イエス・キリストの生涯の弟子
宗教教育者大会ディボーショナル、2025年6月12日
はじめに:教会は、生涯弟子として進歩し続けることに重点を置いている
皆さんとともに集会に参加できることをとても感謝しています。ゲイ(ストラサーン)の優しい開会の祈りを感謝いたします。また、いつもピアノで美しい演奏をしてくださるエレン・アマタンジェロ姉妹、そして音楽とこのすばらしい合唱団を助けてくださったケビン・オヴィアット兄弟にも感謝します。そして参加してくださったお一人お一人に感謝しています。
通訳の方々についての話や、ディボーショナルが幾つかの言語に翻訳されていることについて聞きましたが、ユーモアのあるエピソードを一つお話ししたいと思います。ただ、これは翻訳が難しいので、再放送のときには省いていただいても大丈夫です。数年前にアリゾナ州テンペで、スペイン語に通訳されていたステーク大会がありました。通訳者の方は別の部屋にいて、ヘッドセットを使って通訳していたと思います。すると、その通訳者が壇上のわたしにメモを渡してきました。立ち上がった時、そのメモを読みました。「ゆっくり話してください。通訳しています」と書かれていました。〔笑い〕でも、無理でした。ですから、今夜はわたしの話を〔ゆっくり話せないかもしれませんので〕よく聞いてください。
まず、大管長会、十二使徒定員会ならびに教会を代表して、感謝をお伝えします。皆さんの生徒への働きかけに感謝します。皆さんは最前線に立って、教会、すなわち地上の神の王国の礎を築き、将来のために守ってくださっています。その献身に感謝します。その取り組みは、すばらしい影響を与えていると確信しています。
教会の指導者は、生涯イエス・キリストの弟子として進歩することの重要性を強調しています。例えば、伝道部指導者や、地元の若い男性と女性の指導者訓練でこのことを強調し、世界を巡回する中央幹部や中央役員の皆さんにも、このことを強調してもらっています。
生涯にわたって救い主の弟子となることは、教会の宗教教育の核でもあります。CESのリソース“Strengthening Religious Education”(『宗教教育を強める』)ではこう教えています。
「宗教教育の目的は、聖文と現代の預言者の言葉から、回復されたイエス・キリストの福音を教え、生徒が以下のことができるよう助けることです。
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天の御父とその「偉大な計画」への信仰と証を深める。……
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生涯にわたってイエス・キリストの弟子となり、聖約を交わして守る。……〔そして〕
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答えを見つけ、疑問を解消し、信仰をもって対処し、どのような問題に直面しても希望を持ち続ける理由を伝える能力を高める。」1
同様に、宗教教育セミナリー・インスティテュートの目的は、青少年とヤングアダルトが、イエス・キリストと主の回復された福音への改心を深め、神殿の祝福を受ける資格を得、天の御父とともに永遠の命にあずかるため、自分自身と自分の家族と周りの人々を備えることができるよう助けることです。
生涯にわたる弟子であることは、キリストの教義に欠かせない要素です。キリストの教義は、わたしたちがどのようにキリストのもとに来て、主の贖いの恵みの賜物を受けるかを表しています。わたしたちは選択の自由を行使して主を信じる信仰を持ち、悔い改め、バプテスマを受け、聖霊を受けます。しかし、キリストの贖罪がわたしたちを完全に変える効果を持つためには、現世の生涯の終わりまでこの聖約の道、すなわち弟子としての道を歩み続けなければなりません。ニーファイは述べています。 「わたしはまた、御父がこう言われる声を聞いた。 『まことに、わたしの愛する者の言葉は真実であり、確かである。最後まで堪え忍ぶ者は救われる。さて、わたしの愛する同胞よ、このことから、人は生ける神の御子の模範に倣って、最後まで堪え忍ばなければ救われないことが分かる。』」2
ラッセル・M・ネルソン大管長は言っています。「イエス・キリストのまことの弟子は、自分の立場を明確にし、率直に語り、世の人々と一線を画すことにためらいを感じません。臆することなく、献身的で勇気があります。」3どうすればこのような弟子になれるのでしょうか。それは宗教教育者にとってどのような意味を持つのでしょうか。また、どうすれば青少年やヤングアダルトが生涯にわたってイエス・キリストの弟子となれるよう、さらに効果的に教えられるでしょうか。
まず、選択の自由を行使することが、改心を深め、生涯の弟子への一歩となることについて考えましょう。次に、それらの考えが、教え方にどう作用すべきかを、救い主が弟子を教えられた方法に焦点を当てて考えます。そして最後に、学ぶという責任を果たす機会を増やすことで、自分の証に責任を持つようにというネルソン大管長の懇願に、生徒が応えやすくする方法について話します。
弟子になるうえで選択の自由が果たす役割
まず最初に、弟子になるうえで選択の自由が果たす役割についてです。神がその子供たちに下さった最も重要な賜物の一つは、道徳的な選択の自由です。自分で行動する、というこの力と特権と責任は、神の子としての可能性を最大限に実現するうえで欠かせません。聖約の道を歩み、進歩するうえで欠かせないのです。神の計画は、御存じのとおり、神任せのものではなく、自分の選択で進歩できるものとなっています。選択の自由は、霊の状態から進歩する鍵であり、現在と永遠にわたって、神の幸福の計画の下でなるべき自分になる鍵です。
それを知るサタンは、選択の自由を損なおうとします。モーセ書には、こうあります。
「あのサタンはわたしに背いて、主なる神であるわたしが与えた、人の選択の自由を損なおうとしたので、またわたしの力を自分に与えるように求めたので、わたしは独り子の力によって彼を投げ落とさせた。
そして、彼はサタン、すなわち、あらゆる偽りの父である悪魔となって、人々を欺き、惑わし、またまことに、わたしの声を聴こうとしないすべての者を自分の意のままにとりこにする者となった。」4
天上の戦争はおおむね、選択の自由を守る戦いであり、現世でも続いています。サタンは少なくとも二つの前線で選択の自由を攻撃しています。一つに、サタンは人の責任を軽視して、強制や威圧を用いるよう、政治的思想や運動をあおります。例えば、アメリカ合衆国憲法が制定され、守られるようにされた理由を、主は次のように述べておられます。「すべての肉なるものの権利と保護のために」、そして「すべての人がわたしの与えた道徳的な選択の自由に応じて、……原則に従って行動できるようにして、各々が裁きの日に自分自身の罪に対する責任を負うようにするためである。」5それから、主は選択の自由の悪い例を挙げておられます。「それゆえ、どんな人であっても、一人の人がほかの人に束縛されるということは正しくない。」6ルシフェルのやり方は常に、何らかの形で人を束縛することです。
サタンが選択の自由を攻撃するもう一つの方法は、わたしたち教師にとって特に重要です。先ほどの聖句のとおり、「偽りの父」であるサタンは「人々を欺き、惑わし」ます。7真実と偽りを知らず、知識に基づいて賢明な選択ができなければ、選択の自由は無意味です。偽りの解毒剤は真理です。救い主はこう宣言されました。もしわたしの言葉のうちにとどまっておるならあなたがたは,ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は,あなたがたに自由を得させるであろう。」8主は、罪と過ちからの自由だけでなく、選択の自由を行使して賢明な選択をする自由についても言われていたのでしょう。そこで、神の言葉を教えるわたしたちの出番です。サタンは、人が「主の声に聞き従」わないときにしか、力を及ぼせません。神は、御子を「道であり、真理であり、命」として送られました。9神はわたしたちを教え、真理に導くために預言者を与えてくださっています。神はその真理を確認する聖霊の賜物を下さいました。わたしたちの役割は、生徒が真理を聞き、受け入れられるよう助けることです。
しかし、宗教教育において、選択の自由には、単に福音の真理を伝える以上のことが求められます。生徒が学習過程で選択の自由を行使できる方法で教えなければなりません。積極的に学び、自ら学ぶ責任を負うのを助けるのです。自ら学ぶ責任を果たせるよう促すとは、永続する信仰と証を育むことを暗に意味しています。そうすることで、生徒は生涯イエス・キリストの活発な弟子となれるのです。詳しくは後ほどお話ししますが、ここで少し聖約について触れます。
自分で選択することは、ネルソン大管長がこれほど聖約に重点を置いている一つの理由です。わたしたちは聖約を交わして守るとき、救い主に従う選択をします。ネルソン大管長はこう説明しています。
「現世の間にわたしたちは、日の栄え、月の栄え、星の栄えのどの律法に従い、どの王国で永遠に暮らしたいのかを選ぶ機会を得ます。ここで行う一つ一つの義にかなった選択は、現世で大きな祝福をもたらします。しかし、永遠にわたって、想像もできないような祝福ももたらします。神と聖約を交わすことを選び、その聖約に忠実であるならば、「とこしえに栄光をその頭に付け加えられるで〔しょう〕。」10
自ら選択をするときに、確信が深まります。自ら行動しなければ、人生の疑問や問題を乗り越えて、生涯イエス・キリストの弟子でいるほどの深い信仰が自分にないと気づくことになるかもしれません。主はこう言っておられます。
「賢くて、真理を受け入れ、自分の導き手として聖なる御霊を受け、そして欺かれなかった者、すなわち、まことにわたしはあなたがたに言うが、彼らは切り倒されて火の中に投げ込まれることなく、 その日に堪えるであろう。」11
救い主の方法で教える
選択の自由が個人の進歩の過程で果たす役割は、わたしたち教師の教え方について示唆を与えてくれます。わたしたちは、伝道の業を導く機会を宣教師に与えるよう、伝道部指導者にお願いしています。また、青少年の指導者には、成人の助言者とともに指導者としての「くびきを負う」機会を青少年に与えるようお願いしています。宗教教育者である皆さんには、生徒の個人的なかかわりと、学ぶ責任を果たすことを促す方法で教えるようお願いします。どの場合にも、真の進歩は、若人が受け身でなく、行動する機会を与えられるときに生まれます。
わたしは、早朝セミナリーの教師を務めたことがあります。自分の経験から、だれもがうらやむ召しだと分かりました。セミナリーの教師を務めていた期間中、2年間は法科大学院に通っていました。ある日、信仰によって生きる勇気を持つとはどういうことかを生徒に知ってもらおうと、大学院の友人をクラスに招きました。彼は教会員ではありませんでしたが、信仰の篤い人で、クラスで話をしてくれました。リチャードは重い目の病気を抱えていて、痛みの伴う治療を定期的に受けなければなりませんでした。治療のたびに眼球を一時的に取り出すのです。想像してみてください。法科大学院ではたくさんの文献を読まなければなりませんでしたが、彼は文字が見づらく読めませんでした。そこで、彼は大学生を雇って、毎日読んでもらっていました。深刻な問題はありましたが、彼は性格がよく、みんなから好かれており、みんな、彼の模範に感化されていました。
彼はわたしのセミナリーのクラスで、神への信仰について、また神がどのように祈りにこたえてくださったかについて話してくれました。生徒たちは間近で彼を見、彼の話を聞き、質問をする機会を与えられました。そして、信仰が実際の生活の中で持つ力と、生徒の生活との結びつきを実感したのです。それと同時に、リチャードはこの経験を通して、セミナリーの生徒たちの善良さを実感したのです。(彼に印象に残ったことの一つは、朝6時のクラスに10代の若者たちが通っているということでした。)
では、救い主はどのように教えられたでしょうか。イエスは弟子たちに、単に指図したり、代わりに何でもしたりはなさいませんでした。弟子たちに考えさせ、携わらせ、話し合わせ、教えを実践させて教えられたのです。おかげで、救い主が去られた後も、弟子たちは聖霊を受け、聖霊を導き手とする準備ができていました。12『救い主の方法で教える』にはこうあります。「救い主が海の上を歩かれるのを見ることは、確かに畏敬の念が湧くことでした。しかし、ペテロにとってはそれだけではありませんでした。彼は救い主がなされたことを行い、救い主がおられる場所まで行って、自分も同じ経験をしたいと思いました。」13もちろん、これはペテロが間違いを犯すことも意味していましたが、救い主は繰り返しペテロに、行動し、自分の努力を通して強められる機会を与え、間違いを許容されました。14
このような学習経験を弟子に与えるために、救い主は弟子たちが自ら学ぶ責任を果たせるよう助ける方法を見出されました。そのうちの3つについて考えてみましょう。1.たとえを話す 2.霊感された質問をする 3.相手に合った招きをする。
たとえを話す:それぞれについて説明していきましょう。まず、たとえの話です。キリストはどのようなたとえを話されたでしょうか。救い主は、何かを明示したり、直接的に宣言したりするのではなく、御自分が教えることのより深い意味を探すよういつも弟子たちを招かれ、弟子たちにはその努力が求められました。わたしは、たねまきのたとえを研究することで、従順への理解が深まりました。15また、放蕩息子を研究することで、赦しへの理解が深まりました。16すべての人に慈愛を感じ、示したいという望みは、良いサマリヤ人のたとえを通して深まりました。
同様に、タラントのたとえにある管理の職について思い巡らすことで、より良い弟子、より良い指導者になることができました。18このたとえについて考え、二人の僕のうち、一人目は5つのタラントをもらい、二人目は2つのタラントをもらって、どちらもタラントを倍にさせたことを思いました。タラントの数は違いましたが、彼らは同じ称賛と報酬をもらいました。5タラント持っていた一人目は2倍に増やして10とし、最初2タラントだった二人目は4としたのです。しかし、主の反応は同じでした。「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」19これは、永遠の命を頂くために、みんなが同じレベルに到達したり、同じ速さで主の祝福を得たりする必要はないという意味ではないでしょうか。自分が頂いている賜物と能力と機会を精いっぱい活用するだけでよいのです。1タラントの僕も、もしタラントを隠さずに、2つ目を得ようと働いていれば、きっとほかの二人と同じ報酬を受けていただろうと思います。わたしは指導者たちに、自分ができることをやれば、主がそれを大いなるものとしてくださり、報いを受け、いつか完全な祝福を頂くことができる、と教えています。
霊感された質問をする:救い主は、質問によっても教えられました。例えば、こうお尋ねになりました。「あなたがたはわたしをだれと言うか。」明らかに主は、弟子たちよりも明確で深い答えを御存じでしたが、ペテロに、よく考え、自分で答える機会を与えられました。ペテロは思いを言葉にすることで、証が深まったのだと思います。「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」20復活された救い主は、ペテロに3度お尋ねになりました。「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか。」ペテロは答えました。「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです。」救い主はそのたびに「わたしの羊を養いなさい」と答えて、ペテロを教えられました。21
招く:最後に、招きをすることです。救い主が御自身の質問にお答えになることもありましたが、それは別の招きの役割を果たしていました。西半球の弟子たちに話していた救い主は、「あなたがたはどのような人物であるべきか」と尋ね、すぐさま、こうお答えになります。「まことに、あなたがたに言う。 わたしのようでなければならない。」22救い主からの重要な招きはほかにもあります。例えば、「わたしに従ってきなさい」という招きについて考えましょう。当時の招きには約束が伴っていて、それは現在の招きにも当てはまります。例えば、教義と聖約にこうあります。「すなわち、わたしに近づきなさい。そうすれば、わたしはあなたがたに近づこう。熱心にわたしを求めなさい。そうすれば、あなたがたはわたしを見いだすであろう。求めなさい。そうすれば、与えられるであろう。たたきなさい。そうすれば、開かれるであろう。」23招くたびに主は弟子たちに、行動し、考え、自らの学びと成長の責任を果たす機会を与えられました。
宗教教育に対する示唆
今年、クラーク・ギルバート長老は、セミナリーとインスティテュートの教師に、生徒が行動して、学ぶ責任を果たす機会を意識的に設けるよう招き、『救い主の方法で教える』の「熱心に学ぶよう招く」の項を紹介しました。24この項のタイトルが教えることではなく学ぶことに焦点を置いていることが重要だと思いました。効果的な教師は、学ぶ責任を果たすよう生徒を招くものだと感じました。聞くように招くばかりで、学び手の主体的学習を無視すれば、教える側の都合を優先していると見なされかねません。
『救い主の方法で教える』には、熱心に学ぶよう勧めるには、生徒が学習過程において作用する者となれるよう教師が助ける必要がある、と繰り返し述べられています。その方法は幾つかありますが、この教材から3つを採り上げます。
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まず、「学ぶ準備をするよう、学習者を招く」ような学習経験を作り出すことができます。そのためには、事前に読書課題を出したり、研究を促す質問をしたり、個人的に招いたりします。
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第2に、「学んでいる真理を分かち合うよう、学習者に勧める。」方法はたくさんあるので、教師と生徒に合った手段を取ることができます。わたしは法科大学院で、よくソクラテス式問答法を通して学びました。教師は生徒が判例をよく学ぶことができるよう、一連のよく練られた質問を生徒に投げかけます。生徒は自分の洞察を説明し、ほかの人の話を聞く準備をして授業に臨まなければなりませんでした。わたしは、よく組み立てられた話し合いを通して、学びを発表する機会を生徒に与えているインスティテュートの教師を目にしてきました。これには、教師自身がよく備え、よく備えてきた生徒に、探求と対話の精神で参加してもらう必要があります。皆さんの授業でも、もちろんいつもそうだと思います。生徒たちは皆、よく準備して来ますね。教師の皆さんも、よく準備されています。ぜひそうしてください、というのが今回のわたしの招きです。
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第3に、「今学んでいることに従って生活するよう、学習者を招く」べきです。25学びを生活で実践するよう常に生徒に勧めるのです。そのためには、個人的に招き、考える訓練をし、生徒が変わり、キリストのような人になる助けとなることを行います。
準備し、分かち合い、実践する、という取り組みをするには考える必要があり、教師のいっそうの努力が必要です。生徒が互いに発表し、教え合うよう助ける場合は、特にそうです。教師は一切直接的に、一方的に話さないというわけではありません。重要なメッセージや基礎的な原則を強調する際には特にそうです。この集会は、その一例です。しかし、この話をした後で、学んだことを分かち合ったり、学んだことを実際教えるときに実践したりすることによって、学習過程に携わる必要があります。
この集会に先立って、準備として、研究を促す質問と読書課題をお送りしました。明日から数週間、救い主の方法で教えることについて学んだことを、同僚と話し合うようお勧めします。また、今晩の話や、明日共有されるほかの教材を基に、自分の教え方で改善できる点を探してください。
ここで、研究に値するもう一つの教材を紹介します。対象者は違うのですが、宣教師のガイド『わたしの福音を宣べ伝えなさい』の10章、「イエス・キリストを信じる信仰を築くよう教える」という章から引用します。宣教師のレッスンは、人々が道徳的選択の自由を使って生活を変えるのを助ける究極の方法です。その目標は、聖霊の影響とキリストの恵みを通して改心し、生涯にわたる弟子となることです。これは、もちろんわたしたちの目標でもありますから、この教材と『救い主の方法で教える』からきっと洞察を得られるでしょう。当然、この2冊には重複している部分がありますが、同じ原則や考えを異なった表現で読むことで、新たな視点やより深い理解を得られることがあります。『わたしの福音を宣べ伝えなさい』の10章には、次のような質問があります。「どうすれば御霊によって教えることができるでしょうか。」「どのように聖文から教えればよいでしょうか。」「教えるときにどのように証を分かち合えばよいでしょうか。」「人々の必要に合わせてどのようにレッスンの計画を立て、調整すればよいでしょうか。」「どうすればより良い質問をし、より良い聞き手になれるでしょうか。」勘違いされそうですが、この教材の宣伝で報酬を得たりはしていませんよ。
生徒が自分自身の証に責任を持てるように助ける
最後に、生徒が自分自身の証に責任を持てるように助けることです。繰り返しになりますが、熱心に学ぶように、との招きは、生涯にわたる弟子を育てるのに欠かせません。学習者が学ぶ責任を果たす助けとなるのですから。ネルソン大管長はヤングアダルトに、自分の証に責任を持つよう招き、自分の成長の責任を負うよう勧めました。2022年のディボーショナルの中でネルソン大管長はこう述べています。
「どうぞ、自分の証に責任を持ってください。そのために努力してください。手に入れて、大切にし、育ててください。真理という養いを与えてください。不信仰な人々の誤った哲学で証を汚しながら、なぜ証が弱まっているのだろうかと悩まないでください。日々、心から謙遜な祈りをささげてください。古代と現代の預言者の言葉で自分を養ってください。主の声をもっとよく聞く方法を主に尋ねてください。神殿と家族歴史の業にもっと多くの時間を費やしてください。自分の証を最優先にしながら、生活の中で奇跡が起こるのを待ってください。」26
同じ懇願を、2022年10月総大会の説教「世に打ち勝ちなさい。そうすれば、休みが与えられるであろう」でも繰り返しています。27
ヤングアダルトへ向けて、ネルソン大管長は次の質問をしました。「現在悩みの種となっている事柄について平安を感じたいですか。イエス・キリストについてもっとよく知りたいですか。どうすれば、主に傷と弱さを癒していただけるか知りたいですか。イエス・キリストの贖罪が持つ、優しい、慰めの力を生活の中で味わいたいですか。これらの質問の答えを求めるには、努力、たくさんの努力が必要です。」28また大管長は、学生たちの疑問を肯定的に受け止め、次のように言われました。「疑問があれば—あることを望んでいますが、—信じたいという強い望みをもって答えを求めてください。福音についてできるだけたくさん学んでください。真理のあふれる情報源に頼ることを忘れないでください。」
これこそが、熱心に学ぶよう招く、ということであり、自分の証に責任を持つよう生徒を招くために必要なことです。生徒が自ら学ぶのを助けるために、レッスンの組み立てを工夫して、生徒が真の弟子となるために必要な深みと活力をもって積極的に参加できる機会を提供する必要があります。預言者の招きをもう一度よく考えてください。「そのために努力してください。手に入れて、大切にし、育ててください。」わたしたちのクラスでは、証を強め、さらに真の弟子となるよう、このように一人一人を招いているでしょうか。熱心に学ぶよう招く取り組みを、どのように達成または改善できるでしょうか。
まとめ
今晩、まず教会の宗教教育の目的を復習し、生徒を助ける必要性について話しました。
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天の御父とその「偉大な計画」への信仰と証を深める。……
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生涯にわたってイエス・キリストの弟子となり、聖約を交わして守る。……〔そして〕
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答えを見つけ、疑問を解消し、信仰をもって対処し、どのような問題に直面しても希望を持ち続ける理由を伝える能力を高める。」29
生徒が選択の自由を行使するのを助けるときに、彼らの改心は深まり、やがて生涯にわたる弟子へと至ります。昨年10月にネルソン大管長はこう述べています。「今こそ、わたしたちが弟子としての務めを最優先するときです。」30またこう付け加えました。「イエス・キリストの敬虔な弟子になるのに、早すぎることも遅すぎることもありません。」31手遅れになる前に、熱心に行動しましょう。大管長が言われたように、今がその時です。わたしは、エペソの長老に向けたパウロの警告の懇願にますます胸を動かされるようになりました。
「どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。
わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。
また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。」32
わたしたち「監督者」の生徒たちは、救い主の血であがない取られた貴い存在です。わたしたちは、忠実な模範を示し、彼らを養い、強め、彼らが教会の外で出合う「狂暴なおおかみ」から守る責任を負っています。おおかみは「〔わたしたち〕自身の中」、すなわち教会内にもいて、偽りを言い、主の弟子ではなく自分の弟子にしようとしています。わたしたちは生徒達が真理を学び、選択の自由を賢く使い、何より、御父と御子の愛を知れるよう助けなければなりません。
愛に満ちた天の御父と贖いの計画について証します。神の独り子であり復活された贖い主のイエスが実在されることを証します。イエスは御父の右に座り、人の子らに対する憐れみを示す権利を主張されました。33わたしは、モルモンとともに、イエス・キリストの弟子であることを告白し、命ある限りキリストの弟子として精進します。34わたしたち一人一人がさらに強い弟子となり、できるだけ多くの人が、生涯、献身的なイエス・キリストの弟子となるのを助けられますように。
皆さんに、祝福がありますように。イエス・キリストの御名により、アーメン。