Inviting All to Receive the Gospel ─ 招きます
主に召された島の人々を愛し,招く
鹿児島市から約380キロ,東シナ海の沖合に浮かぶ奄美大島(あまみおおしま)。琉球列島の中では沖縄本島に次いで広大な面積を有し,1年中ハイビスカスの花が咲く亜熱帯の島である。
緑滴る自然と豊かな伝統文化に彩られたこの島にある鹿児島地方部名瀬(なぜ)支部は,10人ほどが集う小さな支部だった。家族のように仲が良いが,人手不足が気がかり。そんな名瀬支部に1組の夫婦宣教師がやってきたのは2023年3月のこと。松本二郎長老と櫻子姉妹。千葉県から自家用車で陸海路1,700キロを走破してやってきた二人は,南の島の教会に多くの人々を招き,違いを生み出している。
「支部を楽しくしてください」
2023年3月18日早朝4時,奄美大島の名瀬港に着岸したフェリーの中に松本夫妻がいた。コロナ禍で専任宣教師が去って以来,3年ぶりに名瀬支部に赴任する宣教師である。きらめく海も道沿いのソテツ林もすべてが闇に沈む時刻,下船を待つ二人にはこれから始まる日々の予想がつかなかったが,明確なビジョンはあった。松本夫妻が奄美に向かう前,福岡伝道本部で原 伸二郎(はら・しんじろう)伝道部会長にかけられた言葉がある。「(名瀬の会員の皆さんは)忙しいし,日曜日くらいしか教会に集まれない方が多い。支部を楽しくしてあげてください。」─その言葉は夫妻が抱いていた伝道のビジョンに一致していた。「せっかく伝道に出るのだから,活動でたくさんの人を教会に招いて,教える人を見つけたいと思っていました」と松本長老は振り返る。
サークル活動を通して,人々を招く
奄美市のアパートに落ち着いた松本夫妻がその足で向かった先は,名瀬支部と目と鼻の先にある公民館だった。時は春,公民館で年間を通じて行われる公開講座の登録が始まっていた。二人は講座のリストを隅々まで眺めた。絵手紙,筆アート,第九(だいく)合唱団,みんなの奄美学等々。「1講座あたり年間1,500円です。すごく安く感じて(笑)わたしは6講座,松本姉妹は3講座に登録しました。」そこには「教会に人を招く」という明確な目的があった。
「人間を獲(と)る漁師になるには,しかるべき漁場(サークル)が必要です」と松本長老は言う。多くの人々と知り合いになり,信頼関係を築くことができる場所。若い宣教師にとっては英会話だが,夫婦宣教師は自分のやりたいこと,趣味を軸にすべきだと松本長老は考えた。「夫婦宣教師は転勤がない分,人間関係作りにもじっくり取り組めます。サークルに入って思いっきり楽しむことで信頼関係を築き,ファインディングの機会を作れると思いました。」若い頃は無趣味だった松本長老は,還暦頃から書道と声楽を始めた。夫婦宣教師として召される半年前からは,松本姉妹とともに近くの市民講座で,国際交流や絵手紙を学んだ。趣味や特技を磨き,退職後の伝道活動に備えたのだった。
6月に公開講座が始まると,ネームタグを付けた松本夫妻は講座を通して参加者と交流し,島の人々に馴染んでいった。八月踊り1やシマ唄など奄美の文化を学ぶ講座は,個性豊かな奄美の風土の魅力を二人に教えてくれた。そして人々を「招く」ために,松本夫妻は名瀬支部の建物を活用することを思いつく。「公民館とは通り一本挟んだだけの近さが魅力だと思いました。」各講座の講師に松本夫妻は持ちかける。名瀬支部で講座のイベントを開きませんか─。その呼びかけに最初に応じたのが筆アート講座の講師,高瀬文子(たかせ・あやこ)先生だった。
イベントについて詳しく話をするうちに,高瀬先生は自分の紆余曲折の人生経験を語り出した。その話に感じるものがあった松本長老は声をかける。「もしよろしければ,教会のことも聞いてみられませんか?」高瀬先生は快諾した。「昔,健康的な問題がきっかけで,神様について考えるようになっていました。」(高瀬先生)
後日,レッスンを受けた高瀬先生は福音のメッセージに目を輝かせる。「答え合わせができました,と喜んでくださって……わたしたちもうれしくて,熱を入れてレッスンをしました」と松本姉妹。
こうして筆アート,奄美第九合唱団,シマ唄や八月踊りの講座の先生・生徒らに教会でのイベント参加を呼びかけ,人々を教会に招いた。市民ホール等で出演した第九発表会,講演会,市民講座発表会などもまた,伝道の役に立った。
主が備えられた伴奏者
名瀬支部は53年の歴史を持つユニットだが,松本夫妻が赴任した当初,活発会員は10名程度だった。神権者は支部会長の岩元康夫(いわもと・やすお)兄弟,伝道主任の田中良一(たなか・りょういち)兄弟の2人だけで,「日曜の聖餐は毎週交代で祝福して配って……何とか回していましたね。」(岩元会長)負担を軽減すべく,松本夫妻は進んで責任を引き受けた。聖餐の祝福をし,毎週のようにお話をする。コロナで中断していた日曜学校も再開した。伝道前に指揮の訓練を積んでいた松本長老は指揮者も務めた。「日曜日は休む暇もない,自転車操業です」というほどの働きぶりだったが,ただ一つ,どうにもならなかったのが賛美歌の伴奏だった。
初夏の夜のことだった。松本長老は公開講座の一つである「奄美第九合唱団」の練習を終え,名瀬支部の駐車場で支部大会のチラシを配っていた。長老は最後に車を出しにきた女性に目を止める。「急いでもなさそうで,ゆっくり話せると思いました。」Iさんというその女性と世間話をするうち教会の話になった。ふと思いついて,松本長老は尋ねる。「(聖餐会の)ピアノ,実は弾く人がいないんですよ,弾いてくださいませんか?」Iさんは同じ第九のメンバーだったものの,ピアノが弾けるかどうかは知らなかった。しかし返ってきた返事は「いいですよ。」─ 幼少期からピアノを習っていたIさんは,和音で構成される賛美歌に以前から興味があった,という。「でも,あのタイミングで松本長老に声をかけられたからこそ,引き受けたと思います。」
次の週からIさんは聖餐会に出席し,伴奏者を務めるようになった。そして講座の活動を通じて松本夫妻と繋がった多くの人々が教会に足を運ぶようになる。教会の徒歩圏内に住んでいる人も多く,「(主によって)みんな用意されていた人です」と松本長老は感慨深げにつぶやく。支部全体に活気が生まれ,ピアノの音色が響く聖餐会の出席者は赴任前の2倍に増えた。
当時,イベント企画の他にも,お休み会員の訪問や日曜学校のレッスン,若い宣教師を迎えるためのアパート探し等,やることは山積みだった。そんな中,松本長老が口にしていた言葉を松本姉妹は覚えている。「今自分たちは(主が備えられた人を導くための)漁場を整えているんだ。今やっている伝道がこの先も受け継がれるようにすることが我々の使命なんだ。」人間を獲る漁師になる ─松本長老の熱い思いとたゆまぬ働きは,後に想像以上の実を名瀬支部にもたらすことになる。
島外の人々や家族を招く─ 南の海のバプテスマ
松本夫妻が「招いた」のは島の人々にとどまらない。夫妻の次女,土肥祐奈(どい・ゆうな)姉妹の夫の和矢(かずや)兄弟は,祐奈姉妹の伝道で改宗した。結婚して間もなく結び固めの準備をしたものの,コロナ禍で神殿が閉館される等の問題が重なり,かなわなかった。和矢兄弟の信仰は薄れ,教会を離れたいと思うようになる。ワードの兄弟たちのサポートで踏みとどまっていたが,福音に前向きな気持ちを持てない状態が続いた。
2023年8月のお盆休み,土肥一家は奄美への旅行を計画していたが,台風のため2週間遅れた。土肥一家が島を訪ねるその日,名瀬支部ではバプテスマ会が予定されていた。和矢兄弟に松本長老は声をかける。「バプテスマの執行者をしてもらえないか?」考えた末,土肥兄弟は依頼を受けた。「どこかで教会としっかり向き合うべきではと思っていて……バプテスマを施した経験はなかったんですが,何かを変えられるチャンスなんじゃないかと引き受けました。」
8月27日の早朝,奄美大島屈指の景勝地・大浜(おおはま)海岸。真っ白なシャツとスラックスに身を包んだ土肥兄弟は雨の降る海を眺めていた。バプテスマを受ける家族の希望で,海での儀式が計画されていたのである。しかし出発前のトラブルで,家族がなかなか到着しない。雨が上がり,観光客が浜辺に姿を見せれば海でのバプテスマは不可能だ。刻々と過ぎる時間に土肥兄弟が不安を抱いたとき,松本夫妻にエスコートされた家族が到着した。まるで待っていたように雨が上がり,海には大きな虹がかかる。そして土肥兄弟が海に踏み入ったその瞬間─「背筋がぞくぞくしました。」これまで感じたことのないほどの御霊だった。大海原(おおうなばら)でバプテスマを施したとき,土肥兄弟の肩には不思議な感覚があった。「まるでイエス様が手を置いてくださっているかのように肩が温かかったことを覚えています。バプテスマを施したわたしまで,より清くなったような気がしました。」
奄美での経験は,土肥兄弟の心に大きな「奇跡」として刻まれた。「神様はいつもわたしのことを見てくれていて,この教会の福音が真実であると思えました。教会の召しや活動を頑張りたいと思い直すこともできました。わたしたちを招いてくれた伝道中の両親に感謝しています。」
沖縄神殿オープンハウスに「招く」チャレンジ
夫婦伝道について考え始めた頃,松本長老の希望の任地は「南の島」だった。「そのあたりに行ければ,宣教師として沖縄神殿に関われるのかな,と。」赴任して間もなく,松本夫妻は他のシニア宣教師を介して沖縄神殿オープンハウス・奉献式準備委員会のコミュニケーション委員として召集される。コミュニケーション委員の主な使命は広報活動と,オープンハウスに地域のVIPを招待することである。
念願の沖縄神殿奉献に携わる伝道活動に松本長老は意気込んだが,広報活動は思うようには進まなかった。県内のテレビ局等を回ってオープンハウスのための企画書を提出したが断られる。奄美大島が鹿児島県に属しているためだった。「どんなに近くても県外の情報は対象外とのことで,沖縄神殿を採り上げてもらうことはできませんでした。」また,宗教的な内容はNG,とのことだった。広報活動の前にそびえる高い壁を越えるには,主の助けが必要だと感じた。夫妻は伝道の合間に人けのない山頂や浜辺に立ち寄り,二人で声に出して祈ったという。
そんなある日,膠着(こうちゃく)した状況が動く。「きっかけは,名瀬支部宣教師OBの山下統紹(やました・むねつぐ)兄弟からでした。」当時,県内のメディアを通じた広報活動をあきらめ,ソーシャルメディアでの広報を模索していた松本長老に,山下兄弟は言った。「自分はケント・ギルバート兄弟と連絡が取れるつてがある。彼に広報を助けてもらったらどうだろうか?」─かつて日本のバラエティ番組で活躍し,現在は知日派の文化人として知られるギルバート兄弟。広報役として最適の人物だ。山下兄弟はギルバート兄弟と同時期に日本西部伝道部(渡邉 驩〔わたなべ・かん〕伝道部会長)で奉仕していた。松本長老は彼を通じてギルバート兄弟に協力を依頼する。「こちらの事情を汲(く)んでくださって,喜んで引き受けてくださいました。」八方塞がりに思えた広報活動に一筋の道が見えた瞬間だった。
そして,沖縄神殿オープンハウスが近づいた2023年9月2日。フェイスブックアカウント「Okinawa Japan Temple」でギルバート兄弟による告知動画が公開される。「こんにちは,ケント・ギルバートです!今日はこの秋に計画している沖縄旅行についてお話しします……」意匠を凝らした神殿の外観や庭園の色鮮やかな花々の映像,またオープンハウスの概要,神殿の持つ家族を結ぶ重要な役割などを紹介する約3分の動画に,夫妻は感慨をもって見入った。「大変なことも多かった広報活動ですが,その中で奄美の伝道開拓史をメディア向けに作成して,沖縄県近隣の奄美の伝道を紹介できたことは大きな喜びでした」と松本長老は振り返る。
また沖縄神殿のオープンハウスの際,ギルバート兄弟の紹介で,奄美群島返還についての著書がある米国人政治学者のロバート・D・エルドリッヂ氏と知り合う。同氏を招いて「奄美群島日本復帰70周年記念講演会」を年末に催した。メディア8社が取材に訪れた。その事務局を務めたことは広報活動の力となり,後に島のFMラジオ4局での宣教師の出演につながった。逆境続きだったオープンハウスの広報活動は,最終的に島での伝道を助ける多くの機会をもたらしてくれた。
実りの年の始まり─ 家族にも注がれる祝福
2024年3月3日,ひな祭りの日の名瀬支部では筆アートの高瀬先生のバプテスマ会が開かれていた。高瀬姉妹にバプテスマを施したのは,再び名瀬支部に戻ってきた若い長老宣教師たち。彼らのアパート探しに奔走した松本夫妻は,長老たちを迎えた名瀬支部で主の業が加速することを確信していた。「2023年は教会に人々を招き,種を蒔きました。2024年は刈り入れの年になると思います。」
その予感は今,松本長老の予想を上回る速度で実現している。月には高瀬姉妹の長女と,支部で聖餐会の伴奏者を務めるI姉妹の2人がバプテスマを受けた。聖餐会の出席者は日を追うごとに増え,赴任当時の3倍になった。
2人の働きは奄美大島を離れた場所でも祝福となって実を結んだ。2024年3月23日と翌24日に,以前奄美を訪れた次女の土肥家族と長男の松本健司(まつもと・けんじ)・小百合(さゆり)夫妻が,それぞれ東京神殿にて結び固めの儀式を受けたのである。「声にならないわたしたち夫婦の心の願いとうめきを神様はご存じだったと思います」と松本姉妹は言う。「神様からの家族への祝福は,召しを果たそうと努めているときに添えて与えられると実感しました。」
1年半の伝道生活も残り3か月となったが,まだまだ奄美でやりたいことがある,と松本長老は意気込む。「いつか,奄美大島に国際大学を作りたいんです。」奄美大島も多くの地方自治体と同様に,急激な過疎化に悩んでいる。その解決の鍵は高等教育機関にあると松本長老は考えている。「ブリガム・ヤング大学ハワイ校とポリネシアカルチャーセンター5のような……若者が働き,学ぶ場所があることは,この魅力的な自然と文化の島の力となると思います。」名瀬支部の宣教師OGの森 駒枝(もり・こまえ)姉妹の助けと,ケント・ギルバート兄弟の紹介で,エルドリッヂ氏をはじめとする多くのオピニオンリーダーや,奄美市長とも繋がり,プロジェクトは動き出している。
召された任地と人々を深く知って愛し仕える中で,主が用意された人々と出会うことができる─確信を力に変え,松本夫妻は今日も南の島で人々を招く。
今,求められる夫婦宣教師の力 ─ 原伝道部会長のメッセージ
原会長は現在の日本において,松本夫妻のような夫婦宣教師がより多く求められている,と話す。「ソーシャルメディアを活用した伝道で,宣教師がバプテスマを施す機会は以前の倍になっています。そうなると改宗者の定着を助ける力も倍にする必要があります。わたしは夫婦宣教師にその力があると思います。」その鍵は若いティーチング宣教師とは異なる働き方にある。「若い宣教師は数か月で転勤していきますが,ずっと同じ場所で働く夫婦宣教師は長期的な視点で新会員に寄り添い,助けることができます。また,その働きを通してユニットの会員たちにどのように新会員を支えたらよいか示すことができる。夫婦宣教師は若い宣教師と会員を繋ぐ架け橋になれると思っています。」
日本の各地で多くのユニットが,その成長を支えてくれる経験豊かなシニア会員を待っている。「伝道を考えるときに,親の介護や経済的な問題など,世代特有の問題があると思います。大切なのはまず夫婦伝道に出ることを決めて,その後どうするか主と相談することです。主は個々の状況に応じた方法を必ず示してくださいます。アイリング長老の預言にある日本の教会の成長の鍵は,教会員の心が変わること。わたしはその預言の成就を助けるのが夫婦宣教師だと感じています。」◆