クモラの丘で起こった数々の出来事は,末日聖徒イエス・キリスト教会設立の土台となりました。1823年9月22日,天使モロナイに教わった場所に行ったジョセフ・スミスは,丘に埋められている金版を見つけました。その後3年間,毎年同じ日にジョセフはそこで天使と会い,1827年9月22日に,ついに版を受け取ることを許されたのです。この金版から,預言者ジョセフ・スミスは,神の賜物と力によってモルモン書を翻訳しました。敷地内には,様々な
トレイルや
天使モロナイの記念碑,訪問者センターがあります。
一般にはクモラの丘として知られていますが,この名称は1823年から1827年の重要な出来事以降しばらくは使用されませんでした。19世紀後半,ウェイン郡とオンタリオ郡の多くの住民は,この丘を「ゴールド・バイブル・ヒル」や,「モルモン・ヒル」と呼んだのです。しかし,ジョセフ・スミスのごく親しい友人や家族を始めとする教会の初期の多くの会員は,ジョセフ・スミスの存命中,いろいろな機会にこの丘を「クモラ」と呼んでいました。これは,モルモン書の最後の著者であり,ジョセフ・スミスと会った天使であるモロナイが,自分の言葉を少し付け加えたら「記録を……地の中に隠」すと書いたためだと思われます(
モルモン8:4,14参照)。この聖句は,クモラと呼ばれる丘で起こったニーファイ人とレーマン人の間の大規模な最後の戦いに関するモロナイの記録の後にあるので,多くの人は,モロナイが同じ丘に版を埋めたと思い込み(
モルモン8:2-4参照),後にジョセフがその丘で版を受け取ったのだと考えました。後に書かれたジョセフ・スミスの手紙の一つにも同様に,「クモラからの喜びのおとずれ」と「天からの天使モロナイ」の訪れという言葉が出てきます(
教義と聖約128:20)。教会は「古代アメリカ大陸におけるモルモン書の出来事の具体的な地理的位置についての見解を表明していない」ものの,ジョセフ・スミスや同時代の人々が残した記録から,この丘こそジョセフ・スミスがモロナイと会った場所であり,ジョセフがモルモン書の元となった版を受け取った場所であることが明らかにされています(see Gospel Topics: Book of Mormon Geography)。