1838年初め、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員たちはクレイ郡のそばの仮住まいから新たに創設されたコールドウェル郡に移住を始めました。聖徒の何人かはジェイコブ・ハウンの所有地の近くで仕事と土地を見つけました。ジェイコブ・ハウンは数年前にその地域にやってきて、ショールクリーク(小川)の蛇行した場所のそばに製粉所(ミル)を設立しました。ジェイコブ・ハウンは教会員ではありませんでしたが、末日聖徒の隣人たちや工場の従業員たちに対して友好的でした。1838年には、ハウンズミル(ハウンの工場)は、小さいながらも繁栄しているコミュニティーの中心となっていました。
1838年10月30日、ハウンズミルにて
近隣の郡の武装した自警団が末日聖徒たちを襲い、14人の男性と3人の若い少年を殺害し、ほかに14人を負傷させました。亡くなった人たちは急いで埋葬するか乾いた井戸に共同墓地として埋葬しました。それは、末日聖徒たちがその地域からの退去を余儀なくされていたからです。最終的には、その冬に、ミズーリ州から退去することとなりました。ジェイコブ・ハウンもミズーリを去り、最終的にはオレゴンに移住しました。
ハウンズミルについて詳しくは、
『聖徒たち』第1巻、第30章
Leaving Church Domain
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史跡の様子
ジェイコブ・ハウンの家と製粉所(ミル)はこの敷地には存在しません。駐車場からの小道や歩道はありませんが、小川の湾曲した場所の近くの森や野原は、ここで命を落として埋葬された人々を思い、黙想するための静かで平安な場所となっています。大量の雨が降る季節には、洪水のため、道路が通行不能になることもあります。