務めと贖罪や,初期のキリスト教会の起こりについて教え,証します。旧約聖書と新約聖書から成る聖書は,これらまでに書かれたどの書物よりも大きな影響を人々に与えてきました。十二使徒定員会のL・トム・ペリー長老は,新約聖書について次のように述べています。「救い主御自身がわたしたちの生活の中心におられるのと同様に,この神聖な書物は聖文の歴史の中心に位置するものです。わたしたちは新約聖書を研究し,大切にする決意を新たにしなければなりません。」(「安息日と聖餐」『リアホナ』2011年5月号,6)

この章には,旧約聖書と新約聖書の間の時代の概要,救い主の現世の生涯における最後の週に焦点を当てた四福音書の概略,新約聖書の成り立ちの略史,聖書のジョセフ・スミス訳についての情報,末日聖徒イエス・キリスト教会とその教会員に対する新約聖書の重要性についての声明が含まれています。

〔第1章のタイムラインの画像〕

解説

旧新約中間時代

旧約時代の終わりから新約時代の始まりの間に起こった主要な歴史的出来事を知っておくことは,新約聖書を読み始めるにあたって,その中の人々と状況をより良く理解するために役立ちます。旧新約中間時代は,ペルシャ時代,ヘレニズム時代,ハスモン朝時代,ローマ時代に分けることができます。

ペルシャ時代。紀元前539年ごろ,ペルシャ王クロスがバビロンを征服し,紀元前606年から586年の間に捕虜としてバビロンに連れてこられたユダヤ人がユダヤに戻ることを許しました(エズラ1章;『聖句ガイド』「クロス」の項参照)。戻ることを選択したユダヤ人はバビロンからアラム語を持ち帰り,新約時代には,アラム語がヘブライ語に取って代わってほとんどのユダヤ人の話し言葉になりました。ペルシャ人統治者の許可を得て,ユダヤ人はエルサレムに神殿を再建しました(紀元前516年ごろ)。ペルシャ時代に書かれた旧約聖書の書には,ダニエル書,エステル書,エズラ記,ネヘミヤ記,ハガイ書,ゼカリヤ書,マラキ書があります。旧約聖書の最後の書であるマラキ書は,紀元前430年ごろに預言者マラキによって書かれたものです。マラキの後は,徐々に律法学者,神殿の祭司(アロンの大祭司を長とする祭司),ラビが,預言者に代わってユダヤ人の宗教指導者になりました。

ヘレニズム時代。ユダヤはアレクサンドロス大王(紀元前336-323年)が征服した地の一つであったため,その結果,ヘレニズム(ギリシャ)文化がユダヤ人の地に影響を及ぼすこととなりました(Bible Dictionary,“Alexander”参照)。多くのユダヤ人がほかのギリシャ都市に住むためにユダヤを去り,ユダヤ民族の離散が進みました。地中海世界の全域におけるユダヤ人の社会と会堂の存在が,その後紀元1世紀のキリスト教の拡大を促進しました(Bible Dictionary,“Diaspora”“Dispersion”参照)。ヘレニズム時代には,取税人や日雇い労働者といった新しい職業がユダヤ人社会に進出しました。ユダヤの最高議会であるサンヒドリンが設立されたのもこの時代です。紀元前3世紀になると,地中海世界の共通言語となっていたギリシャ語への旧約聖書の翻訳が始まりました。翻訳を終えたものは七十人訳聖書として知られており,それが聖典として新約時代に一般に使用されました。新約聖書にある旧約聖書からの引用のほとんどは,七十人訳聖書からのものです。ユダヤ人の聖典のこのギリシャ語訳は,キリスト教の信仰を異邦人の世界に広めるに当たって特別な価値があったことが後に明らかとなりました。文明世界がユダヤ人の宗教を知る機会となったからです(Bible Dictionary,“Hellenists”“Septuagint”参照)。

アレクサンドロス大王の死後(紀元前323年),彼の将軍たちは帝国の支配権を得ようとして争いました。セレウコス・ニカトールがシリア,小アジア(トルコ),ギリシャを制圧し,プトレマイオスがエジプトの支配権を握りました。ユダヤはこれら互いに敵対する二人の領土のちょうど中間に位置していたため,その後の数年間,何度も支配者が変わりました。

ハスモン朝時代。紀元前175年,セレウコス王朝の統治者,アンティオコス4世エピファネス(セレコウス・ニカトールの子孫)によるユダヤ地域の統治が始まりました(Bible Dictionary,“Antiochus Epiphanes”参照)。その地域の完全なヘレニズム化が王国の安定につながると信じたアンティオコスは,安息日の遵守と割礼を含めてユダヤ教をすべて禁止し,トーラー(Bible Dictionary,“Torah”参照)を所持することやそれを読むことを死刑に値する行為としました。エルサレムでは,豚を犠牲としてささげることによって神殿の祭壇が汚され,神殿の祭壇の上に多神教の神々に対する祭壇が置かれました。ユダヤ人を辱め,ユダヤの律法の遵守を阻止するためのものでしたが,これらの非道な行為はユダヤ人社会を激怒させました。これに応じて,紀元前167年,ハスモン家のマッタティアという名の祭司と5人の息子たちが主導して,マカベア戦争と呼ばれるユダヤ人の反乱を起こしました(Bible Dictionary,“Maccabees”参照)。そして,紀元前165年には,マカベア軍がエルサレムを奪還し,神殿を再奉献しました。新約聖書に述べられている「宮きよめの祭」(ハヌカー)は,この重大な出来事を記念するものです(Bible Dictionary,“Feasts”参照)。マカベアの指導者たちは,440年以上を経て初めて,独立したユダヤ人国家の設立に成功したのです。マッタティアの息子,シモン・マカベアが大祭司とユダヤの総督の両方を兼務し,これによってハスモン王朝が確立されました。

〔岩のドームの画像〕

現代エルサレムの岩のドーム

Photograph by Timothy L. Taggart

ローマ時代。ハスモン王朝の指導者たちは,やがて腐敗した政治組織へと転落していきました。ハスモン王朝の二人の兄弟が権力を争っていた紀元前63年に,ローマ将軍ポンペイウスがエルサレムに攻め込み,ユダヤ人の地はローマ帝国の支配下に置かれました(Bible Dictionary,“Roman Empire”参照)。イエス・キリストの降誕当時,ローマから任命されたユダヤの統治者は,ユダヤ人のヘロデ大王(紀元前37-4年)でした。でした。ヘロデ大王は,メシヤの降誕の知らせを聞いて恐れ,2歳以下のベツレヘムにいる子供を殺すように命じました(マタイ2:1-18参照)。国民に不人気であった強力で冷酷な指導者ヘロデは,大規模な建築事業を行うことによって国民の人気を得ようとしました。特に,エルサレム神殿の再建は,ヘロデの死後も,イエス・キリストが務めに携わっておられた間も,長い間続きました(Bible Dictionary,“Herod”“Temple of Herod”参照)。紀元前4年にヘロデが死ぬと,領地は3人の息子たちに分割されました。彼らは,父親のような実際の王としてではなく,領主(Tetrarch:「部分的な統治者」という意味のギリシャ語)として統治しました。その一人であったヘロデ・アンティパスは,ガリラヤを統治し,イエス・キリストが務めに携わっておられた期間中,最も頻繁に言及されたヘロデ家の一員です。

紀元6年にヘロデの息子の一人が退位させられてから,ローマ帝国の指導者たちは,ユダヤ属州に総督を任命するようになりました。彼らは当初プラエフェクトゥス(総督)と呼ばれていましたが,クラウデオ帝の時代(紀元41-54年)以降はプラクラトル(長官)と呼ばれました(使徒11:28参照)。ポンテオ・ピラトは,紀元26年に総督に任じられ,紀元36年まで統治しました。

新約時代全体を通じて,大祭司——アロン神権またはレビ神権の公認の長——の職には,腐敗した人々が就いていました。ハスモン朝時代,この職の正当性がだんだんと疑問視されるようになりました。この職は,セレウコス王朝の統治者アンティオコス4世の下で最高入札者に売られ,ヘロデ大王はこれを最低限の役割に格下げしました。しかし,ローマの総督の到来で,大祭司に,よりいっそう大きな権力が与えられるようになり,大祭司の職がローマを支える上流階級となりました。イエス・キリストの成人期の大祭司は,アンナスの義理の息子であったカヤパでした(ヨハネ18:24参照)。アンナスは紀元6年から15年の大祭司で,カヤパは紀元18年から36年の間統治しました。アンナスは大きな影響力を持っており,何人もの息子が大祭司になりました。

ローマ時代は,一般に紀元324年に終結したとされています。

旧新約中間時代の出来事は,約束されたメシヤの来臨を多くのユダヤ人が切望していたということを理解するのに役立ちます。何世紀にもわたる征服と屈辱の後,多くの人が,外国の圧制者を一掃し,国威を取り戻すことができるのはメシヤだけだと痛切に感じていました。

新約聖書の背景

以下の用語を基本的に理解しておくことは,新約聖書の研究に役立ちます。

メシヤ。「油注がれた者」という意味のアラム語およびヘブライ語。古代イスラエルでは,預言者,王,祭司は,油を注がれました。これは彼らが神によって選ばれ,任命されたことを示します。メシヤという言葉は,いつの日か人々を救うために来られる,ダビデの血統を持つイスラエルの特定の王を指すようになりました。メシヤに相当するギリシャ語はクリストスで,キリストという称号はこれに由来しています。新約時代に,人々はメシヤの来臨を期待していました。

ガリラヤ。エルサレムの北に位置し,ガリラヤの海の北と西に接する地域。イエスは,ガリラヤの小さな村ナザレで育ち,カペナウム,カナ,ベツサイダ,ナイン,そのほかのガリラヤの町や村で現世における務めの期間の大部分を過ごし,教えられました。

ユダヤ。死海の西にあるエルサレム周辺の地域。救い主は,ガリラヤのときと同様,特にユダヤ人指導者たち,すなわち祭司長や律法学者,長老たちに容易には受け入れられませんでした。

サマリヤ。ジョーダン川の西,ユダヤとガリラヤの間にある地域。サマリヤ人は,紀元前8世紀のアッスリヤ人によるサマリヤの征服後にその地で結婚し,居住したイスラエル人と外国人の間の子孫でした列王下17:24-41参照)。サマリヤ人とユダヤ人の間の敵意は,少なくともペルシャ時代にさかのぼります。ユダヤとガリラヤの間を旅するユダヤ人は,サマリヤを通過しないように,しばしばヨルダン川付近を通るもっと長い道のりを旅しました。

パリサイ人。敬けんなユダヤ人のグループ。その名には,「分離された者」の意味があります。特に,異邦人の汚れから自らを分離したということです。パリサイ人は,モーセの律法とユダヤ教の儀式の厳守を求め,書き記された聖文と同等の価値があるとして,口頭での伝承の権威を支持しました。概して,イエス・キリストの反対派をおもに構成していたのがパリサイ人でした。

サドカイ人。ハスモン朝時代に名声を得た上流階級の大祭司の家族から成る支配層グループ。人数はあまり多くありませんでしたが,特にエルサレムにある宮の管理について,かなりの力を持っていました。彼らは,イエス・キリストによる宮清めを彼らの権力に対する侮辱であると見なし,イエス・キリストに反対しました。記述されたモーセの律法にはない伝承と信仰を拒絶し,パリサイ人やそのほか大勢のユダヤ人と対立しました。特に,天使,不死不滅,裁き,復活についての信条を拒否しました。これらの信条は,彼らの救い主に対する反感の大きな原因でした。

サンヒドリン。「議会」を意味するギリシャ語。サンヒドリンは,ユダヤ人の住んでいた様々な地域に多数存在していました。この用語(日本語訳では「議会」)が新約聖書内で説明もなく使用される場合,通常はエルサレムに本部を置く大サンヒドリンを指します。このユダヤ人の議会は,ユダヤ民族内の問題を規制していました。議会は70人の会員と,議会を管理する大祭司で構成されており,その会員は,祭司長,律法学者,パリサイ人,サドカイ人,長老といったユダヤ人支配層から選出されていました。ローマは政治権力を維持していましたが,ユダヤ人を制御し続けられるかぎり,サンヒドリンにユダヤの戒律に対する管轄権を与えました。

律法学者。記録保存者として,また聖文を書写する者として生計を立てていた教養のある人々。彼らは,ますます増える会堂に聖文を提供し,またモーセの律法の解釈者となり,教師になりました。

会堂。ユダヤ教の集会,またはユダヤ人が安息日,祭りやそのほかの聖日に祈り,礼拝する実際の建物。会堂の設立は,ユダヤ人が神の宮から離れていながらも主を礼拝する方法を求めたため,バビロニア捕囚時代や旧新約中間時代に顕著になりました。新約時代にさかのぼる会堂の遺跡も幾つか発見されています。イエスと使徒たちは,このような会堂で教えました。

聖典。イエスの時代にユダヤ人が使用した聖典は,3つの主要なカテゴリーに分類されることがあります。トーラー。「律法」としても知られ,モーセの5書(旧約聖書の最初の5つの書)で構成されています。預言書。預言者による書,預言者についての書を集めたものを指し,ヨシュア記から列王紀下までの歴史書のほか,イザヤ書,エレミヤ書,エゼキエル書,12の「小預言書」(ホセア書からマラキ書)が含まれる集書です。諸書。詩文学(詩篇,箴言,ヨブ記),「5つの巻物」(雅歌,ルツ記,哀歌,伝道の書,エステル記),ダニエル書,歴代志上,歴代志下が含まれる集書です。

イエス・キリストの務めと贖罪の証として書かれた福音書

十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老(1915-1985年)は,新約聖書の内容を次のように要約しました。「新約聖書には……古代の約束の成就されたことが詳述されており,約束された御方の降誕と務めと贖いの犠牲について述べられており,救いをもたらす永遠の福音の教義が説かれており,時の中間の時代における福音の大義の発展と拡大が記録されており,聖徒たちに伝えられた信仰からの世界的な背教 の預言が記されており,終わりの時における輝かしい福音の回復が約束されており,また人の子の再臨に先立つ出来事や再臨に伴う出来事,再臨に続く出来事が生き生きと力強く比喩的表現で予告されています。新約聖書の最大の目的は,キリストの証を述べることです。」(A New Witness for the Articles of Faith [1985], 392)

マタイ,マルコ,ルカ,ヨハネによる福音書は,イエス・キリストの略伝としてではなく,イエス・キリストがメシヤ,神の御子であられたことの証として書かれました。これらの福音書は,イエス・キリストの生涯における日ごとの話を明らかにするものではなく,現世の生涯と働きに関連したことを告げながら,イエス・キリストの贖いの使命を重視しています。イエス・キリストの公の務めはおよそ3年に及びました。しかし,四福音書に述べられているのは,救い主の生涯におけるごくわずかな特定の日々に関することだけです。ヨハネは,記録する事柄を筆者たちが選んでいると述べています(ヨハネ21:25参照)。

イエス・キリストの贖罪が天の御父の子供たちを贖うための御父の計画の中心であるため,マタイ,マルコ,ルカ,ヨハネのそれぞれがイエス・キリストのゲツセマネでの苦しみ,十字架の刑,復活といった贖罪に関する出来事について強調していることを認識することが大切です。丁寧に語られた物語を通じて,霊感を受けた福音書の著者たちは,これらの聖なる出来事がイエス・キリストの現世における務めにとって重要なものであったことを示しています。ヨハネが記録したとおり,「これらのことを書いたのは,あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり,また,そう信じて,イエスの名によって命を得るため」なのです(ヨハネ20:31)。

四福音書著者によるイエス・キリストの証の概要

マタイ

マルコ

ルカ

ヨハネ

ほかの福音書と共通する内容*

58パーセント

93パーセント

41パーセント

8パーセント

この福音書のみに見られる内容*

42パーセント

7パーセント

59パーセント

92パーセント

おもな対象読者

ユダヤ民族

ローマ人

ギリシャ人

イエス・キリストの教会の会員

イエスについての焦点

王としてのキリスト,預言の成就

苦しみを負われる神の御子,万人の僕としてのキリスト

全人類の救い主としてのキリスト

神の聖なる御子としてのキリスト

救い主の生涯における最後の週についての焦点

8章(21-28章)

6章(11-16章)

6章(19-24章)

10章(12-21章)

救い主の証の例

マタイ1:21-238:16-1721:1-927:54

マルコ1:14:418:27-3110:4514:61-6215:2,39

ルカ1:1-4,352:10-1124:5-8,25-32,44-48

ヨハネ1:1-4,145:36-398:12,5818:36-3720:30-31

  • Robert L. Millet, “The Testimony of Matthew”による比率。Studies in Scripture, Volume Five: The Gospels, ed. Kent P. Jackson and Robert L. Millet (1986), 49で引用

この概要の最初の2行は,マタイとマルコ,ルカがほぼ同じ内容を共有していることを示しています。「マタイ,マルコ,ルカの記録は,若干似通った題材が集められており,それらの言葉使いに非常に多くの共通点があるだけでなく,要点も似ていることから,時折『共観福音書』(『似通った』という意味)と呼ばれている。とは言え,それぞれの書は独特であり,他の書には見られない多くの詳細が含まれる。ヨハネの記録は語彙,言葉使い,出来事の記述方法が他の三つの書とは大幅に異なっている。」(Bible Dictionary,“Gospels”

新約聖書本文の正典化

残存する最古の新約聖書本文は,紀元2世紀前半のものです。自筆の新約聖書の書,つまり著者によって書かれた原本は残っていません。新約聖書の個々の書の最も古い完全な写本は紀元200年ごろのものですが,新約聖書の全書がそろった最も古い集書は4世紀のものです。

初期のキリスト教会での背教は,使徒たちがまだ生きていた頃に起こり始めました(使徒20:29-301コリント:10-13ガラテヤ1:6-82ペテロ2:1-33ヨハネ1:9-10ユダ1:3-4,18-19参照)。使徒たちの死によってこの世から使徒の権能が取り去られ,その結果として神権の鍵が失われた後,背教は勢いを増し,多様な競合するキリスト教徒のグループが,自分たちの信仰は聖典の教義に基づいていると主張しました。様々な本文の真偽と価値についての討論が激しくなるにつれ,キリスト教徒は,真正なキリスト教文書として一般に認められたものを一つに集めることの必要性を感じました。文書にも本物と疑わしいものがあり,その中にはほかよりも価値がある文書もあるという解釈が一般的でした。やがて,3世紀と4世紀のキリスト教指導者たちは,公認の正典にどの本文を含めるかを決めました。その本文が既知の使徒的権威を有しているかどうか,キリスト教社会の間で継続的に広く支持されているかどうか,そして誤った教えがないかどうかに基づいて判断したのです。これらの基準を用いて,紀元367年,アレクサンドリアのアタナシオスが現在新約聖書に収録されている27の書のリストを推薦しました。この集書は,紀元397年に第3回カルタゴ公会議で承認されました。

〔パピルスのレプリカの画像〕

ギリシャ語のパピルス写本のレプリカ

1世紀から,キリスト教徒は,旧約聖書本文を書く際の慣習であった巻物の形式ではなく,個別のページを束ねた「本」の形式の写本という形態で新約聖書本文の複製を作り始めました。これが,現在聖書として知られる集書の発展に至った一つの要因であったかもしれません。Bible(聖書)は,ギリシャ語のbibliaに由来しており,逐語的に「書物」を意味します。写本により,複数の書物の集書を一巻にまとめて作成することができました。新約聖書の最も古い完全な本文はシナイ写本で,紀元4世紀に書かれました。

聖書の翻訳

新約聖書の27の書が正典化されると,それはわたしたちが現在使用している聖書に翻訳され,構成されました。以下は,歴史上重要な聖書翻訳の一部の概要です。この概要から明らかなように,聖書を世界各地にもたらすことに貢献した多くの人は,「神の御言葉を暗黒からもたらすために,死をもいとわぬ犠牲を払」いました(D・トッド・クリストファーソン「聖文の祝福」『リアホナ』2010年5月号,32)。

ウルガタ聖書:ヒエロニムスによるラテン語訳。ウルガタはラテン語で「共通」を意味します。)聖典を北アフリカなどのラテン語圏に持ち込む必要が生じたとき,ギリシャ語の七十人訳聖書(旧約聖書)と新約聖書からラテン語訳が作成されました。しかし,これらの翻訳は厳密に管理されていなかったため,教会の指導者たちは,程なく個別の本文の多くが改変され,不一致が生じることを懸念するようになりました。この問題に対処するため,紀元383年,ローマ教皇ダマススは,新しい適切なラテン語訳を作成する務めに,彼の秘書であり,ギリシャ語とラテン語のきわめて優れた学者であったヒエロニムスを任命しました。ウルガタ訳新約聖書の序文にあるように,ヒエロニムスはローマ教皇ダマススに手紙を書き,新しい訳の作成に関する問題についてこう述べています。「ラテン語の本文を信頼するならば,反対論者たちは,どれのことですか,本文は写本と同じくらい多くの種類があるのですから,と言うことでしょう。一方で,多くの本文を比較して真実を探り出すというのならば,元のギリシャ語に戻って,おぼつかない翻訳者による誤訳,自信はあっても無知な評論家たちによる不注意な修正,そしてさらに,居眠りしていることの方が多い写字生によって加筆または変更されたすべての内容を正せばよいのではないでしょうか。」ヒエロニムスの言葉は,ジョセフ・スミスが「聖書のジョセフ・スミス訳」を作成したときに直面したものと同じ問題を言い表しています。

ウルガタ聖書として知られるジェロームのラテン語訳聖書は,最終的にその他すべての翻訳に取って代わり,1千年近くも西欧諸国の聖書とされるようになりました。ウルガタ聖書は,トレント公会議(1545-1563年)で正式に認可されました。ウルガタ聖書は,北方から攻め寄せる蛮行の波からヨーロッパの精神的,知的遺産を守る柱であったと言われています。

ルター聖書:マルティン・ルターによるドイツ語訳。聖書のドイツ語への翻訳の歴史は紀元348年に始まりました。ウルフィラ(ウルフィラスと呼ばれる場合もある)という名前のカトリック司教は,ゴート人祭司長による宗教的迫害から逃れるために,彼の追随者とともにドイツから現在のブルガリア北部に脱出しました。そこで,ウルフィラは,聖書をギリシャ語からゴート語方言に翻訳しました。この翻訳版は,今日も使用されているドイツ語のキリスト教用語の多くを確立しました。ドイツ語訳の聖書は,15世紀末期から16世紀初頭に多数作成されましたが,最も大きな影響を及ぼしたのが,マルティン・ルターによって行われたドイツ語訳でした。ルターはドイツの司祭であり神学者であって,カトリック教会との断絶は宗教改革に拍車を掛ける一因となりました。彼は,聖典の教えに沿っていないと感じた教会の多くの慣行に反対し,教会よりも聖書を信頼のおけるキリスト教徒の権威の源と見なすようになりました。

1517年に教会との意見の相違を公表した後,マルティン・ルターは,聖書のドイツ語への翻訳に取りかかりました。そして,1522年に新約聖書の翻訳を終え,1534年には聖書全体の翻訳を出版しました。ドイツ語を話す人々の現地語へのこの翻訳は,宗教改革の最も重要な行いの一つでした。これは,ドイツの人々が聖書を利用することを可能にしただけでなく,ドイツ文化に影響を与え,ドイツの宗教言語と文学語を標準化し,国家の結束を生み出す助けとなりました。ドイツ語へのその影響は,欽定訳聖書が英語に与えた影響に匹敵します。また,欽定訳聖書が作成されることになった要因の一つは,ルター聖書にあったのでした。ルター聖書の1984年版は,今日も幅広く使用されています。

興味深いのは,預言者ジョセフ・スミスが,マルティン・ルターによるドイツ語訳聖書を含む数か国語の新約聖書を所有していたことです。ジョセフは,新約聖書の幾つかの節について様々な翻訳を比較し,ルターの翻訳が非常に優れていると感じました(History of the Church, 6:307参照)。

ジョン・ウィクリフの英語訳聖書。マルティン・ルターから1世紀半さかのぼったころに,聖書の英語への翻訳作業の先駆けとなったのがジョン・ウィクリフです。当時の最も卓越した学者の一人であったウィクリフは,聖文を愛しており,多くの聖職者だけでなく一般人の中にも同様に見受けられた聖文に対する知識のなさに心を痛めました。ルターと同じく,ウィクリフも,教会に幻滅を感じ,当時の唯一正確な指針は聖書であるという結論に至りました。このため,ウィクリフは「神の律法」を祖国の人々に彼らの理解する英語で伝えるという困難な業に着手したのです。ヒエロニムスのラテン語訳を基に,ウィクリフと彼の同僚たちは,1380年に新約聖書の英語訳,1382年に旧約聖書の一部の英語訳を完成させました。彼の死からおよそ30年後,ウィクリフは異端者として告発されました。その後,1432年に,ローマ教皇マルティヌス5世の命令により,ウィクリフの遺骨は掘り起こされて焼かれ,その灰はまき散らされました。ウィクリフに追随したロラード派は,彼の死後も長い間迫害されました。

ウィリアム・ティンダルの英語訳聖書。ウィクリフの先駆的取り組みにもかかわらず,英語を母語とする人々は,「英訳聖書の父」と呼ばれているウィリアム・ティンダルの時代の後まで,広い範囲で聖書を利用する機会はありませんでした。十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老は,ティンダルによる貢献について次のように述べています。

「ティンダルは,コロンブスが新世界に向けて航海した時代にイングランドに生まれました。オックスフォード大学とケンブリッジ大学で教育を受け,後にカトリックの聖職者となりました。ギリシャ語,ヘブライ語,ラテン語を含む8つの言語に通じていました。聖書を熱心に学んでいたティンダルは,聖職者と一般信徒の両方に広く見られた聖文に対する無知に深く心を悩ませていました。聖文を一般民衆の手に渡すべきではないと主張する聖職者との激しい論争の中で,ティンダルはこう誓いました。『神がわたしの命を守ってくださるならば,数年の間に,すきを引いて畑を耕す少年を,あなたよりも聖書に精通するようにしましょう。』

彼は,聖書を英語に翻訳する手はずを整える承認を教会の指導者に求めました。すべての人が神の御言葉を読み,実践できるようにするためでした。しかし,その願いは却下されました。聖職者以外のあらゆる人が聖文を直接手にすることは教会の権威にとって脅威であり,『真珠を豚に投げる』(マタイ7:6)ことに等しいというのが当時の一般的な考え方だったからです。

それでもティンダルは困難な翻訳の業に着手しました。1524年,偽名を使ってドイツに移り,逮捕への絶えざる脅威の下で多くの時間を身を隠して過ごしました。ティンダルは,献身的な友人の助けを借りて,新約聖書,後には旧約聖書の英訳の出版にこぎつけます。ティンダルの聖書はイングランドに密輸され,多くの需要を生み出し,入手に成功した人たちから高い評価を受けました。そして多くの人々の手に,ひそかに渡っていきました。当時の指導者は見つけた聖書をすべて焼き払いました。」

1535年,ティンダルは異端と反逆の罪で逮捕され,ベルギーのブリュッセル近郊にある城の地下牢に1年半近く投獄されました。地下牢は暗くて寒く,孤独でした。1536年10月6日,彼は城壁の外に連れ出され,くいに縛りつけられました。クリストファーソン長老は続けてこう述べています。

「〔彼は〕最後の祈りを口にしました。『主よ,イングランド国王の目をお開きください。』その後,彼は絞殺され,遺体はその場で焼かれました……

……ティンダルの死から3年たたないうちに,神は確かに国王ヘンリー8世の目を開かれました。いわゆる「大聖書」が出版され,英文の聖書を手にできるようになったのです。ティンダルの英訳は,その後に行われたほとんどの英訳聖書の基となりました。中でも特に有名なものが欽定訳聖書です。」(「聖文の祝福」『リアホナ』2010年5月号,32)

ティンダルの翻訳は,ヘブライ語本文とギリシャ語本文の両方から直接翻訳された最初の英語訳聖書でした。また,当時発明されたばかりのグーテンベルク活版印刷を活用した最初の英語訳聖書でもあり,これによって広範囲にわたる配布が可能になりました。

〔聖書の画像〕

欽定訳聖書。1604年から1611年にかけて,英国王ジェームズ1世(1566-1625年)に任命された約50人の翻訳者のチームが聖書の新しい英語訳を手がけ,これが欽定訳聖書(「ジェームズ王訳」と呼ばれることもある)として知られるようになりました。翻訳者はティンダルの本文を使用し,英語,スペイン語,フランス語,ドイツ語,イタリア語訳の聖書,多数の学究的文献,ならびにヘブライ語,アラム語,ギリシャ語の聖書本文の写本を含む,有用なそのほかの資料も参考にしました。その結果として完成した翻訳は,ルター聖書がドイツ語に及ぼした影響と同じように,英語に多大な影響をもたらしました。預言者ジョセフ・スミスが研究し,使用した聖書は,欽定訳聖書でした。その語彙と文体は,モルモン書と教義と聖約の全体を通じて見受けられます(教義と聖約1:24参照)。欽定訳聖書は,回復された末日聖徒イエス・キリスト教会において永続的な価値のあるものです。

1992年8月,大管長会のエズラ・タフト・ベンソン,ゴードン・B・ヒンクレー,トーマス・S・モンソンが欽定訳聖書についての声明を発表しました。その声明にはこう述べられています。「聖書のほかの版は,欽定訳聖書と比べて読みやすいかもしれません。しかし,教義の観点から,末日の啓示は,ほかの英語訳ではなく欽定訳聖書を支持しています。預言者ジョセフ・スミスをはじめとする大管長の全員が,教会での継続的な使用を奨励することによって,欽定訳聖書を支持してきました。上記のすべてを考慮して,欽定訳聖書が末日聖徒イエス・キリスト教会で使用される英語訳聖書とされています」(“First Presidency Statement on the King James Version of the Bible,” Ensign, Aug. 1992, 80)。

レイナ・バレラ版スペイン語訳聖書。早くも1490年には,ラテン語のウルガタ聖書の四福音書が,スペイン語に翻訳されました。1543年,プロテスタント教徒のフランシスコ・デ・エンシナスが全新約聖書を翻訳しましたが,道徳に反する読み物と見なされ,彼は投獄されました。1569年,カシオドロ・デ・レイナが,全聖書のスペイン語訳を作成し,出版しました。レイナは修道士でしたが,宗教改革者のメッセージを聞いた後,カトリック教会を去りました。多くのそのほかの宗教改革者や聖書翻訳者と同様に,1564年にスペインのフィリペ王がレイナの首に賞金を懸けるなど,レイナも迫害を受け,命を脅かされました。そして,彼は生涯の多くを亡命者として過ごしました。レイナの同僚の一人であったチプリアーノ・デ・バレラは,レイナの翻訳の修正と改善に20年を費やし,1602年,70歳のときにレイナ・バレラ訳として知られることになった聖書を出版しました。この版は,スペイン語聖書の標準翻訳となりました。レイナ・バレラ訳聖書は,英語における欽定訳聖書と同様に,スペイン語での聖典の理解における中核となっています。何世紀にもわたり,レイナ・バレラ訳に数多くの修正が加えられてきました。レイナとバレラの名は,「聖書を母語でスペインに提供するという崇高な目的を心の中に宿していた2人の人物」(Eduardo Balderas, “How the Scriptures Came to Be Translated into Spanish,” Ensign, Sept. 1972, 27)として,尊敬の意をもって後世に伝えられています。

2009年,末日聖徒イエス・キリスト教会は,大管長会と十二使徒定員の指示の下で,最新の文体,新しい章の見出し,脚注,教会のすべての標準聖典に対する相互参照聖句,地図やそのほかの学習資料を備えた末日聖徒版レイナ・バレラ訳聖書を作成しました(“Church Publishes LDS Edition of the Holy Bible in Spanish,” Ensign, Sept. 2009, 77–78参照)。

〔スペイン語聖書の画像〕

2009年に出版された末日聖徒版スペイン語レイナ・バレラ訳聖書

聖書についての奇跡

十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老は,聖書についての奇跡を次のように述べています。

「聖書の中にある4,000年の霊的な歴史と世俗的な歴史が,預言者や使徒,霊感を受けた信者によって記録され,保存されてきたことは奇跡です。

聖書の力強い教義や原則,詩や物語をわたしたちが手にしているのは奇跡です。しかし,何よりもすばらしい奇跡は,わたしたちが今日イエス・キリストの御言葉と,その生涯と務めに関する記述を手にしていることであり,また,そのために,暗黒の時代や何世代にもわたる争いの時代をくぐり抜けてそれらが守られてきたことです。

聖書のページに文字どおり,改心と癒しをもたらすキリストの御霊があることは奇跡です。その御霊は,何世紀にもわたって人々の心を変え,祈るように,正しい道を選択するように,救い主を見いだすように導いてきたのです。

聖書はその名のとおり,神聖な書物です。聖書が神聖なのは,真理を教えてくれるからであり,その御霊でわたしたちを温めてくれるからです。聖書が神聖なのは,神が人にどのように接してこられたかを人が理解して神を知ることができるように教えているからであり,主イエス・キリストについて随所で証しているからです。」(「聖書という奇跡」『リアホナ』2007年5月号,80)

末日聖徒イエス・キリスト教会と聖書

聖書は,末日聖徒イエス・キリスト教会において中心的な役割を果たしています。M・ラッセル・バラード長老は,聖書の大切さについて話し,個人の研究において聖書を軽視しないように勧めています。

聖書は「わたしたちの信仰の一つの柱であり,救い主についての力強い証です。聖書は,主を礼拝し,主に従う人々の生活に絶えず影響を及ぼすキリストの力について証するものです。聖書を読んでその教えを研究すればするほど,イエス・キリストの回復された福音の教義の基礎がいっそうはっきりと分かるようになります。人は時間を費やして学んだ聖文を好きになるものです。すべての聖文を愛し,理解するために,バランスよく勉強をする必要があるでしょう。

特に,若い人たちは,聖書を過小評価してはいけません。聖書は主の生涯を記した神聖な記録です……聖書はすべてのキリスト教徒の信仰の土台です……

この教会が聖書を信じていることや,わたしたちがクリスチャンであることに疑問を抱く人がいることを,不思議に思います。この教会の名前は末日聖徒イエス・キリスト教会です。この建物で行われた前回の総大会で,この教会の指導者たちは聖書からほぼ200回も引用しました。この教会にはキリストが新約聖書の時代に御自身の弟子たちとお立てになった教会と同様の組織と機能があります……

わたしたちは主イエス・キリストと,聖書を通して啓示された御言葉を,真心から信じる者であると厳粛に証します。わたしたちは聖書を信じているだけでなく,その教えに従い,聖書に書かれているメッセージを教えるよう励んでいます。」(「聖書という奇跡」,82)

聖書のジョセフ・スミス訳

『聖句ガイド』では,聖書のジョセフ・スミス訳について次のように説明されています。「預言者ジョセフ・スミスが1830年6月に始めた『欽定訳聖書』の改訂あるいは翻訳をいう。ジョセフ・スミス​は​神​から​その​翻訳​を​する​よう​命じられ,それ​を​預言者​として​の​自分​の​召し​の​一部​と​考えた。ジョセフ​は​1833​年​7月​まで​に​この​翻訳​を​ほとんど​終えて​いた​が,出版​の​ため​の​原稿​を​準備​しながら,1844​年​の​死​に​至る​まで​加筆​訂正​を​続けた……

預言者​は​この​翻訳​の​過程​で​多く​の​こと​を​学んだ。『教義と聖約』の​幾つか​の章(教義と聖約76-77章91章;および『教義と聖約』に掲載されていないそのほかの啓示)は,この​翻訳​を​きっかけ​に​与えられた​もの​で​ある。また​主​は​この​翻訳​に​関して,ジョセフ​に​具体的​な​指示​を​与えられた。その​指示​は『教義と聖約』に​記録​されて​いる(教義と聖約37:145:60-6176:15-1890:1394:10104:58124:89)。『高価な真珠』に​収められて​いる​モーセ書​と​ジョセフ・スミス—マタイ​は​ジョセフ・スミス​訳​から​直接​取った​もの​で​ある。ジョセフ・スミス​訳​は,『聖書』から​抜き取られた​分かり​やすく​貴い​部分​を​回復​した(1ニーファイ13-14参照)」(『聖句ガイド』「ジョセフ・スミス訳」の項)。

十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老が述べたように,聖書のジョセフ・スミス訳は「聖文のロイヤルファミリーの一員です。……それを前にするときはいつでもそれに注目し,それを尊ぶようにするべきです。」(“Scripture Reading”,Plain and Precious Truths Restored, ed. Robert L. Millet and Robert J. Matthews [1995], 13で引用)

末日聖典の付録には聖書のジョセフ・スミス訳の抜粋が収録されています。