1841年6月19日,
ジョセフ・スミスは主から
啓示を受け,聖徒たちにノーブーハウスという名の大きな寄宿舎を建てるよう命じられました。この建物は主の家(ノーブー神殿)と同時に建てられる予定で,この地域にやって来る人々に「シオンの栄光……をつくづくと考えられる」(教義と聖約124:60)場所を提供することを目的としていました。川岸からそびえ立つノーブーハウスは,この町にやって来た人々にとって,希望,健康,安全,そして神聖さを象徴するものとなるはずでした。
ルシアン・ウッドワースが,長さ120フィート(36.58メートル),奥行40フィート(12.19メートル),4階建ての2つの大きな翼を持つ建物を設計し,完成すれば300人が宿泊できる広さがありました。ジョージ・ミラー,ライマン・ワイト,ジョン・スナイダー,ピーター・ホーズが建設プロジェクトの管理委員を務め,資金調達と建設の監督を行いました。地元の実業家と教会員が50ドルの建築株を購入し,建設費を捻出しました。1841年10月2日,盛大な式典が行われて,南東の礎石を据えるところから建設が開始されました。建築業者はノーブーハウスとノーブー神殿の建設を並行して行いました。また,両方の建物のために材木を切り出し,石を切り出して,労働力を提供しました。
預言者ジョセフ・スミスの死後,ブリガム・ヤングは建設作業の継続を強く求めました。1845年の秋には,聖徒たちがこの町を去るまでに,両方の建物を完成させることはできないことが明らかになりました。そのため,神殿の完成に労力が集中して注がれることになり,ノーブーハウスのほうは,2階までの石とレンガの外殻だけで,屋根のない未完成の状態のまま残されることになりました。1867年から,エマ・ヘイル・スミスと彼女の2番目の夫ルイス・ビダモンが,未完成の建物から材料を持ち出し,それを使ってノーブーハウスの南西の角に寄宿舎を作りました。二人はこの新しい建物をリバーサイド・マンションと名付け,客の馬をつないでおくための馬小屋を増築しました。エマは1879年に亡くなるまで,8年間リバーサイド・マンションで暮らしました。
ノーブーの開拓と,ノーブーハウスを建てるようにという主の命令については,『聖徒たち』第1巻,
第35章を読んでください。
ノーブーハウスは,ジョセフ・スミス史跡の一部としてコミュニティ・オブ・クライスト(旧称:復元末日聖徒イエス・キリスト教会)が所有・運営していました。その管理権は,2024年にノーブー歴史地区に移譲されました。過去の管理者の方々の管理と,コミュニティ・オブ・クライスト(旧称:復元末日聖徒イエス・キリスト教会)をはじめとするパートナーとの継続的な協力に感謝しています。
見どころ
スミス家の地所の大規模なツアーの一環として,ノーブーハウスを外から見学することができます。