ファーウェストの町は、ミズーリ州インディペンデンスから北東に1時間ほどの所にあります。定住地の建物や構造物は撤去されてから長い時間がたっていますが、
ファーウェストの神殿用地は聖徒たちが偉大なシオンのステークとなることを願っていた町の中心地を示しています。この用地を取り囲んでいる植栽が施された静かな景観は平安に満ちた環境を醸し出し、
シオンを建設するための聖徒たちの犠牲を映し出しています。
ミズーリ州ジャクソン郡から追放された後、聖徒たちには新たな集合地が必要でした。近隣の各郡に散り散りになっていましたが、彼らはそれでもシオンを建設することを望み、目指しました。しかし、ミズーリの隣人たちは、末日聖徒たちに関して、まだ懸念を抱いていました。その信条や伝統は地元の地域社会にどのような影響を与えるでしょうか。両者のための解決方法はあるのでしょうか。
1836年、ミズーリ州議会はコールドウェル郡を設立し、そこを末日聖徒の定住地と指定しました。ファーウェストは最大の定住地で郡庁所在地でした。1838年には、ファーウェストは元々の1平方マイル(2.5平方キロメートル)の区画だったのが、それを超えて2平方マイル(5平方キロメートル)まで大きくなり、5,000人の住民を抱えるまでになりました。
ジョセフ・スミスは1838年3月にファーウェストに移住しました。それから8か月、教会本部はオハイオからミズーリに移りました。ファーウェストにて、主はジョセフ・スミスに7つの啓示を明らかにされました。その啓示は後に教義と聖約の章となりました。これらの啓示には教会の名称に関する指示(
教義と聖約115章)、ステークの目的(
教義と聖約115章)、什分の一の律法(
教義と聖約119章)、ならびにヨーロッパにおいて福音を宣べ伝える十二使徒の責任(
教義と聖約118章)が含まれています。加えて、主は聖徒たちにファーウェストに神殿を建設するように指示をお与えになりました。1838年7月4日、主の命令に従って、聖徒たちは町の中心部に神殿のための隅石を設置しました。
末日聖徒と近隣住民との関係が1838年の夏から秋にかけて悪化し、
ボッグズ知事による「撲滅令」の発布につながりました。1838年10月31日、ミズーリ州の民兵がジョセフ・スミスとハイラム・スミスを含む教会の指導者を拘束しました。翌日、町は降伏し、民兵部隊が物資、家
、および資産を略奪しました。この混乱の中、ハイラムの妻であったメアリー・フィールディング・スミスはファーウェストの自宅にて、教会の第6代大管長となるジョセフ・F・スミスを出産しました。
この迫害のために、ほとんどの末日聖徒は1839年4月までにファーウェストを捨て、町は廃墟となりました。4つの隅石のみが神殿用地を示すものとなりました。主から託された責任を果たすために、7人の使徒が1839年4月25日にファーウェストに戻り、ヨーロッパに伝道に行くのに先立ち、神殿用地を奉献しました。
1840年、ジョン・ホイットマーはファーウェストに戻り、神殿用地を含む土地を購入しました。彼はそこに38年住み、キングストンの近くに埋葬されています。教会は1909年にホイットマー家族からその土地を取得しました。1968年、記念碑が神殿用地にて奉献されました。この敷地には、ピクニックテーブルやお手洗いがあります。
ファーウェストとそこに住んでいた人々について詳しくは、
『聖徒たち』第1巻、第24-33章をお読みください。