ミズーリ州の史跡紹介

1831年、主はミズーリ州ジャクソン郡がシオンの中心地であると明らかにされました。それからの8年間、末日聖徒は隣人から激しい迫害を受けながら、シオンを確立するために働き、各地を転々としました。
1 map.  The Prophet Joseph Smith's plat of the City of Zion June 25, 1833.  Brass plate label: "Prepared from original by Elder James B. Lund Missionary 1979-1980". Shows Joseph Smith's original writing with printed transposition of text.  Dark brown wooden frame, glass and green mat.
1831年から1838年まで、末日聖徒イエス・キリスト教会の本部は合衆国のオハイオ州北東部にありました。時を同じくして、教会員は、約1290キロ離れたミズーリ州にシオンの地を築くために、主の戒めに従って集まりました。ジョセフ・スミスや他の教会指導者の逮捕へとつながった出来事により、末日聖徒はミズーリ州の家から追い出されました。このような困難がありましたが、神がそこで明らかにされた真理は、今日の教会員を祝福し続けています。
インディペンデンス訪問者センター、ミズーリ州インディペンデンス

ミズーリへの集合

1830年10月、オリバー・カウドリとパーリー・P・プラットが、ニューヨーク州フェイエットのホイットマー家から宣教師の小さなグループを率いて出発しました。彼らの伝道は、ミズーリ州ジャクソン郡からミズーリ川を隔てたところにある、カンザス準州のアメリカン・インディアン居留地で行われました。宣教師たちは1600キロ以上を旅し、1831年1月に伝道地に到着しました。政府関係者が、宣教師が川の西側で伝道するのを妨げたため、宣教師はさらなる指示を待つためにインディペンデンスに戻りました。

ジョセフ・スミスが1831年の夏にインディペンデンスにやって来ました。その地にいる間に主は、主の民が集まり、主の神殿が建設される新たな町を築くようジョセフに命じられました。ミズーリ州インディペンデンス近郊で明らかにされたシオンの地の計画は、末日聖徒が将来建設する町を導く神の規範として示されました。

何千もの末日聖徒がニューヨーク州やオハイオ州の家を離れ、馬車や蒸気船で、ミズーリ州ジャクソン郡の新たなシオンの町へと旅しました。多くの人々の流入は、インディペンデンスに住む人々の不安と怒りを増大させていきました。新しくやってきた人々は多くの面で彼らとは異なり、以前から住んでいた人々は、やがて彼らが政治的・経済的変化をもたらすのではないかと心配したのです。
Joseph Smith dedicated the temple lot in Independence, Missouri on August 3, 1831. He laid the northeast cornerstone and delivered the dedicatory prayer. This marker indicates the spot where a cornerstone was found. Photo taken May 2022.
インディペンデンスの神殿用地にある隅石、キリスト教会所有(神殿用地)。

ジャクソン郡からの脱出

1833年7月、緊張が最高潮に達しました。暴徒がインデペンデンスの広場に集まり、次の春までにジャクソン郡を出ていくよう末日聖徒に要求しました。この時、暴徒は脅迫の手段として、エドワード・パートリッジビショップとチャールズ・アレンにタールを塗り、鳥の羽根を付けました。

教会指導者たちは屈することなく、自分たちの状況を確認するために弁護士を雇い、補償を求めました。それを知った住人たちは、再び暴徒を集め、教会員たちをジャクソン郡の家から追い出しました。1833年11月までに、全員がミズーリ川を渡ってクレイ郡へと避難しました。

ジョセフ・スミスがジャクソン郡での暴力について知ったとき、主に指示を仰ぎました。また、ミズーリ州の知事ダニエル・ダンクリンに連絡を取ったところ、知事の返答は聖徒を支持するものでした。そこでオハイオにいたジョセフと他の教会指導者は、約200人の武装した男たちによる進軍を組織しました。彼らは州知事の民兵に加わり、法律が守られ、家族が家に戻れるようにしようとしました1834年の春に陣営が結成され、自分たちをイスラエルの陣営、シオンの陣営と呼びました。

陣営がクレイ郡のフィッシング川に近づくと、ミズーリ州の知事は到着に関してどんどん不安になっていきました。ジャクソン郡の男たちが自分の権威を支持せず、全面戦争になることを恐れていたのです。そこで彼は、近くまで来ているシオンの陣営に、公式な支援は受けられず、、進軍は違法であるを通達しました。ジョセフ・スミスは再び主の指示を仰ぎ、陣営を解散するように命じられました。
Zion's Camp was protected from a mob when the level of Fishing River rose dramatically during a storm on June 19, 1834.
ミズーリ州クレイ郡のフィッシング川

新しい集合地

ほぼ2年間にわたって、ミズーリ州に住む末日聖徒は避難民の生活を送り、彼らは仕事を求めつつ、法的な不公平の是正を望んでいました。ついに州議会で末日聖徒が定住するための場所を作るという決議が通り、新たに作られたコードウェル郡に末日聖徒の定住地が設けられました。

1836年の初旬、聖徒たちはコードウェルに集まり、シオンの町に倣って新たな町を作って、ファーウェストと名づけました。1838年の春、ジョセフ・スミスは家族とともにファーウェストに移住し、預言者がそこに住むことで、町は啓示の場所となりました。7月、教会は町の中心部に神殿を建設するために整地を始め、それまでにコードウェル郡の人口は数千人まで増えていました。さらに多くの聖徒をオハイオ州からミズーリ州へ招くよう、ジョセフは啓示を受けました。

その夏、十二使徒定員会の二人の会員、ヒーバー・C・キンボールとオルソン・ハイドがイギリスから戻り、そこでの伝道の成功について知らせを持ってきました。主は、十二使徒がイギリス諸島に戻って、最近の改宗者たちがアメリカのシオンに集まる助けをするよう命じられました。

多くの新たな改宗者の到着を予想した教会指導者たちは、より多くの定住地を探し、7月にデイビース郡スプリングヒルに新たに町を作り、もう一つステークを組織しました。主はその場所をアダム・オンダイ・アーマンと改名されました。その間聖徒たちは、キャロル郡デウィット近くの地主たちに良い印象を与え、地主たちは町にある土地を、デイビース郡から移る必要のある末日聖徒に提供しました。多くの家族が、この申し出を喜んで受け入れました。
Image of a sign resting on a grassy field that reads, "Far West Temple Site."
ミズーリ州ファーウェスト。

1838年のミズーリ州モルモン戦争

その地域における教会の成長を不愉快に思う地元の人々や地主もいました。さらに多くの末日聖徒がやって来るにつれ、数年前からあった恐れや偏見が表面化し、1838年8月8日、ついにデイビース郡で衝突が起こりました。そこには、両陣営の人々が、地元の選挙のためにギャラティンに集まっていました。深刻な負傷者はいませんでしたが、その衝突に関する誇張された報告は、地域の怒りと恐れの感情に油を注ぎました。

武力衝突はそれから10週間続き、州軍の一部として戦うことを知事から承認されていたグループもありましたが、多くの武装した男たちは法を無視していました。10月中旬、敵はデウィットにいた聖徒たちを家から追い出しました。ジョセフ・スミスは、デイビース郡で敵対する近隣から銃と物資を押収して、反撃の用意をすることを教会員に許可しましたが、これらの行為は衝突をエスカレートさせただけでした。これに応じて、州軍のレイ郡連隊からの志願者が末日聖徒の二人の偵察員を捕らえました。クルックト川のほとりで続いていた抗争で、10月25日に末日聖徒3名とレイ郡兵1名が亡くなりました。その戦いの最大の悲劇は1838年10月30日に起こりました。200人を超える武装した男たちが、ハウンズミルの聖徒たちを襲撃し、17人が殺され、ほかに14人が負傷しました。

衝突の報告を受けると知事は、ファーウェストへ向かうよう州兵に命じ、すべてのモルモン教徒を「敵として扱い、撲滅するか、州外に追放しなければならない」と布告したのです。多くの兵がファーウェストを取り囲み、包囲戦が予想されましたが、1838年11月1日、町は戦うことなく降伏しました。ジョセフ・スミスと多くの他の指導者たちは逮捕され、近隣の郡で裁判にかけられました。その間州兵は、町を襲って物を奪い、市民への侮辱や虐待をし、略奪を行い、やがてほぼすべての財産を破壊したのです。
Exterior image of a grassy field at Hawn's Mill.
ショール・クリーク、ミズーリ州コードウェル郡ハウンズミル

リバティーの監獄

リッチモンドでの3週間に及ぶ法的手続きの後、ジョセフ・スミスと他の5人の男たちはリバティーの監獄に送られ、そこで次の審理まで5か月間待ちました。その間に、何千人もの末日聖徒は再び避難民となっていました。聖徒たちは、家と土地を捨て、ミズーリ州から近隣のアイオワ州やイリノイ州へ出ていくように強制されました。先の見えない未来に直面し、ジョセフ・スミスは導きを求めて再び祈り、主の指示を受けました。

ミズーリ州の史跡は、何年にも渡る暴力と混乱を伝えるとともに、主がご自分の預言者への啓示を通して、ご自分の民をどのように導き続けられたかも示しています。これらの場所や物語は人々を霊的に鼓舞し続けます。イエス・キリストへの自分の信仰を強め、神との聖約を交わして守るよう励ますのです。またほかの人たちへは、イエス・キリストの福音を分かち合い、自分の住むコミュニティーにシオンを築くよう、促しています。
Interior images of Liberty Jail and its exhibits in Liberty, Missouri.
リバティーの監獄の内部の実物大模型、リバティー監獄の史跡、ミズーリ州クレイ郡